東京大学東洋文化研究所の安富歩氏が,経済学と物理学や生物学との関係について興味深い発言をされている。これは,経済学が古典力学に範を得ているという,よくある見方に反論したものだ。均衡概念の危険性について(2)というエントリから引用すると・・・
実のところ、新古典派経済学は、古典力学に全然似ていない。というのも、理想化された古典力学系では散逸がないので、安定平衡点を持たないからである。平衡概念が大活躍するのは熱力学・統計力学の方である。・・・したがって,仮に経済学を物理学に対応づけるにしても,その(未だ存在しないほど)最先端の領域ということになる。では,生物学に倣うという考え方はどうか。別のエントリで,安富氏はこれに対しても否定的な見解を述べる:
・・・新古典派経済学が一番似ているのは、古典力学ではなく、平衡状態とその近傍を扱う統計力学である。ところが、経済現象は明らかに、非平衡統計力学の扱う開放系における現象、それも猛烈に複雑で巨大で眩暈がしそうなくらい取り扱いの困難なものである。
経済現象の複雑さは生易しいものではないので、現在の非平衡統計力学ではまったく歯が立たない。・・・熱力学に範をとっても、経済現象は論じられないように思う。では生物学はどうだろうか。私の考えでは、現在の生物学はそれほど頼りになるものではない。たとえばメイナード・スミスを始祖とする数理的な進化生物学は、驚くほど新古典派経済学に似ている。同じことを経済学に当てはめれば,経済の経済らしさを熱っぽく語れるのは,経済学者以外の誰か(物理学者?)になるのかもしれない。安富氏が経済学が見倣うべきものとして挙げるのは,「オルタナティブな医学」である。つまり・・・
・・・10年ほど前になるが、京大で生物学者と物理学者とが対話するための比較的大きな研究会が開かれた。そのとき物理学者が生命の生命らしさについて熱っぽく語るのに対して、生物学者が強い不快感を示していた。そこで司会者が「生命にはいわゆる物理現象を超える何かがある、と思う人は挙手してください」というと、手を挙げた人はほとんどが物理学者であった。
手術や投薬に依存する現代医学の真似事を経済に対して展開することの危険性は、すでに明らかであるが、かといって、具合の悪い患者をほったらかしにするわけにはいかない。そうすると、按摩をしたり、鍼を打ったり、食事療法を薦めたり、カウンセリングをしたり、といったやり方で、健康回復の手助けをする以外にない。経済学はそういう方向を目指すべきであり、その手本は経済学・経営学のなかにも既にあるように思う。それが民間療法のようなものだとしたら,「最新の経済学」に通じていないと批判されることもある,いわゆる「民間エコノミスト」(その最良質の部分)に近いものかもしれない。経営学では,ドラッカーのような「アカデミックでない」碩学が思い浮かぶ・・・。
それはともかく,ある現象をその「下位」に還元するのではなく,そのレベルに相応しい言語を確立するという課題は,1月に池上高志さんの講義を聴いて以降,ぼくのなかでより意識されるようになった。実際どう展開するのかの見当はつかないが・・・。