晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

桐野夏生 『グロテスク』

2009-11-01 | 日本人作家 か
以前、笑い話で、「天は人の上に人を・・・」でお馴染みの
福沢諭吉が、彼のお嬢さんの恋人に「身分違いだ」といって
別れさせたというエピソードを聞いて、そのなんともやりきれ
なさと軽い矛盾に笑ってしまったのですが、後によく調べて
みると、「学問ノススメ」の「天は人の上に・・・」の真意は、
天上では人に上下や優劣は無いけれど、地上では歴然として
存在しており、だからこそ勉強をして上位に優位に立つのだぞ、
という教えなんだそうです。

『グロテスク』という作品、べつにエイリアンだのバタリアンだの
グチャグチャのスプラッタのホラーではなく、人間の奥にひそむ
残虐性、残忍性、それがどんなに表面は美しくとも頭脳明晰で
あろうとも、表裏一体で心に巣食うグロテスクな一面を、これで
もかと描ききった、あるエリート女性OLが昼は一流企業で働き、
夜は娼婦をしていて殺された事件をモチーフにしている、読後に
肩がこってしまうほどの力作。

この話の司会進行的な、一人称で語られる「私」は、都内の某区
でアルバイトをしているアラフォー独身女性。彼女はスイス人と日
本人のハーフで残念ながら容姿はあまり良くなく、しかし彼女の
妹は、目を見張るほどの美人で、それがあまりにも整いすぎてい
るために、幼い頃から妹を気味悪がります。

そんな妹はその後、娼婦になって、30代半ばにして客の男に殺さ
れてしまいます。
さらに、「私」の高校の同級生で、名門大学卒の一流建設会社で
働いている和恵という女も殺されるのです。
和恵は、昼は一流企業のOL、夜は娼婦という二重生活をしており、
世間は彼女がなぜ娼婦なんかに、という興味で盛り上ります。

物語は、「私」の近況と、幼少時代からの出来事が綴られて、それに
付随するように、妹の人生、和恵の人生、そして二人を殺した犯人の
半生が描かれ、特に妹と和恵がのちに娼婦になってしまう素因ともい
うべき高校時代のエピソードが、濃厚に描かれております。

この高校は、東京のエリートが集まる、俗にいうエスカレーター学校で
歴然と序列や階級が存在する場所。選民意識があり、排他的。
「私」は、この学校で、目立たないという方法で周りからの攻撃を回避
しますが、和恵は高校からの外部入学者で、付属中からの進学生に
溶け込もうとしますが空回りし、嘲笑の的となります。

高校に入学してしばらく過ぎたある日、スイスに住む母が自殺したと
連絡が入ります。しかし「私」は、両親と妹がスイスに移住した時点
で家族の縁は切ったも同然とみなし、葬式には行きません。
しかも「私」にとって都合の悪いことに、妹が日本に帰りたいというの
です。常に比較され、注目される妹の影で姉は闇にならなければな
らなかった、そんな不都合な存在がようやくいない生活を手に入れた
のに、よりによって妹は、姉の高校の中等部に編入するのです。

その他さまざまな出来事が複雑に絡まって、最終的に妹と和恵は娼
婦となり殺されてしまいます。
さらにこの物語にもう一品添えられている「ミツル」という、姉と和恵の
高校の同級生で秀才、東大医学部に進学し医者になるも、夫とふたり
でカルト教団に入信、大量殺人事件の被告と成り果てる女性が幾つか
のエピソードの鍵というか重要人物として関わってきます。

巷で流行っている「草食系男子」の急増問題。
あまりにも頼りない最近の男に辟易し、女性が力強い男性像を求める
傾向にあるというのですが、男女雇用均等法から20年以上過ぎ、結果
男女平等はいまだ遠い目標でしかなく、依然として男性上位がまかり
通るので、要は女性が疲れちゃったんでしょうね。

あらゆる男性上位の世界で、女性の存在とは何か。
できることなら目を背けたくなる、話題にはしたくないような話をきちん
と構成し、読ませきってしまう桐野夏生という作家の筆力は「OUT」
「柔らかな頬」を過去に読んで、じゅうぶん知っていたつもりでしたが、
『グロテスク』を読み終えた今、打ちのめされた気分です。
コメント
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