今日は卒論打ち合わせ一件。アフィリエイト広告に関するエージェントモデルの骨格がだんだんできてきたが,シミュレーションはまだまだ先である。どこに面白さが現れるのか,いまのところ見当がつかない。
今日届いた本:
Joshua M. Epstein, Generative Social Science: Studies in Agent-Based Computational Modeling, Princeton University Press ・・・人工社会研究の第一人者といっていいだろう著者の論文集。有名なアナサジ・インディアンの移動に関するシミュレーションを始め,多種多様な分野への応用が集められている。
彼のいう generative social science とはどう訳せばいいのだろう。「生成的」ではおかしいだろか? 生成的とは,シミュレーションはやってみなきゃわからない,疑似進化プロセスのなかで,瓢箪から駒が出てくるのを狙う,というと大誤解だろうか。
駅ビルで讃岐うどんを食べ,駐車券にスタンプを押してもらおうと思ったら,その金額では足りないという。そこで本屋に行き,昨日あたりから気になっていた次の本を買う:
有田隆也,心はプログラミングできるか:人工生命で探る人類最後の謎,ソフトバンク・クリエイティブ ・・・こちらは人工生命の研究者による啓蒙書。二色刷で参考書のような印象。副題を見て一瞬「人類の最後はどうなるかという謎に対するシミュレーション」かと思ったが,「人類にとって最後の謎である心を研究する」ということのようである。そりゃそうだ。
佐藤哲也,未来を予測する技術,ソフトバンク新書 ・・・著者は地球シミュレータの研究者とのこと。「経済・社会現象のシミュレーション」について言及している箇所がある:
(諸々の理由で経済・社会現象の)・・・正確な予測モデルを作ることはできない。しかし逆にだからこそ,誰もが手頃に参入できる,興味あるシミュレーション分野であることも事実なのだ。
どうせ不正確なんだから,好き放題できる? はい,そうさせてもらってます(苦笑)。これをもって生成的(generative)と呼ぶ,などというと,ふざけすぎか。
一方,「サービス」満足度調査のため,あがってきた調査票に手を入れる。このままでは「専門家」に見せられない。「今夜」中に終わらせることができるのか・・・この作業は,あんまり「生成的」でない気がする。
私、少し前、社会心理学で、MASをかじっていました。いまは、市場調査会社で働いています。
MASは、社会心理学でも、マイナーな手法です。それでも、社会心理学でMASが使うのは、理論的な興味を、シミュレーションで検証できるからです。その意味で、理論との整合性が取れてさえいれば、シミュレーションの結果が「本物の人間」の行動と乖離していていたとしても、「まあ、そんなもんだよね」で済まされる気がします。
一方、マーケティングは、「現実の人間」の「現実的な消費行動」が、興味の最たるところですよね。その意味で、マーケティングでMASを使う場合、シミュレーション結果は、現実の人間の行動とfitするように、収束する必要があると思います
でも、結果がうまく収束すると、前提条件がartificialな感じがするし、かといって収束しなければ、単なる使えない手法って事になると思うのですが、どうなんでしょうか。表現を変えれば、コンセンサスの得られるシミュレーション条件って、ありうるのでしょうか。その辺は、シミュレーション対象に、よりけりなんでしょうか。
否定的なコメントで申し訳ありません。しかし、MASをかじったものとして、かげながら応援しております。
マーケティングでMASを応用する場合,個々のエージェントの行動や集計された振る舞いを実データに適合させることは,場合によっては可能です。ただ,この方法では,非線形・不連続の変化が起こりにくく,MASの醍醐味を失わせる欠点があります。
一方,単純化された設定で予期せぬ結果を生み出す,理論志向の応用があり得ます。こちらは,マーケターに洞察を与えることを目指していますが,当然,現実離れしている,抽象論だと見られることもあるでしょう。
私はそのどちらにも興味があります。理想はその両方を融合させることですが,それが難しいのはご存じの通りです。魅力はあるが,悩み多き研究分野ですね。