Garnetの部屋

たそがれGarnet の 独り言
(つれづれ日記より)

"緑”を楽しむ

2009年07月30日 | ガーデニング


暑中お見舞い申し上げます

そろそろ本格的な暑さになってきましたね。元気にこの暑さを乗り越えていきたいです。
せめて緑で心を落ち着かせ、深呼吸です。私は緑を室内に取り入れるのが大好き。
アチコチ、ミニ観葉植物を置いてどんどん増えていきます。


去年沖縄でもらってきた「クワズイモ」 当時は30cm位でしたが、
今は1m、葉は、35×25の大きさです。時々固形肥料と水は大切ネ




可愛い器に水を入れ、この葉っぱを挿しておくと、やがて根がつきます。
それから鹿沼土でも入れます。水だけでもOK。
右はポトスですが左は20年前位に20cm余りを切ってもらったものです。今も尚増えています

ワイングラス             小さな椅子の上





ナポレオンの空き瓶             ミニコーヒーカップ




牛さんの瀬戸物             カモチャン



小さなガラス           水差し




紅茶ミルクいれ               ミニ一輪ざし





お家で使わなくなったミニの入れ物、置物、グラスなんか、
棄てようと思ったことありませんか?場所もとらず”緑”を楽しめます。


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”月下美人”と”ブラックベリー”

2009年07月27日 | ガーデニング


  昨日、神戸のお友達から ”月下美人”が咲いた 
と携帯電話に写真が送られてきました。
あまりの美しさに、独り占め出来ずに、この場を借りて、皆様に。


サボテン科  クジャクサボテン属 原産地 メキシコ 夜に咲き、一夜で終る
花言葉は 「儚い美」 「儚い恋」


<
花言葉 ”儚い恋~~”


"ブラックベリー”  (バラ科)  
毎年夏の終わり頃から摘みだしたと思いますが、
今年は早くから花が咲き出し、半月前からせっせと収穫?
なんて大げさですが。(笑)





黒くなったら摘んでよいのです。
我慢して待ってると直系2cm位になるかも?

小鳥が先か、私が先か!





一日おきに大体 50粒~60粒位かしら?
全部収穫終わるまできれいに洗い冷凍室へ。

ジャムにしますが、「ポリフェノール」 「ビタミン」 
「アントシアニン」が多く含まれ健康食品です
 





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コッツウォルズ(イギリス) ブルゴーニュ ~ パリ(フランス)最終

2009年07月22日 | 旅 ・ 散歩
   動画は ”モネの睡蓮の間”

6月24日〈水)
比較的ゆっくり起き、朝食。 ホテルはやや狭いが食事は可なり豊富だと思う。パン数種類、ジュース、ミルク、ゆで卵、リンゴ、お菓子等々。昨日、イル・ド・フランス(パリを中心に半径100km)に位置する ”ヴェルサイユ宮殿”の見学を終えたので今日はのんびり、オルセー美術館、マレ地区、セーヌ川クルーズを楽しむ。但しマレ地区の日本人食堂の若い女性オーナーは余り感じが良くなく少しがっかり。パリ在住の日本人はそんなもの??「そやけど、従業員の神戸の女の子は愛想もよくええ子やったなア」と姉達。(ボーヌのレストランで隣り合わせになった若い男性2人から紹介してもらい探し探し行ったのでした。)


”オルセー美術館” はセーヌ川をはさんだ左岸にある。ご存知のように、1900年のパリ万博の為の、豪華な駅舎であったのを1986年美術館として開館する。有名なアングル「泉」 ミレー「晩鐘」「落ち葉拾い」 モネ「サンラザール駅」「草上の昼食」 ドガ「バレー教室」等々。

〈左)セーヌクルーズからの ”オルセー美術館” (右)オルセー内部 人が歩いている所は汽車のレールがあった所。 




嬉しいことに写真は ”パチパチ自由” が海外では許されています。光線が入り角度を変えたためお見苦しいですが。

(左)モネ ”サンラザール駅”(この駅はホテルの至近距離にあり幾度も利用し感慨無量で鑑賞しました。)
煙を吐いた汽車が、そして人も歩くのどかな風景。  今は高速列車が、、。
(右) ドガ 題名は? 比較的白、黒が多い珍しさに撮った1枚。




(左) ゴッホ  ”オーベル・シュル・オワーズの教会”   (右) アングル ”泉”
アングルに初めて出会ったのが高校時代、京都「岡崎美術館」でした。今回、残念ながら海外貸し出し中が判明してガッカリ!写真を撮ることが出来ませんでした。(この絵があるべき場所になくて探すこと小1時間 オルセーのインホメーションはアルバイト? 上の階だとか、、下だとか、、)当時等身大以上のこの美しい裸体に見惚れ、私たち高校生二人は無言で立ち尽くしたのです!




オルセー美術館を鑑賞し、マレ地区にタクシーで行き、紹介された日本食堂で味噌汁、海鮮丼、鯖の味噌煮等、あまり美味しくはなかったが、日本食に渇望していた私たちには有り難かった。散策後、メトロでお馴染みの”シテ”迄行き、夜8.20分からのノートルダム発「セーヌ川クルーズ」〈11€×145円)に決めました。船は豪華船ではなく、小型ながら、この選択は有意義、且つ優秀!であったと私たちは何度も感嘆した。ノートルダム~最終のエッフェル塔辺りまで暮れなずむ、そして夕日の沈むセーヌをゆっくりと楽しんだのでした。

クルーズの船の中から撮った写真

(左) ”シテ島”の先端にたむろう、老若男女のおびただしい人たち。
(右) 右岸、左岸をつなぐ最古の橋、”ボン・ヌフ”(意味は新橋 全長229m 資料参照)




(左) 左岸の”アンヴァリット” (ナポレオンの墓を始め廃兵院としての施設)
(右) シテ島の”ノートルダム大聖堂”




(左)”アレクサンドル3世橋”この華やかな橋の先にナポレオンの墓がある。
(右) 午後10時前?もう少しでこの日も暮れてゆきます。




6月25日(木)

旅 最終日、今日は姉のたっての希望である、”オランジュリー美術館” に行く予定であるが 個人見学は午後と言うこともあり、午前はサンラザール駅周辺の探索?をする。駅近くにホテルがありながら、散策皆無でした。デパート”ラファイエット”にて早目の食事(海の幸、これは貝を茹でてもらう。寿司、白ワインを注文してよい気分になった。)パリはそろそろバーゲンセールが始まりデパートはすごい人たちでした。午後、「美術館はもう、よいわ」の妹と別行動で姉と共にコンコルド近くのオランジェリーに行く。


モネ の ”睡蓮” だけを見る為に、この美術館に足を運ぶ人も多いかもしれませんね。1階はモネの”睡蓮”の間と売店のみ。部屋中がぐるりと睡蓮で囲まれていました。(動画、どうでしょう?)その他、ピカソ、ユトリロ、ルノワール、セザンヌ等が2階にあります。モネはこの睡蓮を描くのに老齢にも拘らず何度も手を入れ、四季の移ろい、柳、空、草木、それらが写る水面を描き続け、無償でフランスに寄贈したと言われています。パリに行く機会がありましたら是非に! ”百聞は一見に如かず”




”ガレット” 
パリで人気の一押し。(鉄板の上でクレープを焼くのと同じ)そば粉のガレットはブルターニュ地方の郷土料理だそうです。私は夫のお土産にこの皮をマーケットで買い、家で早速作りました。中身は肉、魚介、ジャガイモの千切り、にんにく等 適当に炒めて、上にチーズ、玉子を割りいれ、写真のように四角に。フライパンでこんがり焼きます。薬味はマスタード、他、好みで。まあ、クレープのお好み焼き風? 「はあい?お味ですか?」  長いお留守番の夫に感謝をこめて作りましたので日頃はあまり何も言わないのですが
 うまい!と申しました~



長々と旅日記とお付き合い頂きありがとうございました。書ききれないハプニング、経験ありましたが おおむね、楽しく終わりました。しかしパリは楽しい反面、怖いことも沢山ありました。中でも、メトロで可愛い女の子たちの”スリ団”に囲まれかかったことでした。車内の男性が大声で叱ったので慌てて下車して行きました。(日本人老婆は狙われる!?)日本で言うなれば、小学校5年生位の金髪のパリっ子!ゆめゆめ女、子供に気を許してはいけません。しかし殆んどは皆、親切、やさしい人達でした。


(小さな画像を大きくご覧になりたい方は”クリック”でネ)





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コッツウォルズ(イギリス) ブルゴーニュ ~ パリ(フランス)7

2009年07月21日 | 旅 ・ 散歩
6月22日(月)
今日は昨日下見した ”ルーブル美術館” と文化の中心地 “シテ島” 周辺を歩く。私たちは右岸沿いのルーブルからセーヌ川を右に見て歩き、ボン・ヌフ橋(ここから中州のシテ島に入る)を渡り、サント・シャペル教会、コンシェルジュリー、ノートルダム大聖堂まで歩き、帰りはメトロでオペラ座まで行き、そこで見つけた日本食街で久しぶりに ”手打ちうどん”を食べ、大いに嬉しがったのでした。


" ルーブル美術館” 現在は約20万点の作品があるとも言われている。13世紀に城砦として作られ、段階的に改造、拡大され宮殿となりその宮殿がヴェルサイユに移ってからナポレオン1世、3世によって今日の美術館としての姿になった。
(左)1989年 ガラスのピラミッドが作られた  (右)  ”ナポレオンの戴冠式” (縦 6m 横 9m位)




”モナリザ”  ”ミロのヴィーナス” を見る人、人、人。(クリックでモナリザも少しは見えるカナ?)




”サント・シャペル”  螺旋階段で2階に上がると部屋中がこのステンドグラスで覆われている。まるで宝石で描かれた宗教画である。今は裁判所の中庭にあり、何故か私たちは裁判所の建物の中に入り込んで迷ってしまった。(1248年ルイ9世によって建設)



”ノートルダム大聖堂” (12世紀ゴシック建築 1163年に着工、1320年完成)”サント・シャペルで手荷物検査のチェックが厳しく1時間以上も待たされ、この大聖堂も行列でした。中に入らず、表の写真のみ。  右は外からの“バラ窓”



6月23日(火)

昨日から4日間有効の ”パリミュージアムパス”(約7400円) を使い、殆んどの美術館訪問を計画した。”ヴェルサイユ宮殿” ”オルセー” ”オランジェリー” 等々。朝早めにホテルからメトロ、RER C線で約40分でヴェルサイユに到着したが、ここも荷物チェックが厳しく、長蛇の列でした。余りにも有名な「世界文化遺産」 ルイ13世の狩猟用の小さな城であったが、ルイ14世によって増改築され、ここに宮廷、政府が移された。私たちは宮殿を一通り見た後、マリーアントワネットの離宮 ”プチトリアノン”迄歩く。

”マリーアントワネット”(1755~1793 38歳)

ローマ皇后マリア・テレジアの娘、幸せな家族愛の中で幼少期を過ごす。14歳でルイ16世と結婚後、4人の子供の母親となる。流言飛語も多かったと言われますが、やがて、悲劇への結末となりコンコルド広場で処刑される。この時期ルイ16世をはじめ、実に1343人が断頭台の露と消えたと言われる。(フランス革命、王政の廃止)


”バラを持つ マリーアントワネット”「絵葉書」            ”ルイ 16世” 「ベルサイユ宮殿の額」




1774年、ルイ16世の即位によりフランス王妃となるが、この プチトリアノン を好み何軒かの農家や畑を作らせ自らも田舎風の格好をして、お気に入りの貴族のみの出入りを許した。しかし夫であるルイ16世の出入りを拒んだとも?

簡素な居間と農家の家(アチコチに数件の農家がありました)  クリックで白いカラーの花が




庭の果実 (梅のような緑でしたが、とても甘い実でした)  白鳥がすっと近寄ってきました



”コンシェルジュリ-”(守衛)に 復元された ”マリーアントワネット牢” の壁に掛けられていた額 (このもの悲しい ひとみは見るに偲びず、子供を残して断頭台に、、。一人の女としてみた時、幼くして結婚し数奇な運命を辿らねばならなかった”アントワネットが不憫でならない。(コンシェルジュリーは サント・シャペル教会、裁判所から一度外に出て、すぐ隣に小さな入り口がありました。)




旅日記も次回は最終日です。セーヌ川沿いを歩き、美術館を訪ねます。




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コッツウォルズ(イギリス) ブルゴーニュ ~ パリ(フランス)6

2009年07月17日 | 旅 ・ 散歩

6月20日(土)~6月25日(木)


6月20日(土)

TGVにて、12時過ぎ パリ リヨン駅に到着後タクシーで、ホテル ”オウスチン・サン・ラザール”に行きましたが、珍しくタクシーに乗っている間、激しい夕立にあう。国鉄の駅 サン・ラザールはホテルから2,3分の至近距離でそこから、メトロがパリ市内を網羅、イルド・フランスに鉄道RERが走っている。パリはやはり大都市である。ホテルは急に狭くなり、6階まではエレベーターがあるが、7階は階段を使う。トランクを「ヨイショ ヨイショ!」荷物を置き、すぐにメトロ、RERを使って”エッフェル塔”(右岸)迄行ってみた。パリ市はセーヌ川を挟んで、左岸、右岸に分かれ、中洲にシテ島、サン・ルイ島がある。


(左)お世話になった地下鉄の路線地図      (右)   エッフェル塔





帰りは散歩程度に歩き、別ルートからホテルに戻る。今日は地下鉄の予行練習でした。まず、何号線に乗るか、進行方向の終着駅名、乗り換え駅名、下車したら必ず ”出口”方面に歩く 等々。切符は ”カルネ”が便利で1枚お得。(メトロは1~14号線まで)電車は右へ一方通行のため、必ず左から走ってきます。


6月21日(日) (動画はオペラハウスの近くで)
”パリ音楽祭の日” 妹の希望で今回はこの日を基準にプランを立てた。
”ヴァンブ蚤の市”  ”クリニアン・クール蚤の市” ”モンマルトル”この日はさすがに音楽祭だけあって、どこに行っても素晴らしい音楽に出会えました。(1年に1度夏至の日)  帰りは”凱旋門”迄メトロ。シャンゼリゼ通りを歩く。歩きつかれて、通りを見ながら飲んだビールの美味しかったこと!「ビール高い~」のも忘れて、、。40.8€  スミマセン、いちいち値段を~。 (日本の円がチョット安い?)



(左)パリ 3大蚤の市の一つ ”ヴアンブ” 庶民的な小ぶりの市です。姉、妹は お皿を買う。
(右)パリ 最大の市 ”クリニアン・クール” 高級品アンティークの店が多く、常設の古い店舗。
(ここで日本のご家族、ご両親とお嬢さんの3人に出会う。木彫りの小さな椅子と布を買い、布を張り替えるのだと楽しそうでした。)





 ”サクレクール寺院”「聖なる心」 白亜の寺院はモンマルトル(パリ北東部、海抜130m)の頂上に建ち、意外とどこからでも見え隠れしました。カトリック精神の団結と高揚を訴えて、しかし資金繰りが難航して1876年~1910年の歳月を要した。

青銅の騎馬像は、左 ”ジャンヌ・ダルク” 右 ”セント・ルイ王”  オルレアンの少女で有名な”ジャンヌ”を切り取って大きくしました。
1412年、100年戦争でイギリスと戦った17歳のフランスの少女。結果的に異端女として1431年で火刑に処される。 しかし今は聖女なのです。(私は昔、イングリット・バーグマンの映画を観ました)




ここでも、にぎやかに音楽祭がありました。殆んどが無名で、この場を借りて日ごろの練習を発表する?歌だけではなく様々なパホーマンスが!




道路奥”オペラ座”オペラ・ガルニエとも呼ばれ1860年着工、公募のコンクールで若干35歳のガルニエがその任にあたった。大理石と銅の屋根、金色の装飾。私たちのホテルは近く、このオペラ通りを何度か歩いた。


(左)  オペラ通り          (右)  オペラ座前の音楽祭、姉、妹も群衆の中に、、




”凱旋門” シャルル・ド・ゴール・エトワール広場の真ん中にそびえている。ナポレオンの命で1806年に建設は始まったが,1821年にセント・ヘレナ島で没したナポレオンは生きてこの凱旋門を通ることはなく、1840年遺灰が帰国した。

高さ50m  幅 45m   フランスの栄光の象徴、(革命記念日は7/14)  今年は偶然テレビでエッフェル塔から花火が打ち上げられているのを見ました。



あちこち歩き回り、モンマルトルから地下鉄でこの凱旋門まで。~シャンゼリゼ~ ルーブル美術館を下見~オペラ座~ホテルにたどり着く。それにしても皆元気ですネ!(姉妹と言えど時々険悪になりそうな時もありますよ~。でもそんな時はイギリスの上品で明るい”オッホ、ホ夫人”が登場します。そして仲直り。)明日から4日間のミュジアムのパスが使えます。では、お休みなさい。






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コッツウォルズ(イギリス) ブルゴーニュ ~ パリ(フランス)5

2009年07月13日 | 旅 ・ 散歩

6月16日(火)~6月19日(金)

ブルゴーニュはフランスの中央から少し北東寄り、太陽と水の恵みを受けてブドウを栽培するのに適し 特に赤ワインは世界的に有名とされる。私たちは欲張らずにデジョンとボーヌに行くことに決めていましたが、便利な列車のお陰でマコンを訪ねることも出来ました。


6/17(水) ホテル ”セントラル・アイビス”がある デジョンは後回しにして、ゆっくり眠った翌日、早速 ローカル列車にて20分位のところにある ”ボーヌ” に行くのです。いわゆる、ブルゴーニュワインの(黄金の丘)街道の一つで城壁に囲まれた場所は中世そのままの美しい、石畳の小さな町です。


フランス国鉄  ”ボーヌ駅”



”オテル・デュー”(神の宿)

1443年、ニコラ・ロランとその妻によって創設された、貧者のための病院として無料で医療を施した「施療院」入れる条件は「貧しい人」であること!  何と羨ましいお話、、、。(王侯貴族から寄進されたぶどう園とそれらから作られたワインで費用をまかなわれた、、らしい。外観は、(と言ってもこの場所は入場料を支払い、始めて見れる) はっとする美しい色とりどりの瓦屋根でその上この幾何学模様の複雑さには息を呑むものがありました。この場所が、あるスケッチ画家によって描かれており、是非ここに来たかったのでした。





(左) 患者を世話するシスターと正面にはキリストの額、両サイドに数台のベット。赤い毛布と真っ白なシーツ、手厚く介護を受ける人たち。ここは、「神の宿」と呼ばれた。 (右) ”施療院” の裏口から一歩外に出たところが市場になっていました。主に、”マスタード”の数々、野菜、果物、等々。毎年11/第3日曜日、この”施療院”の中庭で世界中のワイン業者が集まりオークション、ワイン祭りが開かれる。



上記 スケッチの本に出ていた 「ホテル・ル・セップ」 この中庭がお勧めとありましたので、探すこと、アチコチ??諦めて、ふっと右に曲がった所で、姉が突然「あった!」と叫ぶ。(ここの資料が一時期紛失)ここでしばし疲れた足を休めたのです。左 写真をクリックして頂くと、小さな鉄塔が見えるのが、ノートルダム教会。 教会を見過ぎると疲労困憊する私、、。ローソクを点して来ました~。




この日の食事は、ブルゴーニュービーフ (柔らか美味、フランスの白い牛さんか?ごめんネ!)、エスカルゴ、そしてボーヌ風?ノルマンデイー風?サラダ。(からし、白アスパラ、白いんげん) ここで、珍しく日本男性二人組と隣り合わせになり、料理注文のアドバイスを受ける。その結果の食事でした。男性の1人からパリのマレ地区にある日本料理店を紹介してもらった。


6/18(木)  ホテルの朝食は、パン、牛乳、特大ハム、玉子キッシュ?4日間これが続く。野菜ナシ~。 

デジョンは11世紀からフランス王家をもしのぐ程の勢力を持ち、14世紀には現在のベルギーまでその領地を広げたと言われている。今なお、その伝統と栄光を垣間見ることが出来、商業都市、学問や文化を生み出す大学都市でもあるそうです。   この日はバスがワンラウンドして必ず元に戻ることが判り、5、1、3番に乗り、市内見学(車窓から)。切符は買っても買わなくても?真面目な私たちは勿論買います!検閲時に無いと罰金!!デス。バス1番に乗った時だったかしら? ”ユニバーシティー” 大学が集中している町、学部、寮等、可なりの面積を有する距離があって、これが大学都市と言われる所以なんですネ。多分。


ホテル ”セントラル・イビス” 近くの ”ギョーム門” これは、パリの凱旋門を小さくしたような門でここダルシー広場から、にぎやかなリベルテ通りが始まります。辛子専門店などもあり、可愛いマジョリカ焼きの器に入っていました。


(左)  ギョーム門 (日差しが暑く、この影で一休み、ハトにパンくずを)
(右)  駅近くの公園で遊ぶ子供達 (お水きれいなのかしら? う~ん、あんまりね~)  無邪気で天真爛漫!





(左) フランソワ・リュード広場、回転木馬の横に姉妹が座っている。この手前に木組みの家があり、今はレストランでした。15世紀に建てられ、噴水の像は足でブドウを踏んでいます。(クリックでネ)  (右)デジョンマスタード (テレメール社)


この日は比較的時間もあり、ホテル前のテラスで食事、ワインを奢りました。全部で 63€×145円。
実家の弟夫婦に3人で寄せ書きのポストカードを。


6/19(金)
計画通り”マコン”に行くため早めにレストランで朝食。
窓の外を見ると、市 が予定通り開かれていた。(金、土曜日)こんなに近くとは思わず、食事もそこそこに外へ。チョット気になるものを押さえてもらい、一回りする。この日は、何とか「ブドウ畑に行きたいなア~」と私。ツアーバスはあるけれども、結構値段が高いと妹(会計係)はのたまう。ま、それもそーねエ~ 結局汽車の便がよい、マコン(30分ですヨ、汽車で、、)”ボーヌ”に続くコート・ドール(黄金の丘)なんです。楽しみ~。


ホテル前の ”ノミの市” 良いもの、ガラクタ、何でもアリ。 結局30€を15€の半額で買った、白鳥の“辛子入れ” (リモージュ)




”マコン”に行く車窓から、まだ50cm位のブドウの葉が見えるのみ。しかし小粒のブドウが多分眠るようについているかも知れない。”マコン” に着いた私たちは、今日はおまけの日だから、ゆったり、過ごす事に決めて、ブドウ畑を探すことにしました。(なんて、いい加減、なんて、無鉄砲、なんて、無計画!)車無くして何処へも行けないのでした。結論は駅前からバスに乗り、農家風の場所があったらそこで下りようと私が提案したのです。(えっ? これも、雲をつかむような話ですよね。ホント)

バスに乗り、窓の外を眺めながら、「雲」をつかもうと下車。 妹の ”ボンジュール”の声で、マコンのサンタ小父さん(と今も呼んでいます)に会うのですが。
私たちはカタコト英語も通じないサンタさんに、絵を描き、身振り手振りでブドウ畑が近くにないかを訪ねました。ブドウの絵を描き、畑の絵を描き、、。そして、ワインの絵を描き、、、??? 「アァ ウイ!」私たちも「ア、ウイ」、、。すぐに、冷たいロゼを出して、グラス4個、「遠慮するなと言っている~?」3人は勝手な解釈をして、ご馳走になりました。でも、トーキョーはわかりました。姉妹であることも。(神戸のTさま、笑ってるでしょ!フランス語)


”マコン”サンタおじさんの庭とアジサイの花  小さな畑に野菜、サクランボ。アジサイでちょっとオセンチに。




にこにこ顔のやさしい小父さんの太い腕。    きれいな色のロゼワイン




近くのお友達といつもこんな風に、納戸の冷蔵庫からワイン出して飲むのかしら~(ふっ、ふふ、チョットメタボ?)楽しい時間を与えて下さったサンタ小父さん ”メウシ~” 私たちは「要らない」と言う小父さんにお礼の10€を渡してホテルに戻りました。10時頃まで、陽は沈まず、、明るい。  後日談ですがこのマコンからすぐにボジョレーがあり「ボジョレー・ヌーボー」は日本では余りにも有名。

”Garnet”の漫画。 姉妹をチョット美人に描き過ぎ。サンタ小父さんはもっとふくよかにして、愛嬌あり。(クリックでネ)




明日20日は旅の最終地、花の都?パリへ

これから写真整理したり、縮小したり、アップロード、、。しばしお待ちを~。




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コッツウォルズ(イギリス) ブルゴーニュ ~ パリ(フランス)花

2009年07月11日 | 旅 ・ 散歩
ブルゴーニュに到達するまで、随分歩きましたし、乗りました。チョットエネルギーを使い果たしましたので、ここいらで花のご紹介を致しましょう。15日間の旅で、名前は気にせず撮りためた花達です。〝咲くもよし、散るもよし、花は嘆かず、今を生きる” 「坂村真民詩集より」 この詩歌は今や、私の心に定着していて、花も然り、人生をも。麻布のMさまありがとう!こんな素敵な詩歌を教えてくださって。


なんと言っても ”花” はイギリスがきれいでした。ハンギングやバラが石の壁に溶け合って自然のハーモニーを奏でていました。
      (日本でもお馴染みの花ですよね~)











イギリス、フランスにもこんな花、あんな花。 (8枚クリック グラデーション)

 (表示画のバラは、B&B Mr キャビンの庭にしっくりと咲いていました)


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コッツウォルズ(イギリス) ブルゴーニュ ~ パリ(フランス) 4

2009年07月09日 | 旅 ・ 散歩

6月16日(火)

10時30分専用車ドライバー、ティムさん (この方は純粋の英国紳士、長身、ハンサム!初老?)が時間きっちりにB&B "オリーブ・ブランチ”へ迎えに来てくださり、3個のトランクと共にロンドン、セントパンクラス駅まで。約2時間30分で到着。そこから、ユーロスター(ヨーロッパ高速鉄道)にてパリ北駅。~タクシーで今度はパリ・リヨン駅。~TGV(フランス国鉄)にてブルゴニュのデジョンへ!と田舎者の私たちには超ハード、目まぐるしい一日をこなした。


ユーロスター(ロンドン~パリ)ヨーロッパ高速鉄道にて、パリ北駅まで。この間約3時間ほど乗るわけですが前回は夜であった為、それも昔。ドーバー海峡が一体何処なのか判らずじまいでした。約40分位過ぎた所で、外は暗くなった。「これが、きっと海の下だわネ!」15分も走ったでしょうか?外は明るくなり、明るいままパリ北駅に到着した。(この間、£の残りをかき集めて買った、サンドイッチと飲み物で空腹?をしのぐ。)次の駅からお金は € を使うことになるからです。




パリ北駅に降り、タクシーになんと!! 20M以上の客待ち、「う~ん、リヨンまでそう長い距離ではないけど、、と案じつつ、でも大丈夫なのでした。Taxは3列にずーと並び誘導員が客の荷物の大、小を確認してそれなりの車にどんどん指図。およそ15分でリヨン駅に着きました。やれやれ~

リヨン駅の大時計塔 1900年の万博で大改造され、1902年に今の形となった。壁面には女性の美しい数々の姿が浮き彫りになっていました。この駅から南仏、プロバンス、コートダジュールに向うTGVも出てる様子でした。私たちは通過駅のみでここからブルゴーニュの”デジョン”に直通です。






リヨン駅構内の天井近くに描かれているフレスコ画の一部ですが、ブドウ畑や南仏のリゾート地らしきもの、等描かれていた。発車まで時間があったので、駅の外側をぐるりと回り、姉が探していた、上の時計塔が見つかり大喜びでした。余談ですが広い場所で意外とトイレを探すのに苦労しました。「あ~ァ、トイレは何処に?標識が、、ない!」この駅も地下にあり、50セントを払い始めて入れてもらった。お札を金貨に替える両替所も完備。「は~い、ご苦労さまですウ~」




列車に乗り込む時、若いフランス青年が、3人のトランクをすんなり乗せてくださり、これが全く自然な態度なのでした。ホームと列車の間は2.30cm位の隙間がありその上、段になっている。「ウ~ンよっこらショ!」となるのです。(若い青年が親切にしてくれると、特に感激する私、、)


途中の景色は筆舌に尽くしがたし。(にも拘らず筆でつたないスケッチを、、恥ずかしい)穏やかなゆったりした丘の遠くに白く動くもの多数。「羊? いや、馬? チョット馬にしては足がねえ~」と側を通る時、それは牛だったのです。茶色の牛は殆んど見られず、ほぼ白みがかったそれでした。フランスの牛は白い!のです?  その日、9時過ぎデジョンのホテル ”セントラル・イビス”に着きエネルギーを使い果たした私たちはそれでもほっと一息つき、ホテル前のカフェテラスでワインとサラダ、パスタを食べて、11時過ぎ寝てしまった。(あ~ア疲れたァ)お休みなさい!

すでに、ブルゴーニュらしい、ブドウ畑と思ってくださいね。絵は心理学?と我が師は言って下さいます。




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コッツウォルズ(イギリス) ブルゴーニュ ~ パリ(フランス) 3

2009年07月05日 | 旅 ・ 散歩

6月13(土)~15日(月)
さて、朝食を済ませて、私たちは同じコッツウォルズの中の”ブロード・ウエイ”(チョット北上する)に移動。村から村へなので途中は全くの人家はなく、見渡す限りみどりの緩やかな丘と英国の魅力あふれる、カントリーサイドを 遠く、近く、羊や馬の群れ、牧草の中を走ること30分。Mr キャビンのお友達のタクシーで(タクシー代、チップを入れて、そうですね、60£×170円) まっ、これは、トランク3個と共になので、、。無事B&B”オリーブ・ブランチ”に着くも、トランクを預けて(ここも満室でゲスト達が朝食の時間でした!)そのまま町中をぶらぶら、広場で野菜、果物、お菓子等の市が開かれていて、苺を買って食べましたらこれが甘くてしかも安い!のでした。以後私たちは何回かこの苺の値段で慰められました。にこっ、にこ~。私たちが喜んだのですから、可なり日本から比べてリーズナブルだったのね!きっと。値段忘れました、、、??


先日O先生に、コッツウォルズってどの辺り?って聞かれましたのでチョット地図を載せてみますね。確かにそんな地名があるのかしら?と思います。が”羊の丘”とでも言うのでしょうね。ロンドンから車で2時間余りでこんな静かな沢山の村があるのですね。面積は「東京都」位で今回は欲張らずに、イギリスはこの田舎のみでした。それでも数えるほどの村のみ。(クリックで、ちょっとは鮮明に)





B&Bのチェックインが出来るまで、姉が「スノーヒルに行こう」と、、。漠然としていましたが、広場の若い女性に聞くと、30分位で歩いて行けるとのことでした。でも!でした。歩いても歩いても、果たして何処?バスの便はなく、ヒッチハイクを覚悟。途中、教会と墓地のある場所で中年のご夫妻に出会い、親切にスノーヒルの”チャールズ・マナーハウス”迄、3人を乗せてくださいました。丁度そこを訪れるのだと言うことでした。姉はお礼に日本の伊万里焼の美しいハガキを数枚渡しました。ご夫妻はとても喜んで下さり、日本に関心があったのね。姉は勉強家でそこには日本のものを収集したものがあるらしいのです。

ほんとにそれらはありました。時間制限で、物々しく入りましたが、中は薄暗く、刀、鎧、兜、仏壇、等々。しかし、これは3人ともがっかりしました。明るいことが好きな妹は怒ることしきり、、、。(いいえ、怒ってはいけません。東洋の文化です!)車、観光バスあり、興味のある人も大勢いました。


マナーハウスの一段下で、日本の剣道、刀剣のデモンストレーションがありました。これは見応えがあり、胸が熱くなり感激でした。今日はもしかしてこのために多くの人が? 「大東流」「大真兵法」「九園武術」「園心流」等、若い、イギリス青年たち、又その指導者の皆様に3人は熱い拍手を致しました。日本人と判ったのでしょう。側に来てくださいました。





「ありがとう!がんばってね。」  左の青年は、4年間日本に滞在、京都の「武徳殿」に通って武道を習ったのですって。道理で日本語お上手。    見物客の右の縞のTシャツの男の子、武道が大好きなんですって!おばあちゃまの話。ふ、ふ、可愛い~




青年達に別れを告げ、帰りは又ひたすら、歩きました。でも、1時間位でB&Bに帰れたと思います。チェックインを済ませて部屋に案内して頂く。3階はチョット屋根裏?っぽい可愛い部屋でまるで、赤毛のアンを思わせる飾り、カーテン、置物、小さな窓からは広い牧草が見渡せた、チョット狭いけれどお気に入り。

ここ、”ブロードウエイ” は「幅のある街路」と言う意味で緑地をいっぱいにとった、広いメインストリートが特徴で余り広くはないが、田園都市?って感じです。はちみつ色の建物が行儀よく並んでいます。空が広く青く、小高い丘も見えて、様々なショッピングも楽しめそう。この通りをず~と手前に歩くと、ポストがあり、早くから絵葉書などを売っていました。



小さな窓と、可愛いデディベアーのお出迎えです。朝、妹はこの窓を開けて”ヨッコイショ”と登りチョコンと座り、長いこと丘に目を向けます。馬なんかが見えるのですよ。この妹のお陰で、3人の平均年齢が70歳未満なんですよ~(アリガトネ!又ワインおごるわよ)





B&Bの美人マダム、上品で明るくすらりとした容姿!お洒落も抜群。このB&Bは歴史があるらしく、壁にはそれらしい写真が沢山貼ってあり、私たちは、ご主人が元貴族?それとも、夫人の方か?等とあらぬ想像話で楽しんだ。ご主人はキッチン係り、夫人はお客様の接待で話上手である。高らかにまず朝の挨拶をして「ホッ、ホッホッ!」と笑い、にこやかに、声を一段落として、小さく「お飲み物は何が良ろしいでしょう~?」と囁くように聞いてくる。私たちは以後、「オッホ、ホ夫人」と呼ぶことにしたのでした。

左、私たちのために”ジュリー”を連れて駆ける夫人、、。    右、愛犬の”ジューリー” この発音が難しく、何度もご主人に言わされました!
2個のボールで遊んで欲しい~と、ジュウーリイーが言いました!ハイ。「クリックしてネ。ピッカピカですヨ」ですって。





B&Bからすぐにある原っぱ。大きな木が沢山の日陰を作り、馬たちに接することも出来、ビニールを広げて、ランチタイムも自由、「ああ、こんな世界もあるのですねエー。やっぱりここを選んで良かったわね。私たちはマーケットでワイン、ハム、チーズ、苺なんかを買い込み楽しく草上の宴を致しました。(妹はガーデンパーテーが大好き、慣れています)






6月15日
昨日の日曜日はバスはお休み。(日曜日はとことん休むのですよね)今日はイギリス最終日、計画通り、バスにてチッピング・カムデンに行くつもりが、もっと足を伸ばして、最終地ストラットフォード・アボン・エイボン迄行く。(3.10£×170円)がこの地はシェークスピア誕生の場所。以前ツアーで行ったので余り興味はなく彼の生家も、町中も寂れた感じのみ印象を受ける。軽くランチ、ビールで済ませ、目的地”チッピング・カムデンに向かいました。ロンドンの北西に位置して、中世には重要なマーケットタウンとして、栄えた茅葺屋根の美しい町です。

この家は絵葉書にもなっていました。茅葺と言っても良く見ると、細かい針金状の網が全体にかぶさっていて、補強がしてありました。




この辺りから、上品な老夫人がヒョッコリ現れました。私たちが写真を撮っていますと、「あの、黒い大きな缶(ごみ缶?)の所を左に行くと、石段があるのでそこに行ってみなさい。ナイススポットですよ。」と教えて下さいました。そこには10m位のフットパスがあり、その先でチッピング・カムデンが一望出来たのでした。あまりにも広い視野で写真が撮れなかったのが残念です。



”チッピング・カムデンからB&Bのある”ブロード・ウエイ”に戻るための、バスストップ前のアンテークショップで買った私へのお土産です。妹が見つけてくれました。中古で5£、ウエッジウッドです。うれしい~ この写真がほぼ、実物の大きさ。もう少し、横長かしら?




イギリスにサヨナラをして明日は一番忙しい移動日、フランスに向かいます。ユーロスター、TGVと乗り継がねばなりません。早めにおやすみなさ~い




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コッツウォルズ(イギリス) ブルゴーニュ ~ パリ(フランス) 2

2009年07月01日 | 旅 ・ 散歩
6月12日 (金)
朝食後、オーナーのMr キャビン(私たちはこの名前が中々覚えられずに苦労しました。「うん、船のキャビンネ」と言いつつ又時間が過ぎるとスッと出てこない。「う~ん、ハゲ、、、チャビン?」なんて噴出したり、、。私たちの息子位の若くて頑張り屋、そしてユーモラスなオーナー、 キャビンさんゴメンナサイネ)にタクシーを呼んで頂き、取りあえず”モートン・イン・マーシュ”に行く。(3,000円位)日本の円もポンドには叶いません。しかし3で割ればネと負け惜しみを言いつつ。この村は唯一鉄道がある場所で最初、ここを宿に希望しましたが取れなかったのでした。チョット寂れたような町で逆に幸いでした。


「キャビーン お早う~」 2階から手を振ると今まで花に水をまいていた彼が急にホースを、、こんな風に!「あっ」 は、は、は。3人は笑い転げました。皆様わかりますか~?ホントに冗談ばっかり。





”モートン・イン・マーシュ”の鉄道と汽車  
この町へはロンドンからも来ることが出来る、コッツウォルズ地方の唯一鉄道がある町です。駅サイドにバスの時間表があり、私たちは迷わずバスを利用することにしました。





ホームのベンチにパパと一緒に汽車を待つ ”女の子”パパにお断りしてから、写真を撮らせて頂きました。この後すぐに慣れて、、。リンゴのほっぺが可愛いこと!




その後、バスにて、”ストウ・オン・ザ・ウォルド”、 再びバスで我々のB&Bのある ”バートン・オン・ザ・ウオーター迄帰り、フット・パス(イギリスの田舎には実に多くのこのフット・パスと呼ばれるあぜ道があり、可なりの近道をして、大きな通りに出ることが出来ました。一般人所有の林の中、牧草地の中、人が踏みつけた跡をたどれば、迷子になることはありません。)を通り、この辺りで一番美しい村、”ロウアー・スローター” ~ ”アッパー・スローター”(往復90分)を訪ねました。

”ストゥ・オン・ザ・ウォルド”
バス855に乗り、この町に来ました。コンテナに花が飾られ、高級アンティークの店も沢山ありました。目の保養をしながら、本場のスコーンでTea Time。しかし割りと大雑把に紅茶もジャムもクリームも。結構歩き疲れたお腹にほっとした味わいがありました。  (バス 1£40¢位)  (スコーン 一人 4£位) レート 170円、 円が安いので、、。








再びB&Bのある ”ボートン・オン・ザ・ウオーター”に戻り 宿の真ん前から、フットパスを15分も歩けば、これぞイギリスの田舎、誰もが憧れる美しい村、お勧めスポット、ローアー・スローター ~ アッパー・スローターの美しい2つの小さな村がありました。殆んど人の気配が無く、ひっそりとして、穴場でした。

B&Bの前から Mr キャビンに画いていただいた地図を持って Footpathを歩く。周りに黄色の花、「馬の足」と妹は言う。姉は以前イギリスに行ったとき、「バターカップ」と教えてもらった、、と。私は両方とも記憶になし、デス。




静かなたたずまいの、そして美味しい空気。同じような美しい家並みを歩く。アイ川のゆったりした流れにはカモや見知らぬ鳥も住んでいます。





ザ・オールド・ミル・ミュージアム の裏手にはこの水車がゆっくり回っていました。しばし、郷愁に浸りながら歩きました。この辺りだったかしら?名前を首に付けた白黒の猫ちゃんと出あったの。猫好きの妹がティシュぺーパーに 「I love you from Japan」と書き首に結わえました。飼い主に届いたかしら? (ふ、ふ、ふ。)



水辺に咲く紅い花と屋根のはちみつ色のコントラストも正に絵になりますね!



割合大きな(50cm弱?)鳥ですよ~ この川の主かしら?でもカモちゃんとも仲良しでした。何もかもがゆったりと、時の流れもゆったりです。10時頃まで明るく、今日はこの辺りで帰りましょう。キャビンのレストランで食べましょう。



一番にお留守番の夫にハガキを出します。(ゆっくり座って描くひまが無くて、ハガキを買って見ながら、、。絵の具、筆持参でしたが。)






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