近頃、ジャズばかり聴いてゐて、
久しぶりに、カリンニコフの交響曲第1番を聴きました。
NAXOSレーベルの、テオドレ・クチャル/ウクライナ国立交響楽団といふマイナーな組み合はせですが、これがとても素晴しい演奏です。
曲の趣旨にあった、颯爽とした演奏です。
この曲では、他にアシュケナージが指揮したディスクがありますが、この演奏には及びません。
19世紀末、カリンニコフ30歳を前に創られたこの曲は、特にその第一楽章で、ロマンティックな旋律が初夏の森を抜ける風のやうに広がってゆきます。
一陣の風ではなく、風は絶え間なく吹いてゐます。
それほど深刻な音楽ではないけれど、この清々しさは得がたいものです。
終楽章に再び旋律が戻ってくるのですが、34歳で死んだといふこのロシアの作曲家の、無念の思ひをみるやうに、旋律は戻ってきます。
余談ながら、朝比奈隆氏が(小生は余り好きではありませんがー)、満州国時代、ハルビン交響楽団での演奏会で、この曲をよくプログラムに載せてゐました。
ロシア風だったといふハルビンの街には、如何にもこの曲は似合ひだったのかも知れません。
そして、その満州での音楽活動の様を掘り起こしたものに「王道楽土の交響楽」といふ素晴しい本がありました。
大杉栄を殺したとされる甘粕正彦が、新天地満州で当時の満鉄や満映とも微妙にからみながら、でも、彼の力でハルビン交響楽団は誕生する。
(小生、この甘粕正彦と、ヒトラーの部下だったゲッペルスに非常に興味がありましてー)
戦争加害者と戦争被害者といふ観点ではなく、すねに傷もつ人間が、でもひとつの文化を創ってゆく、といふ、日本には余り多くない壮大な話を見ることができます。
(写真は、CDから)