Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

世阿弥に学ぶこと

2009-07-29 17:06:19 | Weblog
『風姿花伝』『花鏡』などに書き残された世阿弥の思想のなかに,ブランド論の立場から学ぶべきことを論じた本。世阿弥の原文がまず引用され,現代誤訳が付記され,そこから汲み取れるブランド論に向けた含意が語られる。コンパクトな本だが,世阿弥のことばをきちんと読もうとすると時間がかかる。そこを飛ばして読んでもいいでしょうかと恩師である著者にお尋ねしたところ,それでは脳が活性化しない,と一喝された。

少なくともぼくには,電車のなかで気軽に読める本ではない。世阿弥の原文に集中し,降りるべき駅を乗り過ごしてしまうことまであったが,確かにそうした困難のおかげで,ことばを味わうという経験をすることができた。能の世界は,いかに熟達しようともつねに変化が求められ,稽古が必要となる。しかもそれを厳しい様式の制約のなかで行っている。ぼくの「脳」にも同様の厳しい稽古が必要だ,と痛感する。

世阿弥に学ぶ 100年ブランドの本質
片平 秀貴
ソフトバンククリエイティブ

このアイテムの詳細を見る

世阿弥の考え方のうち,ぼくにとって特に印象的なのは,能の演者には「上手・下手」,客には「目利き・目利かず」の上下しかない,という見方だ。つまり,作り手にも受け手にも一元的な軸があって,その上下で格が規定される。それを決めるのは努力と才能だが,上手は目利きに評価されればよい,といった単純な関係にはない。この一見単純にみえる構成から,めくるめくダイナミクスが引き出されるのだ。

これは,現代のマーケティング論や経営学とかなり違う趣がある。顧客は水平的に多様化しており,能力差のような垂直性はない。企業は戦略論が教える手順をきちんとこなしていけば,高い確率で成功する。もちろん,研究レベルではそういう議論ばかりではないが,Bスクールでの教育自体は,こういう考え方を暗黙の前提にしているのではなかろうか。あなたも,こうすれば高い確率で成功する,と。

この本を読むビジネスパーソンは(あるいは,ぼくのようなマーケティング研究者もまた),こうすれば「100年ブランド」を作ることができる,という近道を知りたいにちがいない。しかし,世阿弥のことばを通して語られる著者のメッセージは,そう甘くはない。その意味で興味深いのが「時」について書かれた章だ。どんなに才能があり,努力しても抗えない時がある,ということまで視野に入れた時間論が展開される。

さらに同じ章で,能の演者が年齢に応じてどう振る舞うべきかが論じられる。ぼくの心に突き刺せるのが,34~35歳に絶頂期があり,そこまでに「名望」を得なくてはならない,という点だ。そこで進歩が終わるわけではないが,その時点で名望を得ているかどうかが,その後の分水嶺になる。著者は,現代に当てはめれば,10歳ほど引き上げて考えるべきだという。ということは44~45歳が絶頂期ということになる。

これは,その歳までに名望を得られなかった者には残酷に聞こえるが,やはりどこかに,そうした線があるような気がする。もちろん,名望を得た者ですら,この絶頂期を過ぎると自らあまり目立たないようにふるまい,後進の育成に主眼を置くべきだとされる。つまり,遅くとも 50歳をすぎるまでには,引き際を準備しておく必要がある。「いや,まだまだこれからでしょう」などという声に耳を傾けてはならない。

といいつつ,まだ少しは何とかと,なかなか未練を断ち切れない。