世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

潤い贅沢

2014年03月18日 23時59分58秒 | Weblog
心療内科デー。
待ち時間は3時間と目論んでいたが、1人前の人が凄く長くて3時間半。

今日も読書をして過ごしたが、とうとう五木寛之の「凍河」読了。上下巻、長かった。しかも初めて読む作家の作品だったので、慣れずにダラダラ読んでしまった。下巻の後半はスリリングであっという間に読めたが。なかなか面白かった。感想は後日。



さて診察。
クマ医師、なんだか疲れているっぽい。さっきの患者さんで疲れてしまったのかな。今日も着用しているベストがカワユス。

「最近どうですか」
と言われる前に、プレゼン資料を出す。
「部内の人事のことで色々ありましてね。これをご覧ください」
って。
・・・会議室かYO!
プロジェクター、使いたい。


最近の仕事。
パートさんが辞めてしまい、制服業務が私のところに来た件。
この内容を同僚に話するのとは違い、部外者のクマ医師に口で説明するのは難儀だと思い、書類にしてきた。バックボーンにあるものを正確に伝えるために、日曜日に作ったなんちゃってプレゼン資料。
総務室・経営管理室にいる人の特徴と、担っている仕事内容などをペンで指しながらの説明。


「これ、ぜんぶあなたが担うんですか」
「多すぎじゃないですか」
「その制服業務に改善の余地ってあるのですか」
というクマ医師の質問に答える私。

「いやー。社長指示ですから。やるしかないんです。改善の余地としましては、パートさんがやっていたアナログ的な仕事をデジタル化するとかでしょうか。吉熊上司と相談して省けるものは省いていこうかと思っています」
と言う。

続けて、
「先生。今が、今まで○○先生(クマ医師の名前)から指示された認知行動療法を総動員させ、仕事で発揮する時期だと思うんです。やりますよ、私。やらないと駄目なんです!!!」
と、身を乗り出して鼻息荒く宣言。
8年の通院歴でこんなに熱く語ったのは初めてかもしれない。



心療内科の中心で、まさかの「やる気宣言」



クマ医師、口を開けて一瞬戸惑っていたが、やがて頷き、
「あなたならできますよ!!」
と、片手を出してきた。

思わず、両手でその手を握った。
ああ、モフモフしてて優しい手だ。

クマ医師ももう片方の手を私のそれに重ねた。

私は、彼の内面に潜むパワーのようなものを、吸い取るような勢いで、ギュッとクマ医師の手を握った。
私の爪は恐ろしく長いのでクマ医師のモフっている手の甲を傷つけないかが少しだけ心配だった。


「大丈夫。できますよ」

見つめあいながら両手を重ねる。




「あ、そうそう」
とクマ医師は、医学書で溢れかえる本棚から、何かを取り出した。

「これ・・・」
と笑顔で出されたのはドリンク剤だ。たしか秘書検定1級合格のときもドリンク剤をもらった。

「ありがとうございます!・・・あら、『潤い贅沢』ですって。なんだかいつもいただいてしまってすいません」
と笑顔で返答。


薬については、当帰芍薬散が奏功したからだろうか、今回の生理前はあまりイライラしなかった旨を報告。
「これから忙しくなるでしょうけど、そんなときは睡眠時間を普段のプラス1時間にしましょう」
と言われた。

これから来月の新卒研修、再来月の衣替えシーズン終了までは脱水機の中で揉まれるような忙しさが待ち受けている。
もう無理ぽ・・・と思ったら、クマ医師のあの手の感触を思い出そう。
心の「潤い贅沢」だ。




待合室のクマ先生は今日も元気だった。




ロックな日々は続くのか

2014年03月17日 22時26分12秒 | Weblog
ぐぇぇぇぇっと心の奥から反吐が出たので、お口直しに。
自分の好きなものでも書いてみよう。



「木嶋佳苗の拘置所日記」
http://blog.livedoor.jp/kijimakanae/

木嶋佳苗のブログである。手紙で送ったものを支援者の手でブログ化されたものだ。
これがすこぶる面白い。文章が上手。
逮捕される前に彼女が書いていたブログも面白かったが、拘置所に入ったあともその文才は衰えず。というか、更に磨きがかかっちゃった感じがする。食べ物への執着は理解しがたいが、カントリーマアムについて熱く語っている日記は特別面白かった。




「独身OLのすべて」
http://www.moae.jp/comic/dokushinol

これは、親友わたに教えてもらった漫画。
独身OL(三十路)が日々強く実感しているであろうことが痛快に描かれている。
わたも言っていたが、我々世代にはたまらないネタが満載(端々に出てくる歌が全盛期の小室さんの曲だったり)。
隔週金曜日に更新される。今週の更新が楽しみ。っつーか、この更新が一番の楽しみな私はリアル「独身OLのすべて」なのかもしれない。





「MEMORIES -Kahara Covers-」
華原朋美がアルバムをリリースした。
「DEPARTURES」も良いが、今井美樹の「PIECE OF MY WISH」をカバーしたものも素敵。
買おうかな。迷う。
華原朋美 - カバー・アルバム「MEMORIES -Kahara Covers-」(全曲ダイジェスト)





今週の会社の花は情熱の真っ赤な薔薇。
♪永遠なのか本当か 時の流れは続くのか いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか





今日は凄く忙しかった。
午前中は社長からの頼まれごととルーティン。
午後は経費分析をしなければならないのに、制服業務もしなければならないというカオス状態に・・・。
「13:00~15:00は制服タイムにする」と決め、その間は無心状態で店舗から返却された制服を抱えてパタパタと走り、パソコンの台帳とにらめっこ。
15:30、稟議書の受付をし、夕方から経費分析。
そうかと思えば稟議決裁が下り、その処理をしていたら20:00。

週初めから走りきった。
トランス状態を味わった。
仕事中のトランス状態の脳内BGMったら「Born Slippy」

Underworld - Born Slippy [Trainspotting]


なんともロックな一日である。
・・・この濃度の日々、ずっと続くんだよね・・・。



明日は心療内科の日だ。
目指せ、定時上がり。


わたしを束ねないで

2014年03月17日 21時42分41秒 | Weblog
後輩女子Y子ちゃん(二人目妊娠中。7ヶ月)に
「○○さん(私)、将来妊娠したら大変ですよ。お酒もタバコもだめなんですよ」
と言われる。
「あらやだ。私が妊娠するわけないじゃん」
と笑って答えたが、もうね、青筋がピッキピッキしていたからね。もうね、怒らせんなよ、と。
子供が嫌いだからマジでいらないし、と思っちゃうわけですよ。はい。彼女の言うところの禁止事項の飲酒喫煙、・・・私、大好きだし。ていうか、飲酒喫煙が咎められるような状況に置かれたくない。


女性だからといってみんながみんな妊娠するとは限らない。
私のように「絶対に子供はいらない。結婚もしたくない」と強く思っていて、それが自分の幸せなのだと信じて疑わないでいて、自分なりに描いた理想の人生を実行するべく「♪思いこんだら~試練の道を~」と忠実に生きている人間がいることを、無垢な彼女は知らないのだろう。


頭が良くて仕事ができてマンション購入済みで美人で色白で直毛で多くの人に愛されている彼女。
もちろん私も彼女について悪くは思っていない。素敵だと思うし、かっこいいとも思う。仕事で迷惑を被ったこともあまりない。


でも、他人の生き方を決め付けるのはどうだろう。
決め付ける、というのはオーバーかもしれない。人生の方向性を示す・・・という感じだろうか。
それってすごく失礼なことではないだろうか。

きっと彼女は悪気があって言っているのではないく、「もし~」の会話の端っこに、ちょっとだけ自身の思想の断片を出してしまっただけかもしれない。
そうだよ、きっとそうだ。うん。

そんなことぐらい36歳の私にだって分かっている。・・・分かっているけれども、「あなたも将来~なのよ」という図式に自分を無理やり押し込まれた気がして、なんだかすっげーむかついた。私の人生、勝手に決めんなよ!!って。
はっきり言って、私は結婚して自分に子供がいることを想像しただけで鬱になる。心がどんよりと重くなるんである。
絶対にそうにはなりたくないのに、「将来そうなったとき」という自分本位の未来予想図を、私の将来に勝手に構築させるのはやめてほしい。産みたくない、結婚したくない、一人でいたい、そんな私に自らの趣味色に染まった未来を軽々しくイマジンする・・・土足で私の将来に踏み込むなんて、嗚呼、なんたる愚行だろうか。許せない。


きっとあの子は、私が自分と同じように結婚して子供を産むことを何の疑いもなく思っているのだろうが、そうは問屋が卸さない。私は私。私なのである。欲しくないものは欲しくないし、したくないものはしたくないのである。それを実行する自由を私は有しているはずだ。

そもそも「女性はこうあるべき」という思想が幼いころから苦手だった。
性教育で「将来、みんながお母さんになったときに」とか「今、みなさんの体はお母さんになる準備をしているのですよ」などと教師から言われると「私はならないし」と、ちょっとした疎外感と居心地の悪さを感じたものである。そのくらい年季が入った子供嫌いである自分を私は自覚している。
第一、子供との接触は、もはや私の中で恐怖以外のなにものでもない。子供特有の気配とか声とか雰囲気とか大嫌い。正直あまり関わりたくない。たまに心療内科の待合室に放し飼いにされている子供を目撃するが恐怖で発狂しそうになる。恐らく私はペドフォビア(子供恐怖症)なのかもしれない。





中学時代、国語の教科書に「わたしを束ねないで」(新川和江)という詩が載っていた。

わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂


・・・

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風



この詩を思い出した。


本当、束縛されるの、嫌いだ。
特に生き方(価値観)と化粧法。
おそらく、私はこの二点においてものすごく根深いコンプレックスを抱えているのだと思う。
生き方は、「このまま一人で生きていけるのだろうか」「恋愛したがらない、子孫を繁栄したくないと本気で願う自分は、欠陥人間なのではないか」という不安や疑問。
悟りきっているくせに、他人と違う自分についての何かがまだどこかで燻っているのだろう。

化粧法は幼少期、外見がイケていなかったので、「常に化粧をしてカバーしなければ」という強迫感があり、いつも気合が入っている。
すっぴんで外出できない・・・。



まあ、仕方がないか。そんな自分を抱えていかないといけないわけだし。
他人とは距離を置きつつ、なるべく傷つかないように生きていこう。

生きるのって大変だ。

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世紀の日本画展

2014年03月16日 21時24分03秒 | Weblog
上野の東京都美術館で開催されている「世紀の日本画展」に行ってきた。



「飛翔」(今井珠泉)

鷹の背後に広がる木々の表現技法に圧巻。
デジャヴというか、昔、こんな木の群れを見たことがあるような気がする。


「コーちゃんの休日」(小倉遊亀)

モデルは越路吹雪。
大きく伸びた躯体のしなやかさが素敵。
小倉遊亀、好き。


「孔雀」(小林古径)

小林古径の精緻で淡いタッチが存分に生かされている。



「道産子追憶之巻」(岩橋英遠)




30メートルにも及ぶ絵巻。
北海道の四季が順次、夜朝昼夕という一日の変化と重ね合わされ展開されている。
冒頭では冬眠するクマが!!!!!!
日本画でクマを見たのははじめてかも。
朝日に照らされた白樺の林、短い夏の昼、トンボが飛ぶ夕方・・・歩きながら北海道の四季の流れをリアルに見られた。
本展一番の感動作だった。



「硝子を透して」(吉村誠司)

画像がないので、作品集の表紙より。
1996年、秋の院展後、脳腫瘍の診断がくだり、入院、手術。
その年の院展、さらに翌年の春の院展に出品がかなわなかった吉村さんは98年の院展に復帰作「硝子を透して」を出品し、自身二度目の大観賞を受賞する。
幻想的な作品で、また見たいなと思った。


「茶々殿」(北野恒富)

作品全体に漂う寂寥感に惹かれた。モデルは谷崎潤一郎の妻・松子夫人らしい。
私の同期のエリちゃんに似ている・・・と密かに思ってしまった。



「非母観音」(狩野芳崖)

もうね、こういうの見ると、年始に観た映画「かぐや姫の物語」を思い出してしまう。



日本画のしっとりとした美に心が洗われた。
招待券を譲渡してくれた父クマパパに感謝である。


喫煙所で一服したあと、池の周囲を散歩。


桜が咲いていた。


水鳥が水面に線を描きながら進んでいく。





湯島天神へ。

受験生の絵馬の数がすごい。こんなに熱烈に祈られている湯島天神、はんぱねぇ。


去年、秘書検定1級を受験する際、ここで私も祈った。



境内の梅。
心地よい香りが一面に広がっていた。





ここの牛さん、超可愛い。


久しぶり。


境内に面白い獅子舞のおみくじがある。初穂料を入れると獅子舞がおみくじを引いてくれるらしい。
うねうねした動きがたまらない。


吉熊、恐る恐る近づく。

「・・・?」


「うわっ!!!」



楽しい週末も終わってしまった・・・。
また怒涛の一週間が始まる・・・。
乗り越えられるのだろうか・・・謎。

忙しすぎてイライラしませんように。
イライラしたら、今日見た梅の花を思い出そう。





ボービック

2014年03月16日 10時50分16秒 | Weblog
昔可愛がっていたボービック(左・・・本当はセサミストリートの「ゾーイ」というモンスター)。

この子のかつら兼帽子をシロクマ・ロッキーに被せてみた。



何この可愛い生き物!

かつら兼帽子は母ヨーコたんが作ってくれた。
当時、溺愛するあまり、ボービックの毛が薄くなってしまったので、母が見かねて編んでくれた。

まさかロッキーにフィットするとは。
暫くはこのままにしておこう。

ロッキーはカナダで母が買ってくれたぬいぐるみ。
当家一番の器量良し。





一皮剥けた

2014年03月15日 20時21分37秒 | Weblog
妹が去った部屋でブログを更新し、夕方、顔剃りに行ってきた。
前回から、熱海に行ったり、雪が降ったりで、2ヶ月のブランクを作ってしまった。
一応、自分でも顔の剃って入るものの、小鼻の横や顎は難しくて剃れない。

1ヶ月~1.5ヶ月に一度、近所の理容室で顔剃りをしてもらっている。
2,500円とエステに比べれば破格。
「36歳にしては肌が綺麗」
と言われるのはこの顔剃りのお陰だと考えている。

店主マリコさんは、溌剌としたおばちゃんで、6年ほど前からお世話になっている。

今日の彼女は風邪を引いたらしく、若干パワーダウンしていた。
先日、テレビで「ぬるま湯に浸かりながら運動するとダイエットになる」という情報を得て実践をし、挙句、風邪を引いたらしい。
風邪で何も食べられず、結局ダイエットになったと言ってて笑ってしまった。
なんて愉快なおばちゃんなのだろう。

風邪を引いていながらも、マリコさんの腕は確かで、今日もジョリジョリと私の産毛と角質を除去してくれた。


先日、私はマイスリーを飲んだあと、さて寝ようと布団に入ったのだが、「あ、眉毛の下の無駄毛を剃るの忘れちゃった」と再び鏡の前に座った。どうやら眉毛の伸びっぷりが村山元首相になっていたらしくハサミで切ったっぽい。っぽいというのは、次第にマイスリーの効果が出てきたらしく、記憶がないからだ。入眠健忘である。

翌朝、起きてびっくり。
左の眉に「穴」が空いているではないか!
眉墨でカバーしたものの、改めて睡眠導入剤の威力を知った。

マリコさんはその「穴」に気付き、
「他のお客さんでもいるのよ。自分で眉毛を切って穴を開けちゃう人。眉毛の手入れは難しいんですよー。お得意さんの眉毛の処理だったら無料でやるので、あまり自分でやるのは・・・ちょっとね」
と。
遠まわしに「いじるな」と言われた。


今日のマリコさんは、幼い頃、家が雨漏りすると、バケツや洗面器を持って家族総出であたふたしてたことなどを楽しそうに話していた。
「あの頃は貧しくて娯楽がなかったけど、姉と『あの頃は楽しかったよね』と話すんです」
と目を細めた。
そうそう、私もそれ、昨晩実感した。
妹・芋子と6時間ほど語りまくった。今まで何度も共有してきた思い出話を引っ張り出し、笑う・・・。


他に増税のことなどを熱く話し、1時間後、私の肌は見違えるほどモチモチになった。
ビロウドのように生えていた産毛が一掃され、一皮剥けた感じがする。こりゃ、化粧をするのが楽しみだ。


「ではまた」
と挨拶をして外に出る。

春の夕暮れに包まれた小道を歩く。民家の庭先のチンチョウゲが甘い香りを漂わせていた。季節は春にシフトしつつあることを感じる。
頬をなでると、家を出る前とは違う感覚が指先に伝わった。吸い付く肌にニヤニヤしてしまう。

次回の顔剃りのときは、景色はより一層春を感じさせるものになっているのだろう。


妹が来た

2014年03月15日 13時15分49秒 | Weblog
妹・芋子が会社帰りに我が家にやってきた。
久々に飲もうということで、来てもらった。
彼女は六本木のデザイナーで毎日23時までへとへとになりながら働いている。そんな中、我が家に来てくれるっつーんだから感謝である。

最高のおもてなしをしようじゃないか。
会社帰り、意気揚々と考える。
考えては見たものの、如何せん、料理ができない私。
最後に包丁とフライパンなどを持ったのはおそらく14年前ぐらいだと記憶している。
上京後2週間は自炊をしてみたのだが、気付けば冷蔵庫の中で野菜は腐敗しているし、美味しくないし、楽しくないし、お金がかかるし・・・そもそも食にあまり興味がないので、止めてしまった。

SEIYUに寄り、カートを押しながら「芋子さんはキノコが食べられないんだっけか」「あ、これも買っておくか」「酒は足りるかな」「芋子さん、チーズ好きなんだよね」などとブツブツ呟きながら食品を籠に入れていく。
このとき、私はこの新鮮な非日常感を楽しんでいた。
世の女性だったらこの食品購入は、「彼氏」や「夫」や、もしくは「子供」のためにという目的が存在するのだろう。しかしそのような関係性を持つ人間は私にはいないので今までこのような行動を起こしたことがない。誰かのためにSEIYUで物品や食品を購入したことがないのである。36年の人生で初。新鮮だ。新鮮すぎる。SEIYUの中心で新鮮を感じた。

「会社出たよ」
と妹から連絡を受け、そわそわ。

待ち受ける。


ドキドキ・・・。


22時、妹・芋子がやってきた!!!
「よう!来たよ、ねーちゃん!!」

わ~お!!
1月に、新宿の「どん底」で飲んだとき以来の再会。LINEで毎日交流しているが。

元気そうで良かった。

さっそく乾杯。

色々語る。
何度も語りつくした思い出話をリフレインしては爆笑。
仕事のこと、これからのこと、色々。


芋子からの誕生日プレゼント。
ケラスターゼのヘアオイル。
ベビードールの香り・・・限定品らしい!!
ピンク色のボトルに胸キュン☆



わ~!!!!ありがとう。ケラスターゼ、高くてなかなか買えないので嬉しい。私の剛毛を黙らせる秀逸な商品。ベビードールの香りも好きなので二重の喜び。



芋子へのホワイトデーのプレゼントはクマチョコレート。
最近クマの可愛さに気付いた彼女はとても喜んでくれた。



気付けば3時。
二人ともべろんべろんに酔っ払っていた。
「え?まだ0時ぐらいじゃないの?」
と驚く芋子。
明日、彼女は横浜DeNAベイスターズの試合を観戦しに、横浜スタジアムに行かなくてはならない。
名残惜しいが、彼女を風呂に入らせ、私は布団の準備。


寝る前に、白髪を抜いてもらった。
自分では抜けない、気付かない場所をぶちぶちと。


今朝目覚めると彼女の姿はなく、置手紙だけ残っていた。
朝、支度をしていた気配はうすうすと感じてはいたのだが。
LINEで連絡をすると、すでに電車内で、家を出る際
「行くね」
と私に声をかけたらしいのだが、私は
「ンググ」
と鼾をかいでいたのでそのまま横浜へ向かったらしい。

ちゃんと挨拶したかったな。ごめんね芋子。
なんだか祭りのあとのような虚脱感。
置手紙を読みながら、ちょっと寂しい土曜日の昼である。
また来てほしい。

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順応力が求められる春

2014年03月13日 21時45分19秒 | Weblog
総務部に来て丸13年が経過した。当時は総務部だったのだが、今では総務室と経営管理室に分かれている。
店から本社へ。何もかもが変わったあの年の春。
2001年。
それまでいた店の店長とは180度違う、責任感があり優しくて厳しい吉熊上司と出会って13年。


出張や外出先から帰った彼に「勤怠届、書きましたか?」「清算はありますか?」と問い、「あ、忘れていた」という彼の言葉を聞くと嬉しくなる。密かに、私は己の価値をそこに見出しているのかもしれない。そしてそうすることで今まで私をここまで育ててくれた彼への恩返しになればと思っている。



最近、会社のパソコンが変わった。
最新のものらしい。
操作など、まだ慣れないのでもどかしい。
エクセルで行う経費データの加工に普段の倍の時間を使ってしまった。
ピボットの更新、並び替えのボタンのありかが分からない・・・などなど。
そして極めつけはファイルが消えてる・・・。
そんなことでいちいち作業が止まり、考えたり悩んだりいじったりし、またはシステムの人を呼んだりでとても疲れてしまった。


13年前、総務部に来て初めてパソコンを使って仕事をしたあの日の感覚に似ている。
大学では表計算をやっており、また自宅にパソコンがあったのだが、販売員だったのでエクセルでの仕事は初めてだった。
何から何まで吉熊上司が教えてくれた。そのことを思い出した。

23歳から36歳まで。
思い返すと一瞬のできごとのように感じるが一日一日をなぞると、どの日も濃密だ。
特にブログを書くようになってからは濃さを実感する。同時に、どの日も無駄ではないと思える。


私が総務部に来たときからいたパートさんが来週退職する。
そのことについて、まだ実感がない。
引継ぎの制服業務をこなすことで必死で、彼女がいなくなることが信じられないのである。
私に務まるのか、忙しすぎてキレるのではないか、そんな不安が絶えずあり、背中に刃をあてられるような変な緊張感が続いている。
正直あまり眠れていない。

色々なことが変わる春。
うまく順応できるだろうか・・・。


とりあえず、くまモンキャンディーを舐めて考えよう。




先ほど、母ヨーコたんより電話があった。
疲れててあまり話せなかった。後悔。
話したいことがたくさんあったのだが。
今日は早く布団に入ろう。



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夢をあきらめないで

2014年03月12日 21時52分29秒 | Weblog
中学教師をしている友達が、昨日、卒業式を迎え、教え子たちを旅立たせたらしい。
写真に写る彼女の清々しい表情と袴姿が印象的だった。
二十四の瞳状態である。

21年前、羽ばたく側にいた自分たちを思い出し、目の前にいる子たちとその中心で笑っている彼女を見て不思議な気持ちになった。
「一生友達でいようね」と誓い合ったあの日の放課後。
あの誓いはいまだ守られている。

三年間見続けていた子たちが旅立つのってどんな気持ちなのだろう。
月単位、年単位のルーティンしか持っていない自分には想像ができぬ。
彼女いわく、
「けっこうな喪失感」
とのこと。だよなー。
私の卒業式も担任ツネヲが大号泣だったもんなー。
クールなツネヲが!!
「こんなに手がかからないクラスは初めてだったよー」
だもんな。
前任校、どんだけ悪かったんだよってな話。




昨日から吉熊上司は大阪に出張。
今朝いただいたメールで「新卒研修の件など大変そうだけど効率的になろうね!」と激励メールが届き、テンションが上がった。
人事部がギリギリまで新卒の配属先を教えてくれず、制服の納品までのスケジュールがぱっつんぱっつんなのである。
配属先のデータ受領後、翌朝一番で注文書を制服業者に送らなければならない。
そのことで吉熊上司から具体的なアドヴァイスをいただいた。


新卒の制服試着会の準備・研修の講義の内容確認をし、あとは制服の発注と経理に提出する請求書のチェック、来期の各種書類の枠作成。
今日も一日お疲れちゃんなのであるが、来週から4月第一週末まで怒涛である。

桜が咲く頃、私はきっと「かぐや姫の物語」のあのシーンみたいになるに違いない。
天人の音楽が聞こえてきそう・・・。



夕方、吉熊上司がご帰還!!
疲れた顔の彼とは裏腹に、自然と笑顔になってしまう私。
これはアレだ。
わが父クマパパが東京出張から帰ってきたときのテンションに酷似している。
幼い頃、父の出張中、母に怒られた私はどこに泣きつけばいいのか・・・不安だった。
吉熊上司が出張中、副社長に変なことを訊かれたらどうしようなど、今も不安は尽きぬ。

今日は暖かかったので、夕御飯はコンビニの冷やし蕎麦とチューハイ♪
週半ばだけど飲んじゃうもんね~♪





飲みながら、また友達の卒業式の写真を見て感慨に耽る。



「教師になりたい」
夕日の差す教室で彼女は言った。

「私はOLかなあ。赤名リカみたいな」
野球部のバットがボールを打つ音、吹奏楽の断片的な音色の中で私は言った。



それぞれの夢を叶えたわけであるが、夢は叶えても持続させるのが困難だということに気付く36歳の初春である。
その日できることを精一杯やること。
それしかない。


夢をあきらめないで






歯軋りの日々

2014年03月11日 22時33分19秒 | Weblog
今週一週間、パートさんは有給休暇を取り、会社には来ない。
再来週、3日ほど来て、退職する。
私は制服の管理や出し入れ業務を彼女から引き継ぐわけだが、マニュアル書などは存在していない。
体で覚えるとか、職人技じゃねーか!?

それらの業務を、昨日から見よう見まねでやっているのだが、けっこう大変だ。
もう少し落ち着いたら、もっと効率的にできそうな部分にメスを入れられそうだが、今の時点では彼女の方法を行うのに必死である。
自分の従来の業務、人事部からの依頼、その他でパンク状態なのに、大きな仕事を与えられ、心身ともに死にそうである。
来週後半から新卒研修、制服の試着会、制服の手配もあるので、前代未聞のパニックが起こる模様・・・。


今朝、吉熊上司が、○○さん(私)に仕事をあまり振らないでと他の偉い人に言ってくれたそうで、だいぶ気持ちが軽くなった。

「そんな大したことしていないんじゃん」
と言われそうだが、ちりも積もれば・・・という言葉とおり、けっこう大変なのである。

よく残業をしていると社長に
「何してるんですか」
「急がないのであれば明日で良いですよ」
と言われる(私だけ)。

しかし、明日に伸ばした仕事は消えることなく引き続き存在するわけで。
明日は明日の仕事をしながら昨日残した仕事もしなければならないので・・・要するに雪だるま式になるんである。
そういうことを分かって言っているのだろうかと強い憤りを感じ、歯をギリギリとかみ締める毎日である。イライラする。



今日は必死で仕事を終え、歯医者に行く気満々であった。
ここ最近、体調が悪いと歯肉がムズムズするんである。
ムヒをすり込みたくなるぐらいのムズムズである。痛くはないのだが、気になって仕事に集中できない。
「歯肉 痒い」などという言葉でググったら、疲れると歯石がたまった歯肉に炎症がでることもあるらしい。

今まで行っていた歯医者さんの請求がだいぶ高額だということに気づき、もっと庶民的な歯医者を探していた。
会社近くの歯医者さんで庶民的な歯医者がヒット。

本日18:30で予約をしたのだが、17:55から打ち合わせが入り、打ち合わせの後、少し遅れる旨を歯医者に電話で告げた。
そしたら受付のおばちゃんの態度が超ウルトラ悪くて、行く気が失せた。メンタル大打撃である。
でも歯が痒いのも耐え難いので、ムスッとした面持ちで歯医者に向かった。イライラ。

私だって予約した時間に伺いたかったよ!!
でもさー仕方がないじゃないか。17:55に打ち合わせが入っちゃったんだから!!
きぃぃぃぃ!!!!

ムスっとしたまま保険証を受付に渡し、渡された用紙に症状を書く。
ムスっとしたまま促された椅子に座る。

人の気配を感じたので、振り向くと歯医者さんがいた。

げ!
びっくりしたー。
どんだけ気配消してるんだよ。


歯医者さんは「ずっとあなたが好きだった」の冬彦さんに激似で、風貌的に大超ヒット!!
よく分からないのだが、腕もいいんじゃないか。

ただ彼、声が小さいのである。
致命傷といってもいい。コミュニケーションが成立しない歯医者なんて今まで通院したことない。困るー。

私の口の中をいじくりながら彼は何かを言っているのだが、機械音もあってかほとんど聞こえない。
最初は聞き取ろうと必死だったのだが、面倒になり適当に「あい(はい)」とか言っておいた。

聞き取れた彼の話によると、どうやら、やはり歯石が悪さをしているらしい。
「歯磨きを丁寧にすることと、疲れない生活をしましょう」
と言われた。
そんな生活、可能なのだろうか。謎。
少なくとも今の私にはそんなもの、ない。

また歯磨きをする際にゴシゴシと洗うのもよくないらしく、歯肉が磨り減っていることを指摘された。
歯石とヤニを綺麗さっぱりと取ってもらった。これで大笑いができる。


さて、明日からまた残業が続く模様。歯軋りの日々。
できるだけストレスがないように生きたい。

頑張ろう。



忘れられないブログ

2014年03月11日 22時19分34秒 | Weblog
もし、私が死んだら、このブログはどうなるのだろうか。
たまにそんなことを考える。
おそらく、ずっとこのままネットの世界を漂うのだろうか。更新されることもなく。


東日本大震災の後、更新が途絶えたブログで忘れられないものがある。


ウェルシュコーギーがきた
http://ameblo.jp/x68030xvi/

飼い主いっしさんとコーギーの子犬こーちゃんのブログだ。
いっしさんは3月11日の石巻市で、小さいこーちゃんを抱いて避難する途中、津波に巻き込まれて還らぬ人となった。

このブログを知ったのは震災後だが、「死」と「ブログ」を思い出すとき、アクセスしてしまう。

いっしさんが撮った写真の一枚一枚が、こーちゃんへの優しいまなざしと重なる。
どうか天国でいっしさんとこーちゃんが笑顔でいられますように。
そう祈る。

そして、飼い犬に愛情を注いでいた「日常」の中に、死はまるで落とし穴のように存在している・・・そう強く実感する。

あの日、亡くなった多くの方がそうだったに違いない。
死とは無縁の、・・・無縁と思っていた日常が、津波により一瞬でさらわれる残酷さ。

命って、本当に尊いものだと深く思う。



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あの日

2014年03月11日 21時02分33秒 | Weblog
あの日から3年。
東日本大震災から今日で3年が経過した。
早いような遅いような。複雑な気持ちだ。


あの日、私は一人で東京国際フォーラムで開催されていた東証IRフェスタに行った。
「あー、帰社してレポート書かなければなあ」
など思いながら歩いていた。
有楽町駅に向かっていたとき、2:46・・・頭上のビルのガラスが一斉に揺れた。
ガタガタ・・・ガタガタガタガタッ・・・。
何これ地震?マジ?
立っていられないという揺れをはじめて経験した。
周囲の人も立ち止まって辺りを見渡していた。

ガラスの音は次第に大きくなっていく。
あーあーあーあーあー!!!!!!
このガラスが割れたら、私に刺さるじゃん!!
でも・・・逃げたいのに逃げられない。腰が抜けてしまったのだ。

揺れがおさまり、とりあえず有楽町駅に向かうも、予想通り、電車は止まっていた。
携帯電話が使えないので、インズの公衆電話で会社に連絡をしなければと思う。
公衆電話は大行列ができていた。
大通りをサイレンを鳴らしながら消防車が過ぎていく。
余震のたびに、「今、揺れていますよね」と見知らぬ人と確かめ合う。

電話はパートさんが取った。
他の社員は地震後、店舗に出払ったもよう。
「とにかく身の安全を確保して」
とパートさんに言われ、電話を切った。


これは暫く帰れないなと思った私は、座れる場所を探して徘徊したが、どこも閉まっていた。
16:00頃、辛うじて空いている店でラーメンを食べた。別にお腹は空いていなかったのだが「長期戦になる。何か食べておかないと」と本能が私に訴えていた。

銀座は人で溢れていた。食糧確保をするべく銀座小劇場の近くのコンビニへ行ってみたが、食料はほとんど売れてしまった。タバコ2箱とお茶とうまい坊本を買って、再び徘徊。
吉熊上司の携帯にようやく電話がつながった。
「今日は無事に帰れることだけを考えろ」
とのこと。

交通会館へ行き、皆がそうしているように、私も地面に座り込む。
難民。
そう、あの日私は確かに難民だった。
帰宅難民なんていう言葉は知らなかったが、ビル内で座り込む人たちを見て、「難民」という言葉が私の頭にひらめいた。


18時。空いているルノアールを発見。とりあえず一服。
そして、徘徊中にもらった号外を読む。
ことの大きさを知る。東北で何か大変なことが起こっているらしい。
そして、どうやって帰ろうか考えていた。

19:30、ルノアールから追い出される。
再び徘徊。ビックカメラで携帯電話の充電をしてもらう。

多くの会社員と思しき人々が、それぞれの家と思しき方向に歩いていた。
いいな、歩いて帰れるだなんて。
私も歩いて帰ろうかと一瞬思ったのだが、体力的に無理であるし、第一方向音痴じゃないか。却下。


もう一度、国際フォーラムに行ってみようとなぜだか思い、行ってみると、IRフェスタの隣の部屋が避難所になっていた。
とりあえず暖かい。
「避難所はこちらですよ。奥から座ってください」
という誘導に従い、入場。

室内には私のような帰宅難民で溢れていた。

IRフェスタでもらった新聞を尻に敷き、体育座りをした。
足ががくがくだった。
いつ帰れるのかわからないが、「なんとかなるべ」と思い、ブログ更新、読書などをしていた。

余震のたびに、室内は皆の驚く声がこだました。

隣に不安げな表情で座っているのは学生服を着た青年。
彼は千葉県に帰りたいと言っていた。
余っている新聞紙を彼に分け、「お互い帰れると良いですね」などと話した。

22時、アナウンスが、地下鉄が動き出したことを告げた。
脳内に描いた拙い路線図・・・あ、私、帰れるかも・・・家から2番目に近い地下鉄の駅に。
新聞紙を高校生にあげ、私は地下鉄の駅に向かった。

途中、耳が不自由な方に避難所の場所を訊かれ、案内をした。
筆談というものを初めてした。

地下鉄の駅に着いたが、構内は人で溢れかえっていた。
沈没前のタイタニック状態である。
ローズにはジャックがいたが、私は私しか頼れないことを強く実感し、すし詰め状態の電車に身をねじり込んだ。

23時半、目的の駅に到着。
0時、帰宅。
汚い部屋がもっと汚くなっていた。
埃っぽい中、吉熊を抱きしめ「怖かったね、ごめんね」と声をかけた。
お湯が出ないので、東京ガスのHPを確認すると、安全装置が作動したことを知った。
でも風呂に入る気にもなれず、余震の中、そのまま寝た。


あの日のこと。
ざっと思い出すとこんな感じだ。

記憶の輪郭が淡くなっていることに、3年の月日を思う。


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おじちゃん

2014年03月10日 22時31分26秒 | Weblog
部屋を片付けていたら、祖父の23回忌のときに父が作成した冊子が出てきた。
祖父は私が小学校に入学する直前、脳梗塞により74歳で亡くなった。

飲兵衛だったが、孫である私の面倒を見てくれた。

二十代半ばのころ、黒羽駅に「警察官募集」みたいなポスターが貼ってあり、それをみて「俺の就職先、これじゃね?」と思い、試験を受けて彼は警察官になったらしい。

その冊子の中に、祖父の生前の写真があった。
警察官を退職し、事務職に従事していたときの写真だろうか。



30年前にお別れした祖父の写真。


この写真は、仕事でくじけそうな心を、ピンと張りなおしてくれる。
ありがとう、おじちゃん。

亮子、頑張るからね。

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いつか、きっと

2014年03月10日 22時12分50秒 | Weblog
今年も近所の駐車場に生えている梅が咲き出した。
ここの梅はピンク色が強くて、上京したての頃は桜だと勘違いしていたぐらい華美である。




写真に撮りそこねたが、鶯がとまっていた。
春だな・・・まだ寒いけれども。

この梅を見る度に、上京したときのことを思い出す。

正直、まだ働くという実感がなくて、女子大生気分だった。
母が見つけれくれた物件に、「住まわせてもらっている」感じ。
料理らしきこともしたが、所詮はおままごとに過ぎず、すぐコンビニとSEIYUと仲良くなった。
金銭面において一人でやっていけるのか、痴漢にあわないだろうか、これから大好きな池袋に頻繁に行けるという期待、憧れの「東京のOL」になれた幸福。

渡辺美里の「いつか、きっと」をそっと歌いながら、この脇を元気いっぱい自転車で走り抜けたあの日。

「いつかきっと自分らしく
 この街で戦いながら
 傷つき それでも君と歩けるなら」


この梅は、私に様々なことを喚起してくれる。


・・・それにしても、「戦いながら」っていうフレーズの重いことよ。
ホント、戦っている・・・よねぇ。




14年目の梅の花びら。
散る前に、その姿を眼にとどめよう。



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匂いおこせよ 梅の花

2014年03月09日 22時37分34秒 | Weblog
断捨離に飽き、昼過ぎに新宿御苑へ。花が見たくなったのである。

御苑には超久々に行ったので迷ってしまった。
苑内は、外国人観光客、カップル、子連れ、さまざまな人たちでにぎわっていた。

自分の中で、梅は桜ほどインパクトは弱いのだが、嗅覚に与える印象が強いので、また桜より早く咲くので、春の到来をより強く感じさせる。











吉熊、うっとり。
いい香りがするー!






カンザクラの愛くるしい様子にメロメロ。可愛くて吸い込まれていきそう。






旧御凉亭。



新宿の高層ビル。
マンハッタンみたいだな。
セントラルパークを思い出す。



東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主無しとて 春を忘るな
(菅原道真)
→春の東風が吹くようになったら、花を咲かせて香りを届けておくれ、梅の花よ。 私(菅公)がいなくても、春を忘れないでいておくれ。

歩きながら吉熊に教えたが、「ん?」という顔をされ、まるで馬耳東風。というか熊耳東風。

「亮ちゃんも匂い嗅げば?」




日向ぼっこをしながら、まったりと歩く。
御苑は広いなあ~。
小腹が空いたら、ポッケに忍ばせてきたカントリーマアムを吉熊と貪り食う。


春の匂いに包まれた、優しい時間の流れ。
降り注ぐあたたかい日差し。
ああ、巡ってきた春。

・・・。



なんて感傷に浸りつつ、明日からの仕事のことが、背中にとまったセミの如くうるさくて、気が気でない。
忙しくなるんだろーなー、とか。
全国のサラリーマンを襲うサザエさん症候群を久々に体感した。

まー、仕方がない。やるしかないのだ。

菅原道真のように左遷されたわけじゃないんだし。

菅原道真って牛をかわいがっていたらしく、牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在している。
クマだったら良かったのになあ。牛もかわいいから好きだけど。そんなことをブツブツいいながら帰宅。(現実逃避)

明日からまた一週間。
乗り切ろう!

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