世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

生の証~ブログを開設して丸5年~

2010年02月19日 23時40分40秒 | Weblog
気づけば、このブログを開設して丸5年が経過していた。
風邪引いて会社を休んだ2005年2月17日。
大学時代からの友達・潤一殿がやっているブログというものに興味を示し、gooを徘徊していたら、いつの間にか自分のブログを開設していた。我ながらスゴい経緯である。どんだけ機械音痴なんだろう、自分。もしも、潤一殿がYAHOO!ブログを使用していたならば、私もきっとYAHOO!ブログに住まいを構えていたかもしれぬ。

毎日書く。
とりあえず書く。
鮪は泳ぎ続けていないと死んでしまうらしい。
今の私にとって毎日を記録することは、鮪のそれである。

書き終えると、とりとめのない一日が極彩色を帯びる日もあれば、反対に「これはアップできないわな」と書いたものを保留にし、代わりに差し障りのないことをちまちまと書くこともある。それでも自分が生きたという事実に変わりはない。このブログの主旨はいつの間にか「生きた証を残すこと」になった。自分が死んだら、何も残らない。私がいたという事実も風化してしまう。いつの頃からか、そのことがちょっとだけ怖くなった。だからネットの端っこの小さなスペースを使って、私という人間がいるということ、…いたことを残しておきたかった。


初めてブログに記事をアップしたときのことはまだ覚えている。私の思っていることが世界中の人の目に触れ得るという興奮が全身を覆った。

当時流行っていた小説「世界の中心で愛をさけぶ」からブログタイトルを拝借した。仮称として。そして家にいたクマの縫いぐるみ・吉熊を主人とした。まあとりあえずという気持ちで。

そんな軽い気持ちで始めたブログが5年も続いた。
5年ったら、足し算を知らない子が時速と時間から距離を導き出せるぐらいの学力を得る年数ではないか。長かったような気もするし、短かったような気もする。毎日、よく生きたと思う。

当時27歳だった私は、32歳になった。
できるようになれたことは、果たして増えたのだろうか。可塑性の収縮に歯止めを掛けられているのだろうか。
今日の予算の進捗を考えるとげんなりしてしまう。

でも、いいんだ。

絶対に仕上げてみせっからね、旅費交通費!(降参したら後輩男子タイスケくんに土下座をしなくてはならないらしい)


初めてブログをアップしたときのあの気持ちを思い出し、新鮮な気持ちで明日も明後日も生きていこう。


6年目の亮子&吉熊も宜しくお願い致します。
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ウナギのお土産

2010年02月19日 23時14分55秒 | Weblog
後輩女子Cちゃんと隣の部署のTさんとで退社。

Tさんは、今夜、長野の実家に帰省するらしい。
お父さんはウナギや魚介類が好きとのこと。

電車内で、
「お父さんにお土産を買って行きたいんですが。この辺にそのようなお店、ありますかね?」
と訊かれた。

私の家の近所に有名なウナギ店があることを思い出した。
私はそこで食したことは無いのだけれども、テレビにも出る有名店なので美味しいのでは?ということで、途中下車して、Tさんとウナギ店へGO。

ウナギ店の奥は飲み屋になっている。
ビール片手にオジサマたちがワイワイガヤガヤしている赤提灯のお店だ。
中クラスのウナギ弁当を注文して焼きあがるまで、二人で中の様子を観察。
中からは美味しそうなウナギの蒲焼の匂いがしてきた。
今度、Cちゃんやタイスケくんと一緒にここで飲もうという話になった。

ホカホカのウナギ弁当を持って、Tさんは長野へ帰った。
お父さん、喜ぶだろうか。
厳寒の長野で繰り広げられる父と娘の会話を、あたたかい気持ちで思い描いた。
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