緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

混声合唱曲「あしたはどこから」(神奈川県立多摩高等学校)を聴く

2019-03-01 22:03:08 | 合唱
先ほどYoutubeで偶然、私の好きな合唱曲である、三枝成彰:作曲、平峯千晶:作詞の「あしたはどこから」の神奈川県立多摩高等学校の演奏を見つけた。
2003年(平成15年)第70回Nコン全国大会本番の映像であった。

私はこの合唱曲がとても好きで、同じく全国大会に出場した福島県立橘高等学校の演奏を聴いてきた。
フォンテックから全国大会の録音CDが出ていたが、すでに廃盤であり、中古CD(入手極めて困難)を手に入れるまでは、上野の音楽資料室まで通って聴かせてもらっていた。

この曲の作詞は、70回記念として全国の小、中、高校生から公募され、募集時に多摩高等学校合唱部3年生だった平峯千晶さんの詩が選ばれたのである。
第70回大会の年には平峯さんは既に卒業されていたが、多摩高等学校合唱部が見事、Nコン全国大会の出場を果たしたのである。

この詩を初めて読んだ時、正直とても驚いた。
とても強い感情的なエネルギーを感じた。
私自身のこれまでの半生に重なる部分があるためか、とりわけ感じやすくなっているのかもしれない。
自分の気持ちを飾ることなく素直に表現した素晴らしい詩だと思う。
著作権の問題があるのここには掲載できないが、検索すれば見つけることは出来る。

フォンテックのCDはオムニバスなので、多摩高等学校の演奏は自由曲のみで、課題曲の「あしたはどこから」の演奏は収録されていなかった。
でも多摩高等学校合唱部の生徒が作詞したというこの曲の同校の演奏をずっと聴いてみたいと思っていた。

そんな中、5年くらい前に多摩高等学校の定期演奏会を聴く機会を持つことができた。
川崎駅近くの大ホールでOB、OGを交えた50周年の記念演奏会でもあったと記憶している。
この定期演奏会の感想と、この時に歌われた木島始作曲、信長貴富作曲の混声合唱組曲「ねがいごと」のNコンブロック大会の録音の感想を以前記事にした。
そして今日やっと、「あしたはどこから」のライブ録音に出会うことができたのである。

さっそく聴いてみて、まず表出されるエネルギーの強さに驚く。
そして、ピアノソロの間奏の後の長調へ転調されてからの演奏。
この長調へ転調されてすぐにものすごい強い感情が湧き起ってきてしまい、自分でもびっくりしてしまった。
「私が未来をうたうときには、風だって私に引きずられて吹くだろう」で始まる部分だ。
Youtubeだと2:39から。
そして「春の声が、春の声がともに問うだろう」から最後までの演奏がとても凄いのだ。
聴いて下さるならばこの部分を注意深く聴いて欲しいと願う。
そして演奏者たちの姿を見て欲しい。

私はこういう合唱演奏に最も感動を覚える。
この演奏には何も見返りを求めない無心さ、純粋さがある。
自分たちの先輩が作ったこの詩をこの場で歌うことの喜びや素晴らしさの気持ちに満ち溢れている。
詩と演奏とが完全に融合している。
そのことしか感じられないほどの演奏だからこそ、強い感動を感じるのである。

このような演奏は極めて少ない。
技巧がどうのこうのというようなものからは超えている。

今日、とてもいいものを聴かせてもらった。感謝したい。

あしたはどこから 混声合唱(神奈川県立多摩高校)


【追記201903032144】

この演奏、すごいです。
橘高等学校も優れているが、もっとすごいものを感じる。
とくに長調に転調してから、感情がもう我慢できないほど一気に湧き起ってくる。
初めてこの演奏を聴いた時、この長調に転じてから突然、ガーッと予期しない感情が出てきて、自分でもびっくりした。
「春の声が~」から一層それは高まる。
演奏している生徒たちの表情が素晴らしい。
こんな演奏滅多に無いです。
合唱曲では本当に久しぶりに感動を味わった。

【追記201903042229】

この曲のYoutubeで投稿されている音源や、フォンテックの録音を聴き比べてみると、学校により様々な解釈、歌い方の違いがあることが分かります。
中には指導者の頭で考えられた解釈に支配され過ぎて、演奏者たちの自然な感情の流れを失ってしまっているものもありますね。
可能であれば、この多摩高等学校の演奏と、この全国大会で金賞を受賞した高等学校の演奏を聴き比べて欲しい。
聴き手の心を真に強く動かす演奏がどういうものなのか、その違いが歴然としていますね。

【追記201903060011】

演奏者たちの表情がとても素晴らしいです。
もの凄く高い集中力にある境地というのか、意識が全く入る余地の無い、詩や曲に完全に同化しきっている演奏です。
何も見返りを求めていない。
ただただ、歌うことの喜び、歌うことの素晴らしさしか感じていない。
だから歌声から感じる感情の流れがとても自然です。
こういう演奏こそ、私が求めていたものです。
高校生の合唱演奏の理想であり、こういう演奏が高く評価されてしかるべきです。

【追記201903102323】

転調してからの演奏者たちの表情が素晴らしい。
詩や曲が生まれたときの感情そのものが自然に表出している。

【201903142349】

この高校、とてもいい学校です。
毎年常連で賞狙いの野心ギラギラの学校の演奏とは完全に対照的な演奏です。
こういう演奏が最も好きだ。

【追記201904032156】

転調してからの演奏者達の表情がとてもいい。
曲と詩の持つ感情的な力と一体となっているという感じか。
音楽のもたらす力はすごいと思う。
いい演奏だ。

【追記201909150016】

長調に転調してからの生徒たちの歌う表情が素晴らしい。
ここから終わりまでものすごく感情が湧きだしてくる。
とくに「春の声が~」の部分が凄い。
こういう飾らず、ひたむきで純粋な演奏が最も素晴らしいし、聴き手を感動させるのである。

【追記201910182347】

本当に素晴らしい演奏です。
この高校、素朴で、いい高校ですね。
長調の転調してからの女声の奥から伝わってくる優しさは、全く意識から出ているものでないですね。
聴けば聴くほど感動が強まっていく演奏というのは、このような演奏のことなのだろう。

【追記202004202156】

長調へ転調してからの生徒たち(特に女声)の表情が素晴らしい。
もの凄い高い集中力。
意識の介入する余地の全くない、完全に音楽そのものに同化した演奏だ。

【追記202009270056】

長調へ転調してからの生徒たち、とくに女声の声と表情には、女声の、大地を思わせるような根源的、DNA的な母性、優しさと言ったものを感じる。
演奏者たちはもちろん意識などしていないだろうが、そのような奥深い根源的な要素が潜在的に引き出されているということだろう。

【追記202012282241】

この演奏は本当に凄いし素晴らしい。
歌い手たちの歌声の奥から聴こえてくる感情は本物!!。
これほど無心の境地で歌っている合唱曲の演奏は無数にある演奏の中でもごくわずかしかない。
今まで聴いた中で最高レベルの演奏だ。
あとピアノ伴奏も素晴らしい。中間部のソロは情感はこもっているし、歌とのバランスが最大限に考慮されている。
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