Garnetの部屋

たそがれGarnet の 独り言
(つれづれ日記より)

初秋のつれづれ

2016年10月29日 | つれづれに
10月29日

この所ぐんと寒さが増しました。

ラジオ体操の服装が半袖から長そで、重ね着をする人も増えましたね。

今が一番好きな季節で願わくばこのままの気温が続くことを願っている。

ウオーキングの道にも色付いた落ち葉が風に吹かれて舞ったりすることも。

今日、ダボ の散歩の途中で拾った落ち葉をスキャンしてみました。

** これは桜?でしょうか。


** 庭の花  紅茶カップで小さく。
薔薇アキト、ススキ、アメジストセージ、念珠サンゴ、ハツユキカズラ。


** 上海紀行文  それぞれに贈る。(25ページ)
わずか4日間でしたが写真と日記などを参考に楽しい旅の冊子となりました。
姉妹、弟のお嫁さんから喜びの電話が入りました。


** お泊りの 老犬ダボ
偶然か、孫娘も「アジア音楽祭」が上海であり、バイオリン片手に出かけました。
片時もこの弟分の ダボ を離しませんで我が家に泊まるときは連れてきます。
おかげで、朝夕の散歩はチョットねぇ~? (笑)




** 安納イモの葉  とイモ
過日、大阪の妹の所に寄って畑から収穫し、スマホで撮っていたもの。
妹はリハビリを兼ねて娘夫婦、その親の協力で空地を利用して畑作りに
励んでいる。二人でこれだけ掘るのにやっと! 苦役、苦役。




枕もとでぐっすり眠っているダボにつられて、今朝は寝坊をして
ラジオ体操は間に合わず ギブアップ。枕に頭をのせて眠るのです。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸元町散策 (朝ドラ べっぴんさんの舞台)

2016年10月20日 | 旅 ・ 散歩
10月13日

旅の疲れもほぼとれてこの日「神戸をブラブラしたいなぁ~」と相談。

「朝ドラ べっぴんさん」の舞台がそこであったり、久し振りに「異人館」も訪れたい。

JR 桂川から それでも神戸元町までは約50分かかる。

** 元祖「べっぴんさん」の ファミリアの玄関。
神戸元町駅からすぐにアーケードを入り5分も歩くと「ファミリア」がある。
11:00開店で中に女性社員たちがまだ朝礼の最中でした。
このシンボル君は 「フアミちゃん」




** 4人の女性が日本の子ども服を変えた。  主人公 創業者 坂野敦子(左)と仲間たち。
系図を見ると 田中千代が生まれている。(クリックで)




子供服のブランド 「フアミリア」 を私は初めて知ったのですが結構昔から
あったのですね。 皇室関係者、今の皇太子さまたちがお子様の頃もこのブランド愛好者。
「高島屋」に入ってました。刺繍はかなり細かくすべて手刺繍です。

** 詳しいことは下記をクリックしてくださいね。(内容が少しわかるかも知れません)
ファミリア銀座本店
ファミリア神戸本店

         

** 風月堂
アーケード街を海に向かいながらしばらく歩き、踵をかえし山側にある異人館に向かう途中
「風月堂」の素敵な喫茶店で一休み。コーヒーとクッキーの何と美味しかったこと。
コーヒーだけを頼みましたら何とクッキーはサービス。このクッキーお店で値段みましたら
一個200円近かったのです。こんなことに感激して店の方に回って 実家のお嫁さんの 
Mちゃんにマロン風のお菓子を3箱買いました。




**「風月堂」Tea Room の額。



** 異人館(山側)に向かう途中




** 山側に向かうのでかなりの坂を上る。風見鶏を求めて外人観光客、
修学旅行生が多数。




** 異人館のシンボル建物 「風見鶏」  (写真はネットからの切り取り)
故国を離れた外国人たちが海が見える高台から故郷を偲ぶことから生まれた街。
アチコチに異人館は存在するがこの「風見鶏」を見ればよし、、と思う。


姉と二人、結構疲れて元町までタクシーで帰り 「神戸大丸」で食事。
異人館だけに行くなら「三宮駅」からの方が近い。とタクシードライバーさん。
それにしても「元町」から異人館までよくぞ歩いたな~  姉はさぞくたびれた
事でしょう!  お付き合い感謝です。

取り留めない更新を見て頂きありがとうございました。

(画像はいずれもクリックで大きくなります)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上海 と 神戸 (べっぴんさんの舞台)散策

2016年10月19日 | 旅 ・ 散歩
10月19日

良く晴れて暑い感じの東京です。  

10月を半ば過ぎてこの気候、例年はどうだったのでしょうね?

皆さまお変わりありませんか。  少しブログを留守にしていました。


10月6日  京都の姉の家に前泊して 7日~10日 初めての上海でした。
何年か前から、「上海は都会だしそこだけなら行ってみたい気がするわね」と
姉弟集まると話題になったり、しなかったり、、でしたが今回、20年前から
上海と関わりを持つ 弟(実家を継いでくれている)の計らいで実現に至りました。
弟のお嫁さん、他 6名の旅。


** 上海 (東京都の約3倍) (中華人民共和国) 因みに首都は北京。
故に、北京は政治の、上海は経済の中心となる。
天安門事件があった後も社会主義国。 人口約13億5千万人
宗教 仏教、道教、イスラム教、キリスト教 等。

飛行場からホテルまで送迎付き。知人が迎えてくれる。
後の話になりますが、このおかげで? 今回自由に街歩きが叶いませんで、
滞在中は4日間、日本語が話せる案内人とドライバーが付きっきりで、
観光~ホテル。 食事~ホテル。夜は遅くまで総勢15名位でおしゃべり、
カラオケ~ホテル等で終わってしまった。

10月7日
関西空港~上海浦東空港へ。

ホテルに到着後間もなく 迎えの車。
大がかりな 夕食。弟の姉たちということで多分? 「乾杯、乾杯!」
このような接待は中国では当たり前なんですかねェ~??  と。
因みにこの日のテーブルは直径3m位の大理石風。料理の数、ワカリマセン。

初日の夜から帰る午前中まで、こんな感じの上海料理が並んだのです。
二日目の夜の 日本料理店 で私思わず「お茶漬け、出来ますか?」って
野暮なこと言いました。(笑)





10月8日

** 豫園公園  観光スポット 

この地域はかって日本人が20万人位住んでいた場所でもある。
この豫園商域は買い物天国でもあり、上海文化が息ずく 魯迅公園 がある。
魯迅がかって散歩をしたと云われている緑豊かな公園で、上海随一の規模を誇る広大な敷地。

** 豫園公園に向かう緑の道
   


魯迅 1881~1936  55才没
医者を志し、東北大に留学(1年半)  思想家、小説家。

** 魯迅像


** 魯迅記念館の内部  
館内には文物8万点余りが収蔵され、毎年の見学者は30万人を越すとか。


** 髄所に見られる 魯迅 の像


** 公園の風景 (出し物の予行演習)



10月9日

10時にホテルにお迎え。
今日は上海から小一時間の水郷風景を愉しむ計画を立ててくれていました。
上海に関しては何故か勉強もせず 弟に お任せで呑気についてきてしまった。
中国語はさっぱり理解できず、何度云われても ダメ。日本語流暢な K 君に
おまかせしてガイドをしていただいた。 ドライバーは W 君。二人とも若い。

** 朱家角 場所の名前 (しゅかかく)
上海市内から車で50分位の所、明、清時代の面影が漂うレトロな水郷地。
街全体を貫く運河によって小さな古い町が築かれている。三国時代にすでに
存在していた。  とも云われている。
船の交通が今も便利で 東洋のベニス ともいわれている。



** 物売りのおばさん。  甘栗作ってたように思いましたがこれは蟹?
甘栗は一袋、多分日本円で150円程。 K 君が 日本円で約1万円位の 元 を
各、私たちに渡してくれていましたが実際に使わず そんな時間もありませんで
金銭感覚が全くなく、又欲しいものもなく、、、。何でも 1元 15円位の知識。
故に栗が一袋 10元?  結構ありましたよ。




** 江南特有ののどかな風情。このような橋が36ほどあるが、車がすぐに迎えに来て
のんびり橋を歩く余裕はなかったのです。


ここで食べた ランチ 美味しくて有名なところだそうで、「野菜を沢山注文してネ。」と
 K 君にお願いする。

「小龍包」「蟹焼売」「エビ炒め」「パイ包み」「豆もやし」「キャベツ炒め」
「チンゲン菜の漬物と青豆」等。
左は 普通の「小龍包」     右 小龍包の変わった物。初めて食す。
肉まんのようだが原則皮は食べないで中のスープをストローで。アツアツ。





上海随一の観光エリア。  
** 外灘 (ワイタン)旧市街
同日の夜 上海の中心地 外灘(ワイタン) 南京東路(ナンキンドンルー)を見学。
この場所は祖界時代華やかだった場所で、旧市街には銀行、官庁、旧交通ビル等格式高い
建物が立ち並ぶ。 建築物は1996年 中華人民共和国、全国重点文物保護地区に指定。

ワイタン ブードン(旧市街と新市街)は黄浦江(川)お挟んで右と左に分かれている。

旧市街

旧市街

旧市街


** 浦東 (ブードン) 新市街
写真はロケットのような特徴の上海のシンボルタワー。近代的な建物が立ち並ぶ。
写真のもっと右側に 六本木の森ビルグループのヒルズ 栓抜き型デザインの建物が聳える。
高さ492m  オフィス、ホテル、商業施設等あり、100階の展望台は世界一高い場所。


夜景を楽しみ最後の食事は K 主催の上海料理。彼の母親、奥様と子ども、
その他の仲間、総勢17名位で新しい仲間も参加していました。
仲間の何人かは日本に留学していて、日本語を習得している。そして子供は
やはり、海外に留学させたいと望んでいる。

最後の夜の中華料理、 メインは上海蟹、フカヒレスープ、フォグラetc
料理の写真は省きますが、美味しかった 白酎 (パクチュウ)52度。左は普通のビールのグラス。 
 右の小さな(5cm位かな~)グラスで白酎をチョッピリ口につけて頂く。
 男性はグイ!と飲み干してすぐに水を飲むのです。(笑)「胸がやけどする」なんて言ってました。


かくして 弟からのご招待の旅、普段乗れない飛行機の座席、ホテルの
優雅さ。段々に年を老いてゆく姉たちへの愛情籠ったプレゼントとして
ありがたく 思い熱く無事に終わったのでした。
                                     

次回は 神戸の街を散策します。    おやすみなさい。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姉・弟全員の集合 と 秋の花 

2016年10月05日 | 旅 ・ 散歩
10月5日



秋になって涼しくなり 集合することになりました。

いつも京都に帰っても中々全員で揃うことはありませんで今回は

実家を継いでいる弟の号令ならと秋の数日を過ごすべく6月以来の

新幹線となりました。  明日から10日ほど東京を離れます。

大した花があるわけではないのですが、少し庭が気になります。


** ばら スパニッシュビューテイ   春は大輪の花をつける。


** ふじばかま キク科 多年草。
秋の七草の一つ。 万葉の時代からあるらしく郷愁を誘う。  


** 紅葉のジュズサンゴ  ヤマゴボウ科  多年草。
長い期間、実を付けていてお気に入りの一つとなった。葉の紅葉も美しい。


** 白の彼岸花
植えるところが無くて、北側の隅っこに咲いていて5輪の内1輪がわずかに
花姿を残していて切り、写メした貴重品?


** ナデシコ鉢植え  ナデシコ科  乾燥気味を好む。
庭がさみしく初めて買ったナデシコ。  摘心すると花数が増えるらしい。




** 球根を植える  チューリップとフリージア
球根はあまり買ったことがなくて、チューリップですね~ どうしようかと
悩みながら空の鉢が頭に浮かんで4袋1000円で買いました。 秋植え球根。


手紙の返事やその他の気になること、大体を終えて日が暮れてしまいました。
さて、旅の準備を大急ぎでしましょう。
皆 会えることを楽しみにしています。 元気でいたいですね。  
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊集院 静    「不運と思うな」  男の流儀6

2016年10月02日 | 読書
10月2日   晴天なり

伊集院さんおはようございます。 私、初めまして、、です。

お名前と共に沢山の本が店頭に並んでいるのは勿論知っていたのですが

過日「徹子の部屋」での対談でまじかにお会いしたのです。 その時の

本の話 「不運と思うな」 に興味を持ち早速求めたのでした。(926円)


 伊集院 静 1950年山口県生まれ  現在66才。
立教大学文学部日本文学科卒業。
父 韓国人   母 日本人 の間に生まれ 帰化している。
** 伊集院 静      小説家
** 伊達歩(だてあゆみ) 作詞家
** 本名 (日本名)   西山忠来 (にしやまただき)

作詞家としては 近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」「愚か者」等が知られている。
私的な思いで言いますと、若い時に唄っていた「愚か者」を今の年齢の近藤真彦が唄うと 結構これが様になっている。

彼自身の経歴にもどると、有名な 夏目雅子 は2度目の妻。彼女は27歳で 急性骨髄性白血病で亡くなっている。
彼女が生きていたら多分、すでに60才前後。
現在は女優さんであった 篠ひろこさん で3度目の妻。 仙台で2匹の犬と共に住んでいる。
  **第1章 不運な人生などない **第2章 切ない時間が過ぎて **第3章 生きた証し **第4章 君が去った後で からで構成されている。

最初の妻、実弟を亡くしている。(弟は17歳で海の事故で亡くなっている。災害で亡くなった多くの人たちの不運。これを不運と言えば死者に対する尊厳がなくなるという。 下地に流れているのはそれらの人たちへの 思いであろう。

読み始め自分たちが飼っている犬の話が出てくる。「バカ犬」と呼ぶ場面が数十回。犬であってもそう「バカ、バカ」と云わないでほしいと少し不快感。  読み終わって何日かが過ぎた今はそれほど気にならなくなった。人間と同じで バカほど可愛いんですね。多分。口とは裏腹の愛情が底流にあることが理解できるのです。

人々が亡くなって数年を経た筆者は、それを 「不運」と思わずそういう「生」としてとらえることで人間の尊厳を保てる、、と云ってるのでしょう。生涯を短くして亡くなっても、その間に笑い、楽しいことをし、沢山の幸せを経験したことでそれは(亡くなったこと)不運でないと力説している。

読後、もう一冊位他の本を読んでみないと、、と思っている。現在生きている作家の本はそれだけにリアリテイがあるしネ。
私が池波正太郎の本にはまったのは彼の死後であって、15年早くはまっていたら生きている彼と会う機会があったかもしれないと、、。悔いがある。(大好きな作家の一人)

            

** Carineからの手紙
最愛の一人息子 Grant を亡くしすでに2年、85才になった母親は
今、一人住まい。今もって淋しさがつのるという。
「不運と思うな。」楽しいことがいっぱいあった。
それがその人の 生 (天命)と、伊住院流に言うなれば、、。 


** 宮城県松山のバラ夫人からの贈り物。
「イチジクフィング」 プロ並みのお菓子つくり! とバラのエキスパート。
何かと教えて頂いて感謝。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする