Garnetの部屋

たそがれGarnet の 独り言
(つれづれ日記より)

表参道チョット散策と正太郎先生

2014年07月26日 | 旅 ・ 散歩
麻布のお友達が先だって、「楽しい新しいお店が出来たのよ」

と言ってきた。楽しい雑貨と聞くだけで、Palpitation!

行ける機会を心つもりしていたけれど、暑かったり、お互いの時間が

不都合だったりと行けないでいた。暑さにめっぽう弱い二人。

と言っても秋まで待てるわけがないし、、。  あっついよ~ 
猛暑の24日でしたが、出かけました。その日の夕方ものすごい
雨と雷! 我が家に到着して間もなくの危機一髪!デシタ。

表参道下車して、すぐ洗練された広い道路の両サイドに沢山のSHOP。
冷房の効いたレストランで先ず、ランチ(私はキッシュとサラダ)。
** ZARA HOME(家具、インテリア、雑貨等)
** フライング・タイガー コペンハーゲン
(ここはコペンハーゲンらしいカラフルな彩の品が所狭しと並んでいる。
値段はそれぞれ、まちまちで、女学生やヤングが好みそうな値段もリーヅナブル。)
** カフェラントマン (本店がウイーンのカフェレストラン)
この店はウイーンとあって、当然、ザッハ・トルテ、モーツアルト・トルテ、
マリア・テレジアと名のつく飲み物も多くあって気分はウイーンですね。
すぐに冷房の効いた所に入りたくなる暑さ。写真はありませんが、雰囲気は
ウイーンでした。

** 左 ZARA Home            右 フライング・タイガー
いずれも表参道(銀座線)駅近く。(インターネットからお借りしました)



** ZARAはリネンが多く置いてあり、今回約半額になっていました。
大阪の妹へ 本 のお返しにリネンのナプキン、その他楽しく買いました。
私は刺繍が施してあるナプキンを4枚買い、クッションを作った。(これは
お友達のアドバイス。彼女はすでに作ったそうです。

** クッション 
二枚をただミシンで走っただけ。フアスナーの替りに紐で。
これですと、1枚10分かかりませんよ!


** フライング・タイガーは楽しい雑貨、ペーパーナプキンなんか
100円?だったかしら? ふつーだと4.5百円しますからネ。
カラフルノートも200円? 300円?とても安いのです。


** 今日府中のYちゃんがソーメンや茄子、シソジュースを持参してくれました。
ソーメンがあれば夏を乗り切れる、たそがれGarnetです。
池波正太郎の一節がよみがえりました。

** 4色「揖保の糸」ソーメン(毎年、頂きます。ご主人丹精の茄子も)


**池波先生の一節 
** 「子供の頃、曾祖母にもっとも可愛がられていた。その曾祖母は私が11歳の時に
87歳で病没した。曾祖母が死の床にあった夏の約2ヶ月間。私は小学校から帰ってくると、
遊びに出かける前に、かならず、台所で曾祖母が大好物の素麺を茹で、ザルへ打ち揚げて
冷水に冷やし、付け醤油をこしらえ二階三畳の病室へ運んで行ったものだ。
曾祖母は、死に至るまで、一日のこの時を、もっともたのしみに待っていてくれ、
私のこしらえた素麺でなくては、決して口に入れなかった。
死ぬ直前、曾祖母が私の手をつかんでいった。『長らく、そうめんをありがとうよ』」
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池波正太郎本、集合!

2014年07月23日 | 読書
先日、所用があって、大阪の妹の所に電話をかけた。

義弟とも久しぶりに話し、あんなこんな話の後、「今頃、池波さんなんよ~」

と話が弾む。義弟はかって、東京に来たとき池波正太郎の足跡をたどって、

あちこち歩き満足して帰った経緯がある。

「本、沢山あったら送って~」なんて話していたら、なんとすぐさま送って

来た。本だけでよかったのに色々な食品や、布製品なんかも一緒だったのは

これは妹の心使いでこちらの方が大変だったかなと、お礼の電話を返した。

愛読書の「食卓の情景」もその中にあり、これは丁度広島から来ていた長男が

「池波、久しぶりだな、もらっていってよいかな?」と持ち帰った。

昨日、22日朝刊に可愛い、イギリスのジョージ王子の記事が出ました。

あまり可愛いので読書の手を休めて、写真の模写しました。

** かっわいっいい~っ! (クリックで新聞記事)
イギリスではこの洋服がどんどん売れるんですって)
ジョージ坊や、もっともっと可愛いんだけどごめんあそばしてネ


** 送られてきた池波さん ← つたないスケッチ


☆ 池波流「我が家の食卓の情景」

** シメジごはんとシメジのお澄まし
夏の暑い日はおかずを作るのも一苦労、それでこんな簡単朝ごはん


** ライスカレー(池波流の呼び方)
ジャガイモ、ニンジンごろごろが好きだった!


** 常備菜、茄子の煮びたしとクラゲとキュウリの中華風




何しろ出来あいを好まない我が家はとに角「作る」のです。
池波さんの本の多くは、食ベもの満載です。レシピも豊富。
それも東西を問いませんしね。楽しみな本が増えました。
電車、バス、昼寝の時、読みふけることになりそうな・・・。
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バラのお話

2014年07月18日 | ガーデニング
昨日、今日とチョット過ごしやすい日でした。草とりと咲き終わった花柄をカットしたり、

出来るだけすっきりと見た目を涼しくしたい。

先日も金木犀の二本目を根元から切ってもらった。香りが好きで、家を建てたとき

2本植えてもらったのだが、余り花が咲いたのを見たためしがない。

何十年か前はこの樹が結構人気があり、又流行ってもいた気がする。

そんな中、今年は咲きそうもないと思っていた、「ヨハン・シュトラウス」が

一輪、鉢植えながらひっそりと咲いていた。可愛そうに肥料が少なかったのか

小ぶりで、はかなげなピンク系ホワイト。

** ヨハン・シュトラウス  (モダンローズ ハイブリットティ)
音楽家の名前が付けられたバラは沢山ありますね。
このバラはピアノの先生をしている姪から4年前くらいにもらったもの。
額縁に入れてみました。


** 同じもの、2年も前でしょうか。2輪咲いたのをスケッチしたもので
ちょっと気に入ってます。カードにして姪にプレゼント。


** マリー・アントワネットのバラ (ロサ・ケンティフォリア)
クリックでプチトリアノン(ベルサイユ宮殿の離宮)に飾られていた額。


** バラ画家 ルドーテが描いた上記のバラを辛苦八苦、模写したもの。
何度模写しても当たり前ですが ダメ でした。 


** プチ・トリアノン   (モダンローズ フロリバンダ 四季咲き)


** マリー・アントワネット (モダンローズ フロリバンダ 四季咲き)



美しいバラの本をほっとしながらページを繰ると、こんなバラがあったんだなあ、、。
とアントワネットに思いを馳せる。オーストリア大皇妃マリア・テレジアの15番目の
子として生まれ14歳で結婚。フランス革命の後、コンコルド広場で処刑。 38歳。
でも、美人で薄命だったとはいえ、今なおバラに変身して生きているのですね。
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池波正太郎記念文庫

2014年07月14日 | 旅 ・ 散歩
12日、結構暑い土曜日、夕方6時に息子たちと食事の約束があった。

出るついでに行って見たいと思っていた 「池波正太郎記念文庫」

(台東区立中央図書館内)まで足を伸ばした。ちょっと探し探し、

到着した時は背中じゅうを汗が流れていた。「あ~ぁ、池波先生に会うのは

骨が折れるなあ~」と思いつつ、冷房完備のその記念館にしばし体と

心を休めながらゆっくり庫内をめぐる。

記帳ノートが置かれていて、老若男女なんと沢山のファンが津々浦々から

正太郎先生に会いに来ている。私も今の思いを記して記念文庫を辞した。

文庫内は写真禁止でパンフレットからの更新です。

** 入谷駅近く
日比谷線入谷で下車し、左に歩くとすぐに東京スカイツリーが右方向に見える。
「あ、場所的にこの辺りなんだなあ」と方向音痴の私は思う。
駅員さんと、道路端の店の人2人に場所を教えて頂く。


** 記念文庫
生涯学習センター(これは大きいビルです)内 1階


** 書斎
入口の所に書かれていた池波さんの故郷について。
写真が撮れないので、頑張ってメモしました。

「私は浅草の聖天町に生まれ昭和の大戦が終わるまでは浅草永住町で育った。
したがって浅草と上野へ足が向くことが多い。永住町は浅草6区の盛り場と
上野公園の中間にあり双方の盛り場は少年時代の私の遊び場所でもあった。

東京人に故郷はない、と東京人自身が口にするけれど私はそうではない。
私の故郷はだれが何と言っても浅草と上野なのである。」


** 鬼平犯科帳他のコーナー
下町の情景が多く出てくるのは彼自身の故郷が原点、
それが舞台となっている。


** 記念はがき
池波正太郎自身の動物の絵5枚  時代物の絵は 中一弥・画5枚
各500円でした。 他にも少し手ぬぐいとか、ランチョンマット等。


** 地図
比較的わかり良い所です。前にすぐ合羽橋道具街があり、
時間があればそのあたりをぶらつくのも面白いかもしれませんね。
時代物を読むと、多分アチコチ歩きたくなるかも?実在する地名、
沢山楽しめそうです。さて、池波熱どこまで続く??


クリックで全画像は大きくなります。
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真夏日! (池波さん、 「食卓の情景」)

2014年07月11日 | 読書
昨日の関東地方への大雨注意情報で少しやきもきしながら

厳重に戸締り、多少の植木への配慮なんかも終えて 床に

ついたが、それらしい気配を感じることなく朝を迎えた。

地方によっては土砂崩れで痛ましい災害のニュースも流れた。

チョット薄曇りだった朝の後、じりじりと真夏日。一歩も

外へは出られない。窓から見上げる空は、ほぼ真っ青に近い。

再び 池波正太郎  「食卓の情景」
かなり古い本です。愛読書なんで茶色に変色して、この表紙は私のサインペンでの真似スケッチです。非常に汚れていてスキャンしても余りよろしくありませんで、已むを得ず。正太郎さん自身の絵はもう少しスマートに描かれています。

** 家庭料理 について書いている面白い場面。
「わたしの知っている若者が結婚したら、若い細君が支度をする朝食といえば、パンとハムエッグ、コーヒーのごときもので、「たまに味噌汁がほしい」というや細君が目をつりあげ、「あんな下等なものはダメ!!」としかりつけてきたそうな。 そんな時は茶ぶだいをひっくり返せ、、」だって。


×月×日  第1食 豆腐の味噌汁に納豆、卵の黄身だけ入れる。漬物は千枚漬けにたくあん。
×月×日  第1食 合鴨の焼き鳥丼 うまいので全部食べる。
×月×日  第1食 ベーコンエッグにトースト1枚 リキュール入りコーヒー2杯。

第1食ってのは朝食のことでしょうか。

** お菓子 について。
「私が子供の頃の昭和初期には洋菓子といえば、ドーナツとシュークリーム、カステラの3つしか
知らなかった。下町の子供たちにとってはシュークリームなぞというものは「泪がこぼれるほどに、、、。」高貴で、ぜいたくな菓子であった。」

それでも池波さんはその時期に「虎屋の「夜の梅」をはじめて食べて、そのうまさに目をむいたことがある。」と書いている。

やっぱり食通と言われる所以です。虎屋の羊羹 今でこそ知らないものはないくらいですが、昭和初期ですからね~。

気楽に読めて飽きない本。挿絵は白黒のペン書き6枚程度。
この所、池波正太郎にパルピテーション。昨日?だったか「鬼平犯科帳」もテレビで見てしまいました。胸にホロリとした余韻と情、底に流れる人情はこの人です。

テレビと言えば、金曜日の「秘太刀馬の骨」 藤沢周平 内野聖陽主演で第2回目です。
時代物?! 池波正太郎のおかげで今、はまっています。



**ブラックベリーの収穫
急に黒く色つきはじめて、毎日その黒い実だけをつまんでいく。
去年は少なかったが、今年は鈴なり? 冷凍保存してジャム、ジュースに。


** 今日だけでこんなにいっぱいです。
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池波正太郎  「あるシネマディクトの旅」

2014年07月05日 | 読書
池波正太郎がこんなに楽しい本を残されているのは全く知らず、

自分の旅も思い出しつつ今回楽しみながら2度も読み返し

今更ながらフアンになってしまった。幼少の時から絵を描くことが

好きだったことは何かで読み、頭のすみにあったのですが、、。

フランス紀行文の執筆のため、いつも若い2人のお供を連れている。

** 池波正太郎 1923~1990 67才没(急性白血病)
昭和35年、「錯乱」  第43回直木賞
52年、「鬼平犯科帳」 第11回吉川栄治文学賞。
作品 「剣客商売」 「その男」 「真田太平記」等

鬼平はテレビで見たり見なかったり、主に食通の氏のエッセイ集が楽しく (確かに挿絵が必ずありましたね~) 「食卓の情景」 は愛読書の一つ。多分この本も愛読書となり手元に置くことになります。

「シネマディクト」??意味が分からないので調べてみました。辞書にはなく、相変わらずのインターネット情報によるとどうも、大好き、夢中、って感じらしい。 フランス映画を40何年も見続け、行かずしてフランスのすべてがわかるほどの
通、そんな昔からフランス映画の恵みをもろに受けることが出来た氏ならではの楽しい幾つかの文と挿絵をご紹介します。
                                           ***マルセイユの魚売り
** 「東京から約20時間の飛行でパリのドゴール空港へ着き、昼下がりの小雨の中をパリ市へ向かうと、車の中から、彼方の丘の上の、ビザンチンふうの白い寺院が目に入った。『あ、サクレ・クールが見えてきた』私がそういうと、同行のT君が、『パリは初めてなのに、よくわかりましたね』」、、、とこんな序文から始まっている。

私たち3姉妹で一週間のパリ滞在をしたとき、最初のホテルはとても思い出があった。ゆったりしたイギリスのコッツウオルズのホテルからパリに着いた途端、屋根裏部屋とも思えるパリのホテルの小さな窓から見える寺院らしき建物、夕焼けにきれいなシルエットとなって浮かんでいた。それがサクレ・クールでした。
左はその当時の私のつたない写真ですが、その時の情景と共にすんなりと熱中して読むことが出来た上記の本。クリックで近くのサクレ・クールです。
「さて、、、、。マルセイユの朝の旧港には魚介を売る屋台店が並び、その周りに人々がひしめいている。オノリーヌもいれば、パニスもセザールもいるというわけだ。その中に一人ジャン・ギャバンそっくり老人がいた。『ギャバンに似ている』と私がいい、、、、、おそらく、この老人マルセイユの人たちからも「ギャバンそっくり」と言われているに違いない」
                                           ***ニース
「ニースでは、空と海が同じ青さだ。空にも海があり、海にも空がある。 旧港を吹き抜けてくる、こころよい微風が花の匂いを運んできた。
二人はブイヤベースを食べたが、私はエビの何とか風に、グリーンサラダ。それに木苺の氷菓にした。
そのあとでコニャックとチーズ。」

     ***モンマルトの丘

「この日も昼る前から大朋さんの車で、あちこちとパリ市内をまわった。モンマルトの墓地へ行き、名優ルイ・ジューヴェの墓をカメラに収めたのだったが、近くに椿姫のモデルとなった高級娼婦の墓があって、女子学生らしい二人がノートを出してしきりに何かを書いている。
大朋さんが椿姫の墓を指し、『彼女をどう思うか?』と聞いたら、『すばらしい』二人とも、大きくうなずき、目を輝かせた。」
                                           ***パリの娼婦
「午後も遅くなってから、シャンゼリゼへ出た私は凱旋門の傍のデンマーク館へSとYを案内し、みがき立てたように清潔な食堂で、新鮮な魚介や、玉ねぎをそえたローストビーフをたのしんだ。
『どうだい。映画を観ようか』シャンゼリゼの大通りを渡りながら、私は言った。『いいですね。パリの映画館には一度も入っていないんですよ』 大通りをわたりきったところにある映画館に入ると「テレファン・バア」という暗黒街ものを上映していた。 フランソワ・ペリエだのレイモン・ペルグランだの、今や年老いたベテラン達が傍役で出演しており、フランス語がわからぬ私にも面白く観られた。」

(この絵は白黒で描かれていて、この娼婦の説明などはなく、映画の中身?なんでしょうか。とても美人で、雰囲気が満点。)
 


    ***アルハンブラ宮址
「私たちは、ほんのちょっと、スペインをのぞくことにした。 中略 旅行中のみやげものは、殆ど買わぬ私なのだが、スペインのロエベの皮製品には魅了されてしまい、黒のショルダーバッグや、やわらかい仔牛の皮の財布や小物を買った。ドイツ人のエンリック・ロエベが長い放浪を終えて、マドリッドに住み着いて創業したという。
それにしても、アルハンブラ宮が、これほどに美しいとは思わなかった。 2つの王宮や塔、望楼などの、サラセンとルネッサンスの形式が入りまじった建築を心ゆくまで鑑賞するとなったら、数日をグラナダへとどまらなくてはなるまい」

(2ページにわたって描かれている絵は、スキャンの加減で見にくいですが、ゴメンナサイ!
クリックで画像は見やすくなります)

まだまだ、楽しい絵や、わかり易くて面白い文、フランスワインの本拠地ブルゴーニュ、
ボーヌの話等、たくさん出てきました。思い出がいっぱいの同時進行、しかし残念ながら
スペインは10数年前、すっかり記憶は薄れていました。 
 ブルゴーニュ、ワイン畑

池波正太郎は生きていればまだ90才位、残念としか言えません。
偶然の本との出会いが自分を目覚めさせ、新たなフアンになってゆく。
比較的、時代物を読まなかった私ですが、現代ものに比べてずっと
奥深い人間性が味わい深く描かれている「藤沢周平」なんかも嬉しい
ですね。「鬼平犯科帳」読みたくなりました。
 
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