やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

黙阿弥、を読む5 -御所の五郎蔵ー

2006-07-08 | 本や言葉


『曾我綉侠御所染』 
(そがもやうたてしのごしょぞめ)


初演は文久四年(1864)。
黙阿弥49歳。
幕末、黙阿弥の傑作が幾多と残された時期である。
明治までは、あと、4年である。


全6幕の長編ながら、通常4幕めまでは割愛され、今回読むことができたのも、残りの2幕部分のみで、成る程、最後の因果の語り部分が、どうもよく解らなかったはずでした。

小生が見ることが出来たのは、序幕とされてゐる「五条阪甲屋の場」「同逢州殺しの場」のみで、ラストのシーンは台本でのみです。


最初のシーン、御所の五郎蔵(浪人あがりの任侠といふことですが、まあ、云ってみれば、短気な見栄っ張りの、しがないチンピラです)と星影土右衛門(かつては同胞だったといふ、何故か忍術を使ふ侍)がすれ違ふ場面が素敵です。 
 




両サイドから出てくるそれぞれの親分と子分たちが、それぞれに渡り台詞を披露し、ステレオ効果満点、そして、その台詞の小気味のよいこと!

星影土右衛門は五郎蔵の妻さつき(この妻は、五郎蔵に甲斐性がなく、傾城つまり遊女に身をやつしてゐる)に横恋慕してをり、その糸口をつくりたいために過日子分達が痛めつけられたことも甘んじて許し、やがては金に困ってゐる五郎蔵の窮地につけ込んで、百両の金を融通しやうと云ひ、それが欲しいがために、さつきは偽りの去り状を書く。
これに、怒り心頭の五郎蔵はついにキレ、星影土右衛門とさつきが逢瀬の場へゆく夜道で待ち伏せし、二人の命を狙ふ。



ーこれ土右衛門、晦日に月の出るさとも、闇があるから、…、覚えていろ。

ーまだ春ながら愛想が突き心に秋の来たからは今日ぞこの世の別れ霜、露の命の
  消へ際も、六道ならぬ待合の辻に屍を晒してくれん。

こんな台詞で意を決するが、仮病を使ったさつきの代はりに、相手をすると云ひ出した同じ傾城の逢州を間違へて殺してしまふ。

小生、この作品の中では、出番はさして多くありませんが、この殺された逢州の存在感が好きです。いはゆる、姉御的な存在の役で、大きな要の役になってゐます。


歌舞伎の定石で、この逢州は、実は五郎蔵夫婦の身内だった。
それを悔やみ、ラストシーンで、二人はそれぞれに自害し、
さうだ! とばかりに、五郎蔵は尺八を、さつきは胡弓を奏しながら果てるといふ、
かなり壮絶な、すこし滑稽なラストですが、




やはり、このあたりの設定は、当時の歌舞伎が、如何に客に受けるかを、座付作者と役者達とが必死に考へてゐたといふ表れでせう。
この趣向は結構受けたらしく、当時の江戸市井の人々の喝采が聞こへてくるやうなシーン、です。

吉原らしきところでの、華々しい場所での登場からすると、最後は、結局は金に困り、真意をわかってやらうとしない妻に先に自害され、自らも絶望の中で果てる。

「チンピラ」といふ映画の名作がありましたが、浮き川竹のはかない物語、のやうな印象です。




(台詞、写真は、名作歌舞伎全集/第14巻/東京創元社、より)