Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

ぼくらが夢見た未来都市

2010-08-21 17:27:38 | Weblog
10代前半の最もセンシティブな時期に大阪万博に遭遇したことは,ぼく自身の嗜好あるいは志向の形成にかなり大きな影響を与えたと勝手に信じている。そして,そのイメージは前後の世代を含めて共有され,『20世紀少年』にまでつながっている。しかし,大阪万博はそのような個人史的事件にとどまるものではないようだ。それは,建築の思想において長く育まれてきたものが一気に花開いた,比類なき出来事だったのだ。

ぼくらが夢見た未来都市
(PHP新書 676)

五十嵐 太郎,磯 達雄
PHP研究所

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大阪万博の建築デザインには丹下健三を筆頭に,黒川紀章,菊竹清訓,磯崎新といった当時の新進気鋭の建築家たちが参画している。彼らは単なるデザイナーではなくコンセプトメーカーであり,思想家であった。本書では,彼らが当時,あるいはその後展開する「運動」を詳しく紹介している。さらにその源流として,過去の建築思想,ユートピア思想,あるいは SF に描かれた未来と空間のイメージを探っている。

その先に一体何が見えてくるのか・・・ 建築デザインの対象が個々の建造物を超えて都市へと広がることで,造形的な美しさが増大する一方で,個々人の自由が圧殺されていく。ユートピアの夢の延長としての建築思想が内在する権力性が露になる。個人的にその代表例として思い浮かぶのが,つくばセンター周辺の冷たく,生気のない空間だ。あるいは,東京国際フォーラム。それぞれ建築家の悪魔的な意図を想像したくなる。

本書によれば,最近の建築思想はよりエコロジカルな方向へ進んでいるようだが,それによって建築の権力性がどこまで和らげられるのか,本質は変わっていない気がする。人々にとって住みやすい空間とは,建築家の意思が不十分にしか実現しないか,ほぼ希薄であった場合にのみ実現するのではないか・・・。その意味で,「ぼくらが夢見た未来都市」が部分的にしか実現しなかったことを,ぼくらは喜ぶべきなのである。

愛知万博では,大阪万博のときのように有名な建築家がデザインに関わるのでなく,広告代理店によるデザインが主流であったという。つまり,一人の思想家の欲望で貫かれたデザインから匿名の商業的デザインへの移行が起きたのである。万博のメッセージ性が大阪万博をピークに衰退してしまったことを,建築家である著者は残念だと感じているようだが,建築家に支配されたくないぼくは,別の感慨を抱いている。

いずれにしろ,大阪万博で見た光景を忘れることができない同世代を中心に,かつて「夢見た未来」の源像について考えたい幅広い人々にお勧めしたい好著である(ここでふと,こういうのは男子的な世界なのかな,という疑問が頭をよぎる・・・)。

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