緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

家路/ダニエル・コピアルカ を聴く

2019-03-16 22:07:35 | その他の音楽
ドボルザークの「新世界」第2楽章のテーマをアレンジしたアルバム「家路/ダニエル・コピアルカ」のCDを買って聴いたのは30代初めの頃だったと思う。
当時、心の癒しを強く求めていたし、「癒し」が出来るものをさかんに探していた。
そんな時、このアルバムに出会った。



このCDのブックレストにダニエル・コピアルカ自身のコメントが掲載されていた。
「幼いころの家庭の思い出には、良いものも悪いものもあります。どちらも私たちの人生にパワフルな影響を与えます。インターナショナルなフォーク・ソングを収録した「家路」について、ジョン・ブラッドショウは「内なる子供に出会うワークショップで参加者のヘルプとなる最もパワフルな音楽である」と評しています。
このアルバムは、私たちが過去から自由になりポジティブに前に進んで行けるように、子供から大人に成長してゆくときにその体験から植え付けられた思考や観念をクリアーにして浄化してゆくことを ----それを意図しています。」

この音楽は「傷ついた魂」を癒すことを目的に作られた。
傷つきやすい幼い頃の心が、親や学校の先生や友達などからの心無い言動によりダメージを受けると、その後の長い人生にとても大きな影響を受ける。
幼い頃に傷つき、癒されないまま成長すると、生きるのがとても辛く、苦しみに満ちた人生を送る。
その苦しみは普通に幸せに育った人には想像も出来ないものであろう。
たいていは苦しみを抱えたまま、もがき、不幸なまま人生を終える。

幼い頃に親をはじめ周りの人に愛されることがいかに大切であるか、今になってその意味を重く感じる。

「愛されなかったとき、どう生きるか」
「傷ついた魂」を内面に抱えた人は、生涯に渡って、このテーマを背負い続ける。
「傷ついた魂」を持った人は最も不幸なことに、自分で自分自身を強烈に傷つけるのである。
その行為があたかも自明の避けられない宿命がごとく。
このような行為を無意識に行っていることに気付けないと、一生涯、不幸な人生を送ることになるであろう。
しかしそのことに気付くことはこのような苦しみを持った人にとってはとても難しいことなのだ。
だが、「心の苦しみ」=「自分で自分を傷つける」ことに気付くことが出来れば、幸せになれる第一歩を踏み出すことが出来る。
「今まで自分自身を苦しめてごめんね。苦しんでいるあなたに気付いてあげられなくごめんね」と言うことが出来る。

古い記憶だが、俳優の西田敏行さんは、若い頃の下積み時代、大部屋に居た頃に周囲の人にさげずまれ、人間不信に陥っていた時、動物園に行って、動物の親子間の愛情の姿を見て、心を癒していた、と言っていたことを思い出した。
西田敏行さんの演技を初めて見たのは、中学生の頃だったと思うが、勝野洋と共演した時代劇の迫真の演技を40年経った今でもはっきりと憶えている。
西田敏行さんの表情を見ていると、愛されなかったゆえに苦労した過去を背負っていることが分かる。
しかしそれがゆえに、素晴らしい役者になることが出来たのだと思う。

「音楽による魂の癒し」、音楽が生身の人間の創造物であるのならば、それは可能なことであろう。
創造した人間が優しい心の持ち主であれば、その気持ちが音楽へ形を変えて、聴き手に伝わる。

優しい心の持ち主に出会うことは、今の時代、なかなか難しくなってきている。
しかし音楽ではいつでも出会うことができる。

音楽を聴いて、心に堆積された感情を開放する。
どのような音楽であっても、私にとってはその実現を可能にすることができる力を持ったものが、真に素晴らしい音楽と言うことが出来る。
今日紹介した、 ダニエル・コピアルカの「家路」もそのひとつであるが、ここ数年内に聴いた演奏では、熊谷賢一作曲の「マンドリンオーケストラの為の群炎Ⅵ 樹の詩」がまさにそのような音楽であった。

Going Home Medley (from Dvořak's New World Symphony)


【追記】

ダニエル・コピアルカは、サンフランシスコ交響楽団の首席第2ヴァイオリン奏者で、レナード・バースタインにも認められたほどの実力者。
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今年の抱負2019(8)

2019-03-10 20:59:23 | 音楽一般
6.ピアノ

「今年の抱負」と題する記事を毎年書いているのだが、ピアノの話題を書くのを忘れていた。
昨年を振り返ってみるとピアノ鑑賞の頻度はかなり減ってしまった。
マンドリン合奏の活動を始めたことにより、時間をなかなか捻出できなかったことが大きいが、それでも1回だけであるがコンサートに行った。
太田キシュ道子さんの帰国コンサートだ。
社会人マンドリンクラブに入ってもまない頃で、定期演奏会も間近であったのだが、1時間だけ早退させてもらってコンサート会場に向かった。
太田キシュ道子さんのコンサートは2回目だった。
1回目に初めて聴いたとき、その間近で聴く音が素晴らしく、ピアノの生の音がこんなに美しいものであることを初めて経験したのである。
30~40名くらいの収容人数の小ホールであったが、音響がとても良く、太田キシュ道子さんのいかにもピアノらしい音をすぐ側で聴けたことは今までに無い体験だった。
この時の感想を記事にしたが、半年くらい経った頃に、何とご本人から次回のコンサートも聴きにきてくださいとのコメントをいただいた。
1回目のコンサートを聴き終わったあとで、いつかまた帰国コンサートを開くのであればまた聴きに行きたいと思っていたが、まさか翌年に開催されるとは思っていなかったし、またご本人からコンサート情報を直接教えていただけるとは夢にも思っていなかった。

その2回目に聴く昨年のコンサートは6月末の日曜日だった。
マンドリン合奏練習の後だったのでギターを持って会場へいったのだが、会場の受付の女性(太田さんのご友人?)から、1昨年の帰国コンサートの記事を書いた本人が私であることを見破られてしまった。
(この場違いのギターを何とかしたかったのだが)

2回目のコンサートも素晴らしい演奏だったし、何よりもピアノの音が楽器から最大限に引き出されているのを聴いて感動した。
この音の引き出し方は、ギターにも大いに参考になる。
楽器の持つ性能、それは潜在能力も含めてだが、多くの奏者、とくに昨今の若い奏者は引き出し方が未熟だと感じる。
いい楽器であることも条件でもあるが、楽器からその楽器のもつ能力をもっと引き出すことに大きな関心をもつことが大切だと思う。
ギターで言えば、それを生涯に渡って求め続けたのがアンドレス・セゴビアだった。
ギターという楽器の持つ音の魅力を誰よりも知っていたし、ギターにしか出せない音がどんなものであるかも知っていた。
もしギターで均一なピアノ的な音を出すのを聴いたならば、ギターという楽器の魅力を感じられるであろうか。

ピアノではマリヤ・グリンベルクやクラウディオ・アラウやアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリなど、録音で聴く巨匠の音は本当に素晴らしいし、生の音はもっと凄かったのだと思う。

今年も太田キシュ道子さんのコンサートが開催されれば是非聴きに行きたい。
マンドリン合奏の定期演奏会のある6月23日と重ならなければいいのだが。
またもし時間の都合が付けば、他のピアニストのコンサートも聴きに行きたい。
去年の7月から勤務先が東京都心になったので、残業が無い日でこれはというピアニストの演奏会がもしあるのならば足を運んでみようと思う。
やはりピアノの音は生の音、それも小さなホールで近くで聴いてみたい

あとはベートーヴェンのピアノソナタの聴き比べの再開。
ベートーヴェンのピアノソナタは私にとっては音楽の最高の教材だ。
このソナタの聴き比べで奏者の本当の実力を理解できるようになった。

クラシック音楽はその数が膨大で、領域も広いが、あれもこれも幅広く聴くよりも、自分の合う物をとことん聴いた方がいいと思う。
自分に合う物以外の領域の中で、素晴らしい音楽はたくさんあるだろうが、そのような音楽との出会いは偶然と運とにまかせてもいいのではないかと思っている。
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J.S.バッハ作曲「フーガ ト短調 BWV 578」(ピアノ編曲版)を聴く

2019-03-09 23:17:50 | ピアノ
高橋悠治の演奏による、バッハ作曲「フーガ ト短調 BWV 578」のピアノ編曲版を聴いた。
編曲は高橋悠治による。

Yuji Takahashi - Fugue in G minor, BWV 578


高橋悠治の名前を知ったのは大学時代。
全音から出ていたギターピース裏面の曲目カタログで、「しばられた手の祈り」、「メタテーゼ第2番」の作曲者として名前が出ていたことがきかっけだ。
「しばられた手の祈り」は大学時代に楽譜を買った。
およそギターで弾くような譜面では無かった。
ピアノを意識した曲だと思った。
曲のイメージを掴むために姉に頼んでピアノで弾いてもらった記憶がある。
この曲のオリジナルがピアノ曲だと知ったのが5年くらい前だったか。
Youtubeで音源(クラブのような所でのライブ録音)を見つけた。
「メタテーゼ第2番」の楽譜は何と意外にもポュピュラー弾きの兄が買ったものだった。
学生時代に買ったようだったが、その楽譜を一度も開いたことも無いようだった。
何でこの曲の楽譜を買う気になったのかその真意は全く分からない。

この「メタテーゼ第2番」は難解な現代音楽である。
5、6年くらい前にこの曲を佐藤紀雄が弾いたレコードを入手した。
高橋悠治がクセナキスの薫陶を受け、ヘルマなどの曲を録音していた時代(1970年代)に作曲されたものであろう。
先日、この「メタテーゼ第2番」の録音をYoutubeで偶然見つけた。
このメタテーゼの第1番はピアノ曲だったと思うが、これもYoutubeで見つけたような気がする。
高橋悠二はバッハのパルティータやゴルドベルク変奏曲の全曲録音もしており、バッハに対して少なからず傾倒していたのではないかと思う。

「フーガ ト短調 BWV 578」は俗に「小フーガ」とも言われ、バッハの曲の中では最も知られた存在だ。
私がこの曲を初めて聴いたのが中学校の音楽の授業だった。
この曲は中学校の鑑賞共通教材となっていたようである。
オリジナルはオルガン曲である。
フーガとはカノンから発生した前古典様式の音楽であり、対位法を主体とし、同じ旋律が複数の声部に順次現れるところに特色がある。
バッハの曲であれば、「フーガ ト短調 BWV 578」以外では「平均律クラヴィーア曲集」(長短24調による全48曲の前奏曲とフーガ)などでその音楽の特色を聴くことができる。
またずっと後の時代の音楽、例えばベートーヴェンのピアノソナタ第31番の第3楽章で部分的にこのフーガの技法が使われている。
マンドリンオーケストラ曲でも藤掛廣幸の「パストラル・ファンタジー」の中間部でこのフーガを用いたフレーズを聴くことができる。
今の時代にフーガだけで作曲された曲を作る人はまずいない。
30年くらい前であるが、原博が1980年代初めに「24の前奏曲とフーガ」を作曲し、2回にわたる録音と出版された楽譜を残したが、今では絶版、廃番となり、その音楽が顧みられることはない。



原博は「フーガを究めなければ、作曲家になれないんだという気持ちで、一生懸命に研究した」と言っている。
現代の作曲家で原博ほどフーガを研究した人はいないのではないかと思う。

「フーガ ト短調 BWV 578」で次に思い出す思い出は、刑事ドラマ「太陽に吠えろ」の若手刑事がロッキーだった時代のある日の放映で、この「フーガ ト短調」が流れていた時に真犯人の若い女性が殺人を犯し、長い年月が経過したあと、あるきっかけでこの「フーガ ト短調」を聴いたとたんに、意に反して再び殺人を犯そうとしたところを取り押さえられたという内容だった。
ちょっと物騒な話になったが、この「太陽に吠えろ」の中では印象に残っているシーンだ。
後催眠暗示とかトラウマによるフラッシュバックをイメージするが、このような現象はあるのだと思う。
そういえばこの長寿番組だった「太陽に吠えろ」は1970年代の、殉職する若手刑事がマカロニ(萩原健一)やジーパン(松田優作)の時代が最も面白かった。
ジーパンの時代は小学校5年生の時であったが、この時両親がNHK大好き人間だったこともあり、番組を見ることができず、結局見れたのは中学校1年生の時の再放送の時であった。
それでもこの番組は夢中で見た。
今の時代には決して見ることが出来ないものがこの時代のドラマにあった。
ジーパンが空手をやっていて、ある日の放映で、スタジアムの観客席で犯人に手錠を奪われ、手錠をはめられたが、その手錠のチェーンをを空手の素手で血だらけになりながら切ってしまうシーンが印象的だった。
それを見て空手をやりたくてたまらなくなって、風邪を引いているのにインフルエンザの予防接種を受けて39度の高熱を出し、翌日、汽車で札幌の病院まで行った帰りに、剛柔流という空手の流派の師範が書いた空手入門の本を買って、帰りの汽車の中で夢中になって読んだことを思い出した。

その当時、実家の近くに空手道場など無かったのだが、なんとしても空手を習いたくて、少年ジャンプの広告に載っていた空手の通信教育に申し込みたいと、親に頼んだら完全に拒否され、本当にやりたいという気持ちを奪われてしまった。
トラウマである。
もしこの時親(特に母親)の理解があり、やりたくてたまらなかった空手をこの時に習い始めたら、その後の人生が今とは違うものになっていたかもしれないとも思う。
今から考えると、今までの人生で本当に本当に、とてもやりたかった数少ないことの一つでもあったのだ。
しかしその数か月後、あるきっかけでクラシックギターに目覚めた。
このクラシックギターに対しては親(特に母親)は何も言わなかった。
この楽器との出会いは自分にとっては幸運以外の何物でなかった。
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多田武彦作曲、三好達治作詞「鐘鳴りぬ」(西条高等学校演奏)

2019-03-02 21:38:08 | 合唱
昨日に引き続き、また素晴らしい合唱演奏の音源を見つけた。
多田武彦作曲、三好達治作詞「鐘鳴りぬ」、愛媛県立西条高等学校の演奏で、2009年声楽アンサンブルコンテスト全国大会の録画だ。
この声楽アンサンブルコンテスト全国大会、毎年福島県で開催されているが、3年くらい前に高速を飛ばして福島まで聴きに行ったことがある。
全国からたくさんの高等学校の合唱部の生徒たちが集まって演奏を披露する盛大な大会だった。

西条高等学校合唱部と言えば平成21年(2009年)のNコン全国大会に出場し、歴史に残る素晴らしい演奏を残した。
この平成21年(第76回大会)の西条高等学校の演奏は私の最も好きな合唱演奏であり、いまだにその地位を譲ることは無い。

今回Youtubeで見つけた演奏はこの平成21年Nコン全国大会に出場したメンバーもいた。
Nコンに出場していない生徒は恐らく3年生(卒業したばかり?)なのか。
声楽アンサンブルコンテスト全国大会は毎年3月20日前後に開催される。

とにかく素晴らしい演奏だ。
純粋に素晴らしい。
テノールのソロが終ったあとのフレーズが凄い。
こんな演奏を出来る学校は今いない。
平成22年以降のNコンをずっと見続けてきたが、わずかだがそれなりにいい高校はあるにしても、ここまでの演奏を出来る学校を見たことが無い。

Nコンや全日本合唱連盟の全国大会に毎年出場し、上位の賞を取っている学校が常に素晴らしい演奏をしているとは全く思わない。
たいていの人は金賞を取った学校が最高の学校だと思っているが、とんでもない。

金賞を取っていなくても、本当の意味で素晴らしい演奏をしている団体がいることを言いたい。
賞の結果よりも自分の感受性を信じて評価する方が絶対にいい。

下記に貼り付けたYoutubeにはコメントが表示されないが残念であるが、コメントはどれも最高度の賛辞となっている。
是非コメントも合わせて見ていただくようお願いする。

鐘鳴りぬ - 西条高校
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リア・サイド内張り交換(5)

2019-03-02 20:02:07 | 
(先週からの続き)

縞鋼板を現車のリア・サイドに仮固定し、開けた穴がずれていないか確認する。
ズレはプラスマイナス1mm程度だと思っていた。
もしずれていたら金ヤスリで微調整すればいい。
オレンジの柄の金ヤスリを2、3本持っていたが先週は探しても見つからなかった。
今日探したら1本だけ見つかった。
かまぼこ型のヤスリだった。



これ以外に丸棒と三角棒のヤスリがあったはずだが出てこなかった。

先週偶然見つけた、いつ買ったか分からない真鍮製の六角ボルトM6×15,六角ナット、ワッシャ、スプリングワッシャのセット。



たったの3セットしか入っていなかった。
不足分はホームセンター買い足しするすることにする。

穴のずれ具合を確認するために縞鋼板をリア・サイドに仮置きする。
板がずれないように両端をボルトで固定しようと試みたが、上手くいかない。
表側からボルトを入れるのではなく、裏側からボルトを入れ、ナットとワッシャで固定する構造をとる。
従って、表側からはナットとワッシャしか見えない。



ボルトで固定できなかったので、そのまま手で押さえて穴のズレを確認する。

予想に反して穴のズレは大きかった。
±1mmどころではない。
±2、3mmもある。
上手くいかないものだ。
原因はダンボールの型が柔らかいため、穴の型取りをする際に、たわんだり、微妙に曲がったりしてずれてしまったのではないかと思われる。
穴の位置を補正するには、金ヤスリではとても時間がかかってしまう。
そこでやむなく電動ドリルで穴を拡げることにした。

削る位置をマジックでマーキングする。



電動ドリル刃の一番太いサイズを取り付け、穴を削っていく。



拡げた穴。



縞鋼板の裏側にバリが出来ていたので、金ヤスリで削って取る。



そして再度、リア・サイドに仮置きして穴のズレ具合を確認する。
すると意外にも穴は前よりもずれていた。なんで?
縞鋼板を固定する位置が完全に決まられないからだ。
ぴったり板が1mmも狂わず常に同じ位置に固定する構造になっていない。
だから仮置きするたびに位置がまちまちとなり定まらないのだ。

仕方ないので再び穴を拡げるために再度マーキングし、電動ドリルで削る。
そしてまた現車に仮置きして確認。
うーん、まだ結構大きくずれている。
また穴を拡げることを繰り返す。

最初は穴を綺麗に開けようと丁寧にやっていた。
しかしここまで何度もずれてしまうと、丁寧にやろうとする気持ちが萎えてくる。
そして穴は先週のφ6mmからφ10mmくらいにまで拡がっていった。
形は綺麗な丸ではない。
楕円形、おむすび形、だるま形などさまざまな形になってしまっていた。
もう形なんてどうでもよかった。
バリなど取る気持ちも起きない。

現車に仮置きして確認したら、まだずれていた穴があったがここで妥協することにした。
ボルトがもしきつかったら金ヤスリで削ればいい。
もうドリルはうんざりだ。

さて次は塗装だ。
シャーシーブラックが大量に余っているはずだから、これを塗ることにしていた。
シャーシーブラックを、スプレー缶が入ったカゴから探してみると、なんと無いではないか。
これだから計画性の無い、用意周到さに欠ける人間は困るのである。
かすかな記憶だが、3年前の引っ越しの際に、ブレーキクリーナーと一緒に捨てた可能性がある。
団地のゴミ置き場の黄色のコンテナに入れた場面がおぼろげに蘇ってきた。

今日は仕方ないので塗装はあきらめ、足りないボルトとシャーシーブラックを買いに、車でカインズホームまで行く。
ボルトは真鍮製だ。
だが、穴を拡げたので六角ボルトではないくタッピングねじの方がいいのではないかと思い、サイズの大きなタッピングねじを探す。
しかしM6以上のサイズは売っていなかった。
M6だとゆるゆるだ。
次に真鍮製の六角ボルトを探したが、真鍮製の六角ボルトは1本も売っていなかった。
鉄+溶融亜鉛メッキと鉄+電気亜鉛メッキとSUSしか売っていない。
電気亜鉛メッキは該当サイズが無い。
SUSは値段が高い。
仕方なく溶融亜鉛メッキのボルトにすることにした。
サイズはやや短めのM6×12、M6の六角ナットと、サイズの大きいワッシャをばら売りで買う。
16セットで384円。



ワッシャのサイズを大きくしたのは、穴を拡げたからだ。
シャーシーブラックは298円。



2週間後はいよいよ塗装と取付だ。

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