緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

J.S.バッハ作曲「フーガ ト短調 BWV 578」(ピアノ編曲版)を聴く

2019-03-09 23:17:50 | ピアノ
高橋悠治の演奏による、バッハ作曲「フーガ ト短調 BWV 578」のピアノ編曲版を聴いた。
編曲は高橋悠治による。

Yuji Takahashi - Fugue in G minor, BWV 578


高橋悠治の名前を知ったのは大学時代。
全音から出ていたギターピース裏面の曲目カタログで、「しばられた手の祈り」、「メタテーゼ第2番」の作曲者として名前が出ていたことがきかっけだ。
「しばられた手の祈り」は大学時代に楽譜を買った。
およそギターで弾くような譜面では無かった。
ピアノを意識した曲だと思った。
曲のイメージを掴むために姉に頼んでピアノで弾いてもらった記憶がある。
この曲のオリジナルがピアノ曲だと知ったのが5年くらい前だったか。
Youtubeで音源(クラブのような所でのライブ録音)を見つけた。
「メタテーゼ第2番」の楽譜は何と意外にもポュピュラー弾きの兄が買ったものだった。
学生時代に買ったようだったが、その楽譜を一度も開いたことも無いようだった。
何でこの曲の楽譜を買う気になったのかその真意は全く分からない。

この「メタテーゼ第2番」は難解な現代音楽である。
5、6年くらい前にこの曲を佐藤紀雄が弾いたレコードを入手した。
高橋悠治がクセナキスの薫陶を受け、ヘルマなどの曲を録音していた時代(1970年代)に作曲されたものであろう。
先日、この「メタテーゼ第2番」の録音をYoutubeで偶然見つけた。
このメタテーゼの第1番はピアノ曲だったと思うが、これもYoutubeで見つけたような気がする。
高橋悠二はバッハのパルティータやゴルドベルク変奏曲の全曲録音もしており、バッハに対して少なからず傾倒していたのではないかと思う。

「フーガ ト短調 BWV 578」は俗に「小フーガ」とも言われ、バッハの曲の中では最も知られた存在だ。
私がこの曲を初めて聴いたのが中学校の音楽の授業だった。
この曲は中学校の鑑賞共通教材となっていたようである。
オリジナルはオルガン曲である。
フーガとはカノンから発生した前古典様式の音楽であり、対位法を主体とし、同じ旋律が複数の声部に順次現れるところに特色がある。
バッハの曲であれば、「フーガ ト短調 BWV 578」以外では「平均律クラヴィーア曲集」(長短24調による全48曲の前奏曲とフーガ)などでその音楽の特色を聴くことができる。
またずっと後の時代の音楽、例えばベートーヴェンのピアノソナタ第31番の第3楽章で部分的にこのフーガの技法が使われている。
マンドリンオーケストラ曲でも藤掛廣幸の「パストラル・ファンタジー」の中間部でこのフーガを用いたフレーズを聴くことができる。
今の時代にフーガだけで作曲された曲を作る人はまずいない。
30年くらい前であるが、原博が1980年代初めに「24の前奏曲とフーガ」を作曲し、2回にわたる録音と出版された楽譜を残したが、今では絶版、廃番となり、その音楽が顧みられることはない。



原博は「フーガを究めなければ、作曲家になれないんだという気持ちで、一生懸命に研究した」と言っている。
現代の作曲家で原博ほどフーガを研究した人はいないのではないかと思う。

「フーガ ト短調 BWV 578」で次に思い出す思い出は、刑事ドラマ「太陽に吠えろ」の若手刑事がロッキーだった時代のある日の放映で、この「フーガ ト短調」が流れていた時に真犯人の若い女性が殺人を犯し、長い年月が経過したあと、あるきっかけでこの「フーガ ト短調」を聴いたとたんに、意に反して再び殺人を犯そうとしたところを取り押さえられたという内容だった。
ちょっと物騒な話になったが、この「太陽に吠えろ」の中では印象に残っているシーンだ。
後催眠暗示とかトラウマによるフラッシュバックをイメージするが、このような現象はあるのだと思う。
そういえばこの長寿番組だった「太陽に吠えろ」は1970年代の、殉職する若手刑事がマカロニ(萩原健一)やジーパン(松田優作)の時代が最も面白かった。
ジーパンの時代は小学校5年生の時であったが、この時両親がNHK大好き人間だったこともあり、番組を見ることができず、結局見れたのは中学校1年生の時の再放送の時であった。
それでもこの番組は夢中で見た。
今の時代には決して見ることが出来ないものがこの時代のドラマにあった。
ジーパンが空手をやっていて、ある日の放映で、スタジアムの観客席で犯人に手錠を奪われ、手錠をはめられたが、その手錠のチェーンをを空手の素手で血だらけになりながら切ってしまうシーンが印象的だった。
それを見て空手をやりたくてたまらなくなって、風邪を引いているのにインフルエンザの予防接種を受けて39度の高熱を出し、翌日、汽車で札幌の病院まで行った帰りに、剛柔流という空手の流派の師範が書いた空手入門の本を買って、帰りの汽車の中で夢中になって読んだことを思い出した。

その当時、実家の近くに空手道場など無かったのだが、なんとしても空手を習いたくて、少年ジャンプの広告に載っていた空手の通信教育に申し込みたいと、親に頼んだら完全に拒否され、本当にやりたいという気持ちを奪われてしまった。
トラウマである。
もしこの時親(特に母親)の理解があり、やりたくてたまらなかった空手をこの時に習い始めたら、その後の人生が今とは違うものになっていたかもしれないとも思う。
今から考えると、今までの人生で本当に本当に、とてもやりたかった数少ないことの一つでもあったのだ。
しかしその数か月後、あるきっかけでクラシックギターに目覚めた。
このクラシックギターに対しては親(特に母親)は何も言わなかった。
この楽器との出会いは自分にとっては幸運以外の何物でなかった。
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