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世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

ロックな日々は続くのか

2014年03月17日 | Weblog
ぐぇぇぇぇっと心の奥から反吐が出たので、お口直しに。
自分の好きなものでも書いてみよう。



「木嶋佳苗の拘置所日記」
http://blog.livedoor.jp/kijimakanae/

木嶋佳苗のブログである。手紙で送ったものを支援者の手でブログ化されたものだ。
これがすこぶる面白い。文章が上手。
逮捕される前に彼女が書いていたブログも面白かったが、拘置所に入ったあともその文才は衰えず。というか、更に磨きがかかっちゃった感じがする。食べ物への執着は理解しがたいが、カントリーマアムについて熱く語っている日記は特別面白かった。




「独身OLのすべて」
http://www.moae.jp/comic/dokushinol

これは、親友わたに教えてもらった漫画。
独身OL(三十路)が日々強く実感しているであろうことが痛快に描かれている。
わたも言っていたが、我々世代にはたまらないネタが満載(端々に出てくる歌が全盛期の小室さんの曲だったり)。
隔週金曜日に更新される。今週の更新が楽しみ。っつーか、この更新が一番の楽しみな私はリアル「独身OLのすべて」なのかもしれない。





「MEMORIES -Kahara Covers-」
華原朋美がアルバムをリリースした。
「DEPARTURES」も良いが、今井美樹の「PIECE OF MY WISH」をカバーしたものも素敵。
買おうかな。迷う。
華原朋美 - カバー・アルバム「MEMORIES -Kahara Covers-」(全曲ダイジェスト)





今週の会社の花は情熱の真っ赤な薔薇。
♪永遠なのか本当か 時の流れは続くのか いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか





今日は凄く忙しかった。
午前中は社長からの頼まれごととルーティン。
午後は経費分析をしなければならないのに、制服業務もしなければならないというカオス状態に・・・。
「13:00~15:00は制服タイムにする」と決め、その間は無心状態で店舗から返却された制服を抱えてパタパタと走り、パソコンの台帳とにらめっこ。
15:30、稟議書の受付をし、夕方から経費分析。
そうかと思えば稟議決裁が下り、その処理をしていたら20:00。

週初めから走りきった。
トランス状態を味わった。
仕事中のトランス状態の脳内BGMったら「Born Slippy」

Underworld - Born Slippy [Trainspotting]


なんともロックな一日である。
・・・この濃度の日々、ずっと続くんだよね・・・。



明日は心療内科の日だ。
目指せ、定時上がり。


わたしを束ねないで

2014年03月17日 | Weblog
後輩女子Y子ちゃん(二人目妊娠中。7ヶ月)に
「○○さん(私)、将来妊娠したら大変ですよ。お酒もタバコもだめなんですよ」
と言われる。
「あらやだ。私が妊娠するわけないじゃん」
と笑って答えたが、もうね、青筋がピッキピッキしていたからね。もうね、怒らせんなよ、と。
子供が嫌いだからマジでいらないし、と思っちゃうわけですよ。はい。彼女の言うところの禁止事項の飲酒喫煙、・・・私、大好きだし。ていうか、飲酒喫煙が咎められるような状況に置かれたくない。


女性だからといってみんながみんな妊娠するとは限らない。
私のように「絶対に子供はいらない。結婚もしたくない」と強く思っていて、それが自分の幸せなのだと信じて疑わないでいて、自分なりに描いた理想の人生を実行するべく「♪思いこんだら~試練の道を~」と忠実に生きている人間がいることを、無垢な彼女は知らないのだろう。


頭が良くて仕事ができてマンション購入済みで美人で色白で直毛で多くの人に愛されている彼女。
もちろん私も彼女について悪くは思っていない。素敵だと思うし、かっこいいとも思う。仕事で迷惑を被ったこともあまりない。


でも、他人の生き方を決め付けるのはどうだろう。
決め付ける、というのはオーバーかもしれない。人生の方向性を示す・・・という感じだろうか。
それってすごく失礼なことではないだろうか。

きっと彼女は悪気があって言っているのではないく、「もし~」の会話の端っこに、ちょっとだけ自身の思想の断片を出してしまっただけかもしれない。
そうだよ、きっとそうだ。うん。

そんなことぐらい36歳の私にだって分かっている。・・・分かっているけれども、「あなたも将来~なのよ」という図式に自分を無理やり押し込まれた気がして、なんだかすっげーむかついた。私の人生、勝手に決めんなよ!!って。
はっきり言って、私は結婚して自分に子供がいることを想像しただけで鬱になる。心がどんよりと重くなるんである。
絶対にそうにはなりたくないのに、「将来そうなったとき」という自分本位の未来予想図を、私の将来に勝手に構築させるのはやめてほしい。産みたくない、結婚したくない、一人でいたい、そんな私に自らの趣味色に染まった未来を軽々しくイマジンする・・・土足で私の将来に踏み込むなんて、嗚呼、なんたる愚行だろうか。許せない。


きっとあの子は、私が自分と同じように結婚して子供を産むことを何の疑いもなく思っているのだろうが、そうは問屋が卸さない。私は私。私なのである。欲しくないものは欲しくないし、したくないものはしたくないのである。それを実行する自由を私は有しているはずだ。

そもそも「女性はこうあるべき」という思想が幼いころから苦手だった。
性教育で「将来、みんながお母さんになったときに」とか「今、みなさんの体はお母さんになる準備をしているのですよ」などと教師から言われると「私はならないし」と、ちょっとした疎外感と居心地の悪さを感じたものである。そのくらい年季が入った子供嫌いである自分を私は自覚している。
第一、子供との接触は、もはや私の中で恐怖以外のなにものでもない。子供特有の気配とか声とか雰囲気とか大嫌い。正直あまり関わりたくない。たまに心療内科の待合室に放し飼いにされている子供を目撃するが恐怖で発狂しそうになる。恐らく私はペドフォビア(子供恐怖症)なのかもしれない。





中学時代、国語の教科書に「わたしを束ねないで」(新川和江)という詩が載っていた。

わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂


・・・

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風



この詩を思い出した。


本当、束縛されるの、嫌いだ。
特に生き方(価値観)と化粧法。
おそらく、私はこの二点においてものすごく根深いコンプレックスを抱えているのだと思う。
生き方は、「このまま一人で生きていけるのだろうか」「恋愛したがらない、子孫を繁栄したくないと本気で願う自分は、欠陥人間なのではないか」という不安や疑問。
悟りきっているくせに、他人と違う自分についての何かがまだどこかで燻っているのだろう。

化粧法は幼少期、外見がイケていなかったので、「常に化粧をしてカバーしなければ」という強迫感があり、いつも気合が入っている。
すっぴんで外出できない・・・。



まあ、仕方がないか。そんな自分を抱えていかないといけないわけだし。
他人とは距離を置きつつ、なるべく傷つかないように生きていこう。

生きるのって大変だ。

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