世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

秋唄

2015年10月13日 22時46分19秒 | Weblog
昨日から、左目の上瞼の縁にものもらいが発生している。
私の場合、季節の変わり目だとか疲れたときによく発生するのだが、これが発生しているということは、今は疲れてるんだなと思う。
自分では気づけないことを体が教えてくれることってある。そして、年を重ねるとその頻度が増すこともここ10年ほどで学習した。

まあ病院に行くほどでもないし、と思いつつ、どうも左上瞼に違和感がある。瞬きをすると、ほんのりとかゆみがある。
ものもらい、関西ではめばちこと呼ぶらしい。また、東北に嫁いだ友人が言うには、彼女の旦那さんはものもらいを「目が馬鹿になる」と言う。
そんな話で経営管理室は今日も盛り上がり、私のものもらいを「俺がつぶしてやろうか?」とからかい、みんなで大爆笑をした。
制服関連で業者の対応をし、午後は稟議書の処理をした。

残業後、後輩女子Cちゃんと駅まで歩いていると声をかけられた。見たら先日退職した他部署の後輩女子だった。辞める寸前、彼女の自宅に呼ばれて夕ご飯をご馳走になったのはいい思い出。元気そうでなによりだ。

帰宅して、食後、勉強をする気満々でいたのに・・・また読んでしまった。
「おまえじゃなきゃだめなんだ」(角田光代)
ついに読了。
最後の「消えない光」が良かった。
親に結婚を反対されて現実を見始めた若い二人と、離婚を決めた大人の二人。それぞれの思いが形になる光景が胸に響く。
特に後者の夫婦。
離婚をするのに御揃いの指輪を買う理由が自然に描かれている。
何の不満もなかった二人だったのに、回っているはずの生活の中に互いの姿を見つけることが困難になってきた。
離婚を決めた二人は宝石売り場で離婚指輪を買う。店頭で二人でかざしたプラチナの細いリングに互いの姿を納め、これから別の人生を歩む。余韻が最高に素晴らしかった。


勉強しようとしても小説に手が伸びてしまうクセは中学生のときからあったと自覚している。
テストの前だから小説は面白くなる、読みたくなる、ということを嫌と言うほど味わってきた。

大江千里の「秋唄」状態である。

「秋よ 秋の秋みだれし日 冷たいコーヒー鼻にしみて
 テストの時期に限って いつも夜明けまでラジオを聞いてます
 きみの住んでいる 街に向かうバスを見て
 ちょっと人恋しくて ため息なんかついちゃって」

そうそう。テストの時期に・・・って激しく同意だ。
私の場合、ラジオじゃなくて小説なのだけれども。


早くものもらいを治さなければ・・・。




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