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Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

JIMS 研究大会@名古屋大学

2012-06-25 00:40:21 | Weblog
6月23日から24日は名古屋大学で開かれた日本マーケティングサイエンス学会(JIMS)の研究大会に参加した。会場になった野依記念学術交流館は2009年の行動経済学会に訪れたことがある。つい先日のように思えるが随分時間が経ってしまった。その間自分が何をなし得たかと思うと忸怩たる思い。

今回自分は最初から2つめの発表であった。「アフィリエイト広告」なるマニアック?なテーマの発表であったが,コメンテータの丸岡さん(電通)から,従来の広告研究では記事内容と独立と仮定されるが,アフィリエイト広告はそうでない点が独特であるというコメントをいただく。

アフィリエイトの行動動機に,金銭動機以外の要素を加えたほうがいいという指摘も今後の拡張に反映したい。休憩時間などに尊敬すべき先生方から好意的なコメントをいただいたのは久しぶりのような気もする。ただし,これで終わったわけではないので,今後の発展が重要だ。

聴講した研究のなかで特に印象的だったのは,1つには西尾チヅル先生(筑波大)の「東日本大震災はエコロジー意識にどのような影響をもたらしたか」だ。3.11 前後のエコ意識の変化を,被災やボランティアの経験を絡めて分析している。研究は進行中であり,今後が楽しみである。

もうひとつは,坂本和子先生(京都工繊大)の「お菓子の色と形が購買に与える影響-美味しくするためのデザインエッセンス-」。デザインの力をどう評価するかにぼく自身強い関心があり,永年このテーマを精力的に研究されている坂本先生の報告は JIMS 参加の楽しみの1つである。

西尾さんと坂本さんの研究に興味を惹かれたのは,それらに「いまの時代を生きている」感じがするからだ。もちろん,何がいま最もタイムリーな研究であるかについては,人によって意見が分かれるであろう。あくまでぼくの感覚にぴったり来るテーマであった,ということである。

もう一つ,お二人に共通していたのは,一種の使命感のようなものだ。何らかの事情でデータが手に入ったからそれを分析するというのではなく,本人が強く関心を持つ問題が先にあり,だから苦労してデータを集めて分析する・・・それが真っ当な研究な道だと教えてくれる報告であった。

2日目は阿部周造先生(早稲田大学)のチュートリアル計3時間を受講。テーマは消費者行動研究(CB)の科学的方法論。阿部先生は科学哲学への該博な知識に基づき,反証主義,科学的実在論,論理経験主義,構成的経験主義,道具主義,解釈主義,社会構成主義を論じていく。

カール・ポパーの反証主義はあまりに禁欲的であり,実証科学としての CB 研究が成果を上げていくには科学的実在論か,せいぜい構成的経験主義が現実的な選択肢になる。モデルが役に立つかどうかだけを考えるのが道具主義で,JIMS 会員に多いのではないかと阿部先生は微笑む。

道具主義では知識は蓄積されないとのお話だったが,経済学ではM.フリードマンに代表される道具的実証主義が一定の影響力を持ち,それなりの知識の蓄積を行っている。講演後阿部先生に質問してみたが,経済学はむしろ現実との対応より理論の精緻化のみ図っているとばっさり。

もう少し具体的な話として,CB では(心理学同様)実験結果が仮説に対して支持的なもののみ報告するというバイアスを持つ。しかし,複数理論の比較テストを目指せば,従来「捨てていた」実験の結果も生かすことができる。その結果,統合的な理論の発展も期待できるという。

CB や心理学の研究で多用される Baron & Kenny の媒介変数に関する手続きに批判が生まれているという話も興味深かった。実験で諸要因が統制されているとはいえ媒介変数を1つ見出せれば,元の2変数の偏相関が消えるというのはあまりにナイーブすぎる考えかもしれない。

阿部先生は解釈主義や社会構成主義に対しては批判的で,そうした考えがこれ以上普及すると科学的な CB 研究は打撃を受けると言明された(少数の批判勢力=わさびとしての存在価値は認める,ということではあったが・・・)。特に共約不能性という考えに否定的であった。

さて,科学哲学については大昔にポパーを数冊読んだ程度のぼくに,阿部先生の主張に対して何かを語る資格はない。自分の感覚(好き嫌い)に身を任せて研究プログラムを遂行し,あとになってそれがどのような哲学で正当化できるのかを考えればいいと思っている。

ただし,一つ気になっていたのは構成主義とは似て非なる「構成論」という立場である。観察される「現象」には限定的な情報しかなく,人工物への展開を通じて「隠された/もうひとつの/可能態としての現実」を知ろうとする立場だ(といっていいのかどうか・・・)。

阿部先生のチュートリアル以前に,学会報告を聞きながら漠然と考えていたのは,データに基づく分析は本質的にすべてシミュレーションだということだ。つまり,何らかの恣意的な仮定がいくつかあって,それらに基づいて紡ぎ出された物語だ,ということである。

ただし,誤解してほしくないのは,データ分析を全く根拠のない観念の産物だといっているわけでは「ない」ということだ。データを不当に改変することは許されず,物語のエンジンも論理という制約のもとにある。このことはいずれ,もっと厳密に論じたいと思う。

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