車ではちょっと行きづらいかも知れないけど、門前の石段の前には少し駐車スペースもある。
萩の植え込みが両側に続く古びた石段の奥に簡素な山門が控えていて秋の初め、萩の花が咲き零れる頃には格好の被写体として多くの観光客が訪れるようです。
天智天皇、第七皇子志貴皇子の山荘を寺にしたと言う伝承のある古刹ですが度重なる戦乱で堂宇を失い、現在の本堂は江戸時代初期、興福寺の空慶上人が再興。
鎌倉期には、かの西大寺の叡尊上人が中興し、地獄極楽の教えを庶民に広めたところと言われています。
境内には五色椿と呼ばれる銘木も有って名高いようですが時期外れの訪問でどちらの花にもお目にかかれず終いでした。
勿論石仏行脚が第一目的だったのでわざと観光客の多い時期をはずしたのですが・・・・
目的の石仏は五色椿の左奥手、背後の山の斜面を背にしてずらっと一列に行儀良く並んでいます
なんと言っても一番大きく目立つのはこの十王地蔵石仏で、光背に死後の審判を下すと言う十王を配し像高約1m、左手には宝珠を持つが右手に錫杖を持たない矢田寺型、又二重光背には放射線が刻まれている。
この地蔵の隣には阿弥陀石仏の残欠が寸足らずで置かれている。
一列の中央には弥勒石仏と地蔵石仏、共に慶長15年の銘を持つ。
弥勒は螺髪を持つ如来形です。
少し外れて傷みと磨耗が激しく殆ど像容も定かでない不動石仏がある。
撮影2007.7.29