緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

立教大学マンドリンクラブ第51回定期演奏会を聴く

2017-12-10 01:31:53 | マンドリン合奏
今日(9日)、埼玉県川口市の川口総合文化センター リリアホールにて、立教大学マンドリンクラブ第51回定期演奏会が開催されるというので聴きに行ってきた。
この大学の定期演奏会や地方公演で聴いた回数も7、8回くらいになろうか。
大学のマンドリンオーケストラは30年前、40年前が最盛期だったが、次第に下火となり、多くのお客を呼べるほどの演奏のできる団体は今や数えるほどしかいないのが実情だ。
そのような厳しい情勢の中で、この立教大学マンドリンクラブはOB、OGに頼らず、現役生から多くの部員を獲得し、鑑賞に耐えうる演奏を披露していることは凄いことだと思うし、改めてクラブ員たちが地道に努力してきたことに感動を覚える。

立教大学マンドリンクラブのプログラムには、第1回の1967年から昨年までの定期演奏会全ての曲目が掲載されている。
特徴的なのは、1976年の第10回定期演奏会から連続して毎年、鈴木静一の代表作を演奏曲目に取り入れていることだ。実に40年以上も連続して演奏している。
これは凄いことではないか。
私の母校のマンドリンクラブの場合、もう35年くらい前になるが、当時は鈴木静一の曲が一番人気だった。
鈴木静一の曲は私のその後の音楽ライフに物凄く影響を与えた。
しかし1990年代に入ってから母校は、次第に鈴木静一の曲を演奏しなくなった。

演奏会の選曲には、その大学のポリシーとか信念のようなものが感じられる。
他大学のマンドリンクラブの演奏会のプログラムの中には、安易な曲ばかり並べたものもあるが、私はこのようなプログラムを組む団体の演奏会は決していくことはないであろう。
立教大学の選曲を見ると、構成力が高く、演奏時間が長く、ハイレベルな音楽表現、技巧を要求される邦人作曲家(鈴木静一など)の他、アマディやマネンテ、ラッタといったイタリア人作曲家の曲、その他、親しみやすいクラシック曲の編曲物が中心であり、バランスのとれた、何よりも、マンドリン音楽を十分に堪能してもらおうとする気持ちが伝わってくる。

さて今日のプログラムは下記のとおり。

第Ⅰ部 
セレナーデ風ガボット  作曲:A.アマディ
亡き王女のためのパヴァーヌ 作曲:M.ラヴェル
Beyond the Skies 作曲:末廣健児

第Ⅱ部
しゃぼん玉(クラブオリジナル) 作曲:上田詩織
大幻想曲「幻の国 邪馬台」 作曲:鈴木静一

第Ⅲ部
祝典行進曲「恵まれた結婚」 作曲:G.マネンテ
ハンガリア狂詩曲 作曲:D.ポッパー
歌劇「魔弾の射手」序曲 作曲:C.M.ウェーバー

第Ⅰ部第1曲目のセレナーデ風ガボットの作曲者であるアマディは、「海の組曲」、「東洋の印象」などと言った名曲の作曲者として知られている。
演奏会のオープニングに相応しい、明るく、楽しい曲だ。
冒頭で若干音間違いが散見され、今一つリズムに乗っていないような感じがした。

2曲目は多くの方が知っているクラシックの名曲。
ピアノ版とオーケストラ版とがあるが、マンドリンオーケストラ用に編曲されたものは初めて聴いた。
しかし美しい曲だ。
立教大学マンドリンクラブの演奏は音をセーブし、繊細な情感を出していた。
このような曲は強弱の使い方、テンポの選択、和声進行などどれを取っても難しい。
金管と木管を入れていたが、管楽器と弦楽器とのバランスを取るのも難しいであろう。
この演奏はなかなか感動する演奏だ。曲そのものの力、美しさもあるが、それを存分に引き出す演奏者たちの感受性、表現能力にも依存する。
どのように強弱を持っていくか、テンポをどのように変化させるか、恐らく、相当研究したのではないかと思う。楽譜の記載事項を追うだけの形式的な変化だけでは、聴き手を感動させることは出来ない。
縁の下の力持ち的な存在であるギターパートの音もしっかりと聴いた。

3曲目は新しい世代のマンドリンオーケストラの作曲家の曲。
正直に言うと、私は新しい世代の作曲家の曲を自発的に聴こうという気持ちは起こってこない。
理由は曲想が平和すぎるからだ。ポピュラー的なのもそうなのかもしれない。
ポピュラーに近くても熊谷賢一のように、腹の底からエネルギーが湧き起ってくる、というようなこともない。

第Ⅱ部第1曲目は、クラブオリジナルと言って、毎年指揮者が作曲した曲が演奏される。
毎年明るい調の曲のようだが、時には悲しい曲も作って欲しいと思う。

第2曲目は、鈴木静一の「幻の国 邪馬台」であるが、実はこの曲を学生時代に母校の定期演奏会で演奏したことがある。30年以上も前であるが、この曲も「交響譚詩 火の山」と同様、思い出深い曲だ。



冒頭はト長調の雄大なかき鳴らしから始まる。
その後ロ短調に転調すると鈴木静一独特の世界が展開していく。
ここからのフレーズは学生時代にとても高揚して弾いていたのが思い出される。
とくに下記のかき鳴らしは爽快だった。



ト短調に転調してから曲想は暗くなる。まさに「光を失った邪馬台が果てしなき暗黒に没したのを悲しむ人民の嘆き」である。
ギターパートの下記のアルペジオの伴奏が入る部分からは一層幻想的雰囲気がする。



その後の悲しい旋律が素晴らしい。
フルートとオーボエの暗く悲しい旋律が続く。この部分のギターパートの和声が絶妙だ。
ハ短調に転じると、一層日本的情緒漂う曲想に移る。
鈴木静一の曲は頻繁に転調する。転調といっても長調・短調間の単純なものではない。
鈴木静一の曲はストーリーがあるから、まずこのストーリーを始めに十分に理解する必要がある。
終わり近くのギターパートの下記のアルペジオは鮮明に覚えている。



立教大学の演奏は、演奏のズレというものが殆ど無い。
私の経験からすると、鈴木静一のような曲はつい走ってしまう傾向があり、私の学生時代の演奏も各パートの音が合っていないことがよくあった。
しかし立教大学の演奏は、一見地味ではあるのだが、音やリズムの正確性が徹底しているところが素晴らしい。

第Ⅲ部第1曲目はマネンテ作曲、中野二郎編曲の曲であるが、難曲だ。
マネンテは「華燭の祭典」という曲を学生時代に演奏したことがあるが、ギターパートでは最も難しい曲の1つであった。
音を外さないで演奏するためには、相当の練習が要る。

2曲目はマンドリン協奏曲だ。
コンサート・ミストレスがソロを演奏。
復弦によるトレモロや、単音による難しいパッセージが随所に織り込まれている。

最終曲はクラシック曲からの編曲。
難易度の高い曲だ。特に1stマンドリン。
今日のプログラミングでは最も力を入れているように感じた。終結部は力がこもっていた。

立教大学の演奏を聴いて感じるのは、技巧の正確性、音が殆ど外れないということ。
感情にまかせるのではなく、まずは正確な基本的土台を築くことに主眼を置いているように感じた。
マンドリンオーケストラで最も重要な基本は、「音を外さない」、「リズムを合わせる」ということであろう。
この2つを徹底して訓練してようやく音楽表現のステップに立つ。
音楽表現は指揮者次第である。
立教大学マンドリンクラブに望むとしたら、今の演奏にもう少し、感情的パワーを持たせて欲しいということだ。
曲のごくわずかな部分でも良いから、炸裂するようなエネルギーを感じさせてくれるものがあっていいと思った。
聴き手は奏者の感情を感じたいと思っている。
別に表情や身振りで表現して欲しいというのではなく、音楽そのものに感情的なエネルギー、パワーを感じさせて欲しいのである。
そのエネルギーやパワーにより非日常的な感情を感じ、感動し、人間存在の有難味を改めて感じる。
立教大学マンドリンクラブが今後どのように成長していくか、楽しみである。


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