ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

長いお別れ

2019年06月21日 | 読みました

 

認知症を患って、死に至るまでを、長い期間の間患うことを「長いお別れ」って言うのですって。

「長いお別れ」と呼ぶのは、その病気を得て、少しずつ記憶を失っていく、

『ゆっくりゆっくり遠ざかっていくから』 書いてあります。

 

今の時代のように「認知症」と言う言葉が使われていない時代に、私は義母のお世話していますから、

今が死がどのような扱いになっているのか知りません。

お世話する年より、される年になっています。

 

この本を読んでいて、身にしみる、経験した描写が多々ありました。

年老いた親を身近に置き、世話した経験のある人なら「そうだったそうだった」と言う気持ちだと思います。

 

でも一人よりは施設に入って、人の輪に入ることを望み、家土地すべて処分して、良いと思った施設に

入ったのに、その人の全財産であろうとなかろうと、何千万円と言うお金を積んでも、「認知症」が

出てきたら、施設を出ることを迫られるとは、知りませんでした。

その上、お金が全部返ってくるとは限らないと言うのです。

代金を、土地、家をすべて売って、お金を作っているのに、どう生きよと言うのですか?

 

私は不自由なく生きてこれたのは、主人のおかげと思っていますし、私は主人より7歳下ですから、

死は年の順ではないかも知れませんが、私が残る可能性大だと思うので、見送る覚悟は出来ています。

そうすることが主人にとっては一番の晩年だとも思っています。

 

残った私? ピンピンコロリを目指します。 

 

これから老親を見送る予定の方が、読んでいただくと良い本だと思います。

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