緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

R・サーインス・デ・ラ・マーサ作曲「アンダルーサ」を聴く

2019-03-24 21:22:01 | ギター
前回の記事で、レヒーノ・サーインス・デ・ラ・マーサ作曲の「ソレア」を紹介したが、彼の曲の中で「ソレア」と共に最も好きなのは、「アンダルーサ(Andaluza)」という曲だ。
この曲を初めて聴いたのが高校3年生の時、FMラジオ聴いたでホセ・ルイス・ゴンザレスの演奏であった。
カセットテープに録音したこの2曲を本当に何度も聴いた。

ホセ・ルイス・ゴンザレスの演奏も素晴らしかったが、この曲の持つ情熱とか、「スペインの歌心」というものに惹かれたのだと思う。
生粋のスペイン人であるホセ・ルイスだからこそ、この曲の持ち味を最大に活かした演奏が出来たのだと思う。
スペイン以外のドイツ、フランス、イギリス、アメリカなどのギタリストでは曲の根っこの部分まで表現することは出来ないと思う。

この「アンダルーサ」は後で「ロンデーニャ」という曲に改作された。
実は「アンダルーサ」も改作である。
「アンダルーサ」の前は、「アンダルシア素描」という曲だった。
「アンダルーサ」も「アンダルシア素描」も楽譜は絶版、ロンデーニャだけが入手可能だ。





「ロンデーニャ」と「アンダルーサ」の大きな違いは、「ロンデーニャ」の終結部の前に「コプラ(COPLA、歌)」が挿入されたことだ。



あとは小刻みの和音の連続を随所に取り入れたことである。
「ロンデーニャ」の楽譜(ウニオン・ムシカル・エスパノーリャ版)を見ると、曲のタイトルの下に「Danza y Copla」という副題が付いている。
この曲はアンダルシア地方の古くから伝わる舞曲(踊り)と歌を素材にしたものなのであろう。



「ロンデーニャ」の楽譜が出版されたのが1962年であるから、ホセ・ルイス・ゴンザレスが「アンダルーサ」を録音した1981年にはすでに「ロンデーニャ」に置き換わっていた。
しかしホセ・ルイスは「ロンデーニャ」で弾かなかった。
ホセ・ルイスは「アンダルーサ」に「ロンデーニャ」のCoplaを挿入して弾いた。
何故か?。
それは恐らく「ロンデーニャ」よりも「アンダルーサ」の方が優れているからだ。
両者を聴き比べてみると分かるが、「アンダルーサ」の方が絶対にいい。
ただホセ・ルイスは魅力的なロンデーニャのCOPLAを弾きたかったことも間違いないことであろう。

次に「アンダルーサ」を聴いたのは、1984年秋だった。大学3年生の時だ。
この年に来日したナルシソ・イエペスの生演奏だった。
この時のプログラムとチケットとチラシが奇跡的に保管してあった。
当時、非常にずぼらだった自分にしてみれば、とってあったのが不思議だ。





このチケットはマンドリン・クラブの同期生であるM(ギターパートでその当時正指揮者)から、イエペスが札幌に来ることを知らされ、ギタリストの大塚氏の娘さんとMとがどういう縁だったか忘れたが、大塚氏の娘さんから直接購入したものだった。
そして忘れもしない1984年の10月27日(土)、マンドリン・クラブの練習が終わった後に同期生のMと、同じギターパートの先輩Aさん(当時4年生で前部長)、同じくギターパ^トの先輩Mさん(当時4年生で前ギターパートトップ)と私の4人で、札幌の厚生年金会館(現教育文化会館)に、Aさんの買ったばかりの新車、ホンダのプレリュードに乗って向かったのだ。
その場面は今でも憶えている。
プレリュードで地獄坂を下り、その坂に途中にあった私が当時住んでいた超おんぼろアパートに寄ってギターを部屋に置き、急いで車に飛び乗ったことが思い出される。

あのギターの巨匠、イエペスの生演奏を初めて聴くのである。
興奮しないわけは無かった。
プログラムは下記のとおり。

・ファンタジア(ムダーラ)
・五つの小品(スカルラッティ)
・シャコンヌニ短調(バッハ)
・魔笛の主題による変奏曲(ソル)
・アストゥリアス(アルベニス)
・ペテネーラとアンダルーサ(レヒーノ・サーインス・デ・ラ・マーサ)
・ソナタ(ヒナステラ)
・アルハンブラの思い出(タレガ)
・グラン・ホタ(タレガ)

アンコールは「禁じられた遊び」と「アイルランドの行進曲」の2曲だった。

このプログラムの中では魔笛の主題による変奏曲とアンダルーサが印象に残った。
まさかイエペスがサーインス・デ・ラ・マーサの曲を弾くことなど想像もしていなかったのだ。
この当時サーインス・デ・ラ・マーサの「アンダルーサ」はホセ・ルイス・ゴンザレスの演奏しか聴いていなかったので、このコンサートでイエペスが弾く「アンダルーサ」にCOPLAが入っていなかったのを聴いて、私はイエペスが手を抜いたとその時は思ったのである。

演奏会が終り、4人でまた車で大学のある町へと帰路についた。
途中ファミリーレストランに寄って晩飯を食べた。
その時に演奏会の感想だとかを語り合った記憶がある。今から30数年前であるが記憶は残っている。
そして帰りの車で松田聖子の曲が流れているのを聴いて、その当時絶頂期だったにもかかわらず突然引退宣言したのは何でなのかなど、たわいもない会話をしていたこともよみがえってきた。
今から思えば学生時代のちょっとした楽しい思い出だった。
1か月後に秋の定期演奏会を控えて、練習も佳境に入っていた頃だった。
この年の定期演奏会のメイン曲は、鈴木静一の「大幻想曲 幻の国 邪馬台」だった(この曲は同期のMが振った)。
北海道もめっきり寒くなった頃だった。

同期のMや先輩のAさんとは、昨年の50周年記念演奏会の事前練習で30数年振りで再会し、一緒に演奏会に出演した。
先輩のMさんは演奏会には出なかったが、演奏会終了後の懇親会で再会した。
とても懐かしく、あのニヒルでクールでタイガーマスクのミスターXのものまねが上手かった学生時代の雰囲気は変わっていなかった。
卒業後、ギターは殆ど弾いてこなかったという。しかし学生時代に弾いていた広瀬達彦製作のギターは今でも持っているとのことだった。
Mさんがギタートップだった時に鈴木静一の「交響譚詩 火の山」を弾いたのだ。
Mさんからは合奏の基礎をたくさん学ばせてもらった。

ナルシソ・イエペスは1989年にドイツ・グラモフォンから「ROMANCE D’AMOUR」というアルバムを出したが、このアルバムの中にレヒーノ・サーインス・デ・ラ・マーサのペテネーラとアンダルーサが収録されていた。



このアルバムのペテネーラとアンダルーサを今まで何度聴いたか分からない。
間違いなく超名演だ。
スペイン人だからこそ表現出来るものを感じる。
そして、イエペスが1984年の演奏会でアンダルーサでCOPLAを弾かなかった理由がこのアルバムの録音で初めて分かった。
何故ならばアンダルーサにはもともとCOPLAが無いからだ。
そしてイエペスが何故、「ロンデーニャ」ではなく、[アンダルーサ」の方を演奏会や録音に選んだのか。その理由も分かった。

【追記201903252202】

イエペスがグラモフォンに1989年に録音したアンダルーサの演奏がYoutubeに投稿されていました。
残念ながらCDよりも音質は落ちます。
各声部を浮き出させている演奏が驚異的だ。
この曲はテクニックを見せつけるような中身の無い演奏が多いが、イエペスの演奏はそれとは対極的。
この曲の持つ持ち味を存分に表現した超名演と言うべき演奏です。

NARCISO YEPES - Andaluza (Sáinz de la Maza)

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サーインス・デ・ラ・マーサ作曲「ソレア」を聴く

2019-03-23 21:33:04 | ギター
サーインス・デ・ラ・マーサの曲を初めて聴いたのは高校3年生の時だった。
高校3年に上がる前の春休みにFMラジオでクラシック・ギター音楽の特集をやっていて、その中でスペインのギタリスト、ホセ・ルイス・ゴンザレスが弾く「ソレア」を聴いたのがきっかけであった。
この時にホセ・ルイス・ゴンザレスの演奏にも初めて接したのであるが、彼の演奏、そして何よりもその音の魅力にとりこになってしまった。
この時の放送をカセットテープに録音したのであるが、以来このテープを何度聴いたか分からないほどだ。





サーインス・デ・ラ・マーサといえばギターファンであれば誰もが知っているスペインの偉大なギタリスト兼作曲家、教育者である。
スペイン王立音楽院の教授を長年務め、多くの一流のギタリストを育てた。
彼の存在はこの教育者と作曲家という側面で際立って知られているが、演奏家としては記録が少なく、残された音源も極めて少ない。
最も知られた録音としては晩年に録音されたロドリーゴのアランフェス協奏曲であるが、残念なことに最盛期を過ぎた演奏であり、彼の本領を発揮したものとは程遠いものであった。
今思い出したが、このサーインス・デ・ラ・マーサのアランフェスを聴いたのが中学3年生の時だった。
札幌すすきの近くのレコード点「玉光堂」で、このサーインス・デ・ラ・マーサのアランフェスを目にして、店員にこのレコードを視聴させて下さいと頼んだのである。
そしてそのレコードを店内で聴かせてもらった。
この時、販売されているレコードを視聴するのは購買するのが前提ということは何もしらず、視聴が終った際に店員に「どうも」などとぎこちない言葉を発したところ、店員から「え、買わないんですか?」と問いかけられ、「いえ買いません」と言ったら、店員はガクンと体をのけぞらせ、「買わないいんだったら視聴なんか頼むなよな」と言いたげなジェスチャーを見せたシーンが蘇ってきた。

そうだ、この時初めてサーインス・デ・ラ・マーサの演奏を聴いたのだ。
だから冒頭の文言は訂正しなければならない。
このレコードは社会人になってから中古レコードで買った。

サーインス・デ・ラ・マーサはスペインの素材を元にした曲を自ら作曲し、それらはウニオン・ムシカル・エスパニョーラという出版社から出版されていた。
サーインス・デ・ラ・マーサの曲で思いつくのは、アンダルーサ、ソレア、ペテネーラ、サパテアード、カスティーリャの歌などだ。
アンダルーサとペテネーラはイエペスも録音した。

サーインス・デ・ラ・マーサの曲は伝統的なスペインの音楽、それもフラメンコの曲に見られる曲種を採用していることが特徴的だ。
最もスペインらしさを感じるのが「ソレア」だ。
高校3年生でホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏する「ソレア」を聴いてから、この曲をどうしても聴きたくなり、今は無き好楽社に楽譜を注文した。





そしてこの曲を高校3年生から大学1年生にかけて何度も練習した。
大学1年生で初めて手にする手工ギターを買う前の、ヤマハの2万4千円のギターを使っていた時の頃だ。
ラベラの弦(低音ゴールド、高音ブラックナイロン)を3年以上持たせ時の頃だ。

この曲の魅力は、スペインの激しい情熱だ。
打ち付けるようなリズム、弾けるような躍動感、スペインの古来から伝わる情熱に満ちた庶民の生活から生まれた旋律。
高貴さとは対極に位置する土着の音楽だ。
それは次のような箇所で感じることができる。







ホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏は極めてスペイン的だ。
当たり前であるが、しかし素晴らしい。
Yuotubeでこの曲の演奏を探したが、どれも駄目だ

石橋を叩いて渡るような、貧弱な、タッチの弱い、優等生的な演奏(ちょっと言い過ぎか?)。
もう聴いていられないや。
もっと腹の底から湧き起ってくるような熱い情熱を出せないのか?
この曲は、心が自然に躍り上がるような歯切れのあるリズム感、心に喰い込んでくるような激しい打ち付けような音がないと、この曲は死んだも同然だ。
今のギタリストは何でこうも音楽に力が無くなってしまったのか。

実はこの「ソレア」の作曲者自身の貴重な録音がある。
今から20年くらい前に買ったCD「アランフェス協奏曲」に収録されていた。



このアランフェスはアルヘンタの指揮であるが、SP時代の録音で、先に紹介したものとは異なる。
このCDで収録された「ソレア」の演奏は凄い。
タッチが物凄く強く、テクニックは超一流だ。
この演奏を聴くとギターの音は、「こうやって出すのだ」と言われているような気がする。
また、「本場スペインの音楽はこうなんだ」と言っているようにも感じる。
自国の伝統音楽に対する思いが強い!。

和声も旋律もリズムも音楽構成も全く異なるが、底流を流れる本質的なものは、日本の伝統音楽と同じだと感じた。
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梶原一騎原作「赤き血のイレブン」オープニングテーマ曲を聴く

2019-03-21 23:11:39 | アニメ
1970年代に見たテレビアニメ「赤き血のイレブン」のオープニングテーマ曲をYuotubeで見つけた。
懐かしい。
小学校2年生か3年生の時に見たアニメだ。
原作:梶原一騎。

このアニメも「タイガーマスク」と同様、とてもインパクトがあり、記憶に強く残っている。
当時、漫画には懐疑的で、クソがつくほど真面目な母親が珍しく見るのを許してくれたアニメだった。
一緒に見ていた母親も面白く感じていたと思う。
この時はちょうど家に初めてカラーテレビを入れた頃だ。
今は中国企業に買収され惨めな末路を辿ったあの三洋電機製のカラーテレビだった。
恐らく世界で初めてであったであろうリモコン付きのカラーテレビだった。
ずいぶんふんぱつしたもんだ。
このリモコンは今のリモコンとは全く違う。
赤い樹脂製、先端が持つ部分より径が大きい丸い形状で、発行体のようなものが多数付いていた。
発売後、勝手に電源が入ってしまうという不具合を起こした代物だ。

「赤き血のイレブン」の舞台は高校サッカーだったと思う。
全国から終結した強豪サッカー部がお互い、独自のミラクルシュートを競って血みどろの戦いをした。
ロケットシュート、はやぶさシュートなどが記憶の断片となって蘇る。
最後はかつてライバル同士だった各学校の選抜メンバーが、外国の高校生チームと戦うストーリーだったと思う。
主人公は足に大怪我をし、金属のブロックを埋め込み、はやぶさシュートを編み出したと記憶している。

この「赤き血のイレブン」は「タイガーマスク」のような暗さ、残虐さ、悲しさは無く、明るいながらも凄まじいド根性魂を見せてくれたアニメだった。

思えば原作者の梶原一騎という人物は、警察沙汰を起こすなど破天荒な人生を送ったようだが、人間の本質を問う、素晴らしい作品を残した。
タイガーマスクなどは、今の子供や若い世代が見たらきっと驚くに違いない。
残虐なシーンも多々あるが、男の生き様や、人間の本質とは何かを問う、これ以上無いと言えるほどの究極のストーリーだと感じるに違いない。
梶原一騎という人は人生の途上できっと、どん底から這い上がった経験があるのだろう。
このストーリーが放つエネルギーを浴びて、あの頃の少年たちは知らずとも生きる希望を育てていった。
このアニメの持つエネルギーがかつての日本の繁栄に一役買ったと言っても過言ではないであろう。

赤き血のイレブン オープニング
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「子供盆踊り」を聴く

2019-03-20 23:17:18 | その他の音楽
Youtubeで暗く不気味な現代音楽を探し続けているうちに、何故か「盆踊り」を聴きたくなった。
初め「北海盆歌」を見つけたが、幼い頃から就職で北海道を離れるまでお盆の頃にあきるほど聴かされてきた「子供盆踊り」を聴きたくなった。
この子供盆踊りは北海道のみ歌われるようだ。

子供盆おどり唄  歌 持田ヨシ子


実に懐かしい。
聴くのは約30年ぶりであろうか。
幼い頃、ゆかたを着せられて盆踊り会場まで行って、帰りにフルヤのキャラメルをもらった古い記憶が蘇る。
大学1年生の時はビールを大量に飲み、周囲の人から大酒のみと呆れられながら北海盆歌を踊った思い出も出てきた。

毎年、お盆の頃は5日間くらい夕方になると近所の公園からこの「子供盆踊り」が繰り返し繰り返し聴こえてきたものだ。
しかしいつからか、お盆に帰省してもこの「子供盆踊り」が聞こえることはなくなった。

時代が変わったのだと思う。
何か寂しく感じる。
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おいしいチーズ見つけた

2019-03-17 21:11:26 | グルメ
去年の7月から東京勤務となったが、片道通勤時間平均2時間半、夜はバスの本数が1時間に1本となるので、30分以上の待ち時間となる時がある。
2週間ほど前、仕事が忙しく、勤務を終えたのが遅い時間だった。
このまま2時間近くかけてJRを乗り継ぎ、そこから更にバスへ乗り換えとなる。
しかし最終バスは間に合わないので駅からタクシーで帰ることも出来るのだが、3時間ほど眠っただけで翌日また2時間半かけて会社に行くのも辛いので、会社の近くのホテルに泊まらせてもらった。
なんと宿泊費、9,600円。ビジネスホテルなのに異常に高い!。

普段、帰りはJRの某駅で降りてローカル・バスへ乗り換えるのだが、待ち時間が空くと、近くのスーパーへ寄って買い物をする。
30分も時間があると、時間を潰さなければならないので、売られている商品を何気なく観察するはめになる。
ある日、そんな観察にあけくれていたときに見つけたのが変わったチーズだった。
「カマンベール・チーズ」という名のチーズだった。

チーズは好きでも嫌いでもない。
嫌いではないが滅多に食べない。
10年に2、3回しか食べた記憶がない。
理由は特段、おいしいとは感じないからだ。

チーズというと思い浮かぶのが、マッチ箱サイズの羊羹のような細長い四角棒を包丁で切って食べるもの、消しゴムサイズで1個1個銀紙で包装されているもの、丸いケースに入っていて、扇状の形をしたこれもまた1個1個銀紙で包装されているものだ。
しかし今回見つけたカマンベール・チーズというものは、丸い石けんほどのサイズのケースに入った、外紙で厳重にくるまれた、表面が白く地割れしたものだった。
表面は地割れしたカサカサしたやや硬い膜で覆われているが、中身は普通のチーズよりも柔らかい。
そして普通のチーズと比べて、味はかなり異なる。
くせが無く、あっさりしていて、ほのかな香りがする。
もしかして、これが本当のチーズの味と食感?

今までのチーズは偽物なのか。
今回買ったのはデンマーク製だった。
値段は398円だったかな。
高いから少しづつしか食べられないが、ちょっとした贅沢を味わうにはいいものを見つけた。

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