世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

濃い一年

2016年12月18日 19時58分40秒 | Weblog
昨日はあまり眠れず、マイスリーを追加したのだが、90分起きに覚醒してしまった。
早く起きたし、たくさん歩いて体は疲れているのに、眠気の波がなかなか来ないのである。
マイスリーを飲んで暫くはウトウトするのだが、すぐに覚醒してしまう。

寝た感じがしないまま午前中に起床したのだが、いまいちダルい・・・。
布団を干したのでゴロゴロもできず、不活性で怠惰なまま、一日が過ぎていった。

とはいいつつも、写真屋さんで作ってもらった年賀状の宛名書きをしたり、クリスマスカードをしたためたりしていた。


夕方、買い物をしに近所へ。
駅ビルにも行ったのだが多くの人がいて年末商戦を感じさせる。


ユニクロのヒートテックを今年も買った。
昨日、カシミアのセーターの下に着用したのだが暑いぐらいだった。
ヒートテック、すごいのな。

夕食は、なか卯へ。

期間限定の生うに丼890円を食した。
ボーナスが出たら食べたかったメニューである。




吉熊「わ~!!僕が好きな海産物だらけだ!!」



うにを口に含むと仄かに甘い。勿論、変な臭さもない。続いていくらも口に含むと、口内が港町っぽい雰囲気になる。
キラキラ光る地平線。
海鳥が鳴く中、海からの潮風を感じている私。


「われは海の子白波の~♪」
という歌を教えてくれたのは小学校5年生のときの担任・福田先生だ。
それまで女性の担任の先生にしか当たったことが無かったので最初は怖かった。

「われは海の子」は臨海学校の前に教えてもらった。(※宇都宮の小学校には臨海学校というものがあった)

福田先生はブラックジョークが好きだったので、
「われはウジの子 シラミの子~♪」
という替え歌も教えてくれた。

旧市内のいわば都会の小学校から異動してきた福田先生は、我々田舎の小学生に第九のドイツ語バージョンも教えてくれた。
第九の季節はいつも福田先生を思い出す。
そして、今年もコバケンが指揮を振るう炎の第九に行く私である。

38歳になって、何を見ても、どの季節でも、福田先生を思い出すことが多い。
すっごく厳しい先生だったけれども、それだけじゃなかった。
逆上がりができない子や算数の問題が解けない子、図工を完成させられない子を見捨てることをせず、とことん付き合うスタンスだった。
「いいか?大学のレポートなんて1秒でも期限が過ぎたら落第するんだからな!!」とよく言っていた。


その一方、屋上で給食を食べさせてくれたり、「今度の算数のテスト、クラスの平均点が90点以上だったら全員にサーティーワン、ごちそうするね」など約束してくれた。
それまで見たこともない百人一首を教えてくれたり、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を教えてくれたのも福田先生だった。
国語の「大造じいさんとガン」の授業では他の先生が「大学のゼミみたい」と覗きに来るほどだった。


小学校5年生は、人生で一番濃い一年だった。
福田先生に与えられた濃い一年。
今、私は当時の福田先生の年齢を遥かに超えてしまった。
誰かに濃い何かを与えられたら良いなと思う。


それにしても、生うに丼、美味しかった。うに・いくらの味が濃かった。おすすめ。




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