Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

もっと素直に現実を見るための統計学

2009-04-25 23:13:11 | Weblog
この本,統計学の啓蒙書としては珍しく,多くの本屋で平積みされている。小飼弾氏の激賞が効いたのだろう。読んでみると確かに面白く,わかりやすく,目からウロコが落ちる話が多々ある。小飼氏も例に引く,標準偏差はなぜ二乗したものを足してからルートを取るのかの説明もその一つだ。早速,自分の授業にも取り入れることにした。

不透明な時代を見抜く「統計思考力」
神永 正博
ディスカヴァー・トゥエンティワン

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この本がユニークなのは,ベキ分布を取り上げていることだ。統計学の啓蒙書や入門書では,ほかに例がないと思う。著者は金融商品の値動きがベキ分布であることを確認し,金融工学が簡単化のため仮定している正規分布との差の重要性を示す。つまり,一見無視できそうな分布の裾における差が,精緻な金融工学を失敗に導くインパクトを持つと。

さらには,ベキ分布のスケールフリー性,つまり平均や分散が理論的には存在しないことを,簡単な数値実験で示す。ということは,ポートフォリオモデルの立脚する基盤が失われる。価格変動がベキ分布にしたがう場合,分散投資は正規分布に基づく理論で期待されるほどにはリスクを低下させない。こうした話題が誰でもわかるように書かれている。

現在の金融危機に対する金融工学の責任については,4月23日の日経「経済教室」で経済物理学者の高安秀樹氏が次のように書いている:
現在の危機に関し,悪いのは金融工学を悪用した人たちで、金融工学は悪くないという論評をする研究者がいる。しかし、物質が絡んだ自然科学や工学の世界では、こうした発言はありえない。例えば、船団が嵐で沈んだ大事件が発生したとして、そのとき「悪いのはその船に直接関与した人たちで、船舶工学は間違っていない」と開き直る研究者はおそらくいないはずだ。
高安氏は,金融商品について買い手の責任だけが問われ,売り手が免責されていることに疑問を投げかける。製造物や建物と同様,売り手もまた責任を負うべきだと。
・・・メーカーは事故を起こさないようにつねに厳しい検査体制をとり、膨大な検査データと日々真剣に向かい合っている。現実のデータと合わない商品が平気で売買されている金融の世界では、そのようなメーカー側の地道な努力がすっぽりと欠如し、安易に根拠の乏しい公式を使うか、あるいは、きまぐれな市場の成り行きに任せているのが現状である。
「データと日々真剣に向かい合」うために,統計手法もまた,より現実的な基盤を持たなくてはならない。それは,時と場合によっては正規分布の仮定を捨て,ベキ分布のような厄介な事実に向き合うことを意味する。上で紹介した本は,現実により忠実であろうとする新たな統計学が今後登場するための,序曲としての役割を果たしているかもしれない。