4.合唱
今日、久しぶりに昼寝をした。
4時間くらいは寝ただろうか。
とにかく睡眠不足なのだ。
朝早く夜遅い。
先日、勤め先の会社のトップ2人と至近距離となる打ち合わせ(というか報告)という大事な場面(ちょっと自慢した?)で、睡魔に襲われ、一瞬居眠りをしてしまった。
一か月前には、朝の通勤列車で吊り革でつかまっていたら、これもまた睡魔に襲われ、吊り革を掴んでいた手が外れて、そのまま前の座席に倒れ込んでしまい、乗客に謝るということをしでかしてしまった。
そういえば、昨日湯舟の中で寝てしまい、目が覚めたらのぼせていた。5分くらいは寝ていたのか。
数年前に高速バスの運転手が一瞬の睡魔に襲われたために大惨事となった事故があった。
多分この運転手も相当疲労していたのであろう。
睡魔は自分の意志でコントロールできるものでは無いことを痛感する。
さて、私の好きな音楽のジャンルの一つに合唱曲があるのだが、昨年はマンドリン合奏の活動にかなりの時間を消費したため、合唱曲の鑑賞は手薄だった。
しかし、毎年聴いてきたNコン高等学校の部のブロック大会と、全国大会の両方の生演奏を聴くことが出来た。
今日、Nコンのホームページで全国大会の録画を聴いてみた。
まず課題曲を、全11校の演奏順に聴いていく。
昨年の課題曲は、「ポジティブ太郎 ~いつでも始まり~」(作詞: つんく 作曲: 上田 真樹)。
聴き比べをするときに大切だと思っているのは、先入観、例えば賞の結果とか、学校名とか、そういうものを外すこと。
よく毎年、常連校のような特定の高校を評価する方がいるが、私はそのようなこだわりはない。
コンクールに常連で出場するようになるのは良くない。必ず弊害が出る。
10年に1回でも、歴史に残すような演奏をして去っていくような学校の方が好きだ。
演奏に対しては様々な評価の仕方があるが、私は高校生の合唱演奏の場合、聴いていてどれくらい自分の感情が強く湧き起ってくるか、という基準で演奏を選んでいる。
Nコンのホームページでは各学校の演奏に対し審査員の講評が載っているが、結構、技術的な細かいことを指摘している。
でも肝心な核心とも言えるものは抜けているように感じる。
高校生の合唱演奏において何を期待するか。
高校生って、人間の一生で一番感受性が強く、気持ちが純粋で、ものごとに対しストレートに感じられる時期なのだ。
大人に対して頭を使う割合が少ない。すなわちあれこれ計算をしない。
私が高校生から感じ取りたいのは、この、頭で考えたものが入り込んでいない、純粋でストレートな気持ちなのだ。
このようなものは大人の演奏では感じ取ることは出来ない。
合唱演奏を聴いていると、指導者(指揮者)が頭でコントロールしているものと、演奏者たちの自然な感情や気持ちを引き出そうとしているものがある。
私は後者の演奏が好きだ。
前者は聴いた瞬間、上手いと感じるだけで後に何も残らない。
それ以上繰り返し聴きたいという気持ちが起きない。
後者は技術的に粗削りなところがあっても、心に深く刻まれる。
繰り返し聴いているうちに、自分がこの演奏に惹き込まれていることに気付く。
今日改めてNコンのホームページで全11校の演奏(課題曲)を聴き比べて、強い感情が湧き起こってきたのは次の2校だった。
〇東京都大妻中野高等学校
〇愛媛県立西条高等学校
東京都大妻中野高等学校の課題曲の演奏の気持ちの出し方は素晴らしいと思う。
歌声も高校生らしく自然で、艶があり、透明感もあり、柔らかさも持ち合わせている。
フレージングが長めで性急な感じがしない。力みも無い。
裏パートの発音を、小さいながらももう少し明瞭にすればもっと評価されたかもしれない。
愛媛県立西条高等学校。この高校は平成21年の全国大会で大会の歴史に残る素晴らしい演奏を残した。
合唱曲の演奏で、私の最も好きなものがこの平成21年度大会の演奏だ。
今回、それ以来となる9年ぶりの出場。
この学校は評価面で損していると思う。
平成21年度大会でもそうであったのだが、たった1回だけ聴いたときには、一見その地味さから印象に残りづらいのだ。
しかし後で録音を何度も聴いていると全然違うことが分かってくる。
今回の西条高等学校の演奏もそうであった。
NHKホールで生演奏を聴いた時の印象とは全然違っていた。
もっと早くこの録音を聴いておくべきだった。
それにしてもいい音だ。私はこの音が好きだ。
聴くたびにこの音とその裏の感情に触れて感動する。もっと何で早く気付かなかったのか。
審査の講評の中に、「鳥肌たつ瞬間があって、心に届く好きな演奏でした!」と記載されたものがあったが、恐らくこの審査員も無意識にこの演奏者たちの無心の感情を感じ取ったに違い。
本当に鳥肌たつ瞬間がある。間違いなくいい演奏だ。
西条高等学校の自由曲は、混声合唱組曲「終わりのない歌」から 強い感情が僕を襲った と、同じく 終わりのない歌(作詞: 銀色 夏生 作曲: 上田 真樹)。
この曲、ものすごくいい曲です。
西条高等学校はいい曲を自由曲に選んだ。
この西条高等学校の演奏をきっかけに、この曲の初演のライブ録音をYoutubeで聴いた。
終わりのない歌
上田真樹氏のピアノの演奏の上手さにも感動したが、上田真樹氏がこんな素晴らしい曲を生みだしていたことにも驚いた。
Nコンなどの合唱コンクールを聴いていつも思うが、審査結果が全てだと思わないで欲しい。
同じ演奏者に対し、最高評価をする人がいれば、逆に最低評価をする人もいるのだから。
審査結果は偶然の産物だ。
それよりも、演奏の録音を何度も聴くことだ。
そこからが本当の真価が試される。
大会が終っても、何年も繰り返し聴いてもらえ、感動を与えられる演奏が本物なのだ。
私はそのような演奏を宝物のように大切にしている。
【追記201902030018】
Nコン全国大会高等学校の部での西条高等学校の演奏、素晴らしい演奏なのに恵まれませんでしたね。
しかしこうして後で録音を聴いてみるとだんだん分かってくる。
平成21年度の時そうだったけど。
この演奏スタイルはくずさないで欲しいと願う。
他の人はことは知ることはできないが、きっと高く評価している人がいると思います。
【20190203】
「終わりのない歌」の初演のリンク先のアドレスが間違っていたので、修正しました。
今日、久しぶりに昼寝をした。
4時間くらいは寝ただろうか。
とにかく睡眠不足なのだ。
朝早く夜遅い。
先日、勤め先の会社のトップ2人と至近距離となる打ち合わせ(というか報告)という大事な場面(ちょっと自慢した?)で、睡魔に襲われ、一瞬居眠りをしてしまった。
一か月前には、朝の通勤列車で吊り革でつかまっていたら、これもまた睡魔に襲われ、吊り革を掴んでいた手が外れて、そのまま前の座席に倒れ込んでしまい、乗客に謝るということをしでかしてしまった。
そういえば、昨日湯舟の中で寝てしまい、目が覚めたらのぼせていた。5分くらいは寝ていたのか。
数年前に高速バスの運転手が一瞬の睡魔に襲われたために大惨事となった事故があった。
多分この運転手も相当疲労していたのであろう。
睡魔は自分の意志でコントロールできるものでは無いことを痛感する。
さて、私の好きな音楽のジャンルの一つに合唱曲があるのだが、昨年はマンドリン合奏の活動にかなりの時間を消費したため、合唱曲の鑑賞は手薄だった。
しかし、毎年聴いてきたNコン高等学校の部のブロック大会と、全国大会の両方の生演奏を聴くことが出来た。
今日、Nコンのホームページで全国大会の録画を聴いてみた。
まず課題曲を、全11校の演奏順に聴いていく。
昨年の課題曲は、「ポジティブ太郎 ~いつでも始まり~」(作詞: つんく 作曲: 上田 真樹)。
聴き比べをするときに大切だと思っているのは、先入観、例えば賞の結果とか、学校名とか、そういうものを外すこと。
よく毎年、常連校のような特定の高校を評価する方がいるが、私はそのようなこだわりはない。
コンクールに常連で出場するようになるのは良くない。必ず弊害が出る。
10年に1回でも、歴史に残すような演奏をして去っていくような学校の方が好きだ。
演奏に対しては様々な評価の仕方があるが、私は高校生の合唱演奏の場合、聴いていてどれくらい自分の感情が強く湧き起ってくるか、という基準で演奏を選んでいる。
Nコンのホームページでは各学校の演奏に対し審査員の講評が載っているが、結構、技術的な細かいことを指摘している。
でも肝心な核心とも言えるものは抜けているように感じる。
高校生の合唱演奏において何を期待するか。
高校生って、人間の一生で一番感受性が強く、気持ちが純粋で、ものごとに対しストレートに感じられる時期なのだ。
大人に対して頭を使う割合が少ない。すなわちあれこれ計算をしない。
私が高校生から感じ取りたいのは、この、頭で考えたものが入り込んでいない、純粋でストレートな気持ちなのだ。
このようなものは大人の演奏では感じ取ることは出来ない。
合唱演奏を聴いていると、指導者(指揮者)が頭でコントロールしているものと、演奏者たちの自然な感情や気持ちを引き出そうとしているものがある。
私は後者の演奏が好きだ。
前者は聴いた瞬間、上手いと感じるだけで後に何も残らない。
それ以上繰り返し聴きたいという気持ちが起きない。
後者は技術的に粗削りなところがあっても、心に深く刻まれる。
繰り返し聴いているうちに、自分がこの演奏に惹き込まれていることに気付く。
今日改めてNコンのホームページで全11校の演奏(課題曲)を聴き比べて、強い感情が湧き起こってきたのは次の2校だった。
〇東京都大妻中野高等学校
〇愛媛県立西条高等学校
東京都大妻中野高等学校の課題曲の演奏の気持ちの出し方は素晴らしいと思う。
歌声も高校生らしく自然で、艶があり、透明感もあり、柔らかさも持ち合わせている。
フレージングが長めで性急な感じがしない。力みも無い。
裏パートの発音を、小さいながらももう少し明瞭にすればもっと評価されたかもしれない。
愛媛県立西条高等学校。この高校は平成21年の全国大会で大会の歴史に残る素晴らしい演奏を残した。
合唱曲の演奏で、私の最も好きなものがこの平成21年度大会の演奏だ。
今回、それ以来となる9年ぶりの出場。
この学校は評価面で損していると思う。
平成21年度大会でもそうであったのだが、たった1回だけ聴いたときには、一見その地味さから印象に残りづらいのだ。
しかし後で録音を何度も聴いていると全然違うことが分かってくる。
今回の西条高等学校の演奏もそうであった。
NHKホールで生演奏を聴いた時の印象とは全然違っていた。
もっと早くこの録音を聴いておくべきだった。
それにしてもいい音だ。私はこの音が好きだ。
聴くたびにこの音とその裏の感情に触れて感動する。もっと何で早く気付かなかったのか。
審査の講評の中に、「鳥肌たつ瞬間があって、心に届く好きな演奏でした!」と記載されたものがあったが、恐らくこの審査員も無意識にこの演奏者たちの無心の感情を感じ取ったに違い。
本当に鳥肌たつ瞬間がある。間違いなくいい演奏だ。
西条高等学校の自由曲は、混声合唱組曲「終わりのない歌」から 強い感情が僕を襲った と、同じく 終わりのない歌(作詞: 銀色 夏生 作曲: 上田 真樹)。
この曲、ものすごくいい曲です。
西条高等学校はいい曲を自由曲に選んだ。
この西条高等学校の演奏をきっかけに、この曲の初演のライブ録音をYoutubeで聴いた。
終わりのない歌
上田真樹氏のピアノの演奏の上手さにも感動したが、上田真樹氏がこんな素晴らしい曲を生みだしていたことにも驚いた。
Nコンなどの合唱コンクールを聴いていつも思うが、審査結果が全てだと思わないで欲しい。
同じ演奏者に対し、最高評価をする人がいれば、逆に最低評価をする人もいるのだから。
審査結果は偶然の産物だ。
それよりも、演奏の録音を何度も聴くことだ。
そこからが本当の真価が試される。
大会が終っても、何年も繰り返し聴いてもらえ、感動を与えられる演奏が本物なのだ。
私はそのような演奏を宝物のように大切にしている。
【追記201902030018】
Nコン全国大会高等学校の部での西条高等学校の演奏、素晴らしい演奏なのに恵まれませんでしたね。
しかしこうして後で録音を聴いてみるとだんだん分かってくる。
平成21年度の時そうだったけど。
この演奏スタイルはくずさないで欲しいと願う。
他の人はことは知ることはできないが、きっと高く評価している人がいると思います。
【20190203】
「終わりのない歌」の初演のリンク先のアドレスが間違っていたので、修正しました。