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あるマーケティング研究者の思考と行動

大学下流化,言論下流化

2008-08-31 23:30:37 | Weblog
下流大学か・・・ またかと思いつつも,大学の話はやはり気になるので買う。電車で都内を移動中に読了。主に大学教員の「証言」に基づき,最近の大学生が,学力のみならず,社会常識やコミュニケーション能力等々でいかに劣っているかが語られる。その原因は,よくいわれる「ゆとり教育」よりは,若年人口が減少するのに大学の募集人員は減らない(どころか私立大学では増加している)ことであるが,それに輪をかけてひどいのが,学生たちにおもねる大学だと,著者の批判は大学に向かう。

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三浦 展
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中学校や高校の教育がなっていないと大学側は文句をいう。だったら,大学はレベルの低い学生を入学させなけりゃいい,という著者の指摘は確かに正論だ。批判はさらに大学教員にも向かう。そもそも大学教員は,自分の好きなことができれば,収入は低くてもいいと考え,コミュニケーション力の低い「下流っぽい」人が多い。そんな環境で過ごせば,学生が下流化するのは当然だと。そこまで教員に影響力があるのかとは思いつつも,耳が痛い。

本書で引用されている竹内洋氏の研究が興味深い。この数十年で,東大生の読書量はさほど減っていないが,以前はそれに負けない読書量があった「中堅上流大学」で,最近読書量が激減しているという。中堅上流大学とは何かはともかく,かつて「教養」の裾野を広げていた「中間層」が崩壊した,ということだ。そうかもなあ… しかし,いわゆる難関大学でも大差ないのでは,という気がしないでもない。

問題は読書の中身であり,志向性だ。世のなか全体で,知識を垂直的に位置づけようとする「教養」から,水平的な関係に置こうとする「ウンチク」への流れがあるのでは。だとすると,社会は異質化しつつも,平等化に向かっていることになる。しかし著者は,エリートにはそれに相応しい幅広い教養が必要で,エリート向けの大学は,世界史や日本史など,多様な受験科目を課す必要があると主張する。

著者はかつては大学の非常勤教員を務めたことがあるが,いまや年間百回の講演があり,その収入だけで二千万円あるから,超薄給で下流化した学生の相手をすることなど,バカバカしくてやってられない,という。なるほど・・・ 著者の生活が「上流化」していることだけは確かなようだ。

大学が大学教員ともども「下流化」しているという批判には,謙虚に耳を傾けるべきだろう。だが,一方の「言論」「評論」の世界はどうなんだろう・・・ そちらもまた(あるいは大学以上に)下流化してはいないだろうか? ぼくは下流な教員=研究者ではあるが,下流な知的生産はしたくないと思う。

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