先日、節目と呼ばれる年齢に達した。
とくに感慨はない。
いままで生きてこれらたことに感謝の気持ち、それだけだ。
最近、今までの人生の最も辛かった20代の頃の出来事がフラッシュ・バックしてくることがある。
しかしそのことで、寝ていても感じている恐怖が、この出来事、この人から言われたことが元になっていたんだな、と振り返ることが出来る。
リアルに過去の体験を振り返ることで自分の苦しみを本当に身を持って理解してあげられるということが感じられてくる。
頭で考える世界ではない。
どんな自分でも理解してあげられるようしたい。これがこの節目の年に感じたことだ。
去年の夏頃だっただろうか。
日曜午後2時に放映される「ザ・ノンフィクション」という番組で、自転車でデリバリーの配達をしている青年のドキュメンタリーを見た。
彼は超一流大学を卒業し、超一流の企業に就職したが、数年でうつ病になり、退職してからどん底の生活を送った。
彼は亡くなった自分の父親に対し、その原因が自分であると責め続けていた。
その時に彼が見せた彼の生々しい感情が忘れられない。
しかし彼は過酷で競合の厳しい世界の仕事を忍耐強くやり遂げ、ついに借金を返済し、ある悟りの境地に達する。
彼は実際何も所有していなかったが、苦しみを乗り越え悟りを得た彼は、「存在しているだけで無限の可能性を秘めている」ように感じた。
私はこの番組を見て、その生き様にものすごく感動した。
「自分が、今、ここで、この瞬間に存在していることの喜びを感じられる。何も所有していなくても」
それは可能だと思う。たとえ物質的なものが何もなくても。
それは、どんな自分も認め、受け入れ、肯定し、自分の内側の深いところから沸き起こってくる気持ちに気付き実現することで得られるのではないかと思っている。
とくに感慨はない。
いままで生きてこれらたことに感謝の気持ち、それだけだ。
最近、今までの人生の最も辛かった20代の頃の出来事がフラッシュ・バックしてくることがある。
しかしそのことで、寝ていても感じている恐怖が、この出来事、この人から言われたことが元になっていたんだな、と振り返ることが出来る。
リアルに過去の体験を振り返ることで自分の苦しみを本当に身を持って理解してあげられるということが感じられてくる。
頭で考える世界ではない。
どんな自分でも理解してあげられるようしたい。これがこの節目の年に感じたことだ。
去年の夏頃だっただろうか。
日曜午後2時に放映される「ザ・ノンフィクション」という番組で、自転車でデリバリーの配達をしている青年のドキュメンタリーを見た。
彼は超一流大学を卒業し、超一流の企業に就職したが、数年でうつ病になり、退職してからどん底の生活を送った。
彼は亡くなった自分の父親に対し、その原因が自分であると責め続けていた。
その時に彼が見せた彼の生々しい感情が忘れられない。
しかし彼は過酷で競合の厳しい世界の仕事を忍耐強くやり遂げ、ついに借金を返済し、ある悟りの境地に達する。
彼は実際何も所有していなかったが、苦しみを乗り越え悟りを得た彼は、「存在しているだけで無限の可能性を秘めている」ように感じた。
私はこの番組を見て、その生き様にものすごく感動した。
「自分が、今、ここで、この瞬間に存在していることの喜びを感じられる。何も所有していなくても」
それは可能だと思う。たとえ物質的なものが何もなくても。
それは、どんな自分も認め、受け入れ、肯定し、自分の内側の深いところから沸き起こってくる気持ちに気付き実現することで得られるのではないかと思っている。
節目の年を迎えられたのですね。人生を振り帰って考える時期ですね。
私の節目の時は、考える余裕すらありませんでした。癌で早世(54歳)した社長の残した莫大な借金の返済と、残された奥様への退職金(分割)の支払いで、死に物狂いで頑張らざるを得ない状況でした。何名か社会人の講師もいたのですが、口だけでさっぱり役に立たず。休むことをなしに突っ走った感じですね。支えは「ギター」でした。その後、頑張ったかいがあり、漸く借金の返済もめどがついたころ、苦肉を共にした河野ギターを下取りして、仙台に住む友人のギター製作家、三浦隆志さんに新作を注文しました。出来上がって来るまで、2年半、2014年のバレンタインデの日に出来上がってきました。表板は「ルッツスプルース」横裏板は漆黒のハカランダという、今では、入手不可能な最高級の材を使用してくれました。そのギターが鳴り出すまで5年かかりました。
購入を機に、長男が小学生の時通っていた、佐藤洋一先生に習うことにしました。
十数年通っていますが、その間、様々な曲に取り組みました。
昨年の12月から、ブリンドルの黄金のポリフェーモに取り組み、明後日の3月24日(日)に、中島公園にある豊平館で演奏します。
この得体のしれない曲に取り組むにあたり、ポリフェーモがギリシャ神話の一つ目の怪人であることを調べ、ブリンドルが、ガルシア・ロルカの「ギターのなぞなぞ」という詩に霊感を得て作曲したことなど、調べると調べる(今は、パソコンで簡単に調べることが出来ますね)ほど、音楽とは何て奥深いのだろう。とワクワクを経験しております。
ギターのなぞなぞ
丸い 交差点にて
6人の処女達が 踊る
3人は肉で 3人は銀
いにしえの夢が彼女たちを探す
しかし彼女たちは抱きかかえられている
黄金のポリフェーモの ギター!
その他に、三宅榛名さんの編曲で「通りゃんせ」と「五木の子守歌」も弾きます。
通りゃんせ、の詩の持つ不気味さや時代背景、五木の子守歌の悲しい歴史を感じながら・・・。
堀内剛志さんの弾く、ブリテンの「ノクターナル」を何度も聴いているうちに、弾きたくなり、先生から楽譜を入手しました。人生も黄昏時にさしかかり1年に2つの変奏位をめどに、4年くらいかけて、取り組みたいと考えています。
エリザベス王朝時代のダウランドが生きていた時代、「来たれ、深い眠りよ」がテーマになっていると言う事、当時の庶民の生活の悲惨さ、「死」=「眠り」こそ、永遠の安らぎだったのでしょうね。
鴨長明が「河原に氾濫する夥しい数の死体とそれから発する死臭」を感じながら、方丈記を綴った悲しみに通ずるものがありますよね。
取り留めのないことを書き申し訳ありません。
季節の変わり目、緑陽さんに於かれては、どうかお身体を大切になさってください。
これから外出するため、あまり多くのことは書けないのですが、まずは今日の演奏会の成功を祈っています。
fadoさんは人生で何度も苦労なさったのですね。サラリーマンにはサラリーマンなりの苦悩がありますが、経営する立場は倒産させないという重圧感、責任が直に身にのしかかってきますから、実際に危機が起きた際には最後まで身を削ってまで対応しなければならないという厳しさを感じます。
fadoさんのギター曲に対する取り組みにはいつも感心させられます。やはり曲の生まれた背景、作曲者の心情、思考など最低限なことを知らずして曲を披露することは出来ませんね。現代音楽に関しては、難解であるがゆえにそれを実行することは並大抵のことではないと推察します。
三宅榛名さん編曲の「五木の子守唄」、以前私も演奏を録音して記事にあげたことがありました。現代音楽的な技法を使っていましたね。
私は今、原田甫という北海道出身で伊福部門下の作曲家の「ギターソナタ」という曲の第2楽章に取り組んでいます。すごく日本的情緒に富む曲であり、現代にあっては異色の曲です。20年くらい前に取り組み始めて、第1楽章は完成したものの、第2、第3楽章はピアノ的な書法であったため、なかなか進んでいませんでした。
短い返信ですみません。また楽しいお話をお聞かせ下さい。
北海道は春でもまだまだ寒い季節、お体を大切になさってください。