晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

アーサー・ヘイリー 『ニュースキャスター』

2021-03-02 | 海外作家 ハ
先月は1回しか投稿できませんでした・・・
といいますのも、今年度の学校の課題とレポートの提出期限が2月の半ばで、それまでにできるだけ提出しておこうとしてテキスト読んで課題やってと「勉強モード」で本など読んでるヒマが無く、ようやく提出期限が過ぎて「さあて、本読むぞー」とはりきって手にしたのが割と長編。なんとか先月中に読み終えたかったのですが、今度は仕事が忙しく、投稿は3月に突入。

で、その長編とやらはなんじゃらほいという話ですが、当ブログ記事のタイトルにある作品でございます。
アーサー・ヘイリーは個人的に好きな作家で、翻訳がジェフリー・アーチャーの訳でお馴染みの永井淳さんというのもあってでしょうか、わりと硬派なテーマでありながらけっこう読みやすく、エンターテインメントとはいかないまでもハラハラドキドキ感もあって、読む前から期待大。

ニューヨークのテレビ局「CBAネットワーク」が主な舞台となるのですが、作品中に「ライヴァル局のCBSでは〇〇、ABCでは〇〇、NBCでは〇〇~」とあり、アメリカの3大ネットワークといえばこの3局で、つまり架空。CBAの(ナショナル・イヴニング・ニュース)のニュースキャスター、クローフォード・スローンは、番組が終わって自動車で家まで帰りますが、その後方にスローンの車を追う青のフォードが・・・

家に着いたスローンを迎えたのは、妻のジェシカと息子のニッキー。ジェシカから「あなたのお父さんが明日の朝にこっちに来るわ」と聞いて、スローンは「この前来たばっかりじゃないか」とややうんざりしますがジェシカもニッキーも歓迎。ところがスローンの父親が来るのを歓迎しない人物が他にもいたのです。翌朝、スローン家の前でタクシーが止まって老人が降りてスローン家に入っていくのを監視していた人物は、リーダーに符牒で「何者か知らない老人がタクシーで来て家に入った」と報告します。

スローン家から離れた貸家の(作戦本部)にいたリーダーのミゲルは予定外だったスローンの父親が来たことで作戦に若干の変更があることを心配しますが、いずれにせよ実行することに。

数日後、仕事に行くスローンを見送った後、ジェシカとニッキー、そしてアンガスの3人はショッピングへ。そこに「ミセス・スローンですか?じつはご主人が事故で・・・」と話しかける謎の男が。ですがそれを聞いていた退役軍人のアンガスは、この男の言う病院は救急患者を受け入れていないことを知っていて、つまりこれは嘘だと見抜き「ジェシカ、ニッキー、逃げろ!」と叫びますが銃で頭を殴られたアンガスと車に引きずり込まれたジェシカとニッキーの3人は連れ去られます。

CBAのディレクターに、郊外で誘拐事件が発生したことが告げられ、さらに「ショッピングモールの駐車場でクローフォード・スローンの妻と息子と、クローフォードの父親が正体不明の犯人たちに車で連れ去られた」と詳細情報が。CBAはこの出来事を速報で流すことに。「やめてくれ!」と懇願するスローンですが、CBAが流さなくてもいずれ他局や通信社が取り上げるだろうし、ならば「一番乗り」で報道しよう、という局の決定にしぶしぶ納得。

その後、記者会見を開きますが、そこで、過去に出版されたスローンの本に「テロリストと決して取引するべきではない、人質には気の毒だが(消耗品)とみなすべきである」と書いてあったことに追及が・・・

さて、CBAの方針として「政府機関は信用できない」というのはスローンも同意で、ならば海外の調査報道に経験豊富な我々なら家族が連れ去られた先とその目的を突き止められるのではないか、ということでこの件のタスク・フォースを組織することに。その指揮官に、スローンは「ハリー・パートリッジを希望する」と言ったのです。

じつはスローンとジェシカが結婚する前、ジェシカはパートリッジの恋人で、価値観の違いで別れてしまったのですが、スローンにとってそのことが今もパートリッジに対してわだかまりがあるというか微妙な関係なのです。
ですがそれはそれとして、今は「優秀な同僚」に全権を預けることに。

パートリッジが結成したチームはわずかな手がかりを頼りに誘拐犯とスローンの家族の行方を捜しますが、彼らは飛行機でアメリカを脱出し・・・

今まで読んだアーサー・ヘイリーの作品は企業や政界など「組織」の人間模様を描いて、もちろんこの「ニュースキャスター」もテレビ局という組織を中心に描いてはいるのですが、後半はアクション色が強く、個人的には好きなジャンルですので楽しんで読みました。

この話と並行して、テレビ局の経営、テレビの未来、報道の倫理、使命、社会的役割、などなどが随所に描かれていて、作品中に「近い将来、テレビはアンテナから電話線を使った放送に取って代わる」とあり、この作品が発表されたのが1990年で、もうすでにインターネットはあったのですが、まだこの時点では商業的にも文化的にもインターネットが大きな影響力を持つまでにはなっていなかったと思います。

読み始めは「なんだか小難しいテーマだなあ」と思いながら、そのうちだんだんハマっていって最終的には(読書という楽しさはこれなんだよ)と堪能させていただき、以前にも書きましたが「読み終わった後に”おりこう”になったような気がする」のです。

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