静岡大学・浜松キャンパスで開かれた日本社会情報学会全国大会に参加した。会員ではないが「社会シミュレーション~モデルの粒度と現象の接合を探る」と題するワークショップにお誘いを受けたのである。発表者は,今年1月に開かれた社会情報システム学シンポジウムとほぼ同じである。
オーガナイザーは岡田勇先生(創価大)と太田敏澄先生(電通大)。岡田さんの挨拶のあと,社会学者である遠藤薫先生(学習院大)による「シミュレーションと社会 - その二つの様相」と題する基調講演が行われた。冒頭に東日本大震災を受けた,リスク社会論のベックらによる議論が紹介される。
今回の大震災では津波の被害や放射性物質の拡散に関するシミュレーションが注目された。一方,原子力発電の安全対策に関するヒューマンエラー,放射能汚染やそれに伴う風評被害を考えると,それを扱う社会シミュレーションがあってもおかしくはないが,現実にはそこまで到達していない。
社会学におけるエージェント・シミュレーションは抽象度の高いゲーム理論の研究にとどまっており,遠藤先生はそこに不満を感じておられるようだ。もちろん,自然科学と同レベルの科学性を求めることはできない。そこで長尾真『「分かる」とは何か』における「理解」の概念が参照される。
高名な人工知能研究者である長尾先生によれば,理解には論理規則に基づくものと経験に基づくものがあるという。遠藤先生は,社会シミュレーションが依拠すべき「理解」の概念は後者であるという。すなわち,個別状況の疑似体験の積み上げによる理解を目指すべきであると。
さらに遠藤先生は,こうしたシミュレーションによる経験的理解は,子どもが社会化する過程において観察されるほど,実は一般的なことだと指摘。それを受けて,自らシミュレーションする主体をシミュレーションする社会シミュレーション・・・というようなことを考えるとなかなか刺激的だ。
次に登壇されたのが,予測市場の研究と実践で有名な佐藤哲也先生(静岡大)。選挙結果の予測を精緻な計量モデルでやろうとしてもうまくいかない。それよりは人々の直感・感覚を生かした予測市場のほうが正確だという。一つの理由はまさに,有権者の意思決定が直感的であるということだ。
予測市場で正確な予測を行う参加者は,多くの場合全体の5%程度だという。それはどういう特徴を持った人々なのか,カテゴリを超えてよい成績を収めるのか(何らかのスキルがあるのか),いろいろお聞きしたいことがあったが,学会事務局としての仕事がお忙しいようで途中退席された。残念!
そのあと鳥海不二夫先生(名古屋大)が予測市場のエージェント・シミュレーションについて報告。予測者間に情報格差があった場合のほうがアンケートに比べて予測精度が高いという,逆説的な結果が得られた。山本仁志先生(立正大)の「社会的ワクチン」の研究も同様のサプライズを含む。
最後にぼくがマーケティング・サイエンスの立場から,ということで Fagiolo の Empirical Validation に関する議論や Rand & Rust の近著について紹介。前者の主張を一言でいえば,いかに興味深い Stylized Facts を見つけてそれをできるだけ簡単なモデルで再現するか,になるだろう。
一方,Rand and Rust はマーケティング・サイエンスの研究者に対して,いかに一流論文誌に載るような Agent-Based Modeling (ABM) の論文を書くかを啓蒙するもの。その分野で正統的なモデル(たとえば Bass モデル)に依拠しつつ,その限界を補完する形で徐々に拡張することを薦める。
このあとの発表者全員の議論で,こうした戦略について話題になった。エージェントモデルを幅広い分野に適用している工学的立場(たとえば寺野隆雄先生)にとってみれば,そんな戦略は論文投稿上の方便でしかない。狭い学問的コミュニティにとらわれない発想を持つことも確かに重要だ。
ABM という未成熟の手法について学際的な経験の交流はきわめて重要,しかし最後は各自がどういう研究をするかに行き着く。駅前の居酒屋での打ち上げでは,鰻の刺身をいただく。それなりに美味しかったが,やはり鰻は蒲焼きがベストかも。長期間の淘汰を生き抜いてきた食習慣は偉大なり。
オーガナイザーは岡田勇先生(創価大)と太田敏澄先生(電通大)。岡田さんの挨拶のあと,社会学者である遠藤薫先生(学習院大)による「シミュレーションと社会 - その二つの様相」と題する基調講演が行われた。冒頭に東日本大震災を受けた,リスク社会論のベックらによる議論が紹介される。
今回の大震災では津波の被害や放射性物質の拡散に関するシミュレーションが注目された。一方,原子力発電の安全対策に関するヒューマンエラー,放射能汚染やそれに伴う風評被害を考えると,それを扱う社会シミュレーションがあってもおかしくはないが,現実にはそこまで到達していない。
社会学におけるエージェント・シミュレーションは抽象度の高いゲーム理論の研究にとどまっており,遠藤先生はそこに不満を感じておられるようだ。もちろん,自然科学と同レベルの科学性を求めることはできない。そこで長尾真『「分かる」とは何か』における「理解」の概念が参照される。
「わかる」とは何か (岩波新書) | |
長尾真 | |
岩波書店 |
高名な人工知能研究者である長尾先生によれば,理解には論理規則に基づくものと経験に基づくものがあるという。遠藤先生は,社会シミュレーションが依拠すべき「理解」の概念は後者であるという。すなわち,個別状況の疑似体験の積み上げによる理解を目指すべきであると。
さらに遠藤先生は,こうしたシミュレーションによる経験的理解は,子どもが社会化する過程において観察されるほど,実は一般的なことだと指摘。それを受けて,自らシミュレーションする主体をシミュレーションする社会シミュレーション・・・というようなことを考えるとなかなか刺激的だ。
次に登壇されたのが,予測市場の研究と実践で有名な佐藤哲也先生(静岡大)。選挙結果の予測を精緻な計量モデルでやろうとしてもうまくいかない。それよりは人々の直感・感覚を生かした予測市場のほうが正確だという。一つの理由はまさに,有権者の意思決定が直感的であるということだ。
予測市場で正確な予測を行う参加者は,多くの場合全体の5%程度だという。それはどういう特徴を持った人々なのか,カテゴリを超えてよい成績を収めるのか(何らかのスキルがあるのか),いろいろお聞きしたいことがあったが,学会事務局としての仕事がお忙しいようで途中退席された。残念!
そのあと鳥海不二夫先生(名古屋大)が予測市場のエージェント・シミュレーションについて報告。予測者間に情報格差があった場合のほうがアンケートに比べて予測精度が高いという,逆説的な結果が得られた。山本仁志先生(立正大)の「社会的ワクチン」の研究も同様のサプライズを含む。
最後にぼくがマーケティング・サイエンスの立場から,ということで Fagiolo の Empirical Validation に関する議論や Rand & Rust の近著について紹介。前者の主張を一言でいえば,いかに興味深い Stylized Facts を見つけてそれをできるだけ簡単なモデルで再現するか,になるだろう。
一方,Rand and Rust はマーケティング・サイエンスの研究者に対して,いかに一流論文誌に載るような Agent-Based Modeling (ABM) の論文を書くかを啓蒙するもの。その分野で正統的なモデル(たとえば Bass モデル)に依拠しつつ,その限界を補完する形で徐々に拡張することを薦める。
このあとの発表者全員の議論で,こうした戦略について話題になった。エージェントモデルを幅広い分野に適用している工学的立場(たとえば寺野隆雄先生)にとってみれば,そんな戦略は論文投稿上の方便でしかない。狭い学問的コミュニティにとらわれない発想を持つことも確かに重要だ。
ABM という未成熟の手法について学際的な経験の交流はきわめて重要,しかし最後は各自がどういう研究をするかに行き着く。駅前の居酒屋での打ち上げでは,鰻の刺身をいただく。それなりに美味しかったが,やはり鰻は蒲焼きがベストかも。長期間の淘汰を生き抜いてきた食習慣は偉大なり。