前回の記事で、レヒーノ・サーインス・デ・ラ・マーサ作曲の「ソレア」を紹介したが、彼の曲の中で「ソレア」と共に最も好きなのは、「アンダルーサ(Andaluza)」という曲だ。
この曲を初めて聴いたのが高校3年生の時、FMラジオ聴いたでホセ・ルイス・ゴンザレスの演奏であった。
カセットテープに録音したこの2曲を本当に何度も聴いた。
ホセ・ルイス・ゴンザレスの演奏も素晴らしかったが、この曲の持つ情熱とか、「スペインの歌心」というものに惹かれたのだと思う。
生粋のスペイン人であるホセ・ルイスだからこそ、この曲の持ち味を最大に活かした演奏が出来たのだと思う。
スペイン以外のドイツ、フランス、イギリス、アメリカなどのギタリストでは曲の根っこの部分まで表現することは出来ないと思う。
この「アンダルーサ」は後で「ロンデーニャ」という曲に改作された。
実は「アンダルーサ」も改作である。
「アンダルーサ」の前は、「アンダルシア素描」という曲だった。
「アンダルーサ」も「アンダルシア素描」も楽譜は絶版、ロンデーニャだけが入手可能だ。
「ロンデーニャ」と「アンダルーサ」の大きな違いは、「ロンデーニャ」の終結部の前に「コプラ(COPLA、歌)」が挿入されたことだ。
あとは小刻みの和音の連続を随所に取り入れたことである。
「ロンデーニャ」の楽譜(ウニオン・ムシカル・エスパノーリャ版)を見ると、曲のタイトルの下に「Danza y Copla」という副題が付いている。
この曲はアンダルシア地方の古くから伝わる舞曲(踊り)と歌を素材にしたものなのであろう。
「ロンデーニャ」の楽譜が出版されたのが1962年であるから、ホセ・ルイス・ゴンザレスが「アンダルーサ」を録音した1981年にはすでに「ロンデーニャ」に置き換わっていた。
しかしホセ・ルイスは「ロンデーニャ」で弾かなかった。
ホセ・ルイスは「アンダルーサ」に「ロンデーニャ」のCoplaを挿入して弾いた。
何故か?。
それは恐らく「ロンデーニャ」よりも「アンダルーサ」の方が優れているからだ。
両者を聴き比べてみると分かるが、「アンダルーサ」の方が絶対にいい。
ただホセ・ルイスは魅力的なロンデーニャのCOPLAを弾きたかったことも間違いないことであろう。
次に「アンダルーサ」を聴いたのは、1984年秋だった。大学3年生の時だ。
この年に来日したナルシソ・イエペスの生演奏だった。
この時のプログラムとチケットとチラシが奇跡的に保管してあった。
当時、非常にずぼらだった自分にしてみれば、とってあったのが不思議だ。
このチケットはマンドリン・クラブの同期生であるM(ギターパートでその当時正指揮者)から、イエペスが札幌に来ることを知らされ、ギタリストの大塚氏の娘さんとMとがどういう縁だったか忘れたが、大塚氏の娘さんから直接購入したものだった。
そして忘れもしない1984年の10月27日(土)、マンドリン・クラブの練習が終わった後に同期生のMと、同じギターパートの先輩Aさん(当時4年生で前部長)、同じくギターパ^トの先輩Mさん(当時4年生で前ギターパートトップ)と私の4人で、札幌の厚生年金会館(現教育文化会館)に、Aさんの買ったばかりの新車、ホンダのプレリュードに乗って向かったのだ。
その場面は今でも憶えている。
プレリュードで地獄坂を下り、その坂に途中にあった私が当時住んでいた超おんぼろアパートに寄ってギターを部屋に置き、急いで車に飛び乗ったことが思い出される。
あのギターの巨匠、イエペスの生演奏を初めて聴くのである。
興奮しないわけは無かった。
プログラムは下記のとおり。
・ファンタジア(ムダーラ)
・五つの小品(スカルラッティ)
・シャコンヌニ短調(バッハ)
・魔笛の主題による変奏曲(ソル)
・アストゥリアス(アルベニス)
・ペテネーラとアンダルーサ(レヒーノ・サーインス・デ・ラ・マーサ)
・ソナタ(ヒナステラ)
・アルハンブラの思い出(タレガ)
・グラン・ホタ(タレガ)
アンコールは「禁じられた遊び」と「アイルランドの行進曲」の2曲だった。
このプログラムの中では魔笛の主題による変奏曲とアンダルーサが印象に残った。
まさかイエペスがサーインス・デ・ラ・マーサの曲を弾くことなど想像もしていなかったのだ。
この当時サーインス・デ・ラ・マーサの「アンダルーサ」はホセ・ルイス・ゴンザレスの演奏しか聴いていなかったので、このコンサートでイエペスが弾く「アンダルーサ」にCOPLAが入っていなかったのを聴いて、私はイエペスが手を抜いたとその時は思ったのである。
演奏会が終り、4人でまた車で大学のある町へと帰路についた。
途中ファミリーレストランに寄って晩飯を食べた。
その時に演奏会の感想だとかを語り合った記憶がある。今から30数年前であるが記憶は残っている。
そして帰りの車で松田聖子の曲が流れているのを聴いて、その当時絶頂期だったにもかかわらず突然引退宣言したのは何でなのかなど、たわいもない会話をしていたこともよみがえってきた。
今から思えば学生時代のちょっとした楽しい思い出だった。
1か月後に秋の定期演奏会を控えて、練習も佳境に入っていた頃だった。
この年の定期演奏会のメイン曲は、鈴木静一の「大幻想曲 幻の国 邪馬台」だった(この曲は同期のMが振った)。
北海道もめっきり寒くなった頃だった。
同期のMや先輩のAさんとは、昨年の50周年記念演奏会の事前練習で30数年振りで再会し、一緒に演奏会に出演した。
先輩のMさんは演奏会には出なかったが、演奏会終了後の懇親会で再会した。
とても懐かしく、あのニヒルでクールでタイガーマスクのミスターXのものまねが上手かった学生時代の雰囲気は変わっていなかった。
卒業後、ギターは殆ど弾いてこなかったという。しかし学生時代に弾いていた広瀬達彦製作のギターは今でも持っているとのことだった。
Mさんがギタートップだった時に鈴木静一の「交響譚詩 火の山」を弾いたのだ。
Mさんからは合奏の基礎をたくさん学ばせてもらった。
ナルシソ・イエペスは1989年にドイツ・グラモフォンから「ROMANCE D’AMOUR」というアルバムを出したが、このアルバムの中にレヒーノ・サーインス・デ・ラ・マーサのペテネーラとアンダルーサが収録されていた。
このアルバムのペテネーラとアンダルーサを今まで何度聴いたか分からない。
間違いなく超名演だ。
スペイン人だからこそ表現出来るものを感じる。
そして、イエペスが1984年の演奏会でアンダルーサでCOPLAを弾かなかった理由がこのアルバムの録音で初めて分かった。
何故ならばアンダルーサにはもともとCOPLAが無いからだ。
そしてイエペスが何故、「ロンデーニャ」ではなく、[アンダルーサ」の方を演奏会や録音に選んだのか。その理由も分かった。
【追記201903252202】
イエペスがグラモフォンに1989年に録音したアンダルーサの演奏がYoutubeに投稿されていました。
残念ながらCDよりも音質は落ちます。
各声部を浮き出させている演奏が驚異的だ。
この曲はテクニックを見せつけるような中身の無い演奏が多いが、イエペスの演奏はそれとは対極的。
この曲の持つ持ち味を存分に表現した超名演と言うべき演奏です。
NARCISO YEPES - Andaluza (Sáinz de la Maza)
この曲を初めて聴いたのが高校3年生の時、FMラジオ聴いたでホセ・ルイス・ゴンザレスの演奏であった。
カセットテープに録音したこの2曲を本当に何度も聴いた。
ホセ・ルイス・ゴンザレスの演奏も素晴らしかったが、この曲の持つ情熱とか、「スペインの歌心」というものに惹かれたのだと思う。
生粋のスペイン人であるホセ・ルイスだからこそ、この曲の持ち味を最大に活かした演奏が出来たのだと思う。
スペイン以外のドイツ、フランス、イギリス、アメリカなどのギタリストでは曲の根っこの部分まで表現することは出来ないと思う。
この「アンダルーサ」は後で「ロンデーニャ」という曲に改作された。
実は「アンダルーサ」も改作である。
「アンダルーサ」の前は、「アンダルシア素描」という曲だった。
「アンダルーサ」も「アンダルシア素描」も楽譜は絶版、ロンデーニャだけが入手可能だ。
「ロンデーニャ」と「アンダルーサ」の大きな違いは、「ロンデーニャ」の終結部の前に「コプラ(COPLA、歌)」が挿入されたことだ。
あとは小刻みの和音の連続を随所に取り入れたことである。
「ロンデーニャ」の楽譜(ウニオン・ムシカル・エスパノーリャ版)を見ると、曲のタイトルの下に「Danza y Copla」という副題が付いている。
この曲はアンダルシア地方の古くから伝わる舞曲(踊り)と歌を素材にしたものなのであろう。
「ロンデーニャ」の楽譜が出版されたのが1962年であるから、ホセ・ルイス・ゴンザレスが「アンダルーサ」を録音した1981年にはすでに「ロンデーニャ」に置き換わっていた。
しかしホセ・ルイスは「ロンデーニャ」で弾かなかった。
ホセ・ルイスは「アンダルーサ」に「ロンデーニャ」のCoplaを挿入して弾いた。
何故か?。
それは恐らく「ロンデーニャ」よりも「アンダルーサ」の方が優れているからだ。
両者を聴き比べてみると分かるが、「アンダルーサ」の方が絶対にいい。
ただホセ・ルイスは魅力的なロンデーニャのCOPLAを弾きたかったことも間違いないことであろう。
次に「アンダルーサ」を聴いたのは、1984年秋だった。大学3年生の時だ。
この年に来日したナルシソ・イエペスの生演奏だった。
この時のプログラムとチケットとチラシが奇跡的に保管してあった。
当時、非常にずぼらだった自分にしてみれば、とってあったのが不思議だ。
このチケットはマンドリン・クラブの同期生であるM(ギターパートでその当時正指揮者)から、イエペスが札幌に来ることを知らされ、ギタリストの大塚氏の娘さんとMとがどういう縁だったか忘れたが、大塚氏の娘さんから直接購入したものだった。
そして忘れもしない1984年の10月27日(土)、マンドリン・クラブの練習が終わった後に同期生のMと、同じギターパートの先輩Aさん(当時4年生で前部長)、同じくギターパ^トの先輩Mさん(当時4年生で前ギターパートトップ)と私の4人で、札幌の厚生年金会館(現教育文化会館)に、Aさんの買ったばかりの新車、ホンダのプレリュードに乗って向かったのだ。
その場面は今でも憶えている。
プレリュードで地獄坂を下り、その坂に途中にあった私が当時住んでいた超おんぼろアパートに寄ってギターを部屋に置き、急いで車に飛び乗ったことが思い出される。
あのギターの巨匠、イエペスの生演奏を初めて聴くのである。
興奮しないわけは無かった。
プログラムは下記のとおり。
・ファンタジア(ムダーラ)
・五つの小品(スカルラッティ)
・シャコンヌニ短調(バッハ)
・魔笛の主題による変奏曲(ソル)
・アストゥリアス(アルベニス)
・ペテネーラとアンダルーサ(レヒーノ・サーインス・デ・ラ・マーサ)
・ソナタ(ヒナステラ)
・アルハンブラの思い出(タレガ)
・グラン・ホタ(タレガ)
アンコールは「禁じられた遊び」と「アイルランドの行進曲」の2曲だった。
このプログラムの中では魔笛の主題による変奏曲とアンダルーサが印象に残った。
まさかイエペスがサーインス・デ・ラ・マーサの曲を弾くことなど想像もしていなかったのだ。
この当時サーインス・デ・ラ・マーサの「アンダルーサ」はホセ・ルイス・ゴンザレスの演奏しか聴いていなかったので、このコンサートでイエペスが弾く「アンダルーサ」にCOPLAが入っていなかったのを聴いて、私はイエペスが手を抜いたとその時は思ったのである。
演奏会が終り、4人でまた車で大学のある町へと帰路についた。
途中ファミリーレストランに寄って晩飯を食べた。
その時に演奏会の感想だとかを語り合った記憶がある。今から30数年前であるが記憶は残っている。
そして帰りの車で松田聖子の曲が流れているのを聴いて、その当時絶頂期だったにもかかわらず突然引退宣言したのは何でなのかなど、たわいもない会話をしていたこともよみがえってきた。
今から思えば学生時代のちょっとした楽しい思い出だった。
1か月後に秋の定期演奏会を控えて、練習も佳境に入っていた頃だった。
この年の定期演奏会のメイン曲は、鈴木静一の「大幻想曲 幻の国 邪馬台」だった(この曲は同期のMが振った)。
北海道もめっきり寒くなった頃だった。
同期のMや先輩のAさんとは、昨年の50周年記念演奏会の事前練習で30数年振りで再会し、一緒に演奏会に出演した。
先輩のMさんは演奏会には出なかったが、演奏会終了後の懇親会で再会した。
とても懐かしく、あのニヒルでクールでタイガーマスクのミスターXのものまねが上手かった学生時代の雰囲気は変わっていなかった。
卒業後、ギターは殆ど弾いてこなかったという。しかし学生時代に弾いていた広瀬達彦製作のギターは今でも持っているとのことだった。
Mさんがギタートップだった時に鈴木静一の「交響譚詩 火の山」を弾いたのだ。
Mさんからは合奏の基礎をたくさん学ばせてもらった。
ナルシソ・イエペスは1989年にドイツ・グラモフォンから「ROMANCE D’AMOUR」というアルバムを出したが、このアルバムの中にレヒーノ・サーインス・デ・ラ・マーサのペテネーラとアンダルーサが収録されていた。
このアルバムのペテネーラとアンダルーサを今まで何度聴いたか分からない。
間違いなく超名演だ。
スペイン人だからこそ表現出来るものを感じる。
そして、イエペスが1984年の演奏会でアンダルーサでCOPLAを弾かなかった理由がこのアルバムの録音で初めて分かった。
何故ならばアンダルーサにはもともとCOPLAが無いからだ。
そしてイエペスが何故、「ロンデーニャ」ではなく、[アンダルーサ」の方を演奏会や録音に選んだのか。その理由も分かった。
【追記201903252202】
イエペスがグラモフォンに1989年に録音したアンダルーサの演奏がYoutubeに投稿されていました。
残念ながらCDよりも音質は落ちます。
各声部を浮き出させている演奏が驚異的だ。
この曲はテクニックを見せつけるような中身の無い演奏が多いが、イエペスの演奏はそれとは対極的。
この曲の持つ持ち味を存分に表現した超名演と言うべき演奏です。
NARCISO YEPES - Andaluza (Sáinz de la Maza)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます