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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

九州・日豊本線の旅(大分・別府)

2008年12月04日 | ちっちゃな旅
       

        
      これなんだか解ります? 鹿児島の旅館のトイレの男女の印です 

11月27日(木)
延岡発別府行き(10:14)に間に合うように、高千穂発(8:20)のバスに乗った。バス停の地名を見ていると、何と奇麗な地名が多いのだろうと思った。こののどかな土地で人は心豊に暮らし、その気持ちが地名となって現れているのかな~と感じた。

「にちりん」の車中の人となり、乗車時間2時間がゆったりと流れるはずであった。杵築駅に着いた時、その時まで空いていた私達の座席の周りに6人ほどのサラリーマンが乗り込んできた。そして私達を見て、「あれ?」と言う顔だ。切符を私達に見せて「私達はここなんですが…」私達も慌てて切符を見直した。

両者共に相手の番号を見る。同じ番号である。又ダブルブッキングである。但し、私達のは日付が昨日になっている。しかし急行券は2.3日有効であるから問題はない。とすればダブルパンチならぬダブルブッキングのダブルパンチだわ。丁度来た車掌に話して了解を得て、今度は昨日私達がしたように、後からの相手が前の座席に座ってくださった。

「ほ~、こんなことも在るんですな~」と相手方はしきりに感心している。私達は昨日に続く今日で「ど~なってんの、もう!」と言う気持ちです。相手は大分で下車。降りる時「どこまで行かれますか?」と問う「次の別府までです」「気をつけて!」と下りていかれた。大分空港へでも行かれるのだろうかと想像しながら見送った。

予定では地獄めぐり観光バスに乗って「地獄巡り」をするつもりだった。しかし小雨が降っていたので取りやめることにした。そして一つか二つ個人で回ろうと言うことにしたのです。雨の中傘を差してまで全部を回る必要を感じなかったし、何しろ始からホテルに入れる3時までの時間つぶしの積もりだったから。



 上左:煙ではありません 吹き上げる湯気です   
 左下:温泉卵                    右下:かまど地獄

市内巡回バスの降りた所から近くにあった「かまど地獄」に入ることにした。内部は後から韓国の団体さんが入ってくるまで閑散としていた。温泉卵を売っていたので買って食べた。美味しかったです。此処での卵はピータン卵といって、ピータンのように白身の表面が茶色でした。

8つの地獄があるそうですが、私達が始めていった40年ほど前(息子達が小学生の頃)はこんなに孤立していなかったと思うのですが…。入り口を入ると次々と色んな地獄を見る事が出来たと思うのだが、記憶違いだろうか? そして、単純に地獄の色の違いを見せるだけだったようのですが、今は飾り物と言うか、これ見よがしの置物などがいっぱいあって、純粋の地獄を楽しむようにはなっていないような気がしました。

昔来た時は道路の側溝からもアチコチで湯気がもうもうと噴出していて、夏休みだったので道路がものすごく暑かったのを覚えていますが、今は側溝から吹き出る湯気は1か所しか見ませんでした。どこかに集めて塞き止めているでのしょうか?それとも湯の湧き出る量が減った? 別府も変わったな~と言う感じでした。

ホテルは海に面していて、お料理も美味しいし当りだったよです。




部屋から見た日の出。夏の間は水平線から日は昇るそうですが、今日は山から出て、一寸油断している間に、アッと言う間に登ってしまった。
                             (910回)


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九州・日豊本線の旅(宮崎・高千穂 2)

2008年12月03日 | ちっちゃな旅
11月26日(水)
タクシーの運転手さんに「東国原知事は如何ですか?」と訊ねると「ようやってくれます。特に観光に力を入れてくださるので、去年辺りからぐ~んと観光客が増えました。天の磐戸神社には行かれましたか?」「一寸離れているので予定していません」「折角此処まで来られていかれたほうがいいですよ。8Kのところにあります」この旅の主人公が乗り気になって「天の磐戸神社に行って、ロッカーから荷物を取って、宿まで送って貰おう」と言う。心配はタクシー代幾ら掛かる?って事…。でも息子達の補助もあることだし、ケチケチしないで行こう!

神社に着くと、運転手さんは社務所で「天の磐戸遥拝」の申し込みをしてくれた。神主さんが出てきて、私達を連れてお祓いをしてから遥拝場へ、勿論写真撮影は禁止。遙か山の向こうにソレらしき磐が見えている。そこに向かって遥拝するのです。神主さんは「天の磐戸物語」を語ったって聞かせる。神主さんにも聞いてみた「知事さんは…?」「知事の宣伝のお陰さまで参拝客が増えました」

最後のほうで、お供えをいただけたら幸いであると切り出す。運転手さんに「どのくらいすればいいのでしょうか?」と聞いた「1000円ぐらいでいいのでは…」と言う事で社務所に行き1000円の寄付を申し出て記帳した。


     天の磐戸神社 左は入り口 その奥に右の社殿があり 
     社殿の奥に天岩戸がご神体としてある


     お供え(1000円)をして頂いた品々

お神酒を頂き、写真の品を受け取った。バスのセンターに向かっていただき、荷物を受け取り「では宿にお願いいたします「ハイ」あ~やれやれと思った途端に車は止まった。私の目に飛び込んできたのは私の泊まる宿の名が染め抜かれた暖簾である。バスセンターから宿まで何秒掛かったかしら、と言う距離だった。私は徒歩5分と覚えていたのです。我ながらおかしくて笑いが止まらなかった。

お料理は全て美味しかったが、例の如く量が多くて、残さなければならなかった。特に岩魚の塩焼きは美味しかった。そういえば昨夜の鹿児島の宿で、揚げたての「つけ上げ」が出たが、久し振りに美味しい「つけあげ」を頂きました。

夜は宿のご主人の運転する自動車で「夜神楽」を見に行きました。1人500円でした。安いな~と思いましたが、そのわけは次から次へと、旅館から送られてくる人の多さで納得しました。500円でもこれだけの人数が集まれば利益はあるでしょう。

隣に座っていた方が、私達の話す言葉を聞いていて「関西の方ですか?」と聞いてこられました。「言葉でそうではと思ったのです」彼女は今年の8月にご主人を亡くされたそうです。彼女は神戸の方ですが、ご主人が大分の方で、里帰りをして、姪に連れてきてもらったという事でした。バッグからご主人の写真を出して「神楽」を見せておられました。昼間はそうでもないですが、夜の1人が寂しいですよ」「子供は男2人なんですけど、男の子は頼もしいです、何から何まで全部やってくれました」と話されました。「何時までもお二人でお元気でいられることを祈っていますよ」と言って去っていかれました。








         高千穂神社の夜神楽(4っのお話の主人公達)

「神楽は本当はとても長いものですが、今夜は観光用ですので、選んだ4つの物語から、それも抜粋した良いとこどりです。毎年日を決めて、昔ながらの神楽をするので、一般の方も見る事が出来ますので、是非見に来てください。日付けは観光協会にお電話くだされば解ります」との説明でした。

私も観光用ではない本物の神楽が見たいです。主人の元同僚が、退職後宮崎に帰って「その土地の神楽の仲間」に入られたと聞いています。「囃し方」だったと思うのですが…。出来うるなら知った方の神楽が見てみたいです。神楽が始まるまで、彼に電話で話をして旧交を温めたようです。出来うればお会いできれば良かったのですが、「後悔先にたたず」です。

明日はいよいよ別府温泉です。
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九州・日豊本線の旅 (宮崎・高千穂 1 )

2008年12月02日 | ちっちゃな旅



         高千穂峡の秋 今見頃の紅葉だそうです 
      常緑樹の緑が多くて 私には「静かな秋」と感じました 



11月26日(水)
ランチは駅弁を買うことに決めていたので、駅に着くと目星をつけていたお店に直行しました。「えびめし弁当」が人気と言うのでソレと「助六」を買いました。

高千穂に行くには鹿児島中央から宮崎まで「きりしま」で2時間、そこからは「にちりん」で延岡まで1時間、延岡からバスで1時間半やっと高千穂です。

宮崎で同じホームで「にちりん」に乗り変えました。所がです、私達の席には先客がいます。チケットを付き合わせますと、全く同じです「ダブルブッキング」という事です。私達が話していますと離れた席から若い男性が覗き込みに来ました。「???」と思っていましたが、ダブルブッキングの男性の秘書さんのようでした。席はがらがらでしたので、先客に敬意を表し、一つ後の席に座りました。

延岡に着きました。せっかちの主人はさっさと降ります。私が下車すると「帽子、帽子忘れた!」と叫びます。私は慌てて人波に逆らって車内へ…、ダブルブッキングの紳士が「やっぱりお忘れ物でしたね」と声をかけてくる「はい」と帽子を掴んで飛び降りた。すると主人が又叫ぶ「弁当も忘れた!」そのとき気づいた紳士の言った言葉は「弁当」を指していたのだと…。

元の座席を見たけれど「無い!」その時さっきの車内放送を思い出した。「次の××停車駅は1時間後です…」えらいこっちゃ、探している内に発車したら、往復2時間以上かかってしまう、弁当は諦めよう!と「弁当無かった!」と引き返したら、主人が窓を指差して「アソコに在るやん」指差すほうを窓越しに見ると、確かに弁当がぽつんと座っている、三度も私は車内に飛び込んで、弁当を引っつかんで駆け戻った。

車掌さんはと見ると、じ~っと私を見て、「にちりん」は動き始めた。主人曰く「車掌さんも『如何したんですか?』と近寄って聞けばいいのに、木偶の坊みたいに突っ立って」「お父さんのほうが『忘れ物を取に行っていますので…』と言いに行くべきやろ! 発車してしまわないかと生きた心地しなかったで!」「わしも頭真っ白でうろがきててん」ローカル線で6両編成だったから、待っていてくれたけれど、都会の駅やったら窓越しの涙の別れやったで!!

そもそも誰が悪い? 荷物をばらばらに、ひとまとめにしない人が悪いんちゃう?
プラットと車中と3回も往復させられて私の心臓パクパクやったわ。そやのに言うに事欠いて「わしが窓を指差して、車掌にアピールしていたから、発車しなかったんやで~」だって。よ~言うよ! 誰が忘れ物したん? そや、お礼の言葉無かったな~。

バスまでに時間があったので、待合室でお弁当を食べました。バスは一路、高千穂を目指します。ポツンぽつんと家がある山道を、どんどん入っていきます。川の水はとても奇麗です。あゆの自然繁殖地だと言うのも肯けます。

魚の団体が幾つも幾つも泳いでいくのが見えました。高見からですので解らないのですが、アレだけ水上に頭を出して泳ぐ魚は何でしょう? 夕飯の時出た「岩魚」を見て「これかな?」と思ったのですが。

高千穂は鄙びた小さな村だと想像していました。違いました。トンネルを抜けて現れたのは一寸した「町」でした。タクシーの運転手さんに言いますと「皆さんそういわれます。来る道が山道ですから、こんな町があるとは思われないようです」「ここは高千穂市ですか?」「いいえ、臼杵郡高千穂町です。一時はもう少しで市になれると思ったんです。人口2万人で市になれるのです。でも働き場所が無いので若者が出て行くので、今は1万4千人くらいだと思います」

バス亭に荷物を預けて、バスで「高千穂峡」へ…。



               眞名井の滝

高千穂峡は道路から随分と階段で降りた所にあった。そこから崖のず~っと下に水面がある。水深はまだ深いらしく、水は碧色でした。所々にある紅葉を愛でながら進むと、映像や写真で憧れていた「眞名井の滝」が現れた。「あれ?」私の想像していた滝より景色より随分小振りだった。丁度「箱庭」を見ているような感じだった。その滝は華やかさよりも静けさを私は感じた。ボートから仰ぎ見れば又違っていたかも知れない。ボートに乗る予定だったが時間がないので諦めた。

もと来た道を引き返して、反対の視点からもう一度高千穂峡を見たい気持ちもあったが、この旅の主人公がその気がなさそうなので、後ろ髪を引かれる気持ちで、車中の人になり、ロッカーから荷物を取り、宿に急ぐつもりだったが……

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九州・日豊本線の旅 (鹿児島 2)

2008年12月01日 | ちっちゃな旅

                鹿児島神宮

11月25日
朝食前に、歩いて2分と掛からない鹿児島神宮にお参りに行きました。早朝の事とて神主さんが落ち葉を掃いておられるばかりで人影も無く静かでした。

知覧行きの日ですから鹿児島中央から出るバスに間に合うように、隼人駅8:23に乗るべくお暇しました。

空港からはバスとタクシーを乗り継ぎましたから、隼人駅は初めてです。昔と違って駅は日本風にシックになっていました。壁は竹をめぐらし、出入り口には紺色に「隼人」と染めた暖簾が掛かっています。風呂屋みたいと言えなくも無いのですが…。

隼人には京セラの工場や大きな京セラホテルが建っていました。こんな所にホテルをたてて、誰が泊まるのかな~と不思議でしたが、お得意先の人たちが泊まるのでしょうか。お陰で町は税収入が増え、潤っているのかな~と話しました。

予定より一便遅れのバスに乗って一時間半、私は大方の時間眠っておりました。昨夜宴が終わったのが日付けが変わってから、延々6時間もの酒盛りですから余り眠っていなかったのです。

知覧に着きましてから、先にランチをすることにしました。団体さんのお食事所らしく、どんどん団体さんが到着します。しかし団体さんは2階のお部屋で、私達の食べる椅子席の隣の小部屋は、運転手さんやガイドさんの食堂らしく、入れ替わり立ち代りしていました。

ピラフとざる蕎麦を取って半分っこしたのですが、ザルは2枚、ピラフは関西の量の5割り増しの分量でした。




          知覧・特攻平和館への道路の石灯篭と桜並木

映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」の最後の場面に出てきたのが、上の写真の桜並木と灯篭でした。私は当然セットだと思っていましたから、実際にあるのを見て驚きました。

この灯篭は特攻隊員1036名の供養の為にと募ったそうですが、それ以上の数の申し出があったそうです。灯篭は此処だけでは無く、平和祈念通と名付けられた道路の両側にも一定間隔を置いて並んでいました。映画で見たように、桜の頃(人気のない朝夕)は不思議な美しさだろうな~と思いました。


                特攻隊員の像 とこしえに

「特攻平和会館」の特攻隊員の遺書や写真は「靖国神社の遊就館」でも見ていますが、此処はこの知覧の基地から飛び立った若者のものだけです。

遺影は突撃した班ごと、飛び立った日ごとに区切られていました。遺書もハンカチを握り締めながら、一つ一つ読んでいったのですが、悲しみは心に重く、私の心が耐えられないと悲鳴をあげて、半分も読み続けることが出来ませんでした。後で聞くと主人もそうだったと言っていました。

日本中から、台湾、中国、朝鮮から集められた特攻隊員が小さな飛行機に片道の燃料を積んで自分の命を機と共に体当たりして、敵を倒すべく飛び立って行ったのです。二十歳前後の若者がです。どんな基準で選ばれた方々かは知りませんが、何と酷い星の元に生まれたのでしょう。

戦いの終わる頃、命を託した飛行機は材料不足のため、扇風機のファン、灰皿、乳母車の部品、自動車のレバー等がそのままの形のままで利用されたようです。プロペラも木製で先端の部分に申しわけ程度の金属が張り付いていました。考えられますか? 信じられますか?

映画の中で最後の晩、特攻の母と言われた鳥濱トメさん(軍の指定食堂主)に語る場面がありました。「僕は17歳なんです。僕の残りの30年をおばさんにさし上げるから、僕の分も長生きしてください」と言うのです。実際、鳥濱トメさんは89歳まで生きられました。

特攻基地からトメさんの冨屋食堂までは相当の距離(私達はタクシーを使用)がありました。隊員達は、どんな気持ちで何を考えながらこの道を往き帰ったのだろうねと話した。冨屋食堂はトメさんと隊員達の資料館になっています。隣に食堂と旅館がありました。

これら特攻隊員は沖縄を守る為に命もろとも体当たりしていったのです。私は頭の中で「沖縄の若者に是非見てもらいたい。沖縄だけが犠牲になったのではない、沖縄を守る為に1036人が命をかけたことを知ってもらいたい。どういうわけか、
自分達だけが犠牲者だと言い続けている大人たちを無条件で信じないで欲しい。敵国が位置の条件のあった沖縄を選んだのであって、日本の指導者が『沖縄からど~ぞ』といったわけではない。戦争の傷跡は大なり小なり日本国民皆が今尚引きずっているのです」とず~っと考えていました。




                    知覧・武家屋敷                                      7軒公開されているが 森邸だけが池があり 他は枯山水で似ている

此処は一度来た事があるが、「特攻平和祈念館」前よりバスの便が多いと言うので、タクシーを飛ばした。時間があったので再度入ってみたが、過っての様な感動は無かった。「知覧特攻平和館」の印象が強かったからだろうか?

明日の列車の都合を考えて、今夜は鹿児島市内に宿を取ってある。


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九州・日豊本線の旅 (鹿児島 1)

2008年11月30日 | ちっちゃな旅

  大阪に向かう飛行機           到着便の荷物の積み下ろし              
何?黒い塊?修学旅行生でした   初めて見た「蕎麦とおぜんざい」のセット


11月24日
伊丹から鹿児島に飛び4泊しながら、日豊本線を北上し、小倉から「のぞみ」で帰ってきました。

九州の青空は関西の空より青いように思いました。空気も澄んでいるような…。只暑かった。寒いと着込んできた上着は脱ぎたいけれど、荷物になるので、ふ~ふ~いいながら着ていました。

辿った九州の食べ物の甘さには閉口しました。幾度と無く訪れている土地ですが、こんなに「甘」かったかしら…。お醤油自体が甘いんですね。写真のように「おぜんざいと蕎麦」がセットになっていたのには笑い出しました。甘いもの大好きな私ですが、「蕎麦」の次に「おぜんざい」を食べたいと思いませんよ。「所変われば品変わる」ですかね~。

「甘い」のは、昔「砂糖は貴重品だった。鹿児島は密貿易?で豊だったので、その印に、食べ物に砂糖をいっぱい使った。その名残りで甘い」のだそうです。

それと量の多いのにも驚いた。鹿児島だけではない、昼食を5回食べたのですが、どこでも吃驚するような量だった。セットは最初で量の多さで懲りたので、単品を取ることにしたが、それでも私達には多かった。

ホテルを決める時に、料理の写真で10品以上の宿には泊まらないようにしたつもりなのに、「美味しい」から食べたいのだけれど、次が食べられなくなるので、半分ぐらいで止め無ければならなかった。5.6品もあれば充分なのに、次々と出てくる。これは量の多さと言うより「私達が年齢的に多くを食べられなくなったからだろう」と話した。

近頃の日本の旅館の品数の多さは何時頃からだろうか? 昔はこんなに多くは無かったように思います。これからはバイキングの宿を探そうかと思います。

別府の宿で、売店で話した方はツアーで来た千葉からの姉妹だそうで、お料理はバイキングだったと言っていました。私達は個人ですので、一品ずつ出てきますし、会場も違いました。朝食はバイキングでしたので嬉しかったです。個人客でもコースとバイキングを選ばせてくれるといいのにな~と思いました。


従妹の家に直行しました。飛行場から近いからです。去年から此処「隼人」も「きりしま市」と地名変更になりました。行政の管轄の為でしょうが、安易に町名変更をしますが、地名には、それなりの理由があって名付けているのですから、余り変えないほうがいいように思います。元は「姶良郡隼人町」でした。「薩摩隼人」に関係あるのかな~とか想像できますよね~。

早速お向かいの従弟の弓道場に行き弓を曳かせてもらうことになり、97歳の方の「柔らかい弓」を借りてきてくださいました。テレビの中で、元モーニング娘の方が曳いていたのもこの弓だそうです。

先日のNHKのBSテレビは15分間撮るのに当日40人のスタッフが来て大変だったそうです。それだけではなく、準備、打ち合わせと8月から再々スタッフの出入りがあったそうです。私達が行ったその日に再放送があって、もう一度従姉妹たちと見ました。従姉妹達は現場にいたので、テレビで見るのは初めてだったそうです。

始は矢を番えないで教えていただきました。勿論胸当てもしました。弓を曳くにはまず、頭上に差し上げてから、下げながら左右に曳くと、良く曳けると教わりました。これが案外「柔らかい弓」なのに力が要ります、思いっきり曳けなくても、ぶるぶると腕がふるいます。とても姿勢が良くなるような気がしました。

主人が「やっぱり矢を番えないとな~」と矢を持ち出してきました。弦に矢の切込みを合わせ矢を曳きました。生まれて始めての経験です。ワクワクしました。写真を見るともっと思い切って腕を引かなければならないことが良く解りました。

次は主人の番です。「昔取った杵柄」聞いてないで~とかで、様になっているようでした。義父の弓を曳く写真は何枚もありますが、主人のはありませんから知りませんでした。

夕食には従兄弟達と昔話に花が咲きました。この夜が第一目的の今回の旅ですから、私も飲みすぎる主人を止める事無く、ぐ~っと我慢の一夜でした。
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大根島へ(2)

2008年05月04日 | ちっちゃな旅
              牡丹 島錦 (由志園 08-5-2)
                 私のだいすきな花
               買おうとしましたが店の人が
            自宅で斑入りにするのは難しいといわれ
                  育てやすい苗を
             牡丹色 ピンク色 白と買ってきて
              昨日クール宅急便で我家に到着

3時過ぎに米子到着。バスも直ぐ来て、4時過ぎには宿に到着。ところが、蝶ネクタイの人が嫌に親切、と言うか馬鹿丁寧に迎えてくれる。夕食時の食堂入り口でも蝶ネクタイさんが二人「いらっしゃいませ、有難うございます」とくそ丁寧。此処は初めてですが、かんぽの宿は良く使います。上でもなければ下でもないからです。食堂を出る時又お二人の見送りを受けハッと気づきました。郵貯は「親方日の丸」では無くなったんです。民営化された結果だと言う事です。

翌朝、リムジンバスは皆生からは10数人だった。米子駅から多数乗り込んで満席に近い40名となった。バスもアチコチから着くらしく、入り口で「XXバス○十人お着きです」と胸のピンマイクで事務所に報告している。

私達が始めて大根島を訪れたのは数十年前のマイカー旅時代で、島に渡る橋の手前で、時間が早すぎて、橋の入り口が締まっていたので良く覚えているが、小さな橋だったと思う。所がこの度は、橋は大きくなり、葦ずばりの様な感じのお店だったのが、一部枯山水の庭を持ち、お食事所も2軒もあるという、立派な「由志園」が出来ていて、新ためて吃驚してしまった。

「今日が満開です」と言われるとおり、大方の株は蕾少なく、大きく花開いていた。今日の写真もですが、新品種も多く、これが牡丹なの?と言う変り種もあり、色もさまざま、咲き方もさまざま、兎に角「花疲れ」するほどの花数でした。
「牡丹色、ピンク、白」と三色買うつもりでしたので、好きな花の名前を控えて売店に行きましたが、「島錦」は難しいと言われ、豪華に花開く品種を買ってきました。

以前に来た時も買って帰ったのですが、余り上手に育てられなかった為、枯らしてしまいました。今度はしっかりと育てたいと思っています。買ってきた木には2輪づつの蕾が付いていますし、咲いてくれるのだろうと楽しみにしています。

3時間の滞在時間ではたりませんでした。でも帰りも米子までシャトルバスを使おうとすると、時間がありませんでした。

警備の方にバスストップを聞きました。バスが止まっていますが、来た時の大型バスではなく小さいバスです、おかしいな~と思ったのですが、心配だったらしい警備員の方が後から付いて来ていて「そのバスです」と言うので慌てて乗った。

2時に出るはずのバスが15分前には発車した。暫く走って、主人が「このバスは米子に行きますか?」「境港行きです」「止めてくれませんか」という事で下車し、時間がないので、由志園まで荷物を持って私は走った。主人はヨチヨチついてくる、バスは停まっている。主人もバスが眼に入っていて、「先走れ!」又、荷物をゴロゴロ引きずりながら走った。

米子で1時間半の時間ロスがある。駅前の3軒のホテルのティールームを探したが、この時間は営業していず、仕方が無いので構内のサテンで時間をつぶした。

帰りのスーパースターは大阪どまりで、折り返し運転だったため、西に帰る人の列で歩けないくらいの混雑振りでした。9時ごろ、我家に到着、「我家が一番」。

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大根島へ

2008年05月03日 | ちっちゃな旅
              牡丹 『黄冠』 (大根島 由志園)
                大根島で生まれた黄色い牡丹
              人の顔ほどもある大輪の新品種です

「牡丹見に行きたいんやけど」「・・・」「皆生温泉どう?」「温泉いこか」

去年もプランを出したが、「花見に、鳥取まで?ええわ、1人いっといで」主人が旅行中に1人で行こうと計画したのですが、日帰りは一寸、むりかな?と言う距離、新幹線が岡山まで1時間足らず。しかしそこから米子まで2時間一寸のローカル線、その上米子から境港まで又乗って、境港から又バスと言う辺鄙さ。それだけではない牡丹の見頃が連休にあり、主人の旅行はその日からずれている為、最高の美を求める私は断念した。

調べている内に、連休中(5月6日迄)は由志園(牡丹園)が皆生温泉からシャトルバスを出している事が解った。これを使わぬ手は無いと行動することにした。

皆生温泉は米子駅からバスで20分ほどです。「かんぽの宿かいけ」に泊まる事にしました。

シャトルバスの存在を知るまでは、境港で「ゲゲゲの鬼太郎」のロードを歩こうと考えていました。でも一泊して、大根島と鬼太郎道路では、一寸勿体無いと考えました。

新幹線で岡山で乗り換えるのを利用して、日本三大公園の一つ「後楽園」に行く事にしました。づ~っと昔行った事はあるのですが、覚えていないのです。

9時前に岡山駅に付きました。荷物をロッカーに預けて、そこからバスで後楽園へ。後楽園は65歳以上は入場無料です。主人は免許書を持っているのですが、私は普段用の財布に入れているので忘れてきました。「忘れたのですが、駄目でしょうか?」と訊ねました。「結構ですよ」と快諾されて複雑な気持ちです。無料通過は嬉しいのですが、如何見ても65歳以上と言うのが寂しいような・・・、女心の
いじらしさ?・・・。

入って直ぐに大きな鯉幟。折角の鯉も風が無くて下がったままです。「これじゃ何にもならないわ」と言っていると、俄に風が吹いて、鯉は勢い良く泳ぎ始めました。しめしめこどもの日のブログの写真に鯉幟を探していた私は大喜びです。

そうこうしていると、会場の説明役のボランティアの方が寄ってきて「私下手なんですけど、ご夫婦で写しましょうか?」喜んで写していただいた。後で見てみると、ボケボケ写真、バカチョンなのに、これだけ下手に写せるな~と言う代物、下手と言うのは謙遜だと思っていた私が馬鹿でした。でも下手なら声をかけないで欲しいわ、迷惑だもの・・・。

岡山城を後に控えて、お庭は良く手入れされて、確かに素晴らしかった。私の見ている岡山城は裏手に当るそうだ。始は「城の後」の「園」で「後園」と呼ばれていた。藩主池田綱政が命じて、14年の歳月をかけ、賓客を招く延養亭を中心にした回遊式庭園。明治17年岡山県の所有となり、一般に公開されている。

小学一年生が遠足に来ていた。此処から2キロほど離れた学校だそうで、1年生は150名余り、1クラス40人ほどだそうだ。息子達の卒業した学校は、今年の一年生は75人とか聞いたので、倍の人数である。岡山城と躑躅の小山をバックに賑やかに記念撮影をしていた。躑躅とサツキのそして牡丹の花盛りだった。藤も奇麗でした。

13時5分のやくも13号で米子に向かう為、岡山駅地下で昼食を取ることにした。主人が「サンドイッチとコーヒー」で良いと言うので、初めて見つけた店に入ったが、パックされたサンドイッチはパンがパサパサでとても不味かった。
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足立美術館(旅・4)

2007年12月04日 | ちっちゃな旅
           足立美術館の紅葉
         紅葉情報では見頃とあり
        期待を裏切らない見事さでした

宿は小さく静と言う理由で選びました。お料理は沢山出てきましたが、昨夜の宿の方が心がこもっているように思いました。お風呂は大きくて、伸び伸び入れました。総合して温泉津温泉の御もてなしが勝っていました。石見銀山の観光化でお客様も増えると思いますが、何時までも今のままでいて欲しいと思いました。

玉造から、足立美術館へは朝一便だけ直通バス(美術館の無料バス)がありましたので、それに乗りました。25分の位置に美術館はあります。美術館からの帰りもJR安来までも無料でした。

以前行きました時はマイカーでした。周りに何もない所にポツンと美術館がありました。2度目は少し離れた所に「地ビール」の工場が建っていました。今度行って吃驚、大きな大きな駐車場があちこちにあり、回りには食べ物やさんが沢山出来ていました。小さな町の形になっていました。当日も大きな観光バスが大勢の人を運んできました。

お庭は見事でした。人工の美しさです。米国の日本庭園専門雑誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の日本庭園ランキングでは、全国731箇所の名所・旧跡を対象にして、初回2003年から今年2007年まで、5年連続「庭園日本一に選ばれています。因みに第二位は「桂離宮」だそうです。

私がここに惹かれるのは「横山大観」の絵もですが、林義雄と言う人の童画が好きだからです。帰りのバスの時間が迫って、林さんの童画のハガキを買う時間がなかったのが残念でした。林さんの童画は此処にしかないんですよね。何故なんでしょうか?

綺麗な庭園を眺めながら昼食を食べました。景色がご馳走で、注文した「カレーセット」はお腹が空いているから食べられたと言えばいい物でした。もう一つは「ケーキセット」を取りまして、二人で半分こしました。このモンブランはまあまあのお味でした。

この度は昼食のあたりが悪かったです。しいて言えば松江で食べた「蕎麦」が美味しかったです。有名なお店なのでしょうか、次から次へとお客様が入ってこられました。石見銀山でも美味しいと有名なお蕎麦屋さんがあったのですが、生憎と定休日だったんですね。其れが解っていたものですから、途中で「黒いおでん」を食べる羽目になりました。

マイプランで旅しましてね、周りを見つめますとね、私達の年代の方は居られないんですね。50代~60代のご夫婦が多いんです。私達の年代の方も大勢旅しておられるんですよ。でもマイプランではなくツアーですね。ドア・ツー・ドアで人任せ、楽だからでしょうね。

旅の楽しみはプランを立てることから始まるのですが、私も以前の様な綿密な計画ではなく、アバウトなプランを立てるようになりました。「宍道湖の夕日」がその証拠ですね。だんだん緻密な仕事が億劫になるんですね。

この度も、時間を無駄にすることがなく、良い塩梅に移動することが出来ました。
帰りもJR安来までのバスが早めに着いた為に、一台早い急行に滑り込みました。次の電車は安来に停車しないので、隣の米子まで行って、そこで1時間時間待ちする予定でした。幸いなことに乗り込んだ急行は安来駅にも停車だったのです。新幹線も夕食の為のお弁当「岡山の祭り寿司」を買って、間もなく乗ることが出来ました。

以前なら、直ぐに洗濯機を廻す元気がありましたが、今回は浸け置きだけで精一杯でした。何時も思います、旅も良いけど、我家が一番!
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松江城の紅葉(旅・3)

2007年12月03日 | ちっちゃな旅
             松江城と紅葉
        お城を囲んで風情のある姿の紅葉
           塀と紅葉 石垣と紅葉
         此処は手入れされた美しさです

今夜の宿は(11/29)は玉造温泉ですが、二駅先の松江まで出て、松江城を見に行きました。此処も桜の頃に来たことがあります。こんなにちっちゃいお城だったかしら?と思いましたが、音声ガイドに依れば「白鷺城」についで大きいそうです。でもその差は歴然としていますね。

天守閣に登って四方を見ていますと、音声ガイドが「東には天気がよければ「大山」が見えます」と言いました。壁に書かれた絵と見比べてみますと小さくですが、はっきりと「大山」が見えます。「大山」はお隣の鳥取県の山ですから小さく見えて当たり前です。其れくらい良いお天気だったのです。

紅葉を愛でながら、橋を渡って「小泉八雲記念館」「武家屋敷」に入りました。武家屋敷でも美しい紅葉です。表座敷の前庭に紅葉が植わっていました。屋敷に上がるのではなく表からぐる~っと見て回るようになっていました。此処も一度来ているのですが、すっかり忘れておりました。

ぐる~と回って、一日使えて、各施設では割引してもらえると言う、レイクライン・ワンディパスを買いました。2度乗りましたが、どちらも運転は女性でした。

宍道湖の観光スポットに、湖に浮かぶ「嫁ガ島に沈む夕日」と言うのがあります。以前来た時に見る事が出来なかったのが心残りで、今度は是非と思っていたのですが、予報は雨だったので諦めていました。予想に反して晴天です。期待が持てます。レイクラインの運転手さんも「今夜は見えますよ」と太鼓判の放送です。島根県が「嫁ガ島に沈む夕日」を観光スポットとしての整地が出来上がったばかりだったのです。そんな説明もありました。しかし私は今夜泊まる宿のそばに在ると信じていましたから、其れは別物だと思っていたのです。何時もなら、自分の予定を話して訊ねるのに、そのときに限って聞きませんでした。其れが失敗の元です。

その日の夕日を見る時間は4時半と調べてあります。だから4時には宿に荷物を預けて見に行く予定にしていました。玉造駅まで宿の自動車が迎えに来てくれました。車中、スポットの場所を聞いてみますと、玉造ではなく、松江だと言うのです。心が沈んでしまいました。今来た道を帰らなければならないのです。でもローカルの事ですから、電車が頻繁にあるわけがありません。といってタクシーを飛ばすと?千円掛かります。「たかが夕日を見るのに?千円、勿体無い」と主人は文句を言います。私にとっては「されど夕日」なんです。?千円掛かっても行きたいのです。でも失望で声も出ませんでした。

宿に着いて運転手(女性)がフロントの方と話しています、その女性が勤務明けで
「松江まで帰るので、スポットの前を通るから乗っていきますか?」と言って下さいました。宿の方にも、迎えの車を頼む時の電話で「夕日が見たいので、そのスポットまで先に行った方がいいか?宿についてから行った方がいいか?」と私は訊ねております。「一先ず宿に来られては」と言う答えでしたから宿に来たのです。でもその経緯を口にしますと、主人はフロントの人に文句を言うだろう、楽しい旅を続けるには私のミスにした方が良いと黙っていました。

スポットで下ろして頂きました。「オイル代に・・・」と寸志を、固辞されたのですが、気持ちだからと受け取って頂ました。人様の好意で見れた夕日、綺麗でしたよ。忘れられない思い出の夕日です。
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温泉津温泉(ゆのつおんせん)(旅・2)

2007年12月02日 | ちっちゃな旅
          石見銀山への遊歩道の紅葉
         あちらこちらに紅葉と家屋の
         絶妙の組み合わせが見れました

銀山の出口からは私達は「遊歩道」を2.3kばかり歩きました。その道すがらにも綺麗な紅葉が・・・。風にはらはらと舞い落ちる紅葉の美しいこと。桜の舞い散る花びらの様な華やかさはありませんが、思わず手で受けたくなるような風情・・・。地面に目を落とすと、そこは紅葉の絨毯です。その中心の小さな東屋で、ご夫婦がお弁当を食べておられました。一服の絵画を見るようでした。目を移せば茅葺の一軒屋、それに寄り添うように紅葉が映えていました。

帰りは下りですから楽なものでした。途中茶店がありましたので、昼食を取りました。先客が、おでんを「美味しい」とご夫妻で連発しておられたので、つい「美味しいですか?」と聞いてしまいました。お勧めにより私たちもおでんを注文しました。ところがです、出てきた品を見て「ぎょっ!」如何見ても煮込みすぎの真っ黒け。関西人の私は目で既に拒否反応です。今更いらないともいえないので食べましたが、不味い!夫婦で目を見合わせて「人の口を信じたらあかんな~」。

町に下りて町並みを散策しました。あちことに古い町並みを見ているので、そんなに物珍しい感じは受けませんでしたし、自然の美しさに大満足だったからでしょうか。何処にでもある旧家の拝見も全てパスしてしまいました。唯、五百羅漢さんだけは立ち寄りました。

そんなわけで予定より早くに見学終了となりました。ところがです。仁万駅行きのバスが1時間後しかありません。電車に接続しているからです。たとえタクシーを飛ばしても電車がないのです。覚書のタクシー料金を見ますと、JR仁万駅まで2000円、温泉津温泉まで3000円とあります。お金より時間が勿体無いという事で、タクシーで温泉津の宿まで行くことにしました。

運転手さんに訊ねました「温泉津温泉まで幾らぐらいでしょうか?」1人ブツブツ計算して「2500円でいきましょう・・・」交渉成立、良い人に当って幸せ。道々、故郷自慢なんでしょう、あちこち説明してくださいます。主人は「・・・これがそうなんですか~」とか相槌を打っています。詳しくは何にも知らない主人がです。まけて貰ったサービスの相槌だと思いますよ、私はニヤニヤして聞いていましたが、夫婦ですから、頓珍漢な返事をして化けの皮がはがれそうになると、急いで口出ししましたよ。

温泉への道も紅葉が美しかった。しかし舗装された道に車の数は少ないので40Kの制限速度を相当飛ばしていたと思いますよ。だから写真を撮りたくても、景色がビュンビュンと後ろに流れてしまいます。其れだけが残念でした。温泉津温泉は陶芸の町でもあります。町外れの「登り窯」の側を通りました。今まで見た「登り窯」は土で出来ているその上はトタンかそれに準じる程度の屋根がついていましたが、此処のは違います。真っ黒い瓦(関西の薄い黒ではない)で覆われていて、蛇の鱗の様でした。泊まる宿に到着。一服して、町の散策に出かけました。

私がこの宿を選んだのは、築100年で古い事、お料理が美味しい記事です。お部屋食です、女将さんがご挨拶に来れれる宿も久し振りでした。宿も古いが、しきたりも昔のまま、たまにはこんなのもほっこりと良いですね。お料理は大変結構でした。旦那が釣って来たものを出す新鮮さ。温かいものは温かく、量も頃合で、もう一口欲しいな~・・・って所でお終い。 
続きは明日               (570回)
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