緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

リア・サイド内張り交換(2)

2019-02-16 21:30:34 | 
リア、サイド部の内張りが無残な姿に変わり果てていたため、交換しようとアルミ製の縞鋼板を取り付けようとした。
丁度一年前のことだった。
腐食したプレスボード製の内張りを取り外し、ヤフオクで買った縞鋼板を代わりに取り付けようしたが、両面テープで貼るようになっていたので、物足りなく感じた。
そこで一旦交換作業は中止し、両面テープではなく、きちんとボルトで固定することにした。
プレスボード製の内張りを固定するフックを留めるための穴と同径の穴が他にも何箇所が空いていた。
何の目的のために空けられた穴か不明であったが、この穴に合わせて縞鋼板にドリルで穴を開け、ボルト、ワシャ、スプリングワッシャで固定しようと思ったのである。
しかしその後マンドリン合奏の練習などで休日に作業をする時間がなかなか取れず、今日約1年ぶりに作業を再開した。

1年前に取り外したプレスボード製の内張り。
長年の雨水や砂塵の侵入により腐食し、見るのも痛々しい。



この内張りは捨てた。
代わりに用意したのがアルミ製の縞鋼板だ。
車のサイズ、形に合わせて専用に加工された商品である。



以前の内張りは捨てたのでボディの内側がむき出しになっている。
風雨や砂塵の侵入で異常に汚れている。
どうせここまで汚れているのだから、何も金属板の立派なもので覆わなくたっていいではないか、という考えもあろう。
要するに付けなくたって何の影響もないということだ。
しかしそこで割り切ってしまっては面白くない。
さらに両面テープでなんかで固定するのは、なんか安易過ぎないか。
幸いにも丁度固定するのに都合がいい穴まであらかじめ開いているのだから、これを利用する手はない。
ボルト類でしっかりと固定した方がやりがいがある。


まずは以前の内張りを固定していたフックが邪魔なので、ペンチで捻って取り外す。







取付用の穴が7、8個開いている。





縞鋼板を取り付けたらこんな感じになる。





ボルトで固定するには縞鋼板にボルトの穴に合わせてドリルで穴を開けなければならない。
しかし開ける穴の位置を特定するは一筋縄ではいかない。
何故ならば、穴の位置をマークすることが容易でないからだ。
縞鋼板を仮固定すると穴は隠れてしまう。
縞鋼板は当然ながら透明でないので、穴の位置が見えない。
そこで、どうやって穴の位置をマーキングするかだ。

しばらくどうやったらうまくできるか考えてみる。
まずは穴の位置、間隔を定規で計測し、計測した穴の位置を縞鋼板にマークしてみようと思った。
これは至極オーソドックスなやり方だ。
助手席側のリアサイドに縞鋼板を仮置きし、手前側の端から最初の穴までの距離を定規で測定する。52.5mm。
次に最初の穴から2番目の穴、そして2番目から3番目の穴というように穴と穴の間隔を測定。
順に、150,145,110,65,82.5、75、75mmだった。

同様に運転席側のリアサイドに縞鋼板を仮置きし、定規で測定。
20,150,110,65,82.5、75、75mmであり、2番目以降の穴の間隔は助手席側と同じだった。

この距離は縞鋼板の両サイド間での穴の位置を示すが、一方で、縞鋼板の上部の端から穴の位置までの距離も測定しなければならない。
縞鋼板を仮置きしたら、縞鋼板の上部と取付用穴のあるボディ裏側の鋼板の上部がピッタリ合っていない。
手前側が4mmほど上にはみ出し、奥側が2mmほどはみ出している。
これだと穴の縦の位置を正確にマーキングすることは出来ない。
穴の位置が大きくずれることは避けなければならない。
そこでどうしたら上手く穴の位置をマーキングできるか、しばし考えて見る。
思いついたのが、穴に小さく切ったガムテープを貼り付け、穴の位置に黒の塗料を塗布し、すぐに縞鋼板を仮置きすることで、塗料が縞鋼板の裏側に付着し、その付着した塗料の位置が穴を開けるべき位置になる、ということだった。
早速、ガムテープを小さく切り、手持ちの塗料を穴の位置に塗って、塗料が乾かないうちに縞鋼板を仮置きしてみた。





結果は上手くいかなかった。
仮置きは一発で位置合わせできない。
何度か位置をずらさないと上手く嵌め込まれない。
なので塗料が正確な位置に付着できないのだ。
この方法は断念した。

もうこの辺で止めようかと思ったが、もう少し妙案がないか考えてみることにした。
最初、透明のアクリル板を買ってきて、縞鋼板の上部に仮止めし、かつボディ側のリアサイドにあてがったあとは、縞鋼板の仮留めを外すと共に、今度はボディ側に仮留めし、透明な板の上から見える穴の位置にマジックでマーキングする、という方法を考え付いた。
しかしアクリル板をわざわざ買うのは勿体無いし加工も大変だ。
そこでもっと簡単にできることが無いか考えところ、大きなボール紙を縞鋼板の形状に合わせて切り取り、そのボール紙をリア・サイドに仮固定して、穴の位置に「きり」で穴を開け、その穴の空いたボール紙を縞鋼板の上に乗せて、空けた穴をマジックマーキングすれば上手くいくのではないかと思った。
ボール紙はホームセンターまで行かないと入手できないので、家にあるもので代用できるものはないかと探したら、捨てるために保管していたダンボールが見つかった。
このダンボールで型紙を作ってみた。



計測した穴の横位置に線を入れる。


ダンボールは1個しかなかったので、もう片方の縞鋼板用のダンボールは近くのスーパーで手に入れた。

今日のところは作業はここで打ち切り。
明日、もう片方の型紙を作り、その型紙をボディに仮固定し、穴の位置を探ってきりで穴を開けてみる。
穴をサイズどおりに切り抜いたら、型紙を縞鋼板に載せて穴からマジックでマーキングする。
マーキングした部分をドリルで開けて、後は穴のサイズに合うボルト類を探すところまでやってみたい。
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名車 スバル レオーネ

2019-02-11 20:10:49 | 
いつか記事にしようと思っていた車があった。
その車は、スバル(富士重工業)のレオーネという車だ。
今は無い絶版車だ。
レガシィやインプレッサの前身の車。
レオーネは5回モデルチェンジしたが、1979年に発売された2代目のみが好きだ。

この2代目レオーネは今まで見た乗用車の中で最高のデザインを持つ車だ。
星の数ほどある乗用車(オフロード車除く)の中では、この2代目レオーネしか好きになれない。
このデザインは自分にとっては究極といっていい。
全く無駄のない均整のとれた形状、大きさ。
これ以上ないというくらいのフロントの形状とライト、エンブレムの配置。
地味であるが故に人を惹き付ける存在感、オーラを感じさせる。
この2代目レオーネをデザインした人はどんな方だったのだろう。
本当に素晴らしい。

この車に初めて出会ったのは大学1年生の時だ。
当時、実家を離れ、大学のある北海道のある町に住んでいた。
そこは坂の多い、歴史のある町であったが、雪の積もる冬は坂道を登るのが大変であった。
後輪駆動(FR)だとまずスリップして登っていかない。
前輪駆動(FF)か四輪駆動(4WD)でないと登り切れないことがあった。
そのため、この町のタクシーにレオーネが数多く採用されていた。
レオーネは2WDもあるが4WDが主流だったと思う。
乗用車スタイルで4WD車は珍しいし、個性的だ。
それまで車に全く興味がなかったのに、その時初めて車のデザインというものに目覚めた。

とは言ってもこれをきっかけに自動車に興味を持つということはなかった。
車の免許を取ったのも就職で東京に出てくる直前(3月半ば)であったし、両親ともに免許を持っていなかった。
そのため、自分の車を持つまで車というものを意識したこともなかったし、車種も殆ど分からなかった。
私の大学時代の時は、殆どの男子学生が車に関心を抱いていたと思う。
今の若い方は意外に車に乗らないし、関心も薄いようだが、私の学生時代と言えば車の話題が多かった。
マンドリンクラブの先輩や後輩で、ホンダのプレリュードやトヨタのAE86などを新車で乗っていた人がいたのを思い出す。
私は当時は車に関心がなかったし、貧乏学生だったので車など持つことなど出来なかった。

しかしそんな自分も、就職し車を持つようになると瞬く間に車好きに変貌してしまった。
車は運転するのも、見るのも、整備するのも好きだ。
しかし見るのは今の車ではない。
1970年代以前の旧車だ。
絶版車カタログやインターネットで見る。

この2代目レオーネ、今でも稀であるが、中古車で販売するのを見かけることがある。
何年か前に、新潟と静岡でこの2代目レオーネの中古車が販売されているのをインターネットで見つけた時は、買おうかと思ったほどだ。
しかし今乗っている車も好きだし、20万キロまで乗るという目標もあるので、やめた。
今から40年前の車なので、燃料噴射装置は機械式のキャブレターだろうし、ボディも防錆鋼板が採用される前であるから、買っても維持するのが大変であろう。
交換部品もストックが無いだろうし。
しかし一度は乗ってみたい車だ。

昨今の車のデザインときたら見るべきものは無い。
やたらに中年太りした車が横行している。
そして最近気づいたのだが、ヘッドライトの形状が何か不格好なのだ。
車を正面から見ると、人の顔のように見える。
ヘッドライトが両目である。
このヘッドライトが、つり上がった鷹のような鋭い目のような形状のものが結構あるのだ。
あとは森永グリコ事件の犯人の似顔絵に出てくる、細いキツネ目のようなヘッドライトも見かける。
こういうデザインのヘッドライトを見ていると思わず「プッ」と笑ってしまう。
こんな目にしてしまうデザイナーは、本当にこのデザインがいいと思って商品化したのだろうか。
今手許に「絶版車カタログ1970-1979」があるが、この時代のヘッドライトは丸目か角目のいずれかである。
今のようなデザインのヘッドライトは皆無である。
車のデザインはまさにシンプルイズベストであろう。
シンプル、地味さをベースに、何か人をそれとなく隠し味のように惹き付けるものを持っているのが昔の車のデザインの特徴だった。
車のデザインは1980年代から徐々に駄目になっていった。





















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千住明作曲「砂の器 宿命」(2004年テレビドラマ)を聴く

2019-02-10 21:46:17 | ピアノ
松本清張原作、野村芳太郎監督の日本映画「砂の器」を見たのは1979年、高校1年生の時だったと思う。
今まで見た日本映画の中では先日紹介した加藤剛、栗原小巻主演の「忍ぶ糸」とともに最も印象に残っている。
主人公のピアニスト兼作曲家の和賀英良(加藤剛)が逮捕直前に新作発表会コンサートで、弾き振りで自ら作曲したピアノ協奏曲「宿命」を演奏した際の過去の過酷な人生の回想シーンは今でも忘れられないくらい感動した。

この映画で使われた「宿命」という曲は菅野光亮という作曲家により作曲された。
この曲は以前記事にしたことがあった。
この映画はその後何度かテレビドラマ化されたが、2004年に中居正広主演で放映された。
その時の主題曲「宿命」の作者が千住明氏であった。
菅野光亮氏の「宿命」は素晴らしいが、千住明氏の「宿命」も素晴らしい。
純クラシックとは言えない曲であるが、一度聴いたら惹き込まれる力強さがある。

原曲はピアノ協奏曲であるが、私はピアノ独奏版の方が好きだ。
ピアノ独奏の方がこの曲の本質をより多く表現しているように感じる。
Youtyubeに録音があったので下記に貼り付けておく。

この「砂の器」は1961年に書き上げられ、1974年に映画化された。
この時代だからこそ生まれた作品だと思う。

砂の器 宿命


ピアノ演奏 ~ 砂の器 ~ 『宿命 第1楽章』
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W.サンクリン、R. ローツァンド「おとなと子ども」を聴く

2019-02-09 22:25:26 | その他の音楽
私が音楽にのめり込むきっかけとなった1枚のレコードがあった。
「軽音楽 禁じられた遊び -みんなでうたおう世界の歌-」と題する古いレコード(1960年代制作)だった。
演奏:寺嶋尚彦とリズムシャンソネット





このレコードの第1曲目として収録されていた「禁じられた遊び」のギターを聴いたことがきっかけで、クラシックギターに熱狂するようになっていった。
このレコードの中で、「おとなと子ども」という短い曲があった。
哀愁の感じられるとても美しい曲だった。
このレコードの中で1番好きだった曲だ。
シンプルな曲であるが、心に残る。

この曲について以前記事にしたことがあったが、レコードジャケットに記載された曲目紹介には、W.サンクリン、R. ローツァンドという名前があるだけで、曲についての情報は全く無い。
インターネットでこの名前とこの曲名を検索しても何も出てこなかった。

この曲はレコードを聴かなくなっても、時々頭の中でふと旋律が蘇ってきたことがあった。
この曲に強いインパクトを受けたのだろうし、好きだったのだと思う。
今日久しぶりにレコードをかけ、スピーカーから録音機で録音した。
生録りなので音は悪いが下に音源を置いておく。

「おとなと子ども」


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海野義雄演奏 メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」を聴く

2019-02-09 22:23:36 | バイオリン
先日Youtubeで、間宮芳生作曲の「ヴァイオリン協奏曲」を聴いていたのだが、すごく上手かったので、演奏者が誰かと思いコメント見たら、昔日本のヴァオリニストの第一人者と言われ、N響のコンサートマスターだった海野義雄氏だった。

海野氏の名前を知ったのは1980年代の初め、高校生の頃だったが、彼が楽器の収賄事件で逮捕された時だった。
新聞やテレビで結構大きく報道された。
この事件をきっかけに海野氏は東京芸大の教授も解任されてしまい、しばらく表舞台から去ってしまったと記憶している。

この事件がどれほどの犯罪だったのかは詳しくは分からないが、彼のキャリアに大きな傷が付き、絶頂だった彼の音楽人生が大幅に狂ってしまったようだ。

スキャンダルがあったという事実は別として、私は海野義雄氏の演奏に関心を抱いた。
もっと聴いてみたいと思うようになった。

彼の録音を探してみたら、運よく私の好きなメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」の録音があることが分かり、早速聴いてみることにした(Youtubeでは見つからなかったのでCDを購入)。
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮、ロンドン交響楽団。1980年録音(芸大事件の1年前)。



メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」を初めて聴いたのは中学1年生の音楽の授業だった。
音楽の先生が教材のレコードをかけてくれたのだ。
演奏者はカタカナで3文字だったが、グル何とかという名前だったとしか記憶が無い。
この頃ちょうど音楽に目覚め始めた頃だったこともあり、授業で流されたこの曲のことはよく覚えている。

この時以来、この曲を長い間殆ど聴くことはなかったが、2年くらい前にバッハのヴァイオリンソナタやパルティータの聴き比べをしたことがきっかとなり、いろいろなヴァイオリニストの演奏を聴くことになった。
今まで聴いた中では、ハンガリーのヨハンナ・マルツィ(Johanna Martzy )の1955年の演奏が最も感動した。
感情的エネルギーに満ちており、音がとても清冽で力がみなぎっている。
他の演奏家と全然違う。
不遇な音楽人生を送ったようだが、もっと高く評価されてしかるべき演奏家だ。
私は彼女の演奏がとても好きだ。

今回聴いた海野義雄氏の演奏は40代の頃の円熟期の演奏であるが、 マルツィとは対照的な演奏だった。
どちらかというと地味な演奏だ。
強いエネルギーに満ちているわけではない。
華やかな技巧を有しているわけではない。
しかし未だはっきりとは分からないのであるが、何故かこの演奏に惹き込まれる。
初めて聴いたのは昨日であるが、もう6、7回は聴いている。
何か暖かいものとか、自然のみがもたらす美しさとか、漠然とであるがそのようなものが感じられる。
マルツィとは違うけれど、マルツィには無い深みのようなものが感じられる。

第1楽章カンデツアの終わり近くに見せたテヌート、あの極めて美しい長調の調べの前後に現れるフレーズの表現。
一見地味に聴こえるのであるが、強く感情が湧き起ってくる。
そして第2楽章冒頭からの美しい旋律。しばらくしてちょっと感傷的なフレーズに移ってからのクレッシェンドの盛り上がりの部分などは聴いていて高揚してくる。
地に足のついたような暖かさとか優しさというものが感じられる。
作りものとか表面的という感じとか、意識の考えが入った野心的なものは全く感じられない。
何か終始、自然体という感じなのだ。
よく、何かと言われると分からないが、この人といると安心できる、という感じなのだ。

海野氏の録音は意外に少ない。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は1980年録音のもの以外に、1960年代のものが見つかったので、中古レコードであるが注文した。
どんな演奏が聴けるのか。
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