有名な話ですが、トルコと日本との友好関係は120年以上にさかのぼる。
1890年(明治2年)オスマン帝国の軍艦エルトゥール号が
和歌山沖で遭難した時、地元日本人が身を犠牲にして救った。
650人中生き残ったのはわずか69人であったとされる。
この事件は教科書でも教えているんですってね。(テレビで
知りました)
その後、1985年イラン・イラク戦争でフセインの無差別攻撃の
犠牲になりかねなかった日本人を救ったのがトルコの飛行機だった
ことも知りました。
10/15 トロイ(世界遺産)
早朝から トロイ に向かって私たち二人を乗せて、運転手の
ユキサィさんとガイドの デメットちゃん(32歳)と出発。
早朝の ”アザーン”で又も起こされましたが8時位まで薄暗く
意外と再び眠ったり出来ました。寒く、小雨模様。
エーゲ海に近いトロイの遺跡 ホメロスの伝説を信じていたドイツ人
シュリーマンによって発掘された。
この馬の中にギリシャ兵士を潜ませ、トロイ城内に入れて奇襲、
トロイは陥落したのですって。(木馬を贈り物と称した?)
窓からの顔で ”さて、何人の兵士が潜めたのかしら?”
トロイを観光後、ダーネルス海峡をフェリーで30分、その後は走りに走り、
最終地イスタンブールへ。この間、約375KM は最長距離でした。
フェリーの中から、同じ船を写す。船底の駐車場は全く隙間がないくらい
大小の車がぎっしりで、隙間を体を横にして歩き、これ以上は太れない!
と、姉と大笑い。チャイで暖まりながら30分の船旅を楽しんだ。
夕刻、イスタンブールに到着 世界遺産、イスタンブール歴史地区
ブルーモスク ”スルタンアフメット・ジャミー”
オスマン帝国のスルタンアフメット1世の命により1609年から7年かけて
建てられた。 高さ43M、直径23.5M
雨のためあまり良く撮れなくて残念でしたが、6本のミナレット(尖塔)
が特徴、内部を飾るイズニックタイル(ブルーを基調)2万枚、260の窓を
彩るステンドグラス(現在のものは複製品とされる)
クリックで別窓は”アヤソフィア”(電池切れでアヤソフィアの写真なし)
”アヤソフィア” ”トプカプく宮殿”は外観のみの観光となり
現地ガイドの二人とは今日でお別れとなりました。延泊の二日間で
イスタンブールの続きの2日間は二人での珍道中となることでしょう。
デメットちゃん(32歳)は日本語の勉強中で京都、奈良、に3か月滞在
して京都びいき。難しい言い回しの日本語を教えてあげたり楽しい
一週間でした。ありがとう!
10/16
日曜日でおまけにマラソン競技が街で行われ、ホテルからタクシーで
トプカプに向かうが、主要道路は走者のためStopの所が多く回り道、
渋滞に巻き込まれた。デメットちゃんが「明日マラソンがあるらしい」
と言ってくれてたのをすっかり忘れていました。ドライバーが恐縮。
トプカプ宮殿 (大砲を持つ門)
15世紀に世界中の富と権力を独り占めにしたようなオスマン大帝国。
スルタン(皇帝)が暮らした宮殿。
ビザンチン帝国(東ローマ帝国)を滅ぼしたスルタン、メフメット2世が
15世紀に建設、歴代のスルタンは増改築を繰り返し、広大な敷地に様々な
財宝、贅沢品が陳列されていましたが、展示品の写真は禁止。 (クリックで別窓)
世界各国からの訪問者の列が特に多かったトプカプ宮殿は多分
ハーレムや宝物館の見学者でしょうか。
「宝物館」”トプカプ短剣”(ポストカード) 意外とと短く35Cm 柄に3個のエメラルド
写真では撮ることが出来ない広大さ、戦利品や各国からの贈答品の煌びやかさ、
世界遺産として残って今、この形で私たちの目を心を奪う、歴史の重さを振り
返らざるを得ない気持ちでした。
見学後、近くにある庶民の市場といわれる ”エジプシャン・バザール”に立ち寄る。
野菜、魚介類、香辛料、ないものはない位の品数です。日本語堪能なお店で
粒こしょう、ヒヨコマメ、イチジク、アーモンドの粉等を買い求めた。
日本と比べると3分の1位の値段。日本円1万円でかなりの品が買えることになる。
お腹も空いてきたので、近くの美味しい ロカンタ(大衆食堂)を教えてもらい
満員で待ち時間15分。店の窓からガラタ橋が雨でかすんで見えた。
”エジプシャン・バザール”の入り口 (クリックで別窓)
鯖の種類も日本とは少し違っていて、料理に口の肥えている日本人はどうかな?
でも、トマト、キュウリは毎回ふんだんに出されていて、素朴な美味さ。(クリックで)
”ガラタ橋” (ロカンタ(食堂5階)の窓から雨にかすむ橋)
イスタンブールの名所 旧市街と新市街をつなぐ橋。 この橋は2層構造になっていて、
上層部は歩道、車道、一般人の釣りスポット。
下層部はシーフードレストランが軒を並べて魚のフライの匂いと呼び込みが激しい。
10/17
今日はアジアサイドへ渡ってみようと相談し、行きはバス、帰りはフェリーでと
プランを立てた。アジアサイドからの旧市街、新市街を眺めるのが良いことは、本の
資料で知りました。ホテル(旧市街)の近く、タクシム広場からバスは3TL(180円)、
フェリーは2TL(120円)市民の交通手段とあって、安いですね~
アジアサイドは、緑が多く住宅街、因みにガイドのデメットちゃんもアジアサイドに
住んでると言っていました。
ボスポラス海峡を渡るフェリー
遠く、かすかにヨーロッパ・サイドの旧市街、左から ”ブルーモスク” ”アヤソフィア”
”トプカプ宮殿” が見えるが、曇りのため写真が鮮明でなくとても残念!
ピクルスかしら? 彩りもきれいな店 (クリックで靴屋さん)
シシカバブのサンドイッチを買いました。カメラをOK?って言いましたら
ポーズをとってにっこり!
10/18
4時には空港(アタチュルク)から日本に帰ります。
幸い、ホテルが新市街にあることから、同じく新市街にあるアタチュルク(建国の父の意味)の
執務室などがある ドルマバフチェ宮殿に行く。室内はカメラ禁止。
ドルマバフチェ宮殿
海がすぐそばの美しい庭園、内部は皇帝の部屋、サロン、トルコ風呂、バカラと
ボヘミアのクリスタル、オスマン帝国時代の文化と西洋文化が融合している。
トルコ共和国の初代大統領、アタチュルクの官邸でもあることに興味がありました。
(クリックでライオン親子)
アタチュルク(1881~1938)こと、
軍人、政治家
ムスタファ・クルマは
1923年10月トルコ共和国の独立を宣言し、
スルタン制の廃止等、近代化への礎を築いた。
トルコ国民は彼をアタチュルク(トルコの父の意味)と呼ぶ。
アタチュルク廟(アンカラの小高い丘の上)
の大理石の参道にはライオンの像が並ぶ。
彼は上記、ドルマバフチェ宮殿の一室、
執務室で57歳の若さでで執務中に亡くなったとされる。
(資料、インターネット参照)
トルコで出会った花
トルコ街角
最後までお読みいただきありがとうございました。
写真を見ながら思い出したり肝心なことも沢山抜けていると思います。
トルコは言葉では語れませんネ。歴史と遺跡の国、不思議な国でした。