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Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

査読を巡る鼎談

2010-06-26 07:58:14 | Weblog
三流研究者: 申し訳ないが私は三流研究者なので,査読の依頼はお断りしたい。だって,対象となる論文で使われている方法についてなじみがないので,それが正しいかどうかなんてわからない。そもそも論文をどう書いていいかすら,迷いがあるぐらいなのだ・・・。正直,私のようなレベルの研究者に査読されたら著者も可哀想だと思う。だから,どういう縁で私に話が来たのか知りませんが,辞退させて下さい。

二流研究者: 研究者どうしが(匿名で)査読することで研究者コミュニティは維持されているんだよ。他人の投稿論文を評価できないというのは、自分に研究者としての能力がないといっているようなもんだ。そう自覚しているんだったら,とっとと研究者をやめてほしい。実際,自分の投稿に訳のわからん査読をされて苦労することが多い。そういう奴が書いた論文を私が査読するのもお断りだ。暇じゃないんだ。

一流研究者: 正直私にとって査読はそう大変なことじゃない。その論文に価値があるかどうかを一瞬で見抜くことができるからだ。私は学問の水準を下げないため,大概の論文は瞬時に不採択にしてきたよ。ところが最近,エディターがもう少し採択してくれという。そうでないと論文誌を発行できないと。そういうことをいうなら,査読はお断りだ。自分の研究に匹敵する水準の一流の論文しか私は認めないよ。

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正直,査読の依頼にどう対応するか悩ましい問題だ。論文誌の編集委員をしたことはないが,査読の依頼がいかに大変かはわかる。だから,人柄のよい方が関わっていることが多い(だからぼくにそういう話は来ないw)。なので,自分に査読の依頼があったとき,その方の顔を思い浮かべると断るのは申し訳ないと思う。だが,研究のキャパが低いぼくには評価が難しい論文も多い。そこで三流研究者の言い草になる。

もう少し自信を持って,二流研究者としてふるまう手もある。学会のため,浅学を省みず査読に協力する。実際,いままでそうやって査読に関わったことも数々ある。その結果,通すべき論文を落とし,落とすべき論文を通したことがあったかもと危惧する(ただし編集委員の識見により、ぼくの評価と違う結果になったこともある)。三流が二流より劣るのは,謙虚であることを装って、責任を取らないことにあるかもしれない。

一流研究者が実際にはどう考えているか,実際のところ,ぼくにはよくわからない。ぜひ一流研究者の方に補足していただきたい。蛇足だが,上に書いたことは一部(大部分?)「嘘」である。ランクの高い論文誌であれば,少しでも欠点のある論文をばしばし落としても、投稿される論文が不足することはないだろう(ただ,そういう論文誌でさえ困るほど,ほぼすべての審査対象を非採択にした大物の話を聞いたことがある)。