お客様からの帰り道、高瀬の集落を抜けるバイパスを通ってきました。
確か先週、紅花祭りが開催されてゐましたが、
山裾の畑では、まだ花は見頃でした。
梅雨のこの時期、紫陽花と共に、合歓の花が揺れてゐます。
1967.7.17.ジョン・ウイリアムス・コルトレーン、死去。
この日の為に、すこし前から、作品を幾つか聴いてゐました。
正直なところ、普段は余り積極的には聴く事のない、最期期の作品ばかりです。
(やはり、これらの作品を聴くのは、彼の短い生涯を思ふと、とても辛い)
『アセンション/エディションⅠ』
集団即興演奏の『アセンション』のエディションⅠ。
1965.6.28録音。
あの、完璧なまでの『至上の愛』を創りあげながら、その半年後、コルトレーンは無調の世界へと入ってゆく。
きっと、勿論、確たる自らの意思で。
グスタフ・マーラーが、若い作曲家たちの批判にさらされながらも、しかし、決して無調音階には入らず、まったくぎりぎりのところで9番の交響曲を完成させ、10番の交響曲を未完に終はらせたのとは違ひ、
コルトレーンは、この集団即興演奏を2回録音する。
圧倒的な音の洪水にさらされるけれど、
H・ハバードのトランペットが意外にいいな、とは思ふけれど、
もはや、この録音には微塵の美しさも、ない。
勿論それは、メロディの美しさといふ意味ではなく、例へば、アート・アンサンブル・オブ・シカゴが数年後に創りあげた見事な即興の、過激で、静謐な美しさに較べれば、作品としてやはり見劣りするのはやむをゑない。
『ライブ・イン・東京/セカンドナイト』
1966.7.11録音。
『アセンション』より一年後、待望の来日をしたコルトレーンの音楽は、すっかり過激なまでに変容してゐた。
2時間の公演で演奏された曲目はわずかに3曲。
3曲目の「クレッセント」に至っては、その演奏時間は1時間に近い。
一度解体されたコルトレーン・カルテットにあらたに参加したファラオ・サンダースが、ある意味この演奏を引張ってしまったかのやうに破壊されて音を連ねてゆく。
特に、一曲目の「アフロ・ブルー」を聴くと、小生には、何故コルトレーンがファラオをメンバーに入れたのか(自分とまったく同じ楽器の奏者!)、如何に音の厚さや強さを求めてゐたと云はれても、理解するのはとても難しい気がする。
久しぶりに聴いて、アリス・コルトレーンのピアノがとてもよく、まるで印象派のやうに浮遊してゐるその奏法は、やはりM・タイナーでは出来なかったものであり、意外にこの時期のコルトレーンの音楽への影のコンポーザーはアリスだったのかしらん、と思はせるほどの好演でした。
そして、
『ステラー・リージョンズ』
1967.2.15録音。
死の半年前の録音。
1995年に、新譜!として発売された未発表テイク集。
再び基本のカルテットに戻ったコルトレーンは、まるでたなごころのやうな演奏を残してゐる。
どの曲も、10分に満たない。短いものは、数分の演奏。
けれど、どれも、何と美しい演奏なのだらうか!
深々とした音が、間違ひなく、一度染めてしまったフリー化への清算と修正を表し、
けれど、単なる楽しみだけのジャズではなく、現代音楽としてのそれを紡ぎ始めてゐる矢先の音楽になってゐる。
最期まで彼のカルテットに在籍し、ひとりひっそりと死んでいったギミー・ギャリソンのベースにも新たな表現が加はり、アリスのピアノにも格段の変化が出てきてゐる。
ポスト・コルトレーンの1970年代、ジャズは電気化とヒュージョンへと流れ込むけれど、勿論素敵な作品も沢山生まれてゐるけれど、この最期のコルトレーンの音は、風雨にさらされた堅固な建築物のやうに今もなほ有無を云はせない存在感を示し、音楽を創り出すことの意味を問ひかけ続けてゐるやうな気がする。
合掌。
(写真は、ジャケットより)
『曾我綉侠御所染』
両サイドから出てくるそれぞれの親分と子分たちが、それぞれに渡り台詞を披露し、ステレオ効果満点、そして、その台詞の小気味のよいこと!
星影土右衛門は五郎蔵の妻さつき(この妻は、五郎蔵に甲斐性がなく、傾城つまり遊女に身をやつしてゐる)に横恋慕してをり、その糸口をつくりたいために過日子分達が痛めつけられたことも甘んじて許し、やがては金に困ってゐる五郎蔵の窮地につけ込んで、百両の金を融通しやうと云ひ、それが欲しいがために、さつきは偽りの去り状を書く。
これに、怒り心頭の五郎蔵はついにキレ、星影土右衛門とさつきが逢瀬の場へゆく夜道で待ち伏せし、二人の命を狙ふ。
ーこれ土右衛門、晦日に月の出るさとも、闇があるから、…、覚えていろ。
ーまだ春ながら愛想が突き心に秋の来たからは今日ぞこの世の別れ霜、露の命の
消へ際も、六道ならぬ待合の辻に屍を晒してくれん。
こんな台詞で意を決するが、仮病を使ったさつきの代はりに、相手をすると云ひ出した同じ傾城の逢州を間違へて殺してしまふ。
小生、この作品の中では、出番はさして多くありませんが、この殺された逢州の存在感が好きです。いはゆる、姉御的な存在の役で、大きな要の役になってゐます。
歌舞伎の定石で、この逢州は、実は五郎蔵夫婦の身内だった。
それを悔やみ、ラストシーンで、二人はそれぞれに自害し、
さうだ! とばかりに、五郎蔵は尺八を、さつきは胡弓を奏しながら果てるといふ、
かなり壮絶な、すこし滑稽なラストですが、
やはり、このあたりの設定は、当時の歌舞伎が、如何に客に受けるかを、座付作者と役者達とが必死に考へてゐたといふ表れでせう。
この趣向は結構受けたらしく、当時の江戸市井の人々の喝采が聞こへてくるやうなシーン、です。
吉原らしきところでの、華々しい場所での登場からすると、最後は、結局は金に困り、真意をわかってやらうとしない妻に先に自害され、自らも絶望の中で果てる。
「チンピラ」といふ映画の名作がありましたが、浮き川竹のはかない物語、のやうな印象です。
(台詞、写真は、名作歌舞伎全集/第14巻/東京創元社、より)