Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

確率論+認知科学 vs. 統計学

2008-03-01 01:35:07 | Weblog

昼から大学院のデータ解析・・・分析課題を報告してもらう日だが,出席者はいよいよ3名に・・・まあ,そのほうが大学院らしいといえる。3人のうち2人が EViews という計量経済系ソフトで分析していた。そのあとは,2月最終日につき,いくつも伝票を提出し,何度もハンコを押す。夕方,MASコンペの打ち合わせ・・・いよいよ大詰めだ。

夜,東京に向かう電車でナシーム・ニコラス・タレブ『まぐれ 投資家はなぜ,運を実力と勘違いするのか』を読了。いやー久々にエキサイティングな本だった! 著者はトレーダーが本業なので金融のエピソードが多いが,経営,経済,あるいは社会現象一般のデータ解析や科学的研究に興味を持つ人にも,ぜひ一読を薦めたい。

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか
ナシーム・ニコラス・タレブ
ダイヤモンド社

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著者はまず,金融市場はもちろん,社会現象から人生の出来事までを,確率過程とみなす。人がいま観察していることは,1つのサンプルパスに過ぎず,歴史を繰り返せば別のパスが現れる。ところが人間は,観察された事象から,過剰な意味を汲み取ってしまう認知バイアスを持つ。Tversky, Kahneman たちの出番である。

トレーダーであれ経営者であれ,成功は自分の才能や判断のせいにし,失敗は運のせいにする。「ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞」(=ノーベル経済学賞)を受賞した金融経済学者ですら,LTCMの失敗で同じ認知バイアスを世にさらすことになった。どれだけ知的であっても,人は日常的な判断でバイアスから逃れられない。統計学者たちもその例外ではないことが,実験で示されている。

統計学は確率論を基礎としており,統計学入門者はかなり早い段階で標本理論を学ぶ。にもかかわらず,人間がそれを使う段になると,認知バイアスが忍び込む。あるいは,理論的な仮想が,現実と混同される。本来ベキ分布にしたがう現象を正規分布とみなしたり,利得の分布の著しい非対称性を無視してしまったり・・・。

また,著者は科学における統計的研究に,生存バイアスがあると指摘する。つまり,統計的検定をパスしなかった研究は発表されず,たまたまパスしたのかもしれない研究だけが発表される(再試が行われるのは,よほど重要な分野だけだ)。だから,論文として発表された,一見手続き上はちゃんとしている研究にも,ゴミは少なくないのだ・・・このあたりは非常に耳が痛い。

著者は統計分析を全て否定しているわけではない。たとえば大きな損失の出る可能性がなく,もっぱら利得があるかどうかが問題であるような場合,彼も統計分析を使う。しかし,確率が非常に小さくとも,起きたときの損失が破滅的に大きい場合,(通常の)統計分析は使えないという。存在しないはずの「黒い白鳥」が登場する,ベキ分布の世界だからである。

そこでちょっと思いついたのが,それって逆プロスペクト理論にならないか,ということだ。利得領域ではリスク愛好的で,損失領域ではリスク回避的・・・つまり3次関数のようになる。変だろうか・・・。

さらには,成功した経営者にインタビューする類の経営学の事例研究は,もっと大きなバイアスを抱え込むおそれがある。成功者は偶然の働きを認めたがらず,あとづけでいろんな説明をするだろうから。三品和広氏は著書で,業績だけで経営幹部を抜擢することの愚を説いていたが,まさに同じ問題を突いていると思う。

著者のポパー原理主義とでもいうべき立場は,科学への禁欲主義に導く。だが,本書が依拠する認知科学,脳科学,行動経済学等々もまた,経験科学の一部なのだ。著者がそうしているように,シミュレーションを通じて確率論を体験的に理解しつつ,確率や統計を人間がどう理解(誤解)しがちかの認知科学に学ぶこと。それがぼくが本書から得た教訓だ。

・・・などというと,硬い学術書のようだが,そうではない。金融工学を駆使するトレーダーたちの,あまりに人間くさい行動観察の本,あるいは博覧強記で連戦練磨のトレーダーがいかに人をけなすかのジョーク集としても楽しめる(具体的エピソードは,訳者によると多少作り話も含まれているようだが・・・)。