日本民家集落博物館内、入場入口から直ぐ、目の前に建つ二棟の茅葺き屋根。
勿論民家などと言うものは、その土地に根ざした人々の生活が有ってこそなのだが・・・こう言う御時勢、住宅展示場ばりで気に入りはしないが廃棄されるよりはこうしたかたちででも残ったほうが有り難く、これも仕方ないことだと納得・・・。
旧宮崎県東臼杵郡椎葉村高尾、「旧椎葉家住宅」
この民家が有った椎葉村は 飛騨白川、 阿波祖谷村とともに日本の三大秘境と言われ、平家落人伝説の土地。
旧椎葉家住宅は 険しい山の斜面に建てられていたので 「竿家造り(さおやづくり)」と呼ばれる併列の間取りの細長い形をしている。
昭和30年( 1955年 ) 上椎葉ダムが出来、 旧椎葉家はダム人造湖の上の高尾集落にあり、 水没はまぬがれた
が険しい山の北斜面にあり、強風が下から吹き上げ、被害を受けるようになり離村することとなった。
手前に建つのは納屋、中に馬を飼う「うまや」が二つもあった。
屋根の造りとしては寄せ棟、山国らしく太い木材を惜しげも無く使っている。
こちらは母屋,平入でへやが横一列に並び、見たところ十間以上もある長大さ・・・
解体した家を運ぶ道路がないため、ワイヤで道路のある低地まで下ろし、そこからトラックで日向港まで運び、大阪港までフェリーで運ばれたと言う。
屋根葺きの経験のある村民が大阪まで来、村に伝わる伝統的な方法で屋根を葺いた。
椎葉村は「 稗つき節 」「臼太鼓踊り」など、お神楽の宝庫で椎葉家のこの座敷で、かってはお神楽が演じられていた。
撮影2014.1.11
質感も間近で知りたい感じ。
宮崎へは訪れたことがありません。
奈良さえ漸くこの頃地名が分かるのだから(>_<)
服部緑地も近いと思うのに行けてませんでした。
これを知り年内に(?)訪ねる予定です。
えっ、ゆずりはさんは、大阪の人でしたか??
奈良は大阪のお隣さんですもんね、確かに奈良も大いなる田舎ですから古い地名もいっぱい残ってたりしておもしろいですよね。
僕もこの椎葉、高千穂辺にはまだ行けていません。
確かに行ってみたいところなんですけどね・・・・。
この民家は椎葉では「那須与一」の流れをくむ名家だったようですよ。