Garnetの部屋

たそがれGarnet の 独り言
(つれづれ日記より)

冬の ”軽井沢銀座”

2011年02月27日 | 旅 ・ 散歩

2/23日、丁度予定もなかった私は軽井沢に日帰りスキーに行くと言う
夫について行き、冬の軽井沢銀座を一人散策しました。8時頃家を出、
関越から一路軽井沢まで走る。道路は空いていて快適。
浅間山トンネル、稲村山トンネル、北野牧トンネルを抜け、碓氷軽井沢ICで下りる。
この辺りからそこかしこに雪の景色となる。上州と信州の堺近くに位置する
軽井沢はその昔、旅人達の重要な宿場町でもあったといわれています。

浅間山トンネル辺りの左に見えました
雪の浅間山?でしょうか?



軽井沢駅  
両サイドの階段の上にある「橋上駅」



駅正面 (南北便利につながれている)
★ JR東日本  (南側、長野新幹線 上り、東京方面 下り、長野方面)
★ しなの鉄道 (北側、小諸、上田、篠ノ井、長野方面)



南北の通路に大きな看板
帰り道、北軽井沢にあるこのトンボの湯に寄り道しました
一人 1200円、タオル200円 レストランあり



駅構内からの、プリンスホテルスキー場
平日にも拘らず若者が多かった、、らしい
(老人は恥ずかしながら、わずか。とは夫の弁!(笑))



そんな夫とは別行動の私はルンルンで軽井沢銀座に向いました。
以前に来た時の賑いを少しは予想していましたが、何と静かな
静かな通りでした。店の半分以上がクロウズされて、有名な
〝腸詰屋”も閉まったまま。




所々開いているパンやや可愛い店

(静かに一人でお茶も捨てたものではありませんでしたよ)




雪かきをしている地元のおじさんとしばしおしゃべり致しました。
真冬の間は店を閉めて何処かに帰るんですって。
又春からはボツボツと店が開き、やはり、リゾート避暑地、
夏が一番の賑わいとなるらしい。ちなみに国際的避暑地として
脚光を浴びるのは、明治の半ば以降らしいですよ。



交通が順調だった事もあり、一日で有意義に過ごす事が
出来る場所でした。南口からエレベーターで降りるとすぐ前が
アウトレットです。他にも見学できる所は沢山ありますしね。

3月からいよいよ、ベータバージョンに切り替わりますね。
今日はあえて、前のバージョンで投稿します。慣れていて
私はこのバージョンが好きでした。









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第144回芥川賞

2011年02月22日 | 読書


夫が年間購読している文芸春秋3月特別号に今年も
芥川賞の作家2人の作品が掲載され、読んでみました。




「苦役列車」 西村賢太  (1967年東京生まれ)
「きことわ」 朝吹真理子 (1984年 東京生まれ)





素人の私が読んでも全く両者相反する作風で、
その両極端さに非常に興味をおぼえた。
感想は勿論むつかしくて書くことが出来ません。

「苦役列車」はダイレクト! 文体もシンプル単刀直入。
作者が19歳の頃のほぼ、自らを投影した作品とか、、。
他の作品も読むべし!?
う~ん、読後、さわやかな、すっきりしたシャーベットが
欲しくなりました。(これって、年のせい?、、笑)

「きことわ」(貴子と永遠子)は何度か前の文に返って
読み返し、頭を右に廻したり、左にひねったり、読み返し
そんな部分が多少ありました。
(これって、私の頭の回転の問題?、、笑)

とに角、2人の経歴を知り、両方時を同じくして読むことに
今回とても興味が持てたように思いました。
テレビで西村氏が語っていた言葉、
『共感できるものが面白い純文学』これはうなずけますね!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陶器、この美しきもの

2011年02月20日 | 鑑賞 贈り物


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雫、、しずく、、

2011年02月15日 | ガーデニング


このところ、2度の雪が降りました。

私は雨だれを見るのが好きである。それも雪がふって、木々に積もったそれが
朝の光でとけはじめ、葉っぱの先に光をうけ、数秒とどまり、
水晶の如くに輝き、やがて待ちきれなくなって小さく落下するするさま、
陽の光ぐあいによっては、ダイヤモンドのように美しく色彩をためこんで、
それもやがてポトリと落下する。
一期一会の可憐な ”しずく” はもう地面に吸われてあとかたもない、、、。


一度目の雪



水晶のしずく



ダイヤモンドのしずく



(いずれもクリックで少し大きくなります)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白菜漬け (思い出とともに)

2011年02月10日 | レシピ


日課のウォーキングの帰り、小道をチョッと右に入ったところの畑に寄ってみました。
たまたまポケットに小銭が入っていたので、、。白菜、聖護院大根などが並んでいた。
二株あった白菜は、これで今年は最後とのことで迷わず求めました。 
漬けながらふと亡き母を思い出し、同時に今は宇治に住むクラスメートの私の母を語る
文集の一部が頭をよぎり、なつかしく又、愛してやまない母への思いを新たにするのです。


白菜はいく房かに切り30分位、お日様にあてる



昆布、タカノツメ、ゆず、柿の皮の干したもの
(柿の皮は、干し柿を作る府中のYちゃんから。勿論立派な干し柿も頂く)



時々様子を見ながら4日め位から食べる事ができますね
(母のそれは、ぬかを入れて漬け込んでいました)





「至福の時」  (クラスメートT の文集から 2007年1月 抜粋)

『昭和30年頃、当時まだ高校生だった E と私は学校の帰り時々道草をする。
 小銭を出し合って駄菓子屋ものぞく。Eの家に立ち寄り彼女の小さな部屋で
駄菓子を食べ、よく喋り、よく笑った。当時お小遣いは少なく、いつもお腹をすかしていた。
「そうや、家に帰ってご飯食べよう」2人はEの家へ走って帰った。
「ご飯食べてもええかァ?」とE は真っ先にたずねた。
「なんにもないけど、白菜のお漬物出して食べたらええわ」
針仕事をしていたEの母は、いつもの穏やかな丹後弁でゆったりと答える。
大きな ふご の蓋を開けると、ほんわりとした湯気がおひつを包んでいる。
中には麦ご飯が入っていた。  家の裏には、4斗樽がいくつも並んでいる。
どれにも大きな重石が載り、大根、日野菜、白菜が漬けられている。
白菜の漬物を出すと千切れるような冷たさで手が真っ赤になった。
ザク切りにして鉢に入れると大盛りになった。
小皿に取り、醤油をかけてご飯とともに食べる。息のつまるようなおいしさであった。
「おいしいなア」「ウーンおいしい。お刺身みたいや」
それからというもの、白菜の漬物でご飯を食べる事がたのしみとなり、
2人は授業の終わるのを待ちかねて、急ぎ足で校門を出ることが多くなった。
その度に、Eの母がむかえてくれる。サラサラと降る粉雪を背に受けながら、
せっせと漬物をだす。
温かいこたつのなかで、仲良しのEとおいしい白菜の漬物を食べながら
楽しく過ごした冬の道草は至福のときであった。』



昭和30年ごろといえば、戦後の底つく貧しさから人々が少しづつ
豊かさを取り戻し始めた時期だったのでしょう。
我が公立高校は、可なり遠くからの通学者がいて、遠くは大阪あたりからも。
寄宿舎から、通う生徒もありました。幸い私は学校がそばにあり、
T は学校から少し離れた所に住んでいました。

T もその後、結婚して何年か経ち、私の母を思いやる年齢になって
我が家を訪ねてくれたそうですが、もう、その時母は ”車椅子の人”
であったと結ばれていました。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後のばら

2011年02月02日 | ガーデニング

雨戸の隙間から、今朝も細い光の線となって朝日が差し込んでいました。
すっかり朝寝坊の癖がついてこの冬は起床がおそくなっている。
東京はずっと雨が降らず、ウォーキングの道もほこりっぽく赤茶けています。

気にかかっていたタイムリミットの数本のクライミング・ローズの剪定を終え、
心がほっとしました。葉っぱを全部とり除き、古い枝は思い切って剪定し
比較的新しいシュートを誘引しました。
それをきっかけに、小さな庭の ”断捨離”も試みましょう。
鉢物の整理、不必要な庭グッズもさっぱりと捨てたい。
地面に眠っている宿根草、球根、毎年咲くものを除いて
一年草の鉢花は、2,3個と決め庭の彩りとしましょうか。



幾種類かのバラがまだ咲いていましたが、もう、切らねばなりません。
きれいな所を拾い集めて小さな花瓶に入れました。
(コーネリア、アイスバーグ、バタースコッチ)




父が生存していた時に持ってきてくれた宿根草
(キリタンサス 彼岸花科)





もう、すっかり何もなくなった小さな庭。そんな中、小鳥達は
餌を求めて毎日訪れてくれます。バード・バスで水浴びも盛ん。
シジュウカラ、目白、ひよどり、すずめ等。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする