いまさらかもしれないが,全国の大学の博士課程の競争率が4年連続で1を切ったというニュース。これは大学院の定員見直しにつながり,国立大の場合,教員数のs削減につながっていく。東大に続き,東工大も博士課程の学費の実質無料化を行うという。市場が縮小し供給過剰となったとき,ブランド力も品質も高水準のトップ企業が値下げ攻勢をかけてきたら,他の企業はどうすればいいのだろう?
その前に,東大/東工大等のこういう戦略って,彼らに福をもたらすのか,ということを問うべきかもしれない。確かに定員は埋まるかもしれないが・・・。もちろん,それが納税者にとって納得いくことかどうかということも・・・。
こうした苦境に立った中堅~小企業の戦略として誰もが考えるのが,差別化のポイントを決めて,そこに全資源を投入することだろう。その結果,リストラクチャリングとダウンサイジングは避けられない。経営者から従業員まで,徹底した意識改革が避けられない。そんなことが,オレ様だらけの「大学」でできるだろうか? ただ「背に腹は代えられない」。道筋はよくわからないが,行き着く先はわかっている。
大学や教員の間でさまざまな差異があるにしろ,平均的には,大学市場から締め出される「教員」「院生」が増えることだけは間違いない。それが社会にどんなインパクトを与えるのか? 深い専門知識を持ち,それを磨くことに生涯を賭けてきた(賭けようとする)人々に大学という職場を提供できない社会は,どのような姿をとるのだろうか?
大学に残らないとしたら,塾・予備校や初・中等教育の教員になるとか,マスコミ等の何らかの「知識集約型」産業に進むという道が,これまで一般的であったように思う。今後そうした道も限られているとしたら,どこに吸収されるのか? 最近,一般の人々の知識欲求が増大しているようにみえる。そうした需要と,(おそらく)教育意欲を持ちながら余剰化した供給をマッチングさせるビジネスが登場しないだろうか? 大学がダメでも,広義の「教育」「教養」産業が成り立たないだろうか?
いろいろ考えさせられる。他人事ではないよ,とか,お前なんかラッキーなほうだろ,とか,オレ(アタシ)は何とか逃げ切るぞ,などなど立場や年齢によって,いろんな声が聞こえてきそうだ。だが,「逃げ切る」なんて,寂しい話ではある。そこそこ有名な大学で一生を全うすることは確かに「ささやかな」幸福だろうけど,そもそも研究などというハイリスク・ローリターンな道を選んだ人の考えることとしては寂しすぎる(カッコつけすぎか・・・)。
・・・まあイイす。今日は一日かけてSIG-KBSの予稿を書く。内容は,アフィリエイト広告のエージェントシミュレーション(MASコンペのベースがあるとはいえ,フォーマット調整や追加分析の織り込みなど,それなりに手間がかかる)。この土日にGS調査票の仕上げとレポート採点をするつもりだったが,明日中にできるんだろうか・・・大学制度以前に,自分の「生活」が底割れしそうだという不安。