晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

五木寛之 『親鸞』

2015-09-04 | 日本人作家 あ
そういえば、なにげに五木寛之の本はこれが初めてです。
だからといって別になんてこともないのですが、やっぱり
面白いですね。文章がスッと心に染み入るように入ってきて
とても読みやすい。

「人気作家イコール作品が面白い」という式は必ずしも成立
するとは限りませんが、なんだかんだいって「売れ続ける」
ってことは容易じゃないもので、例えば売れてる自動車の
車種は乗り心地が良かったり故障が少なかったり、食べ物や
飲み物のロングヒット商品の要因は結局のところ「おいしい」
ってことだったりします。

京の都。ここに忠範という少年が。ひとりで、牛の角合わせが
行われるという場所に来ています。
ここで忠範は黒衣の大男と出会います。名は河原坊浄寛。

浄寛は宿無しの坊主で、河原に捨てられた死体の残した食べ物
をもらったりして生きています。

さらに石投げの名人、ツブテの弥七と、法螺坊弁才という坊主
とも出会います。

この三人との出会いが、忠範のその後の人生に大きく関わって
くるのです。

忠範は都のはずれで生まれます。父は朝廷の下級官人だったの
ですが、突然、出家します。
母は病気で亡くなり遺児となった忠範と四人の弟はそれぞれ
親類に引き取られることに。忠範は弟二人と伯父である日野範綱
のもとに。
ここで忠範は日野家にまつわる話を聞きます。それは「放埓の血」
が流れている、ということ。

この「放埓」の家系であるということが、むしろ忠範にとって
気が軽く思えるのです。

さて、時は平安末期、都は平家の天下で、範綱が仕えていた
後白河法皇は幽閉の身で、日野家の家系は苦しく、忠範を寺に
預けようという話が。

そんな中、日野家の使用人、犬丸が六波羅童に捕まったという
のです・・・

「六波羅童」とは、町に出て平家の批判をしている人を探す、
いわば平家版のナチス親衛隊のような組織で人々からは嫌われて
いました。

犬丸を助けるため、忠範は浄寛、弥七、そして法螺坊らは
六波羅王子の館へ・・・

忠範は、法螺坊に、「お山」こと比叡山に行くことを勧めら
れるのです。極悪人も弥陀の名をとなえれば地獄に落ちずに
すむのか。お山へ行ってその答えを見つけたいと真剣に思います。

そして忠範は、範宴(はんねん)という新しい名前をいただき、
「あたらしい人間に生まれ変わるのだ」と・・・

十九歳になった範宴は、入山するときに力になってくれた慈円
という高僧から、都で法然という僧が大変な人気で、慈円の兄で
摂政の九条兼実までもが法然に夢中になっているというのですが、
いったい法然が都でどんなことを教えているのか調べてきてほしい
と頼まれます。

法然はかつては比叡山で学び、天才と呼ばれ、将来の天台座主は
間違いないといわれていたのですが下山したのです。

範宴はある法会で法螺坊と再会し、法然の教えを調べに行くことを
話すと、「それなら浄土を見に行って来い」と言われ、大和に行く
ことに・・・

範宴は「綽空(しゃくくう)」と名前を改め、法然の弟子になり、
のちに「善信(ぜんしん)」という名を法然からいただき、
念仏が禁止され、法然は土佐へ、善信は「親鸞」と新しい名になって
越後へ流罪に。ここでおしまい。次に「激動編」「完結編」と続きます。

詳しいことは省きますが、親鸞は法然の弟子時代に妻帯します。
この当時、女性はそのまま死んでも極楽浄土へは行けなかったそうで、
お坊さんに「男」にしてもらったそうです。ひどい話ですね。


一年前、入院したときに集中治療室のベッドで「もしかしてこのまま
一生寝たきりになるんじゃないか」と生きる希望を失いかけていた
のですが、ある時、「なにがなんでも良くなって退院してやる」と
急に前向きになったのです。それが仏なのか神なのか何かの導き
だったのかは分かりませんが、別にスピリチュアルに目覚めたわけ
ではありませんが、『親鸞』を読み終えて、見えない何かの力って
あるよなあ、としみじみ思いました。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宇江佐真理 『深川恋物語』 | トップ | 宇江佐真理 『無事、これ名馬』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本人作家 あ」カテゴリの最新記事