Garnetの部屋

たそがれGarnet の 独り言
(つれづれ日記より)

太宰治   如是我聞 (にょぜがもん)

2020年09月23日 | 読書

9月23日  水曜日

少し寒いくらいの一日となりました。
快適ではありますが急に温度が下がり体がついていきません。
頭の中に 太宰治 や 志賀直哉が入り込んで落ち着きません。
太宰が生きていればもう 100才は過ぎたのではないでしょうか?

文学散歩も良いのですが、次回は面白い読み物を探したいと思います。
藤沢周平 「遺された手帖」  佐藤愛子 「気がつけば終着駅」等
愛子さんあっぱれです。96才!!


過日、何気に三鷹の稽古のあと出たとこついでに「太宰治文学サロン」に
立ち寄った。 その先週は「山本有三記念館」。いわゆる文学散歩道。
禅林寺にも足を運び、若くして自殺に追い込まれた彼って一体何なのか?
、、、。と思いました。経歴をざっと見ても何回も自殺、心中、に失敗している。
何かの資料で、あまり聞きなれない 「如是我聞」を知りました。まだ
読んでない「桜桃」と共に取りあえずネットでUP A4で、20枚の「如是我聞」を
読んでみました。

**   「如是我聞」 にょぜがもん
経文の最初に置かれる言葉  (このように私は聞いた) コピーで20枚



余りにも乱暴な(私の太宰に対する印象と全く違ったのである)言葉使い。 
もっとも太宰を研究したわけでもすべての小説を読んだわけでもないので
彼のすべてを知る由はないのですが、怒りに満ちて、絶望の淵にたって、
ある文壇の先輩に文でもって抗議する。
その相手が 志賀直哉 である。当時志賀は65才位、太宰は38才。ある座談会で
志賀が太宰のことを訊ねられ 「いやなポーズがあってどうもいい点が見つからないね」
又、自分の血を吐くような労作に対しても「閉口した」とか、、。
妙に私の悪口を云っている。

その時太宰は生活苦、病気、女性関係で泥沼のような境地にいたのかも知れない。
本来は神経が細く、感受性が強く、写真から見るチョッとニヒルな側面も見える。

『私がこの「如是我聞」世間的に云って、明らかに愚挙らしいことを書いて
発表しているのは何も個人を攻撃するためではなく、反キリスト的なものへの
戦いなのである。私の苦悩の殆ど全部は、あのイエスという人の
「己を愛するがごとく汝の隣人を愛せ」という難題一つにかかっている。
最後に問う。弱さ、苦悩は罪なりや?』

そして太宰は自殺するのです。 これは最後の遺書のような気もします。
ここで 志賀直哉 に出会うとは私自身もびっくりです。私は太宰も志賀も
好きな作家です。 志賀の「和解」も好きな小説です。

太宰が亡くなって2か月後に志賀直哉が 「太宰の死」(s23・10・1)について
書いている。文芸会談等で 志賀の発言が原因で「如是我聞」で反論しその後
自殺に及んでいるいることを遺憾と思っていた志賀直哉 であったらしい。
しかし志賀は云っています。 「人間失格」を読んでいたら評価の仕方も少しは
違っていたかもしれない。

** 左  志賀直哉 (1883~1971)          右  太宰治 (1909~1948)



「桜桃」もネットで読みましたが、これ結局自分で云ってますが 
夫婦喧嘩 の話なんですね。でも、サクランボを極めてまずそうに
食べる、、そして虚勢みたいに呟く。「子供より親が大事」と思いたい。
           
難しいというか、重苦しいというか、読後感は難しくて書けません。ただ言えることは、 
志賀直哉を超えるくらい 生きて もっともっと作品を書いてほしかった。


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