晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

夏目漱石 『坑夫』

2010-04-13 | 日本人作家 な
文庫の解説(三好行雄さん)によると、『坑夫』は、漱石宅にヒョックリ
やって来た青年が、自身の経験を題材に小説を書いてほしく、その
報酬を求めてきたそうで、はじめは自分で書いたらどうだと断ったの
ですが、漱石が小説の連載を書いていた朝日新聞で、島崎藤村が
連載をスタートさせるはずが原稿が上がらず、漱石がピンチヒッター
として連載を書くことになりました。

ここで、件の青年の話していたことを題材に書きはじめたのです。
それはそうと、この当時の朝日新聞の連載小説のラインナップは、
まず漱石の「虞美人草」後に二葉亭四迷が、さらに島崎藤村と続く
予定でした。今考えてみたらかなり豪華なオーダーです。

というわけで、この『坑夫』は漱石の着想ではなく、「聞いた話」
をアレンジして書かれていて、登場人物の一人称「自分」の背景
として、それなりの家柄で、女性問題で出奔し、あてどもなく彷徨
っているうちにひょんなことから鉱山で働くことになった、という
のは漱石のオリジナル人物描写となります。

「自分」は、東京のさる家柄として生まれ、不自由なく学生生活を
送るはずでしたが、二人の女性の間で揺れ動き、家族からは不誠実を
詰られたかなにかで、自分の味方はもういないと思い家を飛び出し、
死に場所を探すも死にきれず、街道の宿場でポン引きの甘い話にのって
しまい、鉱山に連れてゆかれます。
途中、ポン引きは「赤毛布(あかげっと)」や「小僧」も拾い、彼らを
引き連れて山を登ります。
書生風情の若者を小ばかにする坑夫たち。「自分」も彼らを蒙昧な
半獣と見下します。
飯場で平たく寝るだけの男。「ジャンボー」という葬式。炭鉱の穴で
出会う男。痛烈なカルチャーショックを受けます。

そもそもはなから小説として書きたかったわけでもないので、小説
の技法を使っておらず、構成もありません。一応「ルポルタージュ的」
とされてはいますが、それでも完全に構成を排除するまでにはいたって
いないように思うのです。
三好行雄さんの解説にもあったのですが、「自分」の東京での人物
相関は、「虞美人草」の男女関係に近く、考え方によっては「虞美人草」
の続編あるいはスピン・オフ作品とみることもできます。

ここでは、『坑夫』以降に書かれる、苦悩に満ちた明治青年というほど
には「自分」はあまり深く考えてはいません。しかし、彼を代弁者として
漱石が日ごろ思っていたことや感じていたこと、ひらたくいうと「ムカつい
ていたこと」が文中に書かれているように感じられます。
コメント
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