緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

サーインス・デ・ラ・マーサ作曲「ソレア」を聴く

2019-03-23 21:33:04 | ギター
サーインス・デ・ラ・マーサの曲を初めて聴いたのは高校3年生の時だった。
高校3年に上がる前の春休みにFMラジオでクラシック・ギター音楽の特集をやっていて、その中でスペインのギタリスト、ホセ・ルイス・ゴンザレスが弾く「ソレア」を聴いたのがきっかけであった。
この時にホセ・ルイス・ゴンザレスの演奏にも初めて接したのであるが、彼の演奏、そして何よりもその音の魅力にとりこになってしまった。
この時の放送をカセットテープに録音したのであるが、以来このテープを何度聴いたか分からないほどだ。





サーインス・デ・ラ・マーサといえばギターファンであれば誰もが知っているスペインの偉大なギタリスト兼作曲家、教育者である。
スペイン王立音楽院の教授を長年務め、多くの一流のギタリストを育てた。
彼の存在はこの教育者と作曲家という側面で際立って知られているが、演奏家としては記録が少なく、残された音源も極めて少ない。
最も知られた録音としては晩年に録音されたロドリーゴのアランフェス協奏曲であるが、残念なことに最盛期を過ぎた演奏であり、彼の本領を発揮したものとは程遠いものであった。
今思い出したが、このサーインス・デ・ラ・マーサのアランフェスを聴いたのが中学3年生の時だった。
札幌すすきの近くのレコード点「玉光堂」で、このサーインス・デ・ラ・マーサのアランフェスを目にして、店員にこのレコードを視聴させて下さいと頼んだのである。
そしてそのレコードを店内で聴かせてもらった。
この時、販売されているレコードを視聴するのは購買するのが前提ということは何もしらず、視聴が終った際に店員に「どうも」などとぎこちない言葉を発したところ、店員から「え、買わないんですか?」と問いかけられ、「いえ買いません」と言ったら、店員はガクンと体をのけぞらせ、「買わないいんだったら視聴なんか頼むなよな」と言いたげなジェスチャーを見せたシーンが蘇ってきた。

そうだ、この時初めてサーインス・デ・ラ・マーサの演奏を聴いたのだ。
だから冒頭の文言は訂正しなければならない。
このレコードは社会人になってから中古レコードで買った。

サーインス・デ・ラ・マーサはスペインの素材を元にした曲を自ら作曲し、それらはウニオン・ムシカル・エスパニョーラという出版社から出版されていた。
サーインス・デ・ラ・マーサの曲で思いつくのは、アンダルーサ、ソレア、ペテネーラ、サパテアード、カスティーリャの歌などだ。
アンダルーサとペテネーラはイエペスも録音した。

サーインス・デ・ラ・マーサの曲は伝統的なスペインの音楽、それもフラメンコの曲に見られる曲種を採用していることが特徴的だ。
最もスペインらしさを感じるのが「ソレア」だ。
高校3年生でホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏する「ソレア」を聴いてから、この曲をどうしても聴きたくなり、今は無き好楽社に楽譜を注文した。





そしてこの曲を高校3年生から大学1年生にかけて何度も練習した。
大学1年生で初めて手にする手工ギターを買う前の、ヤマハの2万4千円のギターを使っていた時の頃だ。
ラベラの弦(低音ゴールド、高音ブラックナイロン)を3年以上持たせ時の頃だ。

この曲の魅力は、スペインの激しい情熱だ。
打ち付けるようなリズム、弾けるような躍動感、スペインの古来から伝わる情熱に満ちた庶民の生活から生まれた旋律。
高貴さとは対極に位置する土着の音楽だ。
それは次のような箇所で感じることができる。







ホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏は極めてスペイン的だ。
当たり前であるが、しかし素晴らしい。
Yuotubeでこの曲の演奏を探したが、どれも駄目だ

石橋を叩いて渡るような、貧弱な、タッチの弱い、優等生的な演奏(ちょっと言い過ぎか?)。
もう聴いていられないや。
もっと腹の底から湧き起ってくるような熱い情熱を出せないのか?
この曲は、心が自然に躍り上がるような歯切れのあるリズム感、心に喰い込んでくるような激しい打ち付けような音がないと、この曲は死んだも同然だ。
今のギタリストは何でこうも音楽に力が無くなってしまったのか。

実はこの「ソレア」の作曲者自身の貴重な録音がある。
今から20年くらい前に買ったCD「アランフェス協奏曲」に収録されていた。



このアランフェスはアルヘンタの指揮であるが、SP時代の録音で、先に紹介したものとは異なる。
このCDで収録された「ソレア」の演奏は凄い。
タッチが物凄く強く、テクニックは超一流だ。
この演奏を聴くとギターの音は、「こうやって出すのだ」と言われているような気がする。
また、「本場スペインの音楽はこうなんだ」と言っているようにも感じる。
自国の伝統音楽に対する思いが強い!。

和声も旋律もリズムも音楽構成も全く異なるが、底流を流れる本質的なものは、日本の伝統音楽と同じだと感じた。
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