国体の護持に関わったクリスチャン達
太平洋戦争末期に、負けつつある日本が連合軍からの敗戦勧告であるポツダム宣言を受け入れるか否かの要点は連合国が「国体の護持」を受け入れるかどうかにあったことは異論がない所です。そして「国体の護持」とは現天皇(昭和天皇)を中心とした日本の体制を存続させる事に他なりません。1つ前の原爆ブログでも触れましたが、国体の護持さえ受け入れてくれれば日本は1945年春の段階で敗戦勧告を受け入れる用意があることをソ連や中立国のスイスを通じて表明していて、連合国側も既に承知していたことでした。米国陸軍長官スティムソンが1945年7月6日にポツダムに向かうトルーマン大統領に日本への降伏勧告についてのメモ最終版の13条には「(戦後日本)政府が二度と侵略を希求しないと世界が完全に納得するならば、現皇室のもとでの立憲君主主義を認めても良い」の一文が入っていました。つまり国体の護持を認めていた訳です(前掲 新潮新書 有馬哲生 原爆—私たちは何も知らなかった 135頁)。しかしポツダム会談中に原爆実験の成功を知ったトルーマンと国務長官バーンズは原爆を日本に使用する前に日本が降伏してしまうと原爆の威力をソ連に示す実績が作れず、戦後米国中心の世界を作る上でも不利であるとの判断、そして「劣等民族である日本人に原爆を使用して何が悪い」という人種差別意識から天皇制維持の条項をポツダム宣言から削除してしまいます(同161頁)。結果は日本のポツダム宣言無視、ソ連の参戦、原爆投下へと繫がって行きます。
終戦時の天皇の戦争責任を描いた映画 有名な昭和天皇のマッカーサーとの会見写真
2012年のアメリカ映画「終戦のエンペラー」は占領軍のマッカーサーのアドバイザーとして対日心理戦の中心となった知日家ボナー・フェラーズ准将(1896-1973)が「いかに昭和天皇を戦犯として裁く事を避けたか」(国体を護持したか)についてフィクションを交えて描いた映画です。それなりに見応えがあるのですがフィクションの日本人娘との恋愛が邪魔でもっと政治的に描ければ内容の濃いものになったであろうと残念です。原作になった岡本嗣郎 著 「終戦のエンペラー」(陛下をお救いなさいまし)(集英社文庫2013年刊)は実際にフェラーズが戦前から親交のあった恵泉女学院創始者の河井道の生涯を描きながら、フェラーズの戦後天皇を戦犯から外す奮闘を紹介した良書です。ただこちらは河井道の紹介が多く、天皇の戦争責任を免責するという重要な部分は一部です(それでも重要な歴史的資料が沢山記されていますが)。
有馬、岡本両方の書籍で触れられていることですが、米軍は終戦に伴う速やかな日本軍の武装解除、そして円滑な戦後日本統治には天皇の権威が不可欠であると見抜いていました。日本人のエトスや日本の社会構造、歴史を当時知る人であれば誰しも思い至る結論だったでしょう。しかし殆どの欧米人は日本人と中国人の区別もつかない(多分今でも)訳で、日本人をサルと同じくらいにしか見ていなかったのでサルのボスである天皇は戦争責任を問われて絞首刑が当然と考えていました。この「天皇を戦犯として裁け」という圧力をいかに合理的にかわすか、というのが終戦のエンペラーの主題と言えます。そこには日本人としての神道的な精神と一神教であるキリスト教の理屈を理解していた人達の活躍が必要であったのです。河井は伊勢神宮の神官の娘でありながら、幼い時に新渡戸稲造に見いだされてクエーカー教徒になり明治時代に米国で大学を卒業した才媛であり、戦中もキリスト教徒として学校運営を通した骨のある女性です。しかし天皇への敬愛、尊敬は揺るぎないものがあり、「昭和天皇が戦犯として処刑されるならば私が先に死にます」と明言する程の人でした。
終戦のエンペラーの背景
映画においてもマッカーサーと昭和天皇が初めて米国大使館で会見をする場面で天皇が「戦争遂行に当たって政治・軍事両面で行った全ての決定と行動に対して全責任を追う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためにお訪ねした」と話し、その君主としてのありようにマッカーサーが感動した、という所がクライマックスとして描かれます。この言葉を本当に昭和天皇が述べられたかは正式な記録(会見に同席した通訳の記録)には残っていないようです。私は当時の状況から、また昭和天皇のそれまでの言動からこの言葉はマッカーサーとの邂逅の最初に実際に述べられたお言葉ではないかと思います。その言葉の余りの重さに正式な記録には残すべきではないと(残せば戦争責任を本人が正式に認めた事になって証拠として使われる)判断され、マッカーサーの私信として後に伝えられたのではないかと想像します。結果的にはマッカーサーが天皇の人格高潔であること、その後の日本の統治と発展に人格高潔で国民から敬愛される天皇が必要であることが縷々説明されて天皇の戦争責任は免責されることになります。そしてマッカーサーにその天皇の必要性を納得させたのがフェラーズであり、助言をしたのが河井であったという背景です。
明治のクリスチャンは天皇と一神教をどう摺り合わせたか
本来ゼウスを絶対神とするキリスト教と多神教の神道から派生した国造りの子孫で神の一人である天皇をいただく日本の神道は相容れない物のように思います。実際外国人からは日本人のキリスト者が天皇にも敬愛を覚えていることが理解できないとすることも多いようです。フェラーズも同様でした。私はキリスト教信者ではないので、あまりうかつな説明は書けないのですが、岡本氏の河井道の解説では、日本のキリスト者が天皇を受け入れる考え方にはいくつかのパターンがあるとされています。河井らは創造主としての神は一人であり、現実社会における天皇も創造主である神がお造りになった被創造物である。しかし皇室はとても高貴で尊敬される国父に違いなく、神の道に背かぬ限り天皇の存在も行いも全ては受け入れるものである。誤りがあるとすれば周りで支える者が過ちを犯す以外に考えられない、とするものです。新渡戸稲造ら他の戦前のキリスト者達もこのような考え方の人が多かったようです。
戦後皇太子(今上天皇)はクリスチャンのバイニング婦人に教育を受け、美智子皇后もクリスチャンの学校を卒業されています。吉田茂他戦後の日本の政界の中枢を担った人達もクリスチャンが多く、前に紹介した鬼塚史郎著 「天皇のロザリオ」において触れたように、皇室をクリスチャンに改宗するという試みも実際行われて来たと考えられます。それが現実になっているかどうかは別として終戦時に起きたこれらの出来事を知っておく事は日本国憲法第一条に規定された天皇のあり方を考える上で重要なことではないかと思いました。
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