Garnetの部屋

たそがれGarnet の 独り言
(つれづれ日記より)

六本木ヒルズ界隈  「マリーアントワネット展」

2016年11月27日 | 鑑賞 贈り物

昨日26日 土曜日    

暖かさに誘われて、武蔵境の「N」整形外科を終えてその足で六本木に向かった。

金曜日の朝、ラジオ体操で重い右手を上にあげた瞬間チョット肩の関節がぎくっ!となり

自由に動きがとれなくなった。 若い時スキーで腱板を断裂して手術をし、後遺症もあり、

深刻になった。 レントゲンの結果 「大丈夫、動くようになるよ。」 今は当面、先生の

言葉を信じたい。、、、というわけで家にいても思うに任せた家事も出来ないしと弁解しながら 

「アントワネット展」に向かった。

行きは少し遠回りになるのを承知で「麻布十番」で下車し、ヒルズあたりまで歩く。

** 右にそろそろ森ビルが見えるころ、紅葉も美しい。


** 青空の中の「森ビルタワー」
2003年4月 開業  (複合商業施設、公共公益施設)


** すぐに階段があり徒歩で登ると クリスマスマーケットがにぎやかに
店を開き、土曜日とあって子供連れで賑やか。そろそろお昼~。



** 「マリー・アントワネット展」 森アーツセンターギャラリー 森タワー52階
期間 2016.10.25~2017.2.26迄

写真は勿論許可されずゆっくりとみて説明文を読んだりしていたら
たっぷり2時間は過ごしたことになる。

** 売店で買った4枚のポストカード。
左 (ゴール・ドレスを着た アントワネット)  右 (白いペチコートに青い
ルダンゴト・ドレスを羽織って座るアントワネット)


左 (王太子妃 マリー・アントワネット)ゴブラン織り。右 王妃の第一側近の侯爵夫人
最高の贅を凝らした当時の夫人の洋服。


マリー・アントワネットって?  

14歳でオーストリアからフランスに嫁ぐ。(1755~1793)
フランツ一世 (1708~1780) マリア・テレジア(1755~1793)を両親に、
五男十一女の末っ子として生まれる。両親は相思相愛だったと云われる。
反面、14才の幼さで、あまり年の違わないフランス王ルイ16世と結婚、8年後
位にやっと第一子(長女)に恵まれ、4人の母となるも長女以外は早世している。
長女マリー・テレーズはシャルル10世の息子と結婚している。

貧しさを知らずに育ってしまった彼女は庶民の立場を理解するに至らず、贅沢三昧、
フランスの経済は底なしに沈んでいくのです。庶民がパンのために立ち上がったのが
「フランス革命」 悲劇のヒロインとして、又、プチトリアノンでの自然を愛し羊を飼い、
畑を作った無垢な彼女、まるで小説のように語られるアントワネットは紛れもなく実在の人物。
フランス革命の後、 夫ルイ16世処刑、すぐその後36歳の若さでで断頭台の露と消えた
若き王妃は、虚々実々。伝説となって今も生き続けているんですね~。 223年前の事実。

** 処刑前のアントワネット (最後まで誇り高く毅然としていたとされる)
今回の展覧の中に処刑の時脱げてしまった片方の 靴 が展示されている。


** ハプスブルグ家 マリア・テレジア一家  (クリックで)


** プチトリアノン    昔、旅した時の写真 (クリックで)
(ベルサイユ宮殿から20分位歩くとアントワネットが愛したこの場所がある)




** 額に納まるアントワネット と 寝室 ( 居間だったかも?) 
(因みに手に持っているバラは ロサ・ケンティフォーリア) 
この部屋もバラや小花が使われているが彼女が生涯愛してやまなかったのが、
真珠とヤグルマ菊とのこと。どんな花でしょうね。




** 売店で買った二冊の本
2冊とも史実に元づきながらも違う視点で書かれていそうで
読むのが愉しみ。




** 森ビル52階のレストランで一休み。 
「サラダランチ (パン、コーヒー付)」で 1000円とリーヅナブル。
正面に小さく「東京タワー」


 オーストリア、ウイーンは魅力的な街である。そこには マリアテレジアが残した
偉大な歴史が横たわっている。
そして音楽の街である。何度でも訪れたいあこがれの国。

(画像はすべて クリック で拡大されます)



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日々これ好日 初冬の日々。 | トップ | 「第11回 徹子の部屋コンサ... »
最新の画像もっと見る

鑑賞 贈り物」カテゴリの最新記事