Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

IT業界マーフィーの法則

2008-03-09 22:03:12 | Weblog
過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか? (アスキー新書 042) (アスキー新書 42)
池田 信夫
アスキー

このアイテムの詳細を見る

池田信夫『過剰と破壊の経済学』に,著者が命名した「IT業界マーフィーの法則」が出てくる。それによると,失敗するプロジェクトの条件は 以下の通り;

1 最先端の技術を使い,これまで不可能だった新しい機能を実現する
2 数百の企業の参加するコンソーシャムによって標準化が進められる
3 政府が「研究会」や「推進協議会」をつくり,補助金を出す
4 メディアが派手に取り上げ,「2010年には市場が**兆円になる」などと予測する

その代表例として著者があげるのが,ハイビジョン,INS,VAN,TRON,デジタル放送,電子マネー,WAP,RFIDなど。

条件1は,自分の関心に引きつけていえば,イノベーションに対する消費者の選好形成の問題といえる。真に革新的な技術を,そのままでは消費者は評価できない。既存の製品とのアナロジーやある程度の慣れが必要だ。「慣れ」といっても誰かが使わなければ始まらない。Rogers のいうイノベータ,あるいは最近のことばでいえば「人柱」・・・。 先駆的企業が,そうした学習期間を持ち応えることが難しいのだろう・・・もちろん供給側の学習にも時間が必要だ。

他方,条件3は,最近,サービス・イノベーション「ブーム」に乗りつつある身としてはギクッとさせられる(とはいえ「サービス」も調べてみるとけっこう面白い・・・よくいわれるように,iPod の成功は AppleStore や iTunes Music Store と切り離せないわけだし)。

一方,成功するプロジェクトの条件は

1 要素技術はありふれたもので,サービスもすでにあるが,うまくいっていない
2 独立系の企業がオーナーの思い込みで開発し,いきなり商用化する
3 一企業の事業なので,政府は関心を持たない
4 最初はほとんど話題にならないので市場を独占し,事実上の標準となる

であり,その例は iモード,スカイプ,グーグル,iPod などだという。大きな集団のなかで起きた変異はほぼ淘汰される。だから「進化」には一定の隔離が必要だ,なんて話をどこかで聞いた気がする。それが正しければ,条件2~4はまさにそれと符合する。

このあたりのダイナミズムを,来年度(といってももうすぐ!)始まる新しい講義でカバーできればうれしいのだが・・・いきなりというわけにはいかないが(初年度の受講者は人柱?),3年後にはしっかりした体系にしたいものだ。

・・・という夢はともかく,今日の作業は「調査票」までで「採点」はまだだ・・・。


底割れする大学(と私)

2008-03-08 23:51:43 | Weblog

いまさらかもしれないが,全国の大学の博士課程の競争率が4年連続で1を切ったというニュース。これは大学院の定員見直しにつながり,国立大の場合,教員数のs削減につながっていく。東大に続き,東工大も博士課程の学費の実質無料化を行うという。市場が縮小し供給過剰となったとき,ブランド力も品質も高水準のトップ企業が値下げ攻勢をかけてきたら,他の企業はどうすればいいのだろう?

その前に,東大/東工大等のこういう戦略って,彼らに福をもたらすのか,ということを問うべきかもしれない。確かに定員は埋まるかもしれないが・・・。もちろん,それが納税者にとって納得いくことかどうかということも・・・。

こうした苦境に立った中堅~小企業の戦略として誰もが考えるのが,差別化のポイントを決めて,そこに全資源を投入することだろう。その結果,リストラクチャリングとダウンサイジングは避けられない。経営者から従業員まで,徹底した意識改革が避けられない。そんなことが,オレ様だらけの「大学」でできるだろうか? ただ「背に腹は代えられない」。道筋はよくわからないが,行き着く先はわかっている。

大学や教員の間でさまざまな差異があるにしろ,平均的には,大学市場から締め出される「教員」「院生」が増えることだけは間違いない。それが社会にどんなインパクトを与えるのか? 深い専門知識を持ち,それを磨くことに生涯を賭けてきた(賭けようとする)人々に大学という職場を提供できない社会は,どのような姿をとるのだろうか? 

大学に残らないとしたら,塾・予備校や初・中等教育の教員になるとか,マスコミ等の何らかの「知識集約型」産業に進むという道が,これまで一般的であったように思う。今後そうした道も限られているとしたら,どこに吸収されるのか? 最近,一般の人々の知識欲求が増大しているようにみえる。そうした需要と,(おそらく)教育意欲を持ちながら余剰化した供給をマッチングさせるビジネスが登場しないだろうか? 大学がダメでも,広義の「教育」「教養」産業が成り立たないだろうか?

いろいろ考えさせられる。他人事ではないよ,とか,お前なんかラッキーなほうだろ,とか,オレ(アタシ)は何とか逃げ切るぞ,などなど立場や年齢によって,いろんな声が聞こえてきそうだ。だが,「逃げ切る」なんて,寂しい話ではある。そこそこ有名な大学で一生を全うすることは確かに「ささやかな」幸福だろうけど,そもそも研究などというハイリスク・ローリターンな道を選んだ人の考えることとしては寂しすぎる(カッコつけすぎか・・・)。

・・・まあイイす。今日は一日かけてSIG-KBSの予稿を書く。内容は,アフィリエイト広告のエージェントシミュレーション(MASコンペのベースがあるとはいえ,フォーマット調整や追加分析の織り込みなど,それなりに手間がかかる)。この土日にGS調査票の仕上げとレポート採点をするつもりだったが,明日中にできるんだろうか・・・大学制度以前に,自分の「生活」が底割れしそうだという不安。


非補償型は選択理論のフロンティアか?

2008-03-07 23:41:10 | Weblog
今年度最後の授業では,選択モデルの「最近の話題」として,非補償型選好や社会的相互作用について話す。「最近」とはいうものの,非補償型の研究などは「古くて新しい」・・・あるいは「今でも研究が続いているが,いまひとつブレイクしない」領域といってもよい。なぜだろう?

講義のあと,これを選択理論のフロンティアだと教えていいのだろうか,とつい考えてしまう。線形モデルが仮定するように,消費者が実際に製品属性の加重和を計算して選択している,なんてことはありそうにない。だが,そう仮定したモデルの予測力がそこそこあるので,モデルを複雑にしてまで非補償型にこだわるメリットはあんまりない,ということなのだろうか?

そういう議論は昔からある。これをより「マクロ的」な観点から見直すと面白いんじゃないか・・・つまり,選好ルールの違いがどこまで市場の挙動に影響するのか・・・選好ルールの測定とは別に,こうしたことも考える価値はありそうだ。社会的相互作用のほうはもう少し追い風が吹いているが,本質的に同じ問題を抱えていると思う。だがこちらは,物理学者たちが精力的にシミュレーションを行なって,マクロ的な挙動を調べている。

それはともかく,この大学院の授業に最後まで付き合ってくれたのは二名だけ。内容が難しかったのか,つまらなかったのか・・・(大岡山の院でほぼ同じ内容の講義をしたときは,それでももう少しは人がいたなあ・・・)。一方,MBAの「マーケティング」は今日レポートの締め切り。必修講義なので,どんどんメールが届く(一部は「迷惑メール」に判定されたが・・・)。

夜,2週間ぶりにジムに。そのあと部屋に戻り,WBS「感性検索」特集を見る。ALBERTの山川会長登場。徳島大学との共同研究が近く実用化されるとのこと。さすが,着実に歩を進めているなあという印象。「非補償型」とかじゃなく「感性」の時代なのかもしれない・・・。

年度末カウントダウン

2008-03-06 23:46:11 | Weblog

昨夜は職場の送別会。転出する方のなかには,交流の深かった人もいて,少し寂しい気がする。残った同僚たちと,事務室横のラウンジで缶ビール等々を飲む。こういった機会は,今後減るんだろうなあ・・・。そういえば,今週は毎晩,飲みが続いている。 そしてずっと長い間,運動してない。

今日は東京で某プロジェクトの中間報告。専門家からの質問は鋭い。3月に入ったばかりとはいえ,年度末のカウントダウンが聞こえてくる・・・。研究室に戻り,「銀行」「ガソリンスタンド」調査日程確認。こちらも年度内に終了させる必要がある。アレもあり,コレもある。だんだん手帳が埋まっていく。

電車で移動する時間が増加すると,新書を中心とした読書が増える。

玄田有史,斉藤珠里『仕事とセックスのあいだ』(朝日新聞社) ・・・労働経済学者の玄田氏が,アエラおよびJGSSの調査データを分析,仕事上のストレスとセックスの関係,「恋愛格差」などの問題に迫っている。 ジャーナリストの斉藤氏は,日米仏での体験から来る面白い観察を披露。職場における異性の存在と仕事のモチベーションの関係・・・遠い国の話のようだ。

仕事とセックスのあいだ (朝日新書 24)
玄田 有史,斎藤 珠里
朝日新聞社出版局

このアイテムの詳細を見る

佐藤俊哉『宇宙怪人しまりす 医療統計を学ぶ』(岩波書店) ・・・まず「比」(ratio),「割合」(proportion),「率」(rate)の違いから話が始まる・・・知らなかった・・・死亡割合と死亡率の定義の違いも知らなかった。判別の正しさの評価やオッズ比については知ってはいたが,より理解を深めることができた。マーケティングでも,CRMのように時間のなかで生起する現象を扱うことが増えている。医療統計から学ぶこと多し。

宇宙怪人しまりす医療統計を学ぶ (岩波科学ライブラリー (114))
佐藤 俊哉
岩波書店

このアイテムの詳細を見る

池田信夫『過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるか』(アスキー) ・・半導体の集積度(そしてコスト)が劇的に低下するとともに,経済・経営のあり方は大きく変化する。イノベーションは急速に模倣され,開発された製品はコモディティ化し,それを打ち破る新たなイノベーションを迫られる。そのとき,相対的に稀少な資源がボトルネックになると著者はいう。そして最大のボトルネックは「人間」だと。

過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか? (アスキー新書 042) (アスキー新書 42)
池田 信夫
アスキー

このアイテムの詳細を見る

今週入手した本:

大野左紀子,アーティスト症候群:アートと職人,クリエイターと芸能人,明治書院 ・・・なぜみんなアーティストやクリエイターになりたがるのかという問題設定。著者もかつてはアーティストだった。なぜアーティストをやめたかについて,一章が捧げられている。近々読むべき本の最上位に。

トム・ジークフリード,もっとも美しい数学 ゲーム理論,文藝春秋 ・・・著者はサイエンス・ライター。ゲーム理論の専門家から見てどこまで正確なのか,やや心配だが,何かインスパイアされればと思い購入。

小島克典(編),プロ野球2.0 立命館大学経営学部スポーツビジネス講義録,扶桑社新書 ・・・なかには,阪神タイガースと福岡ソフトバンクホークスのマーケティング担当者の対談が。両チームとも,マーケティング楽だろうなあ・・・。そしてこの本には,団野村氏も登場する。

池袋Walker 2008 ・・・今日の夕飯は「無敵家」だった。


MASコンペお疲れ様

2008-03-04 23:29:37 | Weblog
今日はMASコンペティション。中澤君はなかなかしっかりした発表ぶりで,時間管理といい,質問への対応といい,よく頑張った。だが,残念ながら入賞せず。優秀賞を受賞したのは例年のように「歩行」や「交通」に関する研究だ。それぞれユーモラスで誠実な発表であったが,昨年のように「完敗」したといった感覚はない。

社会や市場の現象を対象としたシミュレーションには,人やクルマが空間上を動くようなわかりやすさはない。エージェントの行動を外から観察してモデル化することもできない。シミュレーションの結果の視覚化だって難しい。その難しさに同情してくれた審査員の先生もいた。それでも「選にもれた」のは,研究の限界が大きかったということだろうか・・・。

この研究の限界は,誰かにいわれるまでもなく,自分たちが最も強く感じている。だが,社会科学的な研究と純粋に工学的(?)な研究を果たして同列に比較できるのか・・・もちろんそれは,このコンペに限らず「賞」が登場する場ではよくある問題だ。あくまで個別領域での意義を求めて研究しているのだとしたら,真の評価を問う場は他に求めなくてはならないだろう。

寺野先生,中澤君,山田君と中野坂上の蕎麦屋で軽い二次会。寺野さんの話を聞きながらぼくが勝手に感じたのは,エージェントベースの研究者は出自の研究領域でも,あるいは方法論的に近い異なる分野の研究者との交流の場でも孤立しがちかもしれないということ。そして,それにくじけず研究に邁進する気概が重要だということだ。

革命前夜だと語りたい夜

2008-03-04 01:28:09 | Weblog
JIMS部会。それぞれIT企業で研究に従事する松山さん,吉田さんからエージェントベース・シミュレーション研究のご発表をいただく。いずれも,実データから消費者間のネットワークを構築し,そこでの情報伝播のダイナミクスをシミュレーションすることで実務に役立てようという意欲的な研究だ。エージェントベースを実世界で活用しようとする試みが,着実に蓄積されつつあることに感銘を受ける。

二次会で議論になったように,実データ・・・特に質問紙調査の結果に,消費者間相互作用を探る上での信頼性がどれだけあるかという疑念が当然わいてくる。しかし,ぼくが酔っ払って主張したのは,条件さえ整えば,個々の回答を超えた調査結果全体から,一種の「大数の法則」によるお告げあるのでは,という予想だ。本当にそうかどうかは,実践を通じて証明するしかない。

そして,それを完成させるのは,シミュレーションによる「可能性マイニング」だろうということ。その方法論を今後追求せねば・・・。いずれにせよ,研究について話を聞きたい人をお呼びし,とことん話を聞き,志を同じくする仲間とがんがん議論するという最高に贅沢な時間。そのネットワークの果実を,今後大きく実らせなくてはならない・・・。

明日はMASコンペだ。わが研究室の成果を世に問う「当面最後の」機会となる。

広告費の海外流出?

2008-03-02 23:41:10 | Weblog

昨日は(元・現)同僚たちと,ちゃんこ鍋@神楽坂。夫婦4組+独身者1人+わたくし ・・・最後の一人を除くと,平均年齢は30代前半あたりか・・・。若いながらも,一流ジャーナルに論文を掲載してきた強者ばかりだ。「もう1本」ワインを頼まなかったせいで電車のあるうちに帰宅でき,翌朝もまずまずの寝起きであった。

今日は大学に向かう電車のなかで,週刊エコノミスト3/4号「テレビの憂鬱」特集を読む。岸博幸氏は世界的なメディアのシフトのなかで,日本,とりわけテレビ業界が取り残されることに警鐘を鳴らす。スウェーデンでは今年中にネット広告市場が,TV広告市場を上回る見通しだという。欧州ではTV広告市場が小さいとはいえ,ちょっとした驚きである。

中村伊知哉氏もまた,日本のテレビ局が規制にしがみついて,世界的な競争に背を向けていることを嘆く。そんなことをしていると,広告費が海外流出してしまいかねない・・・Wii をネットにつないで YouTube を見る子供が増えており,そのうち日本企業は,米国のサーバに広告を出すようになるかもしれない・・・という。ふうむ。

日本の広告(ビジネスは)どうなるのか・・・。最近届いた AD STUDIES Vo. 23 は,「広告研究の新地平を探る」というテーマで昨年末に開かれた広告学会を特集している。エンゲージメント,経験価値,マス広告の社会的機能,ブランデッド・コンテンツ・・・日本の広告研究者たちの関心を集めているのは,こうした概念のようだ。

本日入手した本

リチャード・フロリダ『クリエイティブ資本論』ダイヤモンド社 ・・・The Rise of the Creative Class の翻訳,ついに出る。思い出深い本であり,早速購入。

クリエイティブ資本論―新たな経済階級の台頭
リチャード・フロリダ
ダイヤモンド社

このアイテムの詳細を見る

別冊日経サイエンス「社会性と知能の進化 チンパンジーからハダカデバネズミ」 ・・・この号か,このなかのいくつかの論文を含む別冊を,すでに買っているような気がするが,探すのが面倒なので購入。ダイヤモンド社がハーバードビジネスレビューの論文を,何度もバンドリングし直して出版するのと同じ戦略だろう。

有馬哲夫,原発・正力・CIA,新潮新書 ・・・「世間で」話題になっており,かつ本屋で平積みの高さが低くなっているのを見て,つい。

松井計,家に帰らない男たち,扶桑社新書 ・・・買った覚えがないのに,袋を開けたら出てきた。こんな経験は始めてだ(・・・いよいよ「来た」か?)。読んでみると意外に面白かったりして・・・。


確率論+認知科学 vs. 統計学

2008-03-01 01:35:07 | Weblog

昼から大学院のデータ解析・・・分析課題を報告してもらう日だが,出席者はいよいよ3名に・・・まあ,そのほうが大学院らしいといえる。3人のうち2人が EViews という計量経済系ソフトで分析していた。そのあとは,2月最終日につき,いくつも伝票を提出し,何度もハンコを押す。夕方,MASコンペの打ち合わせ・・・いよいよ大詰めだ。

夜,東京に向かう電車でナシーム・ニコラス・タレブ『まぐれ 投資家はなぜ,運を実力と勘違いするのか』を読了。いやー久々にエキサイティングな本だった! 著者はトレーダーが本業なので金融のエピソードが多いが,経営,経済,あるいは社会現象一般のデータ解析や科学的研究に興味を持つ人にも,ぜひ一読を薦めたい。

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか
ナシーム・ニコラス・タレブ
ダイヤモンド社

このアイテムの詳細を見る

著者はまず,金融市場はもちろん,社会現象から人生の出来事までを,確率過程とみなす。人がいま観察していることは,1つのサンプルパスに過ぎず,歴史を繰り返せば別のパスが現れる。ところが人間は,観察された事象から,過剰な意味を汲み取ってしまう認知バイアスを持つ。Tversky, Kahneman たちの出番である。

トレーダーであれ経営者であれ,成功は自分の才能や判断のせいにし,失敗は運のせいにする。「ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞」(=ノーベル経済学賞)を受賞した金融経済学者ですら,LTCMの失敗で同じ認知バイアスを世にさらすことになった。どれだけ知的であっても,人は日常的な判断でバイアスから逃れられない。統計学者たちもその例外ではないことが,実験で示されている。

統計学は確率論を基礎としており,統計学入門者はかなり早い段階で標本理論を学ぶ。にもかかわらず,人間がそれを使う段になると,認知バイアスが忍び込む。あるいは,理論的な仮想が,現実と混同される。本来ベキ分布にしたがう現象を正規分布とみなしたり,利得の分布の著しい非対称性を無視してしまったり・・・。

また,著者は科学における統計的研究に,生存バイアスがあると指摘する。つまり,統計的検定をパスしなかった研究は発表されず,たまたまパスしたのかもしれない研究だけが発表される(再試が行われるのは,よほど重要な分野だけだ)。だから,論文として発表された,一見手続き上はちゃんとしている研究にも,ゴミは少なくないのだ・・・このあたりは非常に耳が痛い。

著者は統計分析を全て否定しているわけではない。たとえば大きな損失の出る可能性がなく,もっぱら利得があるかどうかが問題であるような場合,彼も統計分析を使う。しかし,確率が非常に小さくとも,起きたときの損失が破滅的に大きい場合,(通常の)統計分析は使えないという。存在しないはずの「黒い白鳥」が登場する,ベキ分布の世界だからである。

そこでちょっと思いついたのが,それって逆プロスペクト理論にならないか,ということだ。利得領域ではリスク愛好的で,損失領域ではリスク回避的・・・つまり3次関数のようになる。変だろうか・・・。

さらには,成功した経営者にインタビューする類の経営学の事例研究は,もっと大きなバイアスを抱え込むおそれがある。成功者は偶然の働きを認めたがらず,あとづけでいろんな説明をするだろうから。三品和広氏は著書で,業績だけで経営幹部を抜擢することの愚を説いていたが,まさに同じ問題を突いていると思う。

著者のポパー原理主義とでもいうべき立場は,科学への禁欲主義に導く。だが,本書が依拠する認知科学,脳科学,行動経済学等々もまた,経験科学の一部なのだ。著者がそうしているように,シミュレーションを通じて確率論を体験的に理解しつつ,確率や統計を人間がどう理解(誤解)しがちかの認知科学に学ぶこと。それがぼくが本書から得た教訓だ。

・・・などというと,硬い学術書のようだが,そうではない。金融工学を駆使するトレーダーたちの,あまりに人間くさい行動観察の本,あるいは博覧強記で連戦練磨のトレーダーがいかに人をけなすかのジョーク集としても楽しめる(具体的エピソードは,訳者によると多少作り話も含まれているようだが・・・)。