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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

石見銀山

2007年12月01日 | ちっちゃな旅
        温泉津温泉(ゆのつおんせん)の秋
         温泉街の甍の間から見えた紅葉
       今まで見た中で 一番カラフルだった
     たとえ人の目に触れなくとも 自然は変化する証

「弁当忘れても、傘忘れるな」と言われる山陰への旅でした。3日間の一日くらい雨でも仕方が無いと思っていました。天気予報も曇り、雨と出ていました。覚悟して出かけました。ところが3日間晴天です。「この時期にこんな小春日和は珍しいです」と宿のご主人も言われました。

初めは往復とも新幹線、電車を乗り継いで行くつもりでしたが、そうすると半日つぶれてしまいます。思い切って出雲空港まで飛行機を使うことにしました。飛行機は74人乗りのプロペラ機です。大きな飛行機を見慣れているので何だか心細いような小ささです。久し振りに飛行機までバスに乗っての移動です。

飛行機が小さいですから、高度も低く、2/3位は家が手に取るように見えていました。紅葉も良く見えます。でもあそこにも紅葉・・・と思うと禿山だったりと、喜びと、がっくりの繰り返しのうちに出雲空港に到着。空港は雨にぬれて、所々水溜りが出来ていました。出口の女性に聞くと「朝方に雨が降りました」という事で、其れを最後に私達が島根に滞在中は良いお天気でした。

JR出雲市駅までの連絡バスが待っていました「何分発ですか?」「お客様が皆降りられたら出発です」なるほど、小さな空港ならばこそのスケジュールです。

バスは25分でJR出雲市駅に着きました。40分掛けて、石見銀山に一番近い仁万駅に。そこには銀山行きのバスが待っていました。

予定を立てる時に、観光地2ヵ所を効率よく回るには如何すればいいか、大田市(おおだし)観光協会に資料を送ってもらっていました。私が到着日時や、その夜の旅館も書いておきましたので、計画表まで作って送ってくださいました。観光地にしようと頑張っておられるんだな~と思いました。

バスは大森地区のバスターミナルに着きました。荷物をロッカーに預け、予定ではまず資料館に行く予定でしたが、今まさに出発しようとする「龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)行きバスがありましたので、まずそちらに行くことにしました。

龍源寺間歩バス停で下車してから300mほど杉並木を登った所に入り口はありました。バス1台で40人以上は運んできたと思います。小さな金庫でしたが、私達が着いた(11時前)時には千円札が溢れていました。一日でどのくらいの人が登ってくるのでしょうね。「平日でこんな大勢ですから、休日は大変でしょうね」と聞きましたら「そりゃ~、凄い人ですよ」と答えが返ってきました。

間歩の中は、よく人力で堀り上げたものだな~と感心してしまいました。この銀の採掘で毛利藩は潤っていたのですが、他の藩からも狙われて戦いが絶えなかったんですね。

間歩は掘り下げて行きますから約116m程下ります。そこから出口までは近年作られた道、157m程は上り坂になっていますから所々休めるように引き出すと腰掛になる椅子が設置されています。

間歩の中は所々キラキラ光っています。其れを銀だと思った私は「今でも銀が残っているんだ・・・」と思いました。出口の男性にその話をしましたら笑って「皆さんそう言われるのですが違います。銀は空気に触れると直ぐ酸化しますから」と石の中央にセメントを流し込んだようなものを見せてくださいました。その鼠色の筋が銀脈だそうです。太いのは幅が4cmもあったそうです。  明日に続く・・・ 
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もう一つの目的

2007年09月21日 | ちっちゃな旅
              四時草
      本当に名の通り夕方4時ごろ咲きます
   1cmほどの小さな花ですが 生命力は強いです

19日は東京都現代美術館に、岡本太郎の巨大壁画《明日の神話》と男鹿和雄展を見に行きました。

明日の神話:メキシコの実業家の依頼でメキシコシティーのホテルに設置されるべく1968~1969に制作されましたが、依頼者の財政悪化により設置の機会がなく行方不明になっていました。2005年30数年ぶりに無残な姿で発見され、修復作業を終え来年4月まで展示されています。

男鹿和雄展:アニメの美術(背景)作家。「絵職人ー男鹿和雄の魅力を語る」三鷹の森ジブリ美術館作成の「となりのトトロ」近くは「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」等の美術担当者。

調べると午後は入場までに1時間~1時間半待ち、なるべく午前中に来てくださいと書いてあったので、開館時間に着く為、又、初めての土地ゆえ、余裕を持って早めにホテルを出た。先ず東京駅に戻りロッカーに荷物を預けて、東京メトロを乗り継いで行った。メトロとメトロのあいだを20分ほど歩く。何時もならこれくらい平気なはずなのに、何故か疲れる。考えてみればお米大好きな私が昨日の昼は蕎麦、夜はチャンコ、今朝はモーニングとお米を食べていない。だから腹に力が入らないので疲れたのです。

主人は私が又詰らない物を見たがるのだという気で「わしら2人だけちゃうか」と皮肉ります。ようやく着いた美術館、並んでいました。私達が出た頃には入場制限されて、待ち時間40分と言う大勢の人が待っていました。

アニメについて私は思い違いをしていることに気付きました。「もののけ姫」以後は見ているのですが、登場人物は勿論背景も宮崎駿監督のイメージを大勢の人が描いたものだと思っていたのです。背景は美術と言われ男鹿さんたち美術部の人にまかされていたのです。疲れてしまうくらい沢山の背景画でした。乗り気でなかった主人も心に響くものがあったようです。

12時にもう一つの嬉しいお約束がありました。四国遍路で得たご縁で私のブログを読んで下さっている小林さんご夫妻が、私達が大相撲を見に上京するのを知って、「逢う時間は有りませんか」とメールをくださいました。二つ返事で「お会いしたい」旨を伝えました。千葉県舟橋市からご夫妻で、現代美術館まで逢いに来てくださいました。

4年ぶりの再会です。ブログ上でのお付き合いはありますが、もうお会いする事はないだろうと思っておりました。回りは何にもない所ですので、地下でお話をご馳走に軽食を食べる事にしました。遍路以後のことをお話しました。小林さんの方はお大師さんのご利益があり、ご長男が結婚され、お孫さんにも恵まれました。お写真を拝見しましたが、とても「可愛い」と言うより「美人」と言う感じの女の子さんでした。この連休には息子さん一家がお里帰りされるそうで、とても楽しみのご様子でした。

ブログで「寅さんの柴又」に行きたいと書いていたものですから、ご案内いただくことになりました。道中でも色々と話は尽きませんでした。

柴又の帝釈天は立派な松とお堂の周りの彫刻が素晴らしいお寺でした。もう一つ驚いたのは宗派が日蓮宗で我家と同じだったことです。

柴又の有名店川千家(かわちや)さんでお食事をしました。名残は着きませんがと店を出ると、帝釈天の上空に大きな虹が架かっていました。これは幸先がいい、又お会いする機会があるのかなと思いながら、そう願って家路に着きました。
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両国国技館

2007年09月20日 | ちっちゃな旅
              鉄 線
          (見~つけた 07-5-2)
          ジムに通う道の玄関前で
     ご主人が手入れをしているのを見かけた事がある

18日の9時台のひかりに乗って東京に行った。国技館に行く前は「新丸ビル」を見るだけなので、昼頃着く列車にした。何時もの私なら始発で目一杯ウロウロするのだが、主人も一緒だし、私自身16日は「民博」17日は「としこさんの朗読の会」を聞きに神戸の風月堂に行って、連続の外出に少々お疲れでもあった。

丸の内側に出て、地下続きの新丸ビルに着いた。先ず腹ごしらえにと、エスカレーター横に設置されている、飲食店の写真版に立ち寄る。5~7階が飲食街の様なのでそちらに登る事にした。広い通路に店が並んでいる。店の前にはショウウインドウはなく、メニューがちんまりと置いてある。東京は蕎麦が美味しいと主人が言うので蕎麦を食べる事にした。一軒あった蕎麦屋に入った。場所柄結構なお値段である。

入り口の側から、碾き臼が蕎麦を引いているのが見えるようにガラス張りになっている。玄関を入ると壁に「本日は○○県××の△そば粉を使用」と張られている。何時も関西で食べているお蕎麦の半分ぐらいの太さで、笊の上に「えっつ!これだけで、あの値段?」と言うくらいの量が(盛られていたとは言いがたく、中高ではなくぺたんと置かれたいた)載っていた。海苔は載っていなかったような?

確かにお蕎麦は美味しかった。しかしつけ汁が私に合わなかった。何時も食べている関西のつけ汁なら、どんなに美味しいだろうと思いながら食べた。所が後から出てきた「蕎麦湯」が、いい蕎麦を湯がいた、そのお湯だけに美味しかった。関西の量だけは多いが、蕎麦の味と言うより、白湯の様な「蕎麦湯」とは大違いだった。

7階から下りながらお店を見て回った。高級品店ばかりである。歩いている人を見ても普通の人のようだし「誰が買うのだろうね」と話しながら歩いた。

天井吹き抜けのゆったりした休憩所、通路の所々に置かれたソファー、これはいいな~と思った。ただビル自体の基調が「黒」なのだ。重厚さを狙ったのだろうか。

国技館の目の前にあるホテルにチェックインして身軽になって国技館に向かった。
エレベーターの中で男性が話しかけてきた。「お相撲?」「ハイ」「どちらから?」「兵庫県から」「私は福岡から」「やっぱり相撲は国技館でと・・・」「私はここだけではありません、大阪、名古屋15日間ホテルに泊まって通います」フロントに洗濯物を頼んでいた。どういう人なんでしょうね。2ヶ月に一回15日間と言えば、5~60万円は掛かるだろう。色んな趣味もあるもんだな~。

今回は二度目なので、目新しさはなかったが、懐かしさがあった。「白鵬(嫌に男前に写っている)のクリアファイル」を呉れた。前回にはなかったサービスである。

席はカメラマン席のま後だったので、「成~るほど・・・」と色々勉強した。幕内力士の土俵入りの時「○○、モンゴル出身、XX 部屋」と言うと場内はし~んとする。朝青龍の所為だ可哀想に、前回はこんな事無かったのに。

楽しみの一つ「ちゃんこ鍋」を元力士の店に食べに行った。大きな鍋に全て盛り上げられて出てきた。メインが「醤油味」は鰯のつみれ、「みそ」「キムチ」は鶏と言うので、醤油味にした。私達には量が多い上に味が濃く残してしまった。隣の若者はどんどん食べていた。「年やな~」と嘆きながら「もうチャンコはいらん」2人の感想。


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ハウステンボス(2)

2007年03月21日 | ちっちゃな旅
          運河を25分ほどかけてゆっくり回る
             チューリップで飾られた船

確かに「チュリップ祭り」の期間だけあって何処もチューリップがいっぱい。。数が多いし、写真を撮る事が目的の場合、平凡ではあるが赤、黄色の原色は写真写りが良いが、でも私はもっと種類の違うチューリップが咲いていると楽しみにしていた。その点ではボーダーのピンクと紫色ぐらいしか珍しいのが無くて、一寸失望。

私がそう思うには訳がある。富山のチューリップ祭りに行った事があるが、それはそれは見事だったし、飾り方にも工夫がされていた。珍しいチューリップも沢山在ったと記憶している。勿論ハウステンポスはオランダの町並みが見世物で、チューリップは添え物ではあるが、期待した私が間違っていたのだろうか?。

一つのポイント地点になっている、花時計はわが市にもあるし、神戸にもあるので余り珍しい感じは受けなかったが、皆さん記念撮影に余念が無かった。頼めばシャッターを押す係りの人が控えていた。

私は風車とチューリップの方がお気に入りである。風車は数基在るが道路側の風車は大勢の人の撮影の対象になっているが、奥の方の風車(昨日の写真)は人影まばらである。ツアーで行った友人に聞くと、他の場所もセットになっているので、ハウステンポスがメインと言っても3時間ほどしか滞在時間が無く食事とお土産買いにも時間が取られるので、遠くにはいけないと言っていた。本当に広いから。

一通りざ~っと見ておいて、アトラクションは明日(18日は日曜日の為、人がいっぱいだから)にまわすことにして、4時半にはホテルに入った。

このホテルにしかないと言う売りの天然温泉に入った。11時に昼食、3時にチョコレートハウスで、彼女はチョコレート入りクレープ、私はワッフル(これがどっしりと重い固いもので、ワッフルを食べていると言う気にはなれなかった)を食べたので晩御飯は日本食が良いというので遅めの8時半に予約を入れた。

此処の子供料理は品数多く、子供の好きそうなものばかり並んでいて、デザートにはアイスクリームまで付いて彼女は満足気だった。私の方だが、あまりにお腹も空いていないし(お三時のワッフルがお腹にずっしりと堪えている感じ)お寿司の盛り合わせを頼んだ。8貫のにぎりと親指ほどの巻きすしが体裁よく並んでいるが、お味の方は値段ばかり高くて、もう一つであった。

翌朝のバイキングは品数も多く美味しかったが、パンが見た目は美味しそうなのに、実際は固くて不味かった。

9時の開国にあわせて入国。まず荷物をロッカーに入れて、隣のレンターサイクル店で、自転車を2台借りた。自転車は2人乗り、4人乗りと色々在って、家族やグループの4~5人乗りの自転車は良く見かけた。3時間1000円なので、端の方にあるパレスハウステンボスとか運河に沿って端々を回りながら、アトラクションを梯子して回った。今日は月曜日の為に人出が少なく待つことが無くて助かった。
町の中心も昨日の賑わいとは雲泥の差で、やはり人出はもう少し多いほうが良いかな~なんて思った。

お昼は「もう一度食べに行きたいと思うほど美味しかった」と昨日のお話好きの人が言っていたし、焼きたてのピザを食べた事が無いので「ピザ」と決めていた。

この店の一番人気と言う、ジャガイモとベーコンの30センチはあろうかというピザが運ばれてきた時はたまげた。2人で食べ切れるか心配になった。美味しかった。2人で半分ずつぺろりと平らげた。生まれて初めて食べた焼き立てのピザ、大満足、一寸残したけれどスパゲッティも、ピーチジュスも美味しかった。

午後からは運河めぐりの船に乗ったり、土産物屋を覗いたりして楽しんだ。彼女は色々なストラップを買っていた。私は記念に鼈甲の猪のストラップを買った。

空港には息子夫婦が愛娘を迎えに来て、私も家まで送ってもらい、次の夏休みのちっちゃな旅を約束してさよならした。
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ハウステンボス

2007年03月20日 | ちっちゃな旅
           風車とチューリップ
         後ろに見えるのが一泊した
     ハウステンボスジェイアール全日空ホテル

神戸花鳥園に行った夜、孫娘から「3月19日は卒業式で4年生以下は休校なので、何処かに連れて行って」とテルがあった。それでは春休みを前倒しして一泊旅行しようという事になった。「ハウステンポス」に行きたいという事で、急遽決まった。

前日の夜、息子夫婦が愛娘を送ってきた。この頃の寒さに私は戸惑っていた。長崎はどんな天気か?屋外を歩く事が多そうなので、冬支度する事にした。

ハウステンポスの中に入るのは勿論始めてであるが、九州縦断のドライブ旅行の時、突然現れた大きな風車に度肝を抜かれたことがあった。入場料があまりに高かったので、一旦停止はしたものの即通過した。しかし出来たばかりの当時の面影は何処にも無かった。田舎に大きなものが出来た、それにしても泥臭いな~と覚えていたのに違っていた。早、今年で15年になるそうだ。

翌朝、冷え込んだ。尼崎発6時18分のリムジンバスに乗る為に、JR立花3分に乗るつもりで出かけたら、前日17日にダイヤ改正があったので、11分に変更になっていた。ダイヤ改正があることは知っていたが、こんなに大幅に変わるとは思って居なかった。次の駅だし8分あればギリギリ間に合うだろうと思った。何時もの私ならもっと余裕を持って出かけるのだが、気温4度でちらちら小雪が舞っていたので、充分時間がありながら、ギリギリまで家で待機していた。

話好きの方が「網走に流氷を見に行くのだが、此処がこんなに寒くては・・・」「お孫さんと一緒は良く見かけます、色んな所へ連れて行ってもらいなさいよ」内弁慶の孫は黙ってその人を見つめていた。

バスが着たがその人の乗る「関空行き」、その時初めて「あれっつ!私のバスは?」時刻は30分を指している。荷物を積み込むおじさんに尋ねた「大阪空港行きは?」「もうとうに出ましたよ」私達が着いた時、ギリギリ間に合うはずのバスはすでに出ていたのだ。買っていた切符を払い戻して貰った。

時刻は6時40分伊丹に行って、タクシーに乗ると又ギリギリになる、タクシーが並んでいたので「すみません、伊丹までいくら位かかりますか?」「3000円位です。今なら道路は空いていますから」スイスイと伊丹空港に着いた。でも朝食をとっている暇はないのでサンドイッチと飲み物を買って、待合のベンチで食べた。

長崎行きはローカル線らしく、古~い飛行機で、テレビも何も無い、救命胴衣の説明も、昔懐かしい客室乗務員の実演である。ヘビのように長~い胴体である。隣に居たジャンボがツチノコに見えた。

長崎空港の滑走路侵入前、海に着地するのではないかと思うほど、機体は低空飛行、対岸の島が平行に見える感じで、吃驚。無事着陸「バンザイ」したい気持ち。

長崎空港は「長崎の鐘」がシンボル、「長崎空港」の文字の隣に鐘が吊ってあった。反対側には「NAGASAKI」の刈り込み文字。

空港から対岸のハウステンボスまで船で渡るコースを取った。波止場は空港2階からなら直接いけるのに、私達は一旦外に出てしまった為に迷った。50人乗りぐらいの船で、50分ほどでハウステンボス南の波止場に着く。 

荷物一個500円でホテルまで送ってくれるサービスがあった。お天気は暖かい日差し、係りの人と「関西は今朝は小雪がちらついて・・・」「昨日までは、此処もとっても寒かったんですよ、その寒気が関西に移動したんでしょう」。タイツでも買ってやろうと思っていた孫娘も寒がらなくなった。

身軽になって、いざ、出発! まず腹ごしらえ・・・ 続きは明日。


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富士をめぐる旅(3)

2007年02月05日 | ちっちゃな旅
         見たかった富士のかさ雲が出た
     河口湖方面から見ると天辺が見えないのでしょう

早朝の窓からは黒々とシルエットで富士が見える。刻々と黒色の薄れる富士を見ながら日の出を待つ。雪を頂いた姿になった所で、左側から大きな雲が近づいてきた。「あ~、かさ雲に成らないかな~」と思っていると、又一つ下方から雲がニョキニョキと現れる。「雲が涌く」と言う言葉を目にする。「もしや?」と水辺に駆け下りる。

例のご夫婦に、高級カメラさんがいた。「これは笠になるよ」「ずいぶん風が強いようです」「今日は素晴らしい!太陽光線が一本の線になっているのが良い」なるほど、私の目には言われるとおり見えている、しかしファインダーの中には小さくてわかりづらい。雲は風に煽られてどんどん姿形を変えていく。

二つの雲が合わさって「かさ雲」に成った。「もう少し円形になれ!」と念じながら見ていた。「一瞬でしたな~」「大成功!」の声を聞きながら、私も撮った。
本当に一瞬だった、ま~るいかさ雲になったのは。右手からの太陽光線で山自体ははっきりしないが、待望の「かさ雲」は出てくれた。

かさ雲:山頂の周りだけに雲が出来るのは、山頂付近が最も標高が高く、一番気温が低くなるからだそうです。三年前、屋久島への行き帰りに船上で、島の上空だけに雲が集まっている事に気づいて、不思議に思ったが同じ状態だったのだろう。

喜びの後に心配が・・・何故なら、富士山にかさ雲が出ると富士山の麓では12時間以内に雨が降る確実が75%といわれているのを思い出したからです。しかし残り25%に入ったらしく雨は降らず、快晴でした。

白糸の滝、野鳥の森の彫刻を見て、鳴沢の氷穴に行き、午後からは「温泉、温泉」と言う主人の為に「富士眺望の湯、ゆらり」の予定だ。

白糸の滝は滔滔と富士山の地下水が滝となって落ちている。時間帯が合えば滝に虹が掛かるのを見れると本で読んでいた。まさにその虹に出会った。私達が滝まで降りて行った直後、虹が掛かったのである。淡い虹でしたが綺麗でした。虹は一定方向からしか見えず、上からは見えないことを知りました。

次の「彫刻の森」は暖かすぎて彫刻は解けて、骨組みが出ていた。お茶だけ飲んで退散。此処に来る時に青木が原の入り口で道の凍結があり、別の道を通って「氷穴」に行くつもりが、大回りになり、結局「西湖」を一周して、かえって数箇所の凍結を通過することになってしまった。

「鳴沢の氷穴」は富士山の洞の一つで内部の温度0度。地下の天井には小型の溶岩鍾乳があり、洞穴の清水はたえず氷結し、昔は天然氷を産出していた為,、この名が付いた。凄いとは思ったけれど、通路も凍っていて恐いし、手すりの無いところは、壁を持とうとしても凍っているし、狭い所は屈まないと通れないしで、ゆっくり見学するより早く抜け出したい気持ちの方が強く、早々に出てきた。

お昼を「富士眺望の湯ゆらり」で食べ温泉へ・・・。湯船に浸かりながら富士が見えると思っていたが、立ち上がらなくては見えず、全く「看板に偽りあり」である。4時に「逆さ富士」に出会う為に早々に退出。

帰った直後「逆さ赤富士」が美しく映ったのは一瞬で、それからは例の鴨一家に泳ぎまわられて、正面の「赤富士」のみ、水面は常に揺らいでいた。憎たらしい鳥達だ。

翌朝、2泊した「休暇村富士」を立ち、一路「河口湖」へ。宿に行く前に「辻が花・久保田一竹美術館」に行った。辻が花染めの着物を堪能して、茶房でおぜんざいを食べた後、宿へ。此処からも富士山は部屋からも正面に見えたが、河口湖にその姿を写す事は無かった。水面は何時も縮緬の様な波が立っていたから。

しかし野天風呂は最高! 湯船に浸かりながら富士山が見える。朝晩、私は1人お湯に浸かりながら富士を眺めた、そして色々話掛けた。主人は寒いと野天風呂には入らなかった。実に勿体無い!

夕食は生まれて初めての山梨名物「ほうとう鍋」だった。何のことは無い、太目のうどんに野菜が沢山入った白味噌汁だった。

翌日は「河口ミューズ舘・与勇輝人形舘」へ立ち寄った。久保田一竹展も与勇輝展も関西で見ていた。感銘を受け、河口湖に行けば行ってみたいと思っていた。

富士宮で自動車を返し、駅前の観光協会に、アドバイスを受けて良い旅をしたお礼を言いに立ち寄った。車窓からの富士に別れを告げ、帰宅の途に着いた。

お土産は何時もの通り、主人の好きな地酒、焼酎、少量のお菓子・・・。お土産って家に待っている人の為に買うんじゃなかったっけ???

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富士をめぐる旅(2)

2007年02月04日 | ちっちゃな旅
          田貫湖から見た逆さ富士
         部屋の窓からも写せますが
       水辺のテラスに下りて写しました

田貫湖の富士は午後4時からが綺麗と聞いていたので、全ての観光は明日に回し宿に向かいました。富士山がず~と伴走してくれています。

宿の窓からの富士山も綺麗ですが、水辺に数十人の人の居るのに心せかされ、湖畔に降りました。中央前面には1人2台はカメラを据えたカメラマンがいます。私達の様なデジカメ一つの人はその後ろをウロウロ移動しています。主人もウロウロ組です。私は中央の2台のカメラの隙間に立ちました。両端はご夫婦のプロカメラマンらしく、シャッターを切った後は必ずなにやらメモしていました。

ご主人の方がお喋りで奥さんに話しかけます。今日の最高の時間(赤の逆さ富士)は5時半だというのです。1時間ありますが、これを見る為に此処まで来たので、
私は頑張る事にしました。あんなに居た人も、一人去り二人去り、主人も去り数人になりました。

ご夫婦の旦那の方と、もう1人の上等のカメラの方との会話が面白かった。私は立ち聞き(突っ立っているのだから、これぞ本当の立ち聞きだと、1人苦笑していた)して退屈を逃れた。その人達が「ガシャリ」とシャッターを切れば、一瞬遅れて私も「パチリ、パチリ」。私の方は「下手な鉄砲も数打ちゃ当る」の実践である。何しろ高感度に設定しても300枚以上撮れるから気が大きい。お二人は今までの撮影現場の話、今日の具合等ポツリポツリと会話している。私には始めて聞くことばかり、今後の参考にと思っていたが忘れているな~。

部屋の窓から覗いている主人から電話が来る。主人の送信を「ズンドコ節」にセットしてあるので、静かな湖面に「ズンドコ節」が響くと、一斉に皆の視線が私の手元に集まる。恥ずかしいな~も~。

日が傾くにつれて、富士が茜色に染まっていく、何と綺麗なんだろう!。シャッターを切ろうとすると邪魔するのです、鴨が4羽揃ってやってきて、その波紋で、水面に映る逆さ富士をかき消してしまいます。今はこの他に2羽のグループだけでしたが、この数が増えると絶好のチャンスを邪魔される事間違い無しです。

あんなに小さな鳥なのに、その波紋は何mにも広がります。泳いでいる時は船の航跡と同じ左右にV字型に広がり、水にもぐると円形の波紋になります。鳥の方も人間がいるので足元まで寄ってきます「邪魔すると鴨鍋にして食っちゃうぞ!」と言われて又影を消しながらあちらに行きます。この繰り返しで何度チャンスを逃した事か。

富士山と月を一つ画面に撮りたくて、月齢を調べて行きました。2月3日が満月で残念ながらその日は自宅です。その上、家から見る様に空に浮かぶ月を見ていると感じないが、富士山の様な対象物があると良く解ります、月はどんどん登ります。今の時期月は富士山の遥か上に輝きます。時間の経過と共に手前(泊まっている宿の方向)に来るので、私から見れば富士の上空には月が居ない状態になります。それに気づいて翌晩には、どうにか月を上空左端に捉えた富士山を写すことが出来ました。

5時半になって私のカメラでは撮影不可能と感じて、冷え切った体を食事前に風呂で温めようと部屋に戻りました。

此処は残念ながら(主人の弁)温泉ではありません。静岡らしい「お茶の湯」です。お風呂場に入ると「お茶」の甘い香が立ち込めて良い感じです。

お食事はバイキングです。桜海老の生を始めて食べました。数十種類の品数は目移りして困りました。夏場でもあまり食べたいとは思はない私ですが、デザートのアイスクリームは一押しでした。

それにしても、いいカメラ欲しいな~。
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富士をめぐる旅

2007年02月03日 | ちっちゃな旅
           静岡側からの富士山
        この辺りからの姿が一番でした
         4日間お山を眺めた旅でした

今日は節分。お寿司屋さんの為の「恵方の巻き寿司」もかぶらず、さりとて昔ながらの「鰯」も食べない普通の一日でした。

富士山を眺める3泊4日の旅から昨夕帰宅しました。前日まで富士山は雲隠れだったそうですが、幸せな事に私の4日間は毎日ご対面でした。特に到着した1月30日は4日間の内でも最高に綺麗でした。

毎日富士山が見える所で生活できたらと憧れていましたが、それは不可能、それなら、富士山を眺める旅も良いのではないかと計画しました。

新幹線で静岡から身延線に乗り富士宮まで行きました。此処から田貫湖(たぬきこ:人口湖)の畔の「休暇村富士」迄、マイカー時代になりバスが一日一本しか通っていませんので、そのバスの時間に間に合うように早立ちしました。

休暇村富士の存在は7年前にオープンした時から知っていました。送ってもらったパンフレットを探し出して7年も経っているのに驚きました。いつか行きたいと残しておいたのです。

富士宮に着いて、バスの停留所を聞く為に観光案内所に行きました。自分の計画を話しました。私はこの度は再々タクシーを使う覚悟で来ましたが、そのタクシーも観光地にさえ常駐せず、呼んで貰わなければ乗れないと聞いて途方にくれました。「そんなにタクシーに乗る予定なら、レンタカーになさった方が良いです」とアドバイスしてくれました。

主人も私も免許証は身分証明の代わりに持参していました。主人が「借りよう」と言いました。3日間の借り賃を聞いてくれました。全てを含んで2万5千円程。燃費が良くて、400キロほど走っても2000円程度でした。トヨタのヴィッツと言う可愛らしい車でした。

運転は主人が1人でしましたが、ナビゲーター役の私はカーナビが使えるようになりました。息子の車にもカーナビは付いていますが、何となく敬遠していました。しかしこの度は知らない土地ですし、道を聞こうにも人里離れた場所ですし、レンタカーするつもりは無かったので地図の用意がありません、必要に迫られて、しぶしぶトライしました。初めは中々上手くはいきませんでした、やっとできるようになった日は最後の日でした。でもカーナビーが使えるようになって、新しい事に挑戦した喜びはありました。

ドライブイン「もちや」で昼食を取りました。店の裏は見事な富士山です。昼食のうどんも、蕎麦も中々美味しく私達好みのお味でした。旅で好みの味に出会うとホットします。

裏に回って写しに行きましたら、遊園地のようになっていて料金が要るようです。
「富士山の写真だけ撮りたいのですが・・・」と言いますと「写真を撮るだけなら入って良いです」私達は喜んで「綺麗、凄い!」を連発しながら撮りました。

第一の目的地「富士国際花園」に行きました。神戸の花鳥園の姉様格です。花が見たくて行きました。花は神戸より多いようです。フクロウのショーも見ました。

此処のベコニアは沢山釣り鉢で咲いていましたので、丁度手入れをしておられる方にお話を聞きました。普通のベコニアは雄花の咲いた跡に雌花が咲くのですが、この種類は球根ベコニアと同じ系統で、雄花雌花お隣同士に同時に咲くそうです。
実際の花で説明してくれました。華やかに咲いているのが雄花で、隣でつつましく咲いているのが雌花で、種は雌花の元に出来る。ダリアかバラかと見紛う一輪咲きの球根ベゴニアは、雌花は捨てて、雄花だけにしてあるそうです。ここでも良いお勉強になりました。



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見た! 凄い鉄橋!

2006年11月30日 | ちっちゃな旅
           城崎の秋 四所神社の銀杏 
          見事な黄色に目の覚める想い
              自然は凄い!

海から戻り、電車で10分、駅数にして2っ目。此処で面白い事に出会った。観光バスがやって来た。皆さん荷物を持っていない。「???」聞いてみると此処で降りて「鎧」「余部」と電車に乗って、鉄橋を渡り、先回りして待っているバスに再び乗るというツアーだそうだ。時間が限られているから、私達個人旅行者が周りを撮影している間に、アッと言うまに居なくなってしまった。

「高いな~」と言うのが皆の第一声。遙か下に屋根が連なっている。41mと言う事は10階建て位だろうか。当然駅から下っていかなければならない。雨上がりの勾配の強い坂道をゆっくりと下る。

主人が「靴は久し振りに登山靴を履こう」と言った。私はそれは大げさすぎるので遍路の時に履いたウォーキングシューズでいいと言った。雨上がりの滑りやすくなっている道には登山靴が正解だった。たまには亭主の言う事を聞くものだ。ハッハッハ。

「余部の鉄橋」の事を知ったのは昭和61年12月28日のあの悲しい事故のニュースだった。30mの風にあおられ鉄橋から7両の電車が落下、下にあった「かに工場」の従業員5名と運転手が死亡。幸いな事に回送車だったために乗客は居なかった。海側からの風だったからか、反対側の山側に転落した。その場所には地蔵さんと石碑が立っている。

宿は橋脚に一番近い所にある。テレビでこの宿から夜の通過列車を見ると「銀河鉄道999」を見るようだという言葉で決めた。旅に出る時は天気予報とにらめっこで宿の手配をするが、「鉄橋のよく見える部屋」に泊まりたい為に早めに申し込んだ。2日とも雨の予報だったが、自分の「晴れ女」を信じて決行した。時々時雨はしたが曇り時々晴れの天気だった。
 ☆ 銀河鉄道999:松本零士のアニメ。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を下敷きにしている。

夜は半時間ごとに通過する列車を、最終22時頃まで、時刻表を頼りに電車を待った。あっという間に通り過ぎるので、一回に4枚撮れればいい写真を、飽く事無く撮り続けた。神様も私の熱意にほだされたのか、たった1枚乍、どうにか気に入った「銀河鉄道999」が撮れた。主人は美味しい「かにすき」とお酒で早々に夢路を辿っていた。

今の時期を選んだのは「松葉がに」の時期を考えてである。11月6日の解禁を待って予定を組んだ。

先日「かにさし」の初食いに感激したが「本場のかにさし」はそんなものではなかった。「とろ~りと甘く、もちっつ」としていた。料金に2種類あって高い方には「かにさし」「やきがに」が「かにすき」と別についている。しかし「かにすき」のカニも「さしみ」として食べられます、と書いてあった。そんなに多くは食べられないので普通料金を選んだ。

「かにのあし」は全部「刺身」として食べた。「爪と体」をカニスキとして食べたが充分の量だった。「かにみそ」も出た。私はほんの少しだけで、後はのんべ~さんの酒の肴に。後のおじやの美味しかった事。毎年カニを食べに行く人の気持ちがよ~く解った。朝は「カニの味噌汁」「カニ飯」「甘エビ」まで付いて、堪らんね。

朝は朝で人気スポットで来る電車行く電車と橋を(昨日の写真)写した。アレは中学生を乗せた通学列車で後11時頃まで電車は無い。中学生は皆驚くほどゆっくりと坂道を登っていく。生活の知恵なんだろうな~。

帰りは特急が「城崎発」の為時間待ちに一寸散歩。温泉町の昼はうらびれた感じだ。夜のネオンが入ってこその温泉町だ。夕食の為に買った「カニ弁」美味しかった。

「余部鉄橋」と「蟹」の旅は「渋~い紅葉」にも恵まれ満足でした。


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余部鉄橋

2006年11月29日 | ちっちゃな旅
             鉄橋の華     
    橋の両側は断崖、背景には海が迫っている
    レンガ色の高い橋脚で約一世紀すっくと立っ
   日本一の高さ(高さ41m、長さ309m)を誇る
        トレッスル(橋脚)式です

「起きなあかんで~、もう7時やで」吃驚して飛び起きる。9時16分尼崎発「北近畿3号」で、憧れの余部鉄橋に会いに行く日だ。

何時もなら昨夜の内に残り御飯を冷凍し、煮物の残りをもう一度火を通して冷蔵庫に入れ、洗濯も済ませて寝るのに、昨日は全て「明日の朝」と見送った。そして2時間の寝坊。

二人で「火は」「戸締りは」と確認しながら急いで駅に。尼崎のホームに着いた時はヘタヘタと座り込んだ。体育座り、大人に成ってからはした事の無いこの座り方、案外楽な事に気付く。

電車は宝塚を過ぎると、トンネルが多くなる。子どもの頃、城崎、宮津は良く連れて行ってもらった。線路は旧福知山線だが、トンネルは多かった。トンネルの前になると「ポー」と短い合図があり、急いで窓を閉める。窓の隙間からもくもくと黒い煙が忍び込んでくる。大人も子どもも煤けた顔になる。そんな事を思い出しながら車中を過ごす。

「香住」で下車、本当は待っている電車に乗り継ぐ予定だったが、薄日が差してきたので遊覧船に乗って見ようと思った。駅前から船乗り場に電話する。船は20分後に出るという。昼を食べる時間が無い。持ってきたスナック菓子で虫押さえした。

私達が若い頃、「遊覧船かすみ丸」は三姉妹船長として当時のマスコミに登場してきた。その当時から一度乗りたいと思っていたが機会が無かった。余部鉄橋を見に行こうと決めた時から乗船を予定していた。今は中年姉妹になっていると思っていたが、姉妹の長女の三姉妹(Jr三姉妹)と6人の船長に増えているとは想定外であった。

お客は2組と1人計5人。5人集まれば出航する決まり。私達の船長は元祖三姉妹の三女だった。

出航待ちしている間に雨がポツポツと降り出した。外海に出るとさすが日本海、場所に因っては揺れ始める。船長は言う「本日は波乗りスペシャルコースでございます」水面が前から横から押し寄せてくる感じ。船酔いの経験の無い私がふっと不安に感じるくらいの揺れである。しかし「香住松島」「鎧の袖」「インディアン島」など説明の付く島の辺りでは凪いで、しっかりとカメラに収める事が出来た。波の造形とはいえ「インディアン島」は羽根帽子を被ったインディアンそっくりに見える。後ろに回れば「烏帽子」に見えるこの不思議・・・。

鵜のお出迎えも受けた。鵜飼の首に縄をつけられた鵜は見たことがあるが、自然の中に首をす~っと延ばし、彫刻のように佇む鵜を見るのは始めてである。

初めてと言えば「越前クラゲ」も始めてである。カーキー色?茶系の茸色と言うか、あまり美しいものではないクラゲがプカプカ波に漂っている。船長の説明では「越前クラゲは本当は深い所にいる。この辺りのクラゲは大きくても1m位だが、福井の方では2m(一坪)程に大きくなる」私達が目にしたのは80cmぐらいだろうという事だ。

元々この辺りはクラゲが多い所だと思うが宮津のクラゲを思い出した。海水浴のクラゲは透明で小さかった、刺されると小さな赤いポッチリが出来た。

小さいクラゲは水族館でも人気だが、それを癒しの空間として家に置きたいという人の為には、クラゲをシリコンで造り「アクアビクト」となずけたA4サイズで何処でも置ける、クラゲがゆ~らゆらと漂うアクアリウム(水生動物の飼育層)が売られているそうだ。

今日は香住で止まってしまいました。又明日・・・。
                          (230回)
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