緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

W.サンクリン、R. ローツァンド「おとなと子ども」を聴く

2019-02-09 22:25:26 | その他の音楽
私が音楽にのめり込むきっかけとなった1枚のレコードがあった。
「軽音楽 禁じられた遊び -みんなでうたおう世界の歌-」と題する古いレコード(1960年代制作)だった。
演奏:寺嶋尚彦とリズムシャンソネット





このレコードの第1曲目として収録されていた「禁じられた遊び」のギターを聴いたことがきっかけで、クラシックギターに熱狂するようになっていった。
このレコードの中で、「おとなと子ども」という短い曲があった。
哀愁の感じられるとても美しい曲だった。
このレコードの中で1番好きだった曲だ。
シンプルな曲であるが、心に残る。

この曲について以前記事にしたことがあったが、レコードジャケットに記載された曲目紹介には、W.サンクリン、R. ローツァンドという名前があるだけで、曲についての情報は全く無い。
インターネットでこの名前とこの曲名を検索しても何も出てこなかった。

この曲はレコードを聴かなくなっても、時々頭の中でふと旋律が蘇ってきたことがあった。
この曲に強いインパクトを受けたのだろうし、好きだったのだと思う。
今日久しぶりにレコードをかけ、スピーカーから録音機で録音した。
生録りなので音は悪いが下に音源を置いておく。

「おとなと子ども」


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海野義雄演奏 メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」を聴く

2019-02-09 22:23:36 | バイオリン
先日Youtubeで、間宮芳生作曲の「ヴァイオリン協奏曲」を聴いていたのだが、すごく上手かったので、演奏者が誰かと思いコメント見たら、昔日本のヴァオリニストの第一人者と言われ、N響のコンサートマスターだった海野義雄氏だった。

海野氏の名前を知ったのは1980年代の初め、高校生の頃だったが、彼が楽器の収賄事件で逮捕された時だった。
新聞やテレビで結構大きく報道された。
この事件をきっかけに海野氏は東京芸大の教授も解任されてしまい、しばらく表舞台から去ってしまったと記憶している。

この事件がどれほどの犯罪だったのかは詳しくは分からないが、彼のキャリアに大きな傷が付き、絶頂だった彼の音楽人生が大幅に狂ってしまったようだ。

スキャンダルがあったという事実は別として、私は海野義雄氏の演奏に関心を抱いた。
もっと聴いてみたいと思うようになった。

彼の録音を探してみたら、運よく私の好きなメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」の録音があることが分かり、早速聴いてみることにした(Youtubeでは見つからなかったのでCDを購入)。
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮、ロンドン交響楽団。1980年録音(芸大事件の1年前)。



メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」を初めて聴いたのは中学1年生の音楽の授業だった。
音楽の先生が教材のレコードをかけてくれたのだ。
演奏者はカタカナで3文字だったが、グル何とかという名前だったとしか記憶が無い。
この頃ちょうど音楽に目覚め始めた頃だったこともあり、授業で流されたこの曲のことはよく覚えている。

この時以来、この曲を長い間殆ど聴くことはなかったが、2年くらい前にバッハのヴァイオリンソナタやパルティータの聴き比べをしたことがきっかとなり、いろいろなヴァイオリニストの演奏を聴くことになった。
今まで聴いた中では、ハンガリーのヨハンナ・マルツィ(Johanna Martzy )の1955年の演奏が最も感動した。
感情的エネルギーに満ちており、音がとても清冽で力がみなぎっている。
他の演奏家と全然違う。
不遇な音楽人生を送ったようだが、もっと高く評価されてしかるべき演奏家だ。
私は彼女の演奏がとても好きだ。

今回聴いた海野義雄氏の演奏は40代の頃の円熟期の演奏であるが、 マルツィとは対照的な演奏だった。
どちらかというと地味な演奏だ。
強いエネルギーに満ちているわけではない。
華やかな技巧を有しているわけではない。
しかし未だはっきりとは分からないのであるが、何故かこの演奏に惹き込まれる。
初めて聴いたのは昨日であるが、もう6、7回は聴いている。
何か暖かいものとか、自然のみがもたらす美しさとか、漠然とであるがそのようなものが感じられる。
マルツィとは違うけれど、マルツィには無い深みのようなものが感じられる。

第1楽章カンデツアの終わり近くに見せたテヌート、あの極めて美しい長調の調べの前後に現れるフレーズの表現。
一見地味に聴こえるのであるが、強く感情が湧き起ってくる。
そして第2楽章冒頭からの美しい旋律。しばらくしてちょっと感傷的なフレーズに移ってからのクレッシェンドの盛り上がりの部分などは聴いていて高揚してくる。
地に足のついたような暖かさとか優しさというものが感じられる。
作りものとか表面的という感じとか、意識の考えが入った野心的なものは全く感じられない。
何か終始、自然体という感じなのだ。
よく、何かと言われると分からないが、この人といると安心できる、という感じなのだ。

海野氏の録音は意外に少ない。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は1980年録音のもの以外に、1960年代のものが見つかったので、中古レコードであるが注文した。
どんな演奏が聴けるのか。
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