Garnetの部屋

たそがれGarnet の 独り言
(つれづれ日記より)

「プラハの春」上・下  読書

2013年10月31日 | 読書
 ** 春江一也(はるえかずや)*
1962年 外務省入省。68年チェコスロバキア日本国大使館に在勤中「プラハの春」の民主化運動に遭遇。その後、東ドイツ大使館、ベルリン総領事館他を歴任。
著書 「プラハの春 上下」 「ベルリンの秋」 「カリナン」他多数。


** 過日訪れたチェコプラハの景色がまだ明確に残っている時期にこの本を貸していただいた。
参考に読んだ場所、訪れた場所が随所に出てきて、実感としてこの本を読むことができたことは私にとって前代未聞かも知れない。 

私が二人の子供を産み終わったころ、1968年「プラハの春」と呼ばれるチェコスロバキアの自由化運動と軍事介入してきたソ連による弾圧がもたらした事件の背景を追いながら、若き日本人外交官と美しい東ドイツ女性 カテリーナ(反体制活動家)との運命的な出会いと終局を描いている。

** 街の中央を流れる モルダブ川に架かる巨大なカレル橋(長さ514m、幅10m)この両サイドの欄干に現在、30体の聖人の彫像が建っている。この一つの「フランシスコ・ザビエル」像の前を外交官、リョウとの待ち合わせ場所に使った カテリーナの娘 シルビア、その頃5.6歳であった彼女はもう、幾つになっているのかしら?(シルビアもまた、リョウに恋してたのですヨ~」

** ヤン・フスの銅像前の旧市街広場、スタレー・メスト、ここで何回も繰り広げられた革命集会、彼は宗教改革で拷問の後、火あぶりの刑で亡くなった信念の人物。
そのずっと後、「プラハの春」自由化運動の挫折で焼身自殺した ヤン・パラフ、が登場したりする。このヤン・パラフ広場がプラハ市内 マーネス橋の畔にあることがわかりましたが残念なことに知らなかったのです。また普通の小さな花屋さんから地下をたどってプラハ城の小さな礼拝堂に行ける秘密の抜け道もあったのですって。

** 他にも度重なる迫害を受け、多くの命を落としたユダヤ人の運命を知ることが出来る旧市街地にある旧ユダヤ人ゲットー、集会所、ユダヤ人墓地等、意外と身近な歴史「プラハの春」の意味を知りえたことがこの本のお蔭であるとともに結果的に充実した旅となりました。

でも、二冊で約1000ページ弱の読み応えある最終あたりで 「カテリーナがまさかヘスに!!」って思ったのでした。 

 さわやかな秋が訪れました。アチコチ紅葉の便りも見聞きする時期ですね。 
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ヴィナー・シュニッツエル (カツレツ)

2013年10月21日 | Weblog
** ウイーン風カツレツ
(ドイツ、オーストリアの代表的な肉料理)


ウイーンの熱が冷めないうちに美味しかった”シュニッツエル”を

作ってみました。本来は仔牛を使うそうですが、ウイーンでは豚

も多かったですね。鶏でも、牛でも良いのです。

13、14日に訪ねてきた息子夫婦、孫にもとても好評でした。

** 作り方
豚のカツレツ用を人数分。(薄めで良いですよ)
肉をとんとんたたき薄くしますます。薄い方が良い。筋は縮まない
ように切れ目を入れる。小麦粉、溶き卵、パン粉の順は同じですが
パン粉の中に黒コショウで味付けたり、溶き卵の中に生クリームを
入れたり、ここはオリジナルで。

今回は肉にローズマリーをすり込みました。
リクエストで、片面焼いた上にとろけるチーズをトッピングしたり
年令に応じて変化をつければ、好まれます。
コツは、油で揚げないこと!です。
バター、ラード、等で揚げ焼き、こんがり両面です。






** 付け合せ サラダパン* 
(トーストしたパンを切り、サラダの中に入れるだけ)
ワインビネガーを振りかけると味がピリッとして美味しい!
これは我が家の定番となりました。 小腹がすいた時、ランチ時に。



雨がりの庭に出てみました。

** 「パイナップルセージ」
雨に濡れて、ほんとに金魚が泳いでいるようです。
真冬も咲く植物です。パイナップルの香りがします。


** 「フジバカマ」 秋の七草の一つ

因みに秋の七草、 オミナエシ、ススキ、キキョウ、ナデシコ、
         フジバカマ、クズ、ハギ。
頭文字だけ読むと、「お好きな服は」って覚えると忘れません。
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プラハ、ザルツブルグ、ウイーンへ汽車の旅  最終章

2013年10月18日 | 旅 ・ 散歩
今回の旅の話が出たのは、7月の初めでした。妹の「プラハに

行きたい」「ザルツブルグから ハルシュタットに行きたい」

姉は「チェスキークロムロフ」行きたいナ」

「うん、何処か行く?」となりました。私は何回でもウイーンに

行きたいし、3人の意見がまとまり、9月出発となりました。

決まれば、飛行機の手配は早くした方がお得な面もあり、ホテル

共々、HIS吉祥寺に依頼。

沢山の本も提供して頂きました。(ウイーン通の麻布のMさま、

ありがとう!) 頼まれたお蔭で、ウイーンのチョコ ”アルトマン・

キューネ”のお店も新しく知ること出来ました。シュテファン寺院のそば

で可愛い小さなお店でしたネ。 a&k)

** とても参考になった本。
* * * 

** カワイイ系 チョコの店 
”アルトマン・キューネ” クリックで店外。



** 12cm×8cm の小さな箱 クリックで中身。 (ファンになりそう~)
中身は全部手作り、一個がとても小さい。



** モーツアルトチョコ クリックで中身にマジパン。


** 飛行Map 意外と楽しい! 日本に近づくフィンランド航空機。


10/2(水)

** 新幹線で大阪から東京に近づいた頃、右に虹が出てました。 


プライベートの旅は自由で時間の束縛がなく、楽しい反面

非常な困難を伴います。(もう、絶対プライベートの旅はヤメ!)と

何回も思いながら、、。

出発前のプランを練る楽しさ40% 中20% 後の40%が思い出して

もう一度、本を読み返す楽しさ。これが旅の醍醐味かなあ~?

つたない写真と説明に最後まで我慢して読んでいただきホント

ありがとうございました!


** 追記 コメント欄に貴重なご指摘を頂きました。
そのまま、コピーして貼り付けます。通りすがりさま
重ね重ねありがとうございました。

王宮付属聖歌隊はウィーンフィルのメンバーと国立歌劇場合唱団の男声メンバーとウィーン少年合唱団で構成されているのでミサの間流れているのはCDではなく実際に彼らが演奏し歌っているのですよ~。
歌っているのは最上階のバルコニーなので3階席の一部の人にしか見ることが出来ません。
ほとんどの人には見ることが出来ないんです。
私も昨年、実際にこの目で見てきました。早めに行ったのでリハーサルの様子まで見ることが出来て得した気分でした。
ミサが終わると少年達だけが下に降りてきて1曲披露するのです。
CDというのが気になったものですみません。




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プラハ、ザルツブルグ、ウイーンへ汽車の旅 10

2013年10月16日 | 旅 ・ 散歩
9/28(土)ウイーン

ウイーンのどこを歩いても、640年間オーストリアを統治、君臨した
ハプスブルグ家の歴史そのもが見てとれるのですね。
歴史をもっと勉強してせめてその中枢であった ”ホーフブルク王宮”
 だけでも知りえることが出来たらと、心底思いました。広大!ですが。
それから旅に出ることですね。

リンク大通りには王朝末期の贅をこらした建物で満ち溢れている感じです。
ほぼ、素通りの感じで過去2度訪れましたが、今回ほどそれを強く感じた
ことはありませんでした。4度目のウイーンが実現可能なら、、??

地図や、写真を俯瞰して何処へでも簡単に行けそうでしたが、中々どうして、
近くにあるはずの建物が見えなくなったり、見つからなかったりしたことが、
この旅を通して何度もありました。

** スペイン乗馬学校 (11時~23€)
ホーフブルク王宮の一角にあるこの学校は、
(本来は軍備強化のためのものであったが)マクシミリアン2世の時代に
優秀なスペイン産サラブレットから交配され、後に白馬だけが「古典馬術」
の伝統を継承し、騎手ともども音楽に合わせて難度の高い技術を完璧にこなす
妙技に拍手喝采でした。
騎手は責任をもって自分の馬の調教をするのです。(写真撮影は絶対禁止)

** 妙技が行われる室内 (バロック建築)
(下には砂が敷かれている)クリックで絵葉書



** 絵葉書から クリック 
(馬の騎手に対する従順さ、訓練あってこそ)



** 美術史博物館  
(建物の豪華さに圧倒される)

(この近くのマリア・テレジア像の写真は撮ってなかった?)
1891年の開館により幾世紀にわたって収集され、各所に散らばっていた
ハプスブルグ王朝の美術、工芸品が集められた。

以前にも見ているので、絵画は速歩で回り、
この中の カフェレストランで疲れた足を休める。

** 2階に行く階段と壁画 クリックで


** ブリューゲル  バベルの塔  雪中の狩人 クリックで

 
** ザッハトルテとカフェレストランの全景 クリックで
周囲のすべてが豪華、ここに座っているだけでもう、美術館!



** シシィーの像 (エリザベート)クリックで
 ハプスブグ家の最後の皇妃。(1837~1898)
ジュネーブへの旅の途中に暗殺され61歳の生涯を閉じる。 
 フォルクス庭園 (王宮内にある庭園の一つ) 
バラに囲まれてひっそりと。 背景には、国会議事堂、市庁舎が見える。



散策の後、再びケルントナー通りに戻り、スワロスキー、アルトマン・キューネ、
市民が利用する雑貨店、スーパーマーケット等を歩く。
別行動の時は待ち合わせ場所を「スワロスキー」と決める。トイレが美しく勿論
無料。 他は有料で 50セント(一般の駅その他)、1ユーロ(博物館等)。

** 「楽友協会」コンサート(pm8:15分から 59€)
いつも、新年のNHK ”New Years Concert" をテレビで楽しく鑑賞をして
一度このGolden Seatで音楽を聴きたいと思っていました。
曲は誰でも親しめるポピュラーなものばかりで、「ドン・ジョバンニ」
「クラリネット協奏曲」「フィガロの結婚」その他、、。
最後はお決まりの
ヨハン・シュトラウス「美しき青きドナウ」「ラデッキー行進曲」
(視聴者参加)で盛り上がったのでした。
** 正面入り口
カールス・プラッツに近い場所 (オペラ座から反対方向6分位)



** 場内の風景
ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地。




** 世界屈指の音響設備と絢爛豪華な装飾は
「黄金のホール」とよばれる。新年はホール、天井は
花がいっぱい飾られる。





9/29(日) ウイーン 
** 「ウイーン少年合唱団」のミサコンサート。(王宮礼拝堂)

毎週日曜日のミサに王宮付属聖歌隊が歌う。(1498年創設)
王宮内のスイス門から入り、あまり目立たない二階石段の上の
十字架が目印。小さな教会。

日本からのインターネット依頼、前日から場所の確認、
立派なチケット、かなり期待していましたがチョット、、?
9:15分から始まるミサにすぐ教会は満杯になり、私たちは指定席に
着席した。当たり前のことですがあくまで ミサ です。各国の信者は
神妙に祈りをささげ、胸に十字を切ってました。
絶えずCDのではありますが合唱団の歌が流れ、最後に一曲少年たちが
現れ、歌い終わると、サッとどこかに消えました!
** スイス門(左)と教会入口(右)




** 教会中央(左)人混みの隙間からの「少年合唱団」(右)




** ウイーンの森北部  ホイリゲ
ウイーンの森はかってハプスブルグ家の狩猟地でした。
楽しみにしていたホイリゲですが、昔の面影を探しつつ、
地下鉄Uバーンでハイリゲンシュタット(終点)まで行き、
バスに乗り換えベートーベンゆかりの
「マイヤー・アム・プファール」を探しました。
ホイリゲも今はツアー客のためのものであまり人影もなく、
楽しむという考えは失せて、
「やっぱり、ケルントナー通りがにぎやかでよいわ~」となった。

** 静かな通称 ホイリゲ辺り(新酒を表す杉玉)



** ベートーベンが住んでいた後のホイリゲ
(ぶどう棚が美しく雰囲気は満点)



 紅葉のホイリゲ

明日30日は最終日で遠出する計画もなく、チョットお土産など買って
過ごすことになります。最後のウイーンをゆっくりお茶したり、荷物の
整理をしたり、メモの整理など。最終章があれば、又更新をいたします。

写真は良かったらクリックしてみてね。画面が変わると思います。
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プラハ、ザルツブルグ、ウイーンへ汽車の旅 9

2013年10月14日 | 旅 ・ 散歩
9/26(木)Hotel ALLEGRO ウイーン

初日9/17に一泊して、すぐにプラハに移動した私たちは最終の5日間、

ウイーンでのんびり滞在することを決め、「ウイーン少年合唱団」、

「スペイン乗馬学校」「楽友協会」「美術史博物館」を重点的に見学

鑑賞した。オーストリア自体は日本の北海道を少し大きくした位の

面積で殆どがトラムで周遊出来、ホテルも国鉄Sバーンの駅から1分の

至近距離と便利でした。

ザルツブルグからウイーンに向かう列車は多く出ていて、時間も

約、2:30分で到着するので、小雨に乗じてゆっくりザルツブルグの

ホテルを出てウイーンに到着したのは2時頃だった。

すぐにホテルの部屋の交渉。その結果4人部屋のBIGな部屋を用意して頂く。

(5日間連泊が功を奏したのかしら?)

日本で予約したウイーン少年合唱団のチケットも届いていた。元気な私たちは

すぐに、トラムで中心地に向かい、オペラ座、シュテファン寺院、麻布の

Mちゃんから「チョコ買ってきて!」と依頼された「アルトマン・キューネ」

も見当をつけ、トラム62番でホテルに戻った。元気とはいえ、私は旅の出発

間際に発症した足の痛み(踵骨棘)にときとして悩まされた。

9/27(金)

** お世話になったトラム。 


** オペラ座前辺り 
手前の62番のトラムはホテルの行き帰によく利用しました。
 


** シュテファン寺院
ハプスブルグ家ゆかりの寺院。ゴシックの代表的な建物。
因みに ゴシックは一口で表すと、上へ、上へ、伸びてゆく建築様式?



** ホーフブルグ宮殿
13世紀頃のハプスブルグ家の王宮。ウイーン中心地にありスイス宮殿、
ミヒャエル宮殿、冬季乗馬学校、宮廷図書館、大統領公邸もある。
一方、シェーンブルン宮殿はシュテファン寺院から西に5Kの所にあり、
夏の離宮として使用したテレジアカラーの建物、又ミニコンサートで有名ですが、
以前にも行っているのであまり興味がなく、今回はやめにしました。
フランツ2世像 (左) 黄金に輝くハプスブルク家の王冠と「双頭の鷲」(右)
   




** ゲーテ像 モーツアルト像(クリック)
オペラ座正面を右に見て真っ直ぐに歩くとやがてゲーテ像、
しばらくするとモーツアルトの像があります。ここで行きたかった
「楽友協会」のコンサートチケットをGet。座席も確認する
明日9/28日 59€ 8200円位ですが、絶対行きたいと決めていました。
ま、音楽の街でもあり、路上で身分証明書を持参で売っています。
 




** ナッシュマルクト ザワークラフトの大樽
王宮の外観をざっと見てオペラ座前に戻り、Uバーンでなつかしい
ナッシュマルクトに行くことを3人は即決。食事もそこで済ますことに
しました。(私は大好きなロクムを買うつもりです)



 









** ロクムってこんなお菓子
何ていうか、ゼリーを固くしたような、、、。
姉と妹は 「なんでこんなもん美味しいの。グニャグニャして
歯にも悪いし~」 私好きなんですよ、これ。
トルコもロクム有名ですよね。 今回、バラ、ピスタチオ、バニラの
3色を求めました。量り売りですが店のおじさん、ドンピシャで200g
袋に入れるんですよ。 さすがですネ「ありがとう サヨナラ~」



あと1回で旅の記録はお終いです。ではおやすみなさい 


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プラハ、ザルツブルグ、ウイーンへ汽車の旅 8

2013年10月12日 | 旅 ・ 散歩
9/25(水)ザルツブルグ

このビール祭りは偶然のめぐり合わせで、「オクトーバーフェスト」を彷彿
とさせるもので3人は思いっきり楽しく過ごし、特に妹は大喜びし、観光は
そっちのけで、楽団の前に座りっぱなしで、ビールとプレッツエルで楽しんだ
そうです。プレッツエルは塩味で香ばしく、、、と思ってドイツに行ったとき
お土産にしましたが、やはり名物はそこで食べてこそ価値あるものですよね。
夜には至近距離であるホテルに帰る約束をして、姉と二人で前述の
「三位一体教会」を訪ねたのでした。

ジョッキの持ち方
  
ビール祭りは金曜から、4日間催されると売店のおばさんが
教えてくれました。道理で、アチコチ民族衣装を見かけたわけです。

** 2013年9/23(月曜)
ザルツブルグ ダム広場で行われていたビール祭り

(ぜひ大画面で! 文字が入ります)


** 世界遺産 ハルシュタット(ザルツカンマーグート地方)
ザルツカンマーグートの南部。世界最古の岩塩鉱山がある。


9/25日 ユーレイルパスを買ってあるので出来るだけ汽車を使おうと決め 
ザルツブルグ中央駅からアットナンク・ブッハイムで乗り換え
ハルシュタットまで、約2:15分の汽車の旅となりました。

帰る時間を考慮して中央駅を8:12分に出発した。時間はある程度
トーマス・クックで行き帰りを調べ時間に余裕をもちたかったが?

** 汽車から降りて、船乗り場に行く道。(ハルシュタット湖が見え隠れする)


** 船の中から近づくハルシュタットの町。(遊覧船で7.8分)


** ひとつの広場に面してカトリックと新教(プロテスタント)
の教会が建つ珍しい町。



** 町の中心地 噴水のあるマルクト広場 ここから南北1時間で
観光出来る、、。と書いてありましたが?



** 塩、ガーデニング用グッズ、その他いろいろ。メイン通りを彩る店。







** ハルシュタット塩抗 ツアー(のつもりじゃなかった!!)

妹が、「なんでも塩抗の中に入り、すごいスリルのある滑り台が
あるらしいヨ! 
ブログにも書いてあったワ~。ものすご怖いらしいヨ」と何回か、同意を?
「ケーブルカーだけでも登ったら、きれいな景色が見られて、良いやん」と私。
私は結構ノミの心臓で、暗い所、穴の中は怖気づく。
姉が一言、「ここまで来たし下りたらよいやん!」3人とも深く考えないで
チケットを求めた。パンフはぜーんぶドイツ語やし~~。@26ユーロ。
今度は会計の妹が怖気づく。「滑り台するだけでなんでこんな高いの!」

** チケット この男性が等身大写真で塩抗に行く道しるべになっていました。
クリックで1回目の滑り台。(ネットから借りました)



** 囚人服のようなもの着せられました。ツア―仲間の中学生位の子供たち




運悪く生徒が大勢で時間が気になりだした私たち、女性コンダクターにその旨
告げる。一番前に並びました。大きなドアを指したので、出口と思ひ
そこを出た私たちに、又大きな2回目の滑り台が! 急坂だよ~~~
早く出たいばかりに勇気を出して滑る~~。フラッシュ!そこは真っ暗な洞窟!
恐怖に慄いていると「少し遅れたがすぐに追いつくからそこで待って!」らしき
女性コンダクターの英語のアナウンスが洞窟中に響き渡った。
どこで返事するのん? とに角大声で『Yes We will』と答えた。
結局、ツアーだから単独では出られないのは当たり前、、と後で判明した。
途中、ビデオ説明が何度かあり、生徒たちも熱心に。「何年生?」って聞いたけど
頭を振り振り、ニコニコしました。可愛いワ。でも、何処に私たち愚かな3人が
映ったのかしら?

** 真っ暗な穴の中!(左) 塩を指でなめた後。(右)私も。




** ケーブルと塩抗出口(ここへ出て来られて私はどれほど嬉しかったか!)
帰りは子どもたちと一緒に「キャッ!キャッ」言いながら木製トロッコに乗って
暗い穴から出ました。 クリックで






町中散歩は前半終わってましたが、汽車に間に合うための船の時間が
迫ってました。ゆっくり湖畔で食事を楽しみにしてましたが、ま、塩抗
に入れたこと、恐怖と共に今は良い思い出となりました。 ホッ!

明日はウイーンに移動します。 
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プラハ、ザルツブルグ、ウイーンへ汽車の旅 7

2013年10月11日 | 旅 ・ 散歩
9/23(月)9/24(火) ザルツブルグ (オーストリア)

** ザルツブルグ(塩の城)  ザルツはドイツ語で塩のこと。
この名前の由来は、紀元前2500年頃から始まった近郊の岩塩鉱から

採れる塩の交易で繁盛しザルツァハ川からローマ、ヨーロッパ各地へ、

塩を出荷していた。もっと難しい、いわれ、歴史がありそうです。

天才音楽家のモーツアルトもこの地出身です。


私たちは昨日を含めて4日間の滞在を予定し、昨夜チェコの
プラハから着いた足で中心まで歩き、下見をしました。
とに角48時間のザルツカードを買い(約34ユーロ×140円=4760円)
最初に乗った駅で刻印をする。ユーロが高いです(

ヨーロッパは殆どがこの方式で、改札口がなくホーム出入り自由、
何回乗ってもこのカードが時間内なら使える。入場券もほぼOK。
但し、不意打ちに行われる検閲で不携帯の場合、結構な罰金をとられる。
(、、、ということであるらしい)

旧市街にザルツブルグ城塞、世界遺産歴史地区、目ぬき通りゲトライデ
通り、そこから新市街のミラベル宮殿まで歩いて30分以内でで行ける。

** フリーマーケットとザルツアッハ川 以下クリックで別窓。


** 歴史地区ケトライデ通り  
小路の両側にカフェ、ショップが連なり旧市街一の目ぬき通り。
鉄細工の装飾看板が楽しい。昔、字が読めない人のために絵で
示された、、と読んだことありました?



** 鉄細工看板2枚


** マジパンと看板モーツアルト
マジパン、これはアーモンドと砂糖を練って作るお菓子。
チョコの中にも殆どこれが入ってるのが多いですね~




** マーケットの野菜
マーケットは土地っ子の生活がよくわかって面白い。
ユーロに140円を×て日本と比べたりして買い物をしました。



** トラム とても便利でカードで良く利用した。


** ミラベル宮殿と花を手入れする人。
噴水や彫刻、色とりどりの花が咲く庭園に囲まれている。
現在は一部、市役所、図書館として使用されている。
 


** ザルツブルグ城塞とその上からの街。
流れる川が昔、ヨーロッパ各国に塩を運んだザルツアッファ川。


** 三位一体教会 (マカルト広場に面した教会)
天井のロットマイヤーのフレスコ画が必見、、なんて書かれていたので
丁度ホテルへの帰り道ということもあってで寄ってみたが、鉄格子が閉
まっていてその鉄格子の中へ手を伸ばしやっと撮ったフレスコ画。
「な~んや、こんなんか~」と畏れ多くも姉のコトバ。



** 天井フレスコ画 (ロットマイヤー)



 寅年の私のみUP
妹は教会より動物園が好き、、なんですよ~ 山側のZOOにもバスで
行きましたが写真は省略しますね。
明日は汽車で世界遺産「ハルシュタット」に行く予定です。
早起きのため、5:30分にCallを頼みました。疲れて起きれない!!
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プラハ、ザルツブルグ、ウイーンへ汽車の旅 6

2013年10月10日 | 旅 ・ 散歩
9/22(日)Hotel Goldenes Theater ザルツブルグ

今日はチェコ、プラハから、オーストリア、 ザルツブルグへの移動日。

約、7時間の汽車の旅となる。

RJ(レール・ジェット)9:15発~リンツ乗り換え、15:58分ザルツブルグ着の

予定である。トランクがあるため、乗り換えは少し緊張する。

何しろ重いものが苦手な上、ホームから2.3段は ”ヨイコラショ”となる。

たいがいは手伝って頂けるがそれに甘んじることなく、私達なりに一人が

先に汽車に乗り、一個ずつ引っ張り上げる方法を考えた。ここは、大和撫子の

底力を発揮するべくプライドを持った!(これってやせ我慢と違うの?? 笑)

コンパートメント方式の座席で珍しく若い日本人女性の一人旅と同席となった。

残ってしまったチェコ・コルナを差し上げたら律儀に日本円を返そうとする

大和撫子でありました。 「コーヒー代位やから、いらんのェ」、、、と姉。

リンゴをむいたり、のんびり話をしていると、コンパートメントのドアを開けて、

乗務員さんが 「Bus Change!!」と言ってきたのです。「えっ、全員?」まだ

リンツじゃないヨ~。。。 何かアクシデント? ドキッ!

** 車窓 クリックで


駅に4台のバスが待機していて、全員が乗ったことを乗務員が確認し
しばらく走る。 えっ、何ナノこのスムーズさは。
きっと何か前半の汽車で説明したのかしら? 
まことに呑気だけれど、同じ乗務員さんがバスに乗っているんだから、
いいんじゃない? きっとドイツ語で説明したのかなア? 
バスを下り、再び汽車に。  
「What happn? why we had to change the Bus?」ってプアーな英語で。
ハンサムな例の乗務員さん言ったんです。『Normal!』って一言。

** OBBリンツ駅 
(因みにOBB RJはオーストリア連邦鉄道国際特急列車) 
そしてノーマルにリンツに到着、12:09分ノーマルにザルツブルグ行きに
乗ることが出来ました。自由に座席はOKですが、指定の場合は窓の上の所に
小さく電光掲示がある。



** 車窓  時刻表 
各、車両のドアー部分にリアルタイムでスピード、駅の到着時刻が
電光掲示板に表示される。10分前に下りる準備が出来る



** 苦難の乗り場ステップ 3段階はあるでしょう?


駅からトランクを3個のせタクシーで。**ホテルの部屋
このホテルは私たちにとって唯一四つ星で楽しみにしていた。
広々していて2部屋がつながっている。
早速フロントで地図を頂き中心となる”シュターツ橋”まで歩く。
約10分という至近距離で便利。この辺りからバス、トロリーバスが
各方面に出ていることがわかる。

** 夕暮れのザルツアッハ川のほとり



** ゲトライデ通りの手前あたり ウインドウの赤ちゃんがリアル!




ざっと歩き、夕食(アツアツの魚フライとサラダ)を済ます。
明日から無理のない観光をしましょう。では、おやすみなさい。





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プラハ、ザルツブルグ、ウイーンへ汽車の旅 5

2013年10月09日 | 旅 ・ 散歩
9/21(土)プラハ

便利なメトロを使って今日はプラハ城(ゴシック建築)を見学する。

ヴルダヴァ川を挟んで左岸の小高い丘にこの壮大なプラハ城が聳え

それに匹敵する広大な旧市街広場が右岸にある。

そこにはプラハ1000年の歴史が刻まれていて、中世ヨーロッパを

宗教戦争へと巻き込んだ、「ヤン・フス」の像がある。


** プラハ城  余りに広大過ぎてしかも観光客の多さに私たちは
圧倒され、3人離れないでいることにも神経を使った。
プラハ城自体が小さな都市のようで、勿論すべてを観ることは
最初から諦め、多数ある教会の中の「聖ヴュート教会」を見学。
私の見たかったミュシャ(リバティ様式の装飾デザイナーとして
世界的に有名1860-1939)のステンドグラスを写真に収めることが
出来た。至近距離からだと全体を写すことが出来なかったけれど。
一度出口の方向に進むと戻れないようにロープが張られていて、警備も
厳重でミサが行われている間は見学ができません。


** 聖ヴュート教会 (一番人気)






** ミュシヤ、その他のステンドグラス




** ヤン・フス像 (1369-1415)
1915年没後500周年を記念してブロンズ像の設置がなされた。
「愛し合い、お互いに真実を認め合いなさい」と刻まれている。
歴史が深く、勉強せずして語れません。



** 天文時計 (旧市庁舎)
16世紀により大きくなった時計。1時間ごとに始まる「キリスト12使徒の行進」
私たちは近くのカフェでお茶を愉しみながら6時に合わせて垣間見ましたが、、。


** イベントの歌の中参加する妹。
歴史、特に教会にあまり興味を示さない彼女は群衆の中が好き。
ニコニコしながら参加している。


** ミュシャの5枚綴り切手。


昨夜カメラの充電を忘れて途中で電池キレで上の3枚は携帯で撮り、
以後は写真は撮らず、街中をブラブラしながら、ハガキと切手を買い
夫、友人等に5枚のはがきを出した。チェコの切手は使い切りたい。


明日はザルツブルグに移動します。
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プラハ、ザルツブルグ、ウイーンへ汽車の旅 4

2013年10月07日 | 旅 ・ 散歩
9/20(金) プラハ

昨夜チェスキーからホテルにたどり着いたのは10時頃で、

今朝はゆっくり睡眠時間をとった。ホテルの朝食はぎりぎりの10時。

小雨の中、地下鉄(72時間使い放題)でカレル橋に向かう。

 ヴルタヴァ川とその両岸に多くの橋が架かっている。

旧市街とマラーストラナを結ぶのがカレル橋ですね。地図をもらって

わかりましたが、カレル橋はカレルMOSTと言うんですね。

「う~ん、確かに一番大きく立派な橋なんですもの、、」

私たちは観光を欲張らず、のんびり散策することにして、カレル橋と

プラハ城に重きをおいてプラハを過ごすことにしました。

** カレル橋風景
写真、結構とったと思いますが、カレル橋と一目でわかる
写真はありませんで、風景でゴメンナサイ。1枚目はプラハ
城の売店か?忘れましたが買った日本版のガイドBOOKから
お借りしました。なんたって人、人、人、、のカレル橋でした。

その本の説明によると旧市街と(因みにホテルは旧市街)マラーストラナという
2つの歴史的地区を結ぶプラハのシンボル。カレル4世に始まり(1357~1402)
ま、実に45年の才月かけてその上、浸水消耗がが激しいとか。全長516M!
(とは知らずに一回歩いただけで疲れて、今度は橋の下をブラブラしました)
橋の下には沢山のレストラン、マーケット、子供の遊び等あります。

** 見本 対岸がマラー・ストラナ地区(橋の長さ516M)
橋の両サイドに30人の聖徒の彫像が並んでいる。



** カレル橋風景 以下すべてクリックしてネ


** 似顔絵と楽器演奏 パホーマンス


** ここでも、チェコのお菓子 ”トゥルッドウロ”別名”トランペット”
パンの生地をドーナツのように薄く焼きシュガーパウダーが周りにクルクル。
大体300円位で3人OKでした。焼き立てカリカリがBESTでした。 



** 婚約!  彼ひざまずいたんです。彼女に小さなリング渡して「OK」したんですヨ!
思わず『Congrtulation!』 あとで「大丈夫かしらん?」心配もしました3人で。
でも頑張ってねェ~ 幸せ祈ってまーす。だってカレル橋の上だもん。


** カレル橋の下風景

** 子どもとくまを背負った子供 ( シャボン玉遊び)


** カレルの下と犬(躾がとても行き届いている)


** 休憩タイム チョット離れた所でビールとデザート


以後はもう少し急ぎますね。 段々熱が冷めてきそうで、、よろしかったら
また、訪ねてくださいませ~。

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