Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

涙するロボットとエージェントモデル

2009-07-01 15:19:58 | Weblog
浦沢直樹×手塚治虫『PLUTO』8巻が出た。今回で物語は完結する。話のなかで何度か「憎しみからは何も生まれない」ということばが現れる。それを語るのは,優しさや愛情という感情を持つに至ったロボットだ。ただその反面,憎しみという負の感情もある。憎しみを過剰に強化され,絶大な破壊力を持つロボットを倒すのは,殺される間際の憎しみの記憶を引き継いだロボット(アトム)なのだ。彼は最後に「憎しみがなくなる日は来ますか?」とお茶の水博士に問いかける。

PLUTO 8 豪華版―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より (ビッグコミックススペシャル)
浦沢 直樹,手塚 治虫
小学館

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この物語の最大の黒幕は,巨大な人工知能である。人工知能が人間を支配しようとするという筋立ては,SF において数限りなくある。そこでは,知的能力から支配欲が「創発」されると考えられているのだろうか? そこには何か,必然性があるのだろうか・・・ あるいは,支配欲があるからこそ,知的能力は発達するのだろうか・・・ 欲望のない知性は,知性として完成度の低いものなのか・・・ 知能と感情の問題は,ロボットの可能性を考えるとき,避けて通れない。

昨夜,経営情報学会の社会シミュレーション研究会に出席。最初の発表で寺野先生が,100億のエージェントを持つ社会シミュレータを作ることを目指している,それはそう遠い未来の夢ではない,と宣言された。こういう大きなビジョンがあるから,個々の研究がブレずに一定方向へ進むのかもしれない。いつか人間と同じ感情や美的判断を持ち,それ以上の知的・身体的能力を持つロボット(鉄腕アトム)を作ることを目指す人々もそうなんだろう。
報告内容は歴史にエージェント・シミュレーションを適用した研究で,いわばテープを巻き戻すことだという。ではそれを再び再生したとき,元と同じ音楽が奏でられるだろうか? いつも同じ音楽が再生されるなら,統計学の最尤原理と同じことになる。違う音楽が現れるなら,別の「可能世界」を探り当てたのかもしれない。ただし,それはモデル化の失敗とどう違うのか。最近思い悩むことがある問題なのだが,なかなかいい答が見つからない。
次に高玉先生が,交渉のトレーニングを行なうエージェントの研究を報告。交渉において人間がみせる,必ずしも合理的ではない感情に支配されたふるまいを再現するエージェントがQ学習によって構成される。感情を明示的に仮定しているわけではないのに,あたかも感情を持つかのようにふるまう点が非常に興味深い。さらに,エージェントと(それとは知らずに)交渉した人間が同じスタイルを身につけることが実験で示された。ロボットと共生する時代の人間学ともいえる。

膨大な数のエージェントの相互作用を扱う方向もあれば,むしろエージェントの「内部」に入って,その行動を豊かにする方向もある。前者は経済物理学,後者は行動経済学と方向が近いかもしれない。ぼくはどちらかというと後者を志向する。最大の理由は,高性能コンピュータを使える環境にないからだが,それだけではなく,確信犯的に「低性能コンピューティングによる社会シミュレーション」を主張したい気持ちもある。そのほうがわかることもある,と。